週に2〜3回のコラム2007年8月

 あとりえβiosスタッフが、生活や文化に関わるさまざまなテーマについて、
 思いついたことをお届けいたします。執筆は交代制でランダムです。


2007年8月31日(金)   絵画を楽しむ 0005
 2枚の「怖い」絵〜その2〜      written by  JAZZ-cafe




「マドリード 1808年5月3日 
 〜プリンシペ・ピオの丘での銃殺〜」 の部分図。

上は、白いシャツを着た男の右手にある「聖痕」が見える。

下は、うずくまっておびえる人物が兵士に向ける表情が見てとれる。




「マドリード 1808年5月2日 
 マルムークたちの攻撃」

                プラド美術館

 侵略してきたフランス軍に対して、蜂起したマドリード市民は、小さなナイフやこん棒、さらには素手で立ち向かっていったという。

    


 「カルロス4世の家族」は、よくある王侯貴族の集団肖像画のように見えて、背後にはある種の「怖さ」を含む絵だった。では「マドリード 1808年5月3日」はどうだろうか。「プリンシペ・ピオの丘での銃殺」という副題のとおり、マドリードで実際に起こった事件の記録画である。銃殺されているのはマドリードの市民、銃を向けているのはフランス軍の兵士。機械のように銃殺刑を執行し続ける場面が克明に描かれ、見たとおりの「怖い」絵になっている。「でも、肖像画と反対に実はこちらは怖くないもので…」というオチではない。あれこれ調べてみると、銃殺場面の記録というだけではない、別の意味の怖さを含んでいる絵のようなのである。


 ここで描かれた事件はなぜ起こったのか、おおまかに整理してみる。
 そもそもの発端は1789年、世界史の授業では「ひ(1)なん(7)ばく(89)はつ、バスチーユ」などと覚えさせられるフランス革命にある。それをきっかけにフランスは全ヨーロッパに侵攻を始め、スペインもその混乱の中に巻き込まれていく。スペインでは、ご存じのようにカルロス4世は無能、王妃と愛人の宰相ゴドイがやりたい放題で実権を握っていたが、両親とゴドイから除け者にされていた皇太子フェルナンドを旗頭とする反ゴドイ派との争いが激しくなっていた。皇太子は肖像画の中では左側に青緑色の衣装を着て立っている人物だ。
 その内紛に乗じてスペイン侵略を始めたのがナポレオンである。スペインの主要都市を制圧し、自分の兄をスペイン王位につかせる。ゴタゴタ続きのスペイン王朝はこれに抗することもできず、立ち上がったのはマドリード市民だった。それが1808年5月2日のこと。ゴヤは「マドリード 1808年5月2日 マルムークたちの攻撃」でその様子も描いている。しかし、絵でも分かるとおり、強力なフランス軍に対してマドリード市民が手にするのは小さなナイフやこん棒など、たった数時間で鎮圧され数百人が捕らえられてしまう。こうして翌5月3日未明、プリンシペ・ピオの丘での悲惨な出来事が…、という流れである。
 つまり、カルロス4世の家族たちはこの事件に深く関わっていたわけだ。これらの人物が、ゴヤの描き出したようなよそよそしい関係でなかったなら、「マドリード 1808年5月3日」の虐殺は起こらなかったかも知れない。しかし、いつかスペインをそうした運命に引きずり込みかねない人物たちであると、ゴヤは肖像画を描きながら見通していたにちがいない。2枚の絵にはこうしたつながりがあった。

 その上でこの絵の特徴に目を向けてみる。まず、さまざまな資料に紹介されているものをいくつか挙げる。「撃たれる寸前の、白いシャツを着た男の右手に小さい穴が描かれている。これは聖痕といい、釘を打ち付けられたイエス・キリストの手の傷を象徴している」「両手を広げたポーズも、キリストの磔刑をイメージしている」「左端の暗がりに赤子を抱いた女性の姿があり、これは聖母子を描いたもの(隠れマリア、と呼ばれたりする)」「これに対して背景に描かれている教会には明かりもなく、ひっそりと沈黙している」などである。これらを踏まえて「フランス軍に抵抗した民衆にこそ神の救いがもたらされることを示し、権威の一つであった教会は何もしなかったと風刺している」「宗教の救いを肯定する非科学的な中世と決別し、神も仏も無い悲惨な現実をそのまま描いた、近代絵画の始まりの絵」などの指摘がなされている。「へぇ、そうなの…」とは思うものの、宗教心にも宗教的な知識にも乏しい自分にとって、それをどう受け止めればよいのかは難しい。
 もう一つは構図の工夫。絵の左側手前にはすでに撃たれて倒れている者、その少し右奥に白シャツの男を中心とした今まさに命を奪われかけている者、さらに真ん中寄りの奥にはこれから処刑されようとしている者、という配置になっている。こうした構成により「ゴヤは一枚の絵の中で、犠牲になった人々の過去・現在・将来を描き分けた」と評されている。言われてみればこちらは「なるほど…」と分かりやすい。

 お偉いさんたちのそうした解説とは別に、自分にとって気になった部分がある。真ん中で手を広げる男をはじめ、何も見たくないと両手で顔を覆う者、茫然として目を見開いている者、銃を構える兵士たちに何かを訴えるように視線を向ける者など、この絵には人物のさまざまな表情が描かれている。しかし、その描き方が「ゴヤにしては何だか中途半端なような…」感じがするのだ。













 もちろん小さい画像ではなく、実物を見ないと分からないのかも知れないのだが、例えば「イザベル・デ・ポルセール」(左)「フランシスカ・サバーサ・イ・ガルシア 」(右)などの描写力と見比べるとやはり違いがあるような気がする。体調が悪かったのか、それとも時間がなかったのだろうか。何かの事情があったと考えることもできるし、あえてそのような筆致、描き方をしたとも考えられる。例えば、「丹念に描きすぎると絵が絵として美しくなったり、人物が特定の誰かになってしまう。そうすると見る人は絵の仕上がりや人物像を気にするようになる。ゴヤは、この事件そのものを受け止めてほしい、人間の持つ業ゆえに特定の誰かではなく誰にでも降りかかりうる悲劇だと知ってほしい、そう願ってこのような描き方をした」とか。あくまでも私見だけれど。


 フランス革命の報せを聞いたとき、ゴヤはその背景となった啓蒙思想に共感し、それがスペインにも広がってくることを期待した。しかし、やってきたのは武器を手にしたフランス軍であった。「自由だ平等だといっても、それは自分たちの国だけ、特定の階層だけのことだったのか!」。そうした憤りをゴヤは抱いたようだ。フランスもバカなら、スペイン王室もバカだ。その王室に取り入り野望をとげようとしてきた自分自身も…。告発されるべきはフランスだけ、スペインだけではなく、自分をも含めた人間の醜さなのだ。晩年のゴヤはそうした立場から、人間が生きていく中で抱えるおろかさや弱さや、残虐さ、欲の深さなどを絵の中に描き出していくようになったという。
 それまでの絵画は一般に美しいもの、優雅なもの、癒されるものとして求められていた。ゴヤが生きた時代も、フランスでは印象派が全盛だった時代にあたる。それに対してゴヤは、美しさではなく人間の本質を描き出すことを求めていった。だから後期のゴヤの絵は、なんとなく見る、のんびり構えて見るということを許さない。居住まいを正して自分自身の心と向かい合うよう厳しく迫ってくる。「マドリード 1808年5月3日」はそういう「怖さ」を持つ代表的な作品の一つだと感じている。

※ ゴヤには「我が子を喰らうサトゥルヌス」という作品もあり、こちらは「怖い」というより「恐ろしい」という感じさえある。夏の肝試しやお化け屋敷が好きな方は、その絵もご覧になってはどうだろうか。


2007年8月28日(火)    絵画を楽しむ 0004
 2枚の「怖い」絵            written by  JAZZ-cafe

「カルロス4世の家族」 1800-1801年 プラド美術館

1800年にアランフェスの離宮で描かれたカルロス4世一家の肖像画。
よく見ると家族の数は13人。この不吉な数字を嫌ってか、ゴヤは自らを左隅の
暗がりの中に描き、人数を14人にしたとも伝えられている。
集団肖像画の中に画家自身を描く手法は、先輩のベラスケスの絵にもある。


「マドリード 1808年5月3日 
   〜プリンシペ・ピオの丘での銃殺〜」
  1814年 プラド美術館

フランス占領軍に対するマドリード市民の蜂起をテーマにしたもので、
囚われの身となった市民たちが、フランス兵に銃殺される悲劇の瞬間を描いている。
ゴヤが実際に目撃した光景で、蜂起した反乱者300名が銃殺刑に処せられたという。
 プリンシペ・ピオの丘での銃殺を描いたゴヤのこの作品は、「発砲の一秒前を、永遠の一秒へと変えた。さらに犠牲者の過去、現在、そして未来を描いている」と評されている。


 お坊ちゃま内閣の改造、ズル休み横綱やはり帰国か…。そんなニュースばかりに嫌気が差して有線チャンネルに避難すると、画家ゴヤの映画が流れていた。さすがに映画専門チャンネルは渋い。ゴヤは「ベラスケスと並ぶスペイン最大の画家」などと評価される巨匠だが、音楽家ベートーヴェンと同じように「人生の途中で耳が聞こえなくなりながらも、優れた作品を生み出し続けた」ことでも知られている。自分は若い時に聴覚障害者福祉や手話通訳に関わる仕事をしていた時期があるため、ゴヤは以前から気になる人物だった。
 特に印象に残っているのが「カルロス4世の家族」、「マドリード1808年5月3日」という作品だ。一つは集団肖像画、もう一つは歴史上の出来事を記録した事件画。何の関係もなさそうなこの2枚、実はふしぎなつながりを持っている。


 年譜によるとゴヤは、1786年にカルロス3世付き画家になり、1789年にはカルロス4世によって宮廷画家に取り立てられ、1799年には首席宮廷画家に昇進している。「カルロス4世の家族」は、その記念に描かれた絵である。
 宮廷画家は、依頼主である王族や貴族について、特徴をとらえつつもそれとなく個性を消し、美しい顔でなくとも華々しく美しく描くのが常識だったという。つまり実物以上に美しく脚色するのが仕事、というわけだ。ちょうど日本のマスコミが内閣改造での大臣を紹介するのに、年配者には「経験豊富な実務派」、若くして抜擢された者には「若手改革派のリーダー」などと、内容のない誉め言葉を使うようなものか。
 ゴヤも宮廷画家であるし、ましてや自分を首席にまで引き上げてくれた相手。とすれば一段と腕をふるって描いたのだろう。そう思ってこの絵を眺めたのだが、見れば見るほど様子が違う。まず、黒服に身を包んでいるカルロス4世の赤ら顔は、ゴルフ焼けか2〜3杯ひっかけた後の酒飲みのオジサンにしか見えない。真ん中でお澄ましなのは王妃だが、その表情は意地の悪そうなオバサンだ。家族なのにお互いが別の方向を向いているのも妙な雰囲気だし、そもそも王家らしい品格みたいなものが伝わってこない。

 「自分の目がおかしいのか?…」と思いながら文献にあたってみると、次のようなことが語られていた。
・カルロス4世は政治を宰相に任せて趣味の時計いじりと狩猟に明け暮れ、無能王ともあだ名された王であった。その暗愚な姿を、そのまま描いている。顔が赤いのは狩猟での日焼けのせいである。
・真ん中に王妃を配置することで王妃マリア・ルイサが実権を握っていたことを表している。王妃の表情は、したたかさや傲慢さのにじみ出た悪女面のままに描かれている。
・王妃は、王の右後ろに描かれた宰相ゴドイと愛人関係にあった。王妃の両隣にいる王女と王子はゴドイとの間に出来た子供とも言われ、それを示すように2人の子はゴドイに似た顔立ちで描かれている。

 初めに受け止めた印象は、それほど外れていなかったわけだ。ゴヤも若い時や宮廷画家になったばかりの時期には、注文主に媚び、優雅で気品に満ちた肖像画を描いていたという。ところが重い病気で聴力を失ったことをきっかけに、感じたことをそのまま描く画風に転じた。ちょっと見たかぎりでは、よくあるお偉いさんたちの家族の肖像画に見えるこの絵は、ゴヤの優れた観察眼と技量によって、王家一族の抱える「怖い」背景をも見事に描き出したものだったのである。
 肖像画については本コラムで、「誰かでありながらも特定の個人にとどまらない、人間一般に共通するイメージ」を目指して、画家たちは人間の本質に迫ろうとしてきたと書いたことがある。ところがこの作品でとられた手法は逆だ。王族一人一人の表情を、飾らず偽ることなく「誰かであること」そのままに描く。そうした手法によっても人間の本質を描き出すことはできるという新しい視点を、ゴヤのこの絵は教えてくれている。

 では「マドリード 1808年5月3日」はどうか。「プリンシペ・ピオの丘での銃殺」という副題もついているが、こちらはまた別の意味で怖い絵だ。やや長くなりそうなので、次回に続く、ということで…。


2007年8月21日(火)    生活を見つめる 0007
 マニュアルの意味とは…    written by  Something Cool

製作年度 2006年
上映時間 98分

監督
アレハンドロ・アグレスティ
出演
キアヌ・リーヴス
サンドラ・ブロック ほか
(映画評じゃないけれどご参考に)

「イルマーレ」

英題は「THE LAKE HOUSE」。2000年の韓国映画を2006年にハリウッドでリメイクしたラブストーリー。イルマーレとはイタリア語で海の意味で、韓国版では海辺の家が舞台であったが、ハリウッド版では湖畔の家に変更されている。キアヌ・リーヴスとサンドラ・ブロックがアクション映画の『スピード』以来の共演を果たした作品として話題になった。

シカゴの病院の医師ケイトは、湖畔の家から引っ越すにあたって、次の住人に宛てて「郵便物の転送をお願いします。玄関の犬の足跡は元からありました」という手紙を残す。。新住人のアレックは、手紙見て玄関を確かめたが犬の足跡はなかった。翌日、迷子の犬がやってきてペンキで足跡をつけた。アレックはそれをケイトに手紙で知らせる。手紙を数度やりとりするうちに、アレックはケイトが2年後の世界にいることを知る。2人の不思議な文通は続き、やがて…というストーリー。


 コンビニ店員に対するK`s voiceさんのお嘆き、よく分かります。わたしも似たような体験を何度もしていますから。K`s voiceさんは優しく上品な女性であるために、感じた憤りをぐっとご自身の中に溜め込まれてしまうようですが、わたしは相手とやりあってしまいます。そこが違うんですね。いやいや手は出しませんよ、粘り強く諭す(?)だけです。

 例えばこんなことがありました。「4点で517円になります」。レジ・カウンターに1022円を差し出すと、「お客さま?、517円なんですけど…」と不思議な生物を見るような目で言ってきます。「いいから、黙って1022円でレジ打ってみなさい」と押し通すと、仕方なくレジを打つわけです。説明するまでもないと思うのですが、1000円札からのおつりは483円。100円硬貨から1円硬貨まで総数11枚の「小金持ち」。古びた財布がメタボになってしまいます。これに対して1022円からなら505円。500円と5円硬貨1枚ずつでスッキリです。そこまではともかく、何か理由があるのだろうと考えられない人が増えているんですね。
 こんな事例もあります。アロエのヨーグルト108円、さらさらそば茶147円、6個入りポケットティシュー98円の3品をカゴに入れてレジで清算しましたら、「3点で1676円になりま〜す!」と元気な声。「あのねぇ店員さん、100円程度の品物3個でどうして1600円になる?」。そう言われてもなお、(レジの金額表示が1676円なんだから…)みたいな表情をしています。「レジ・シートを見直してみたら」と言われて、ようやく「147円を1470円に打ち間違っていた」と気づくのです。

 ご想像のとおり、こうしたハプニングを起こすのはだいたいアルバイトの店員さんです。それも年齢の若い人たち。同じアルバイトでもある程度年輩の人は、「あれ?、私間違ったかな?」と自分で気づいたり、「お釣りの関係からですか?」と疑問なことをきちんと尋ねたり、そういう力を普通に持っています。それに比べると若い方々は、物事がマニュアル通りに進むものという流れに慣らされてしまって、その場の状況に合わせてリアルタイムに物事を受け止め判断するという力が不足しているように見えます。マニュアル主導型の指導が背景なのでしょう。これを解決するためには、「マニュアル通りに行かない状況が起こったときのためのマニュアル」を作らないといけない、と思えてきます。

 考えてみれば「マニュアル」の本来の意味は「(自動に対して)手動の」とか「手による」というもの。それがいつしか「初めての人でも実行できるようにした手引き」にも使われ、さらには「その通りやればよいもの」みたいな意味にまでなってしまっています。「オートマチックではない」という意味が出発点であったはずなのに、今のアルバイトさんたちに対するマニュアルは、「オートマチックに進めること」を目的とした指示書のようになっている、そうしたところに問題が潜んでいるような気がします。

 ただ、「若いアルバイトだからダメ」ということではないはずです。先日、夫婦連れ立って某レンタルビデオ店に行きました。妻は映画好きなのですが、細かなことにこだわらないというか、覚えていられない性格。そのため作品探しでは「ほら、あの俳優の…」とか「誰かに騙されて、どこかに旅する、そんなのってなかった?」、そういう会話が頻出します。
 その日も「あの、何度か共演したことのある2人が出てて、昔の人と手紙でやり取りする映画、見たいんだけど」「共演って、例えば何に出てた…?」「あれさ、アヒルちゃんが悪役をやって…」、そんな会話をしながら探していたのですが、なかなか見つかりません。そのおバカな様子に耐え切れなかったのでしょう。近くにいた若い店員さんが「それって、イルマーレじゃないですか?」と声をかけてくれました。ドンピシャです。すかさず「これですね」とそのDVDを探しだしてくれました。その若い店員さんの応対と手際の良さ、それがイルマーレの内容よりもしっかりと記憶に残っています。


2007年8月19日(日)   言葉に学ぶ、言葉に遊ぶ 0001
 暑い日には雪の話でも…      written by  JAZZ-cafe

 写真上が2005年9月22日、写真下が2007年8月15日の北極海の様子。白くみえるのが氷で、面積も白さも今年の写真では明らかに減少しているのが分かる。

 8月16日のニュースは、「北極海の氷の面積はこれまでで最少になった」と伝えた。観測を始めた1978年から2000年ぐらいまでの平均値と比べて、日本列島ほぼ3個分ぐらいの面積が消失した。この減少度合いは、予測の上では約30〜40年後の北極の状態とされていたが、温暖化の進み具合がそれをはるかに上回っている可能性があるという。

 こうした変動は地球全体に影響を与えるが、エスキモーの人たちにとっては特に深刻なものになっているらしい。生活環境や生活のスタイルが変われば、豊かに使われていた言葉が次第に単純なものへと移行していくことになる。雪や氷を表すたくさんの言葉に秘められた豊かな文化が、温暖化によって失われようとしている。


 暑さはまだ続いているので、雪の話を取り上げる。日本が夏、ということは南半球はいま冬だ。大学生の長女が語学研修とワーキングホリデーでニュージーランドに出かけていて、「時間をみつけてスキーもしてきたよ!」などと、うらやましい報告をしてくる。「日本のスキー場では見られないぐらい広いし、雪もパウダー、というかアスピリン・スノー」なのだという。ご存知のとおりパウダー・スノーは粉雪、アスピリン・スノーはさらにその上をいく微細な結晶の「しばれ雪」のことである。スキーヤーにとっては何度でもお目にかかりたい雪だ。その一方、綿雪、牡丹雪、ざらめ雪など水分の多いタイプはありがたくない。水分で重くなるため、雪かきだって大変だ。

 雪の種類に関する日本語はまだたくさんある。太宰治は小説「津軽」の巻頭で、津軽の雪として「こな雪 つぶ雪 わた雪 みず雪 かた雪 ざらめ雪 こおり雪」という7つを挙げている。気象関係者は降雪については「たま雪、こな雪、はい雪、わた雪、もち雪、べた雪、みず雪」の7種、積雪については「新雪、こしまり雪、しまり雪…」などの6種、合わせて13種を用いているという。ほかにも、宮沢賢治の「永訣の朝」で「あめゆじゅ(あめ雪)とってきてけんじゃ」と使われている例など、地域それぞれの雪の呼び方がいくつもあるようだ。日本は、列島全部ではないがかなりの地域で雪は降る。そのことが背景となって雪に関わる多様な言葉が使われるようになったのだろう。ただ、これらを見て気づくのは、ベースとなる「雪」という単語があって、それに「○○のような」「○○の性質を持った」などの語が組み合わされていることである。つまりその多様さは合成語としてもたらされている。

 日本語とは違う形で、雪に関する豊かな言葉を持つのが北極圏で生活しているエスキモーの人たちである。まず、エスキモー語には日本語の「雪」に相当する言葉がないという。「えっ?」と思うのだが、「雪」などという大雑把な捉え方ではなく、さまざまな状態の「雪」を表すための独立した単語が数多く存在する。その数は20種類以上とも。例えば、カニック=降っている雪、アニユ=水をつくるために持ってきた雪、アプット=地面に積もっている雪、プカック=きめ細かな雪、ベシュトック=吹雪、アウベック=イグルーをつくるための切りだした雪、などである。「雪」をベースに合成語として作り出したのではなく、一次的な言葉として初めから細分化されている点で、日本語における雪の言葉とは異なっている。
 また「人が乗るとわれる薄さの氷の色」「そりが走っても割れない氷の色」など「氷の色」に関する言葉も数多いらしいし、「対象が動いているかとまっているか」「自分に対して近づいてきているか」「対象物と自分の間に隔てがあるかないか」などの状況それぞれに応じた「こ・そ・あ・ど」の指示語が30種類も存在するそうだ。


 ある言語では単純な言葉だが、別の言語ではいくつもの言い方がある、というのはどの言語間にも見られる現象だという。分かりやすい例では、英語では「Rice」、ドイツ語では「Reis」と一語で表す対象物を、日本語では「籾(もみ)、稲、米、ご飯、ライス」などと使い分けている。逆に日本語が一語で済ませている「靴」は、英語では「くるぶしを覆うもの=bootsブーツ」「くるぶしを覆わないもの=shoesシューズ」と細分化されている。靴文化が広まるにつれて日本でも「短靴」「長靴」という言葉が合成語として生み出されてきた。
 その言葉を使う人々の生活の中で、何が大切で、何が身近なものとされ、何を文化として根付かせてきたか…。言葉の数や言葉の作られ方にはそうしたことが反映されているというわけだ。

 「なるほど、それでか」と納得のいくことがある。この国の政治家の言葉、あるいはまた政治をとりあげるマスメディアの報道のあり方についてである。最近も失言やバンソウコウや選挙後の開き直りなどが次々出てくるが、政治家たちが何かを語るときの言葉の貧しさ、底の浅さはなにも今に始まったことではない。言うまでもなくそれは、日本の中で「政治」というものがこれまでどう扱われてきたか、どの程度人々の生活と結びついてきたのか、ということの見事なまでの反映だからである。

 雪にまつわる言葉をいくら並べても「涼」を感じないが、日本の政治やこの国の行く末の「お寒い」状況を思うと、さすがに身震いがしてくる。しかし嘆いているだけでは暑気払いにもならない。この国の政治に関する言葉が、エスキモーの人々の持つたくさんの「雪」に負けないほど豊かになれるのかどうか。政治家というよりも、それは私たち一人ひとりに投げかけられた課題であるのだと自戒していきたい。



※ 「エスキモー」という語について

 北極圏に生活する先住民族を「エスキモー」と呼ぶのは差別的であるという主張がある。「エスキモー」というのはアメリカインディアンのつけた「生肉を食らう輩」という意味のあだ名だから、というのがその根拠とされている。そのため、日本でも一部が「イヌイット」という語に置き換えたりしている。
 しかし、実際には「エスキモー」というのはカナダ系の先住民族の自称であり、現地でも問題なく使用されているという。また「イヌイット」という語も、アラスカ北部以東の民族を指すもので、「イヌイット」と呼ばれることを嫌がる民族も多い。つまり北極圏の先住民族全般を表す言葉としてはふさわしくない、ということが反論として挙げられてきている。
 こうしたことから本文では、北極圏に生活する先住民族の一部を示す言葉としての「エスキモー」を用いている。
 なお、エスキモーの言葉について興味を抱かれた方は、「エスキモー 極北の文化誌」(宮岡伯人著 岩波新書)などが参考になる。

2007年8月12日(日)    絵画(芸術)を楽しむ 0003
 枠を飛び越えようとする人たち…   written by  JAZZ-cafe


アルテピアッツァ美唄

「アルテピアッツァ」とはイタリア語で「芸術広場」の意味。

美唄出身でイタリア在住の彫刻家・
安田侃氏のコンセプトによって設計・整備された施設で、安田氏の日本のアトリエも兼ねている。

1981年に廃校になった旧栄小学校の校舎や体育館がそのまま活用されており、教室や廊下、体育館にも多くの作品が常設されているほか、校庭にあたる広場や周囲の空間にも作品が並んでいる。

広さは約7万平方メートル。門や柵はなく、誰もが自由に無料で入れる彫刻公園となっている。


 この数日、札幌もかなり暑い。「30度を超えたら街の中にいるのはつらいなあ…」と都会を抜け出し、美唄に行ってきた。目的地はアルテピアッツァ美唄。そこで開かれているイベントに知人が参加しており、「アルテ祭りというのもあるし、ちょっと見に来ませんか?」と誘われていたのである。

 ここを訪れたのは10カ月ぶりぐらいになるだろうか。廃校となった古い小学校の建物と周りの自然とが溶け合った、ほっとできるスペースだ。美唄出身の彫刻家・安田侃氏の作品が建物内外に40点ほど展示されていることから、雑誌やパンフでは「芸術施設」と紹介されている。だが、自分にとっては彫刻があるとかないとかいうより、来るたびにのんびりできる「くつろぎの公園」という感じの強い場所だ。

 知人は安田氏の「心を彫る授業」を受講中だったため、しばし祭りをぶらつき、それでもあまった時間は屋外に置かれた作品を眺めて過ごした。絵画もそれほど分かるわけではないが、彫刻はさらに苦手である。加えて安田氏の作品は、これは乙女像、こっちは走る馬というような「見れば分かる具体物」ではない。丸い物体だったり門のような長方形だったり、いわば抽象的な作品であり、いちだんと難しい。それでも「せっかく来たんだし…」と、しばらく見続けることにしたた。

 作品は、黒いものか白いもの、いずれかである。形も、おおまかに見て球体か方形、シンプルな造形が基本で複雑なものはほとんどない。黒と白、丸と四角、それら見比べているうちに、彫刻の素人にもなんとなく伝わってきたものがあった。世の中にある「陰と陽」「生と死」「栄華と衰退」「過去と現在、あるいは現在と未来」「自然と人間」…、そのように何か相対するもののイメージを安田氏は表現しているのではないか、ということである。
 もう一つある。自分ではそれぞれの彫刻作品を見ているつもりであったのに、いつしか作品だけではなく、作品を取り囲んでいる場所や空間をも一緒に意識するという感じに変わってきたのである。例えば、その作品があることでそこの空間が何か引き締まった感じになる、その彫刻がそこに置かれていることで風景全体になごんだようなイメージが出てくる、という具合だ。つまり彫刻をみるときには、「作品」だけを対象としない。その作品という枠を飛び越えて、周りの空間をも巻き込むような、あるいは周りの空間に何かの影響を与えていくような、そのような力が感じられるかどうかを一つの視点にする。どうやらコツらしいものを見つけたかなと、一人で勝手に喜んでいた。

 彫刻といえば、今から5〜6年前、「ぐるっと洞爺湖彫刻公園」の取材をしたことがある。その中で「景気の良いときにはなかったのに、財政が厳しくなるにつれて、『彫刻とかにそんなにお金かけても…』と住民から疑問の声が出てきて…」という悩みが語られていた。「彫刻家に1000万も2000万も払うのはもったいない。オレなら同じようなものを100万ぐらいで作ってやる」と直談判する鉄工関係者もいたという。たぶん腕に自信のある鉄工屋さんで、実際の作品を見て、「あれぐらいなら、こんなふうに折り曲げて、この素材はこうやってくっつければ…」と思ったのだろう。しかし、作品を値踏みしたその目は、作品という枠を飛び越えた空間にまで果たして向けられていたのだろうか。彫刻家と職人さんとの違いはそんなところにあるような気がするのだが…。

 ジャンルは違うが、似たようなことを考えさせる例がもう一つある。アメリカにジョン・ケージという作曲家がいた。クラシックというよりは現代音楽の作曲家で、演奏やそれを聞いている中に偶然性が関与する「偶然性の音楽」というのを始めた人だという。代表作品に「4分33秒」というのがある。もとはピアノ用の曲らしいのだが、実際には何でも良い。なぜならこの曲、4分33秒全部が休符、いわゆる「オタマジャクシ」の音符は一つもない作品だからだ。従って、ピアニストでもオーケストラでも、4分33秒の間、音一つ鳴らさない。
 「ただのジョークだろう」という人もいるし、「許せない、悪ふざけだ」と曲としては認めない音楽関係者もいる。その一方でこんな解釈がある。「休符だけのこの4分33秒という時間は、通常の曲にはあるはずの楽器の音がない。そのため聴衆の意識は自然に、それ以外の音に向かうようになる。例えば、ホールの内外から聞こえてくる雑音、咳払いなど聴衆や演奏者が発する音、演奏の場所によっては鳥の声や木々の揺れる音、予定されない偶然の何かの音…。4分33秒の時間の間に存在するそうしたいろいろな音、その時その場所においてつくられる音の総体を鑑賞する、というのがこの作品の狙いなのだ」。つまり楽譜としては無音だけれども、楽譜を飛び越えたまわりの音全部を含めて鑑賞するのがこの曲のコンセプト、ということが分かる。

 参考のために、YouTubeにアップされている「4分33秒」の演奏動画を2つほど紹介する。1つはオーケストラ版、もう1つはピアノ版。YouTube にアップされた画像は著作権などの関係で、ある日突然見られなくなってしまうことも多々あるのだが、この文章を書いている時点ではまだ見られるようである。曲本来の意味からはどこかの演奏会場で聞くのが望ましいとは思うものの、動画からでも不思議な時間の一端は味わえるはずである。

▼オーケストラ版(曲の前後含めて9分22秒)
http://www.youtube.com/watch?v=3fYvfEMUJl8

▼ピアノ演奏版(前後含めて5分48秒)
http://www.youtube.com/watch?v=HypmW4Yd7SY&mode
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 北海道らしくない暑さには参るが、そのおかげで、分野は異なっても「芸術家というのは、何かの枠にとどまらずそこから飛び出していこうと挑戦する人たちなのだな」ということを実感できる日となった。

2007年8月6日(月)     生活を見つめる 0006
 形じゃなくて…              written by K 'voice



 経済産業省の商業統計分類では、「コンビニエンスストア」は、売り場面積30平方メートル以上250平方メートル未満、営業時間が1日で14時間以上のセルフサービス販売店、と定義されている。

 コンビニエンスストアという名称は、もともとは「コンビニエンス商品=日用に供する食品・商品」を扱う店と言う意味であったのだが、日本ではいつの間にか「コンビニエンス=利便性のある店」として用いられるようになった。

 ちなみに、ローソンはミルク屋さん、セブンイレブンは氷屋さんがもともとの商売だったという。


 職場のすぐ近くのコンビニでのこと。仕事用の品物を買い、レジ打ちをしていた若者に「領収書を書いて欲しい」と頼んだところ、いまだに忘れられないほど不愉快な思いをした。

 他のお客さんも少なかったし、私はコンビニの客単価としては高いと言える買い物をしている。その時の店にとって、いわゆる"いい客"のはずである。領収書を頼むのだって遠慮がちにした。それなのに、レジの若者は店の天井右方向(あらぬ彼方)を見つめて小さく舌打ちをしたのだ。続いて、背骨が溶けかかっているかのように体をよじり、面倒くさそうに領収書を書き上げて私に渡す。その時もやはり視線はあらぬ方向で、抑揚のない口調で「ありがとうございます」と口にした。私が会計のためレジの前に立った時からその場を立ち去るまで、その若者は一度も私の顔を見ていない。もうずいぶん前のことなのだが、今思い出してもなお、怒りで手がふるえるほどだ。

 先日、「職場におけるマナー研修」という集まりに参加した。電話での受け答え、名刺の出し方や受け取り方、果ては客の座る場所からお茶の出し方まで、いろいろな状況での処し方が紹介された。はじめは、新人にマナーを指導するならここまできめ細かくメニューを作る必要があるんだなくらいに考えていたが、いつしか頭の中で"???"が回りだした。「何か忘れていませんか?」。
 そもそも「マナー」とは、その場や集団で他者に不快感を与えないような所作・振る舞いなどとされているが、「他者に不快感を与えない」ために基本となるのは「他者を気遣う」という心のはずである。いくら体裁が整っていても心のない接客は空虚なだけで、何も生み出さないのにと思う。

 レジ打ちの若者に必要だったのは、マナー以前の「心」であろう。そしてこの「心」だけは、コンビニさんお得意の「バイト用マニュアル」だけでは決して身につけることはできないのである。この若者にせめて自分の役割を自覚する心があれば、客に対しもっと違った対応が出来たであろうし、自分の仕事にささやかな喜びすら感じることができたかもしれない。
 年をとってくると「話が回りくどいね」とかなんとか言われたりするが、そんなマナー違反はほっといてでも、私は言いたい。「形ではなくて中身でしょ…」と

2007年8月3日(金)     絵画を楽しむ 0002
 誰かなのに誰でもない        written by  JAZZ-cafe

ラファエロ
「バルタザール・カスティリオーネの肖像 」
油彩 キャンバス 82×67 

モデルは勇敢な兵士で教養人でもあるバルタザール・カスティリオーネ。ラファエロの肖像画の中でも「心理の奥深さをも表現した肖像画」と評価されている。



レンブラント
「自画像」
 油彩 キャンバス 85×69.5

レンブラントの自画像は、油絵だけでも50点以上、エッチング、デッサンも加えれば百点は超えるという。写真の自画像は1669年、最晩年のもの。


 「いくら○百万円の本物でも、あの絵は好きじゃない…」「だよねぇ〜。くれるって言っても要らないよね」。そんなふうに画面に向かって問いかけたり反論したり、時には皮肉や罵声を浴びせたりするというのが、我が家のテレビ視聴スタイルである。冒頭に示したのは「開運!なんでも鑑定団」という番組を見ているときに、夫婦二人でよく交わす会話だ。最近は年をとったせいか、2つ目のセリフが「だよねぇ〜。でも、くれるって言ったらもらっておいて、すぐ誰かに転売するけどさぁ」に変わっているのがちょっと情けないのだけれど。

 この「鑑定団」だけではなく同じ局の「美の巨人たち」や、コミック劇画「ギャラリーフェイク」などといった美術モノが、なぜか家族5人のブームになっている。いずれも、作品や作家に関わる歴史、時代背景、特徴や作風などの情報がけっこう盛り込まれていて役に立つ。それでいつの間にかお互いが「にわか学芸員」になって、あれこれ仕入れてきたウンチクを披露し合っている。

 そうした情報交換の中で出会ったのが、ラファエロのバルタザール・カスティリオーネの肖像(写真上)、レンブラントの自画像(写真下)の2枚。次のような解説もついている。「写真のない時代、肖像画は今でいう記念写真のようなものであり、富と力を得た人間がそれを誇示する一つの手段として画家に頼むようになった。そのため、特定の個人の特徴や情報、容貌などをはっきりと描き出すのが肖像画の基本であった」「これに対して何人かの画家は、一人の人間を描きながら、その特定の個人にとどまらない人間一般に共通するイメージをも描き出すことに挑んでいった」。上の2枚や、さらにはレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザなどが、そうした「人間一般に共通するイメージをも描きだす」ことを目指した肖像画の代表例なのだという。

 そう言われてこれらの絵を見直してみると、喜びとも悲しみとも悟りとも諦めともつかないような、いろいろなものが入り混じった表情であることに気づかされる。あるいはまた、モデルが男性であるか女性であるかさえ超越したような表情に見えてきたりもする。なるほど、「誰か」の肖像画としてかかれた絵でありながら、「誰か」だけにはとどまらない何かをも描いていることが少しずつ分かってくる。それまでは「自分の美意識に合うかどうか」という尺度でしか絵を見れなかったのに、何か一つの視点を持つだけで、絵との接し方が大きく変わるものなのだなあと感心してしまった。

 劇画「ギャラリーフェイク」の主人公は、メトロポリタン美術館の学芸員を務めたスペシャリストだったが、館内の陰謀によって職を辞し、今では贋作さえ扱う評判の悪い画商という設定の人物だ。こんなストーリーがあった。レンブラントの作品の多くが実はレンブラント自身ではなく彼の工房の弟子の手によるもので、その真贋鑑定のためにプロジェクトチームによる作業が進められ、第一人者の博士が来日する…。その博士に対して主人公はこんなことを言う。「巨匠にだって駄作はあるし、無名の作家の傑作もたくさんある。大事なのは巨匠が書いたかどうかではなく、巨匠と区別つかないほどの出来栄えの作品が多数存在するということ。それを認めることにこそ芸術としての真実があるのでは…」。フィクションではあってもこの視点は鋭い。少しでもそのような目を自分も持ちたいものだと思う。絵画に対してはもちろん、生活や文化、社会に対しても…。


※ 参考:「ギャラリーフェイク」に登場するレンブラントの真贋鑑定組織は実在し、レンブラント・リサーチ・プロジェクト、またはレンブラント調査委員会などと呼ばれている。このプロジェクトチームは、オランダの美術史家たちによって1968年に結成されており、世界中に存在する厖大な「レンブラント風」作品に対して、A(レンブラントの真筆)、B(作品判定の留保)、C(レンブラントの真筆ではない作品)に分類して、作品の洗い直しを進めている。



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