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「カルロス4世の家族」は、よくある王侯貴族の集団肖像画のように見えて、背後にはある種の「怖さ」を含む絵だった。では「マドリード 1808年5月3日」はどうだろうか。「プリンシペ・ピオの丘での銃殺」という副題のとおり、マドリードで実際に起こった事件の記録画である。銃殺されているのはマドリードの市民、銃を向けているのはフランス軍の兵士。機械のように銃殺刑を執行し続ける場面が克明に描かれ、見たとおりの「怖い」絵になっている。「でも、肖像画と反対に実はこちらは怖くないもので…」というオチではない。あれこれ調べてみると、銃殺場面の記録というだけではない、別の意味の怖さを含んでいる絵のようなのである。
ここで描かれた事件はなぜ起こったのか、おおまかに整理してみる。
そもそもの発端は1789年、世界史の授業では「ひ(1)なん(7)ばく(89)はつ、バスチーユ」などと覚えさせられるフランス革命にある。それをきっかけにフランスは全ヨーロッパに侵攻を始め、スペインもその混乱の中に巻き込まれていく。スペインでは、ご存じのようにカルロス4世は無能、王妃と愛人の宰相ゴドイがやりたい放題で実権を握っていたが、両親とゴドイから除け者にされていた皇太子フェルナンドを旗頭とする反ゴドイ派との争いが激しくなっていた。皇太子は肖像画の中では左側に青緑色の衣装を着て立っている人物だ。
その内紛に乗じてスペイン侵略を始めたのがナポレオンである。スペインの主要都市を制圧し、自分の兄をスペイン王位につかせる。ゴタゴタ続きのスペイン王朝はこれに抗することもできず、立ち上がったのはマドリード市民だった。それが1808年5月2日のこと。ゴヤは「マドリード 1808年5月2日 マルムークたちの攻撃」でその様子も描いている。しかし、絵でも分かるとおり、強力なフランス軍に対してマドリード市民が手にするのは小さなナイフやこん棒など、たった数時間で鎮圧され数百人が捕らえられてしまう。こうして翌5月3日未明、プリンシペ・ピオの丘での悲惨な出来事が…、という流れである。
つまり、カルロス4世の家族たちはこの事件に深く関わっていたわけだ。これらの人物が、ゴヤの描き出したようなよそよそしい関係でなかったなら、「マドリード 1808年5月3日」の虐殺は起こらなかったかも知れない。しかし、いつかスペインをそうした運命に引きずり込みかねない人物たちであると、ゴヤは肖像画を描きながら見通していたにちがいない。2枚の絵にはこうしたつながりがあった。
その上でこの絵の特徴に目を向けてみる。まず、さまざまな資料に紹介されているものをいくつか挙げる。「撃たれる寸前の、白いシャツを着た男の右手に小さい穴が描かれている。これは聖痕といい、釘を打ち付けられたイエス・キリストの手の傷を象徴している」「両手を広げたポーズも、キリストの磔刑をイメージしている」「左端の暗がりに赤子を抱いた女性の姿があり、これは聖母子を描いたもの(隠れマリア、と呼ばれたりする)」「これに対して背景に描かれている教会には明かりもなく、ひっそりと沈黙している」などである。これらを踏まえて「フランス軍に抵抗した民衆にこそ神の救いがもたらされることを示し、権威の一つであった教会は何もしなかったと風刺している」「宗教の救いを肯定する非科学的な中世と決別し、神も仏も無い悲惨な現実をそのまま描いた、近代絵画の始まりの絵」などの指摘がなされている。「へぇ、そうなの…」とは思うものの、宗教心にも宗教的な知識にも乏しい自分にとって、それをどう受け止めればよいのかは難しい。
もう一つは構図の工夫。絵の左側手前にはすでに撃たれて倒れている者、その少し右奥に白シャツの男を中心とした今まさに命を奪われかけている者、さらに真ん中寄りの奥にはこれから処刑されようとしている者、という配置になっている。こうした構成により「ゴヤは一枚の絵の中で、犠牲になった人々の過去・現在・将来を描き分けた」と評されている。言われてみればこちらは「なるほど…」と分かりやすい。
お偉いさんたちのそうした解説とは別に、自分にとって気になった部分がある。真ん中で手を広げる男をはじめ、何も見たくないと両手で顔を覆う者、茫然として目を見開いている者、銃を構える兵士たちに何かを訴えるように視線を向ける者など、この絵には人物のさまざまな表情が描かれている。しかし、その描き方が「ゴヤにしては何だか中途半端なような…」感じがするのだ。

もちろん小さい画像ではなく、実物を見ないと分からないのかも知れないのだが、例えば「イザベル・デ・ポルセール」(左)「フランシスカ・サバーサ・イ・ガルシア 」(右)などの描写力と見比べるとやはり違いがあるような気がする。体調が悪かったのか、それとも時間がなかったのだろうか。何かの事情があったと考えることもできるし、あえてそのような筆致、描き方をしたとも考えられる。例えば、「丹念に描きすぎると絵が絵として美しくなったり、人物が特定の誰かになってしまう。そうすると見る人は絵の仕上がりや人物像を気にするようになる。ゴヤは、この事件そのものを受け止めてほしい、人間の持つ業ゆえに特定の誰かではなく誰にでも降りかかりうる悲劇だと知ってほしい、そう願ってこのような描き方をした」とか。あくまでも私見だけれど。
フランス革命の報せを聞いたとき、ゴヤはその背景となった啓蒙思想に共感し、それがスペインにも広がってくることを期待した。しかし、やってきたのは武器を手にしたフランス軍であった。「自由だ平等だといっても、それは自分たちの国だけ、特定の階層だけのことだったのか!」。そうした憤りをゴヤは抱いたようだ。フランスもバカなら、スペイン王室もバカだ。その王室に取り入り野望をとげようとしてきた自分自身も…。告発されるべきはフランスだけ、スペインだけではなく、自分をも含めた人間の醜さなのだ。晩年のゴヤはそうした立場から、人間が生きていく中で抱えるおろかさや弱さや、残虐さ、欲の深さなどを絵の中に描き出していくようになったという。
それまでの絵画は一般に美しいもの、優雅なもの、癒されるものとして求められていた。ゴヤが生きた時代も、フランスでは印象派が全盛だった時代にあたる。それに対してゴヤは、美しさではなく人間の本質を描き出すことを求めていった。だから後期のゴヤの絵は、なんとなく見る、のんびり構えて見るということを許さない。居住まいを正して自分自身の心と向かい合うよう厳しく迫ってくる。「マドリード 1808年5月3日」はそういう「怖さ」を持つ代表的な作品の一つだと感じている。
※ ゴヤには「我が子を喰らうサトゥルヌス」という作品もあり、こちらは「怖い」というより「恐ろしい」という感じさえある。夏の肝試しやお化け屋敷が好きな方は、その絵もご覧になってはどうだろうか。
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