音質とポップノイズ (12, January 2005)

低域遮断周波数を下げることで音質が改善されることを述べています。

そしてこの方法でこれまで幾つかの機種の音質改善を行って効果を確認しています。

押しなべて市販されている機器の低域遮断周波数は提案している0.2Hzより高く1Hz以上場合によっては15Hz以上に設定されています。この状態では、どのような手法を用いても深みのある重心が下がり、かつ力強く躍動感の感じられる再生音を得ることは難しいでしょう。

何故、低域遮断周波数を下げるという簡単なことが見過ごしているのでしょうか?その前に、低域遮断周波数を下げると何が起きるかを考えてみましょう。

低域遮断周波数を持つ理由の一番はカップリングです。周波数を下げるためには容量を増やさなければなりません。しかし、容量はコストに比例しますので第一の関門となります。

次に、容量を増やし周波数を下げるということは、時定数を長くすることです。時定数が長くなると回路動作が安定するまでに時間がかかります。例えば電源投入時や機能を切り替えた時に不安定な期間が長くなります。この不安定な期間中、不快な音を出さないためにミューティングにより消音の期間が長くなります。ここに、音質と音質以外の商品価値との葛藤があります。

店頭にAとBとCの三つの商品があり、あなたはどれらかを買おうと思っています。店員の説明を聞きながら操作してみます。

Aは電源を投入すると一呼吸置いて音が出てきます。切り替え操作をすると一瞬音が途切れますが小気味良く切り替わります。

Bは電源投入すると表示器は点灯しましたが音が出てきません。壊れているのだろうかと不安になったところでやっと音が出ました。切り替え操作をするとやはりしばらく音は出ません。

CはAと同じくらいのタイミングで音が出ますが、音が出るたびにボコとかピシとか余分な音を伴います。

店頭ですので音を聴いても違いが良く判りません。

この場合、Aが安心して買える機器に思えるのは自然です。

BとCは充分に低域遮断周波数が低められており、Aは高いという条件でこの例を考えています。ミューティング期間は簡単に計れます。ポップノイズの有無も簡単に判ります。ミューティング期間が短くポップノイズが聞えないことが良い商品と仮定するならばAが一番です。

低域遮断周波数を充分に下げてミューティング期間を短くポップノイズが聞えない状態にするには、グランド電位を動作点としかつ切り替え時の電位変動を瞬時に吸収させる工夫を盛り込むとか、低域遮断周波数を高めた状態で切り替えを行い、音が出てから気づかれないように周波数を下げるといった制御が必要となります。このためには回路を追加しなければならず、コストが嵩みます。さらに、再生帯域が広がったことにより、電源やグランドの共通インピーダンスによる干渉(自家中毒)が聞えてきます。男性の声が胴間声になったり、やけにだぶついた低音に聞えたり、低域遮断周波数を上げるほうがすっきりと聞えるといった逆の現象が起きます。再生帯域を広げたまま不具合を克服するには新たな開発が必要となり回路規模が大きくなり、それなりのコストが必要となります。

また、可聴限界は、20Hzから20kHzという認識も妨げとなっています。確かに正弦波のような試験信号を用いた場合は間違えの無いことです。しかしここから、20Hz以下や20kHz以上の成分が存在してはいけないというような誤解に繋がっていきがちです。さらに、音楽を再生するスピーカーを見ると相当大型のシステムでも低域の限界が数十Hzまでしかなく、その結果、再生帯域の拡大は全く意味の無いことと考えられているようです。

店頭で確認し難い音質のために価格が上昇することはよほどのことが無い限り売り手も買い手も望みません。

このような繰り返しの中で、経済性と音質以外の商品価値がバランスしてしまっています。また、作り手も音質向上のために低域遮断周波数を下げるより従来手法の枠の中に居ることが安楽で、どの製品も似たり寄ったりの中で少しでも売りやすく方向に走って行きます。

その結果、魅力に乏しい音の機器ばかりとなり、使い勝手に価値を見出しているのがオーディオの現状ではないでしょうか。その結果、価格に関わらず得られる感動に変わりが無く低価格化に歯止めがかからず、オーディオの魅力が衰退して行っているのではないでしょうか。

商品ではポップノイズが聞えるということは致命的な欠陥となりますが、自家用機器では、電源投入後動作が落ち着いたことを見図ってスピーカースイッチをオンさせたり、切り替え操作の前にボリュームを下げるなどの、今は忘れられているオーディオ機器操作の作法を蘇らせれば回避できます。

低域を拡大しそれに伴う不具合を改善することで市販機器からは得られない、感動を呼び起こす音質の世界を手に入れることが出来ています。ただし、改造に当たってはメーカーの保証の範囲を超えますので自己責任でお願いします。

 

5000 Hits 御礼、感謝!(31, July 2005)

お陰様で、5000 hitsを越えました。訪問いただきました皆様に御礼、感謝申し上げます。これからも、宜しくお願い致します。ご意見、ご感想をお聞かせいただければ幸いですので、CONTACTのアドレスに気楽にお声がけ下さい。

このところ、友人達に頼まれているアンプ、CDPの改造とRound Frameを追加したスピーカーのセッティングに週末は追われてしまい、新しい話題が滞りがちになっており心苦しい状況です。

そんな状況ですが、某誌にCDPのLPFの群遅延時間に関する検討が掲載されております。DAC絡みの技術の中で振幅特性しか気にされていないLPFの群遅延時間特性を平坦にすることにより音質改善が出来ました。これまで、Jitter、電源回路とGNDに取り組んできましたが、LPと聴き比べるとCDからは活き活きしたシンバルやハイハットの音が再現されず悩んでいましたがやっとLPに肩を並べられる表現力を得ることが出来ました。いずれこのWebでも紹介しますが、もう少しお待ち下さい。

週末しか時間が取れませんので思ったようには捗らず戯言になってしまいそうですが企画中のプロジェクトも幾つかあります。何時紹介出来るかは定かではありませんが、皆様のご期待に沿えるよう進めて行きたいと思っています。

P.S.: 最近CONTACTのメールアドレスに覚えの無いメールが舞い込んでいます。このアドレスはサブPCで運用しておりますので日常に障りはありませんが、このPCでWebにアクセスすることもしておらず何故頻繁にスパムメールが届くようになったのか不思議に思っています。あまりに状況が酷くなった時は、残念ながらCONTACTのメールアドレスの閉鎖も視野に入れなければなりません。これ以上スパムメールが増えないことを切に祈っています。

 

 

微分と積分(23, March 2005)

加齢とは言いたくありませんが、確かに以前より高音が聴こえなくなったことをスイープ信号を再生すると感じます。おそらく、12kHzまでは問題なく、15kHzに近付くと音の存在が不確かになりそれを越えると存在そのものを検知していないようです。

よく15kHz以上は聴こえなくなったのだから広帯域である必然があるのだろうかといった意見を耳にします。では15kHz以上を取り除いて音楽を再生しても今まで通りに聴こえるかと言うとそんなことはなく、高域が伸びていれば違いを聴き取るものです。

漠然とですが、人間の五感は微分したり積分したりしながら働いているように思います。例えば、私は眼鏡での視力補正を必要とします。夏の夜に蚊が迷い込んで来て飛び回っていると眼鏡を外していても虫が見えます。しかし、壁に止まってしまうと眼鏡なしでは見えません。また、昆虫の複眼は動いているものしか見えていないと言われています。目は動くものに対しては通常の視力値以上の感度があります。また、機械加工の名人は指先だけで1/1000mm以下の凸凹が分かると言いますが、指先をただ置いているのではなく指先を滑らせています。これも指先を滑らすことにより微分情報を取り出しています。

テレビで水平同期の15.75kHzが連続して発せられていてもだんだん気にならなくなりますが、蚊の羽音が近づいてくると大変気になります。

聴力検査も視力検査と同じように静的に正弦波等の連続した信号で測定します。これは平均値検出であり、刺激を積分した検出能力で、音量として認識すると考えます。音楽を聴いて楽器の音色、リズムの緩急、楽しいとか悲しいと言う表現は、刺激を微分しながら検出していると考えます。このとき広い周波数範囲に対して感度の高い状態が維持されていると思います。加齢により聴力検査では高い周波数が聞えていないとしても、音楽信号の場合は聴力検査とは違った結果で、電気性能と測定値と聴感が相関しないことと同じと考えます。既に鬼門に入られましたが、補聴器を使って音質を論ずる方が居られました。この行動を「補聴器を使って音が判る訳が無い」と切り捨てる見方がある一方、調整された装置の音を聴いてその表現力に驚き音に関する原稿を依頼する出版社は多数ありました。この場合も積分して聞く聴力検査と微分して聞く音楽とが違う良い喩えだと思います。

人間は50kHzまで知覚できるという説もありますが、まだ体験していませんので確信はもてませんが、20kHz以上の影響は否定しません。しかし、CDはフォーマット上高域が制限されており、LPは制限が無いから音が良いと言う言い方には賛成できません。カートリッジがCD-4対応で無い限り50kHzまで再生できず、丸針装着の場合は20kHzの少し上で自己共振が起き再生帯域は終わります。CDとLPの音の違いは周波数特性以外の要素により起きていると思います。この件は別の機会に述べてみたいと思っています。

そろそろ聴力検査の結果に自信が持てなくなったこの頃ですが良い音を追及していくことには関わらないと信じています。また、高域の検知限界を正弦波を使い自分で計っても音楽を聴く上で意味の無いことと考えています。

 

 

音質改善への取り組み(12, March 2005)

このHPで紹介しています工夫の背景を少し視点を変えてお話ししてみようと思います。

機器から再生される音は何を変えても変わります。例えばコンデンサーや抵抗などの部品、機器を接続しているケーブル、果ては電源コードやコンセント、更にはネジの締め方でも音が変わります。だから音を変えるためだけに何かをするのも趣味として成立するとは思いますが、何のためなのかを見失ってはならないはずです。手を動かしているうちに何のために行動しているかは二の次になりただ音が変わることが面白く思え、堂々巡りをしているうちに何の進歩もなく元に戻っていることも多々ありました。しかし、ここ数年くらい前から効果的に検討が進むようになりました。

再生音を聞くと頭の中で音楽が響くようになったからです。頭の中で響く音楽は理想とする音で鳴り、耳に届いている音と共鳴を起こすとゆったりと音楽に没頭できます。しかし、再生されている音がかけ離れているとどんなに集中力を高めようと努力しても、または努力すればするほど憂鬱な気分になり再生を止めてしまいます。また、共鳴できているときは低音とか高音というような音質評価の言葉は頭の中から消え去り活き活きとした音楽に身を任せ高揚感に浸っていますが、憂鬱な音のときは音質評価用語が頭の中を駆け巡り気分はどんどん萎縮してしまいます。

この頭の中に響く音楽の姿が少しずつですがはっきりしてきたのが個人的な活動を開始した数年くらい前からです。耳の届いた再生音との違いがはっきりし、機器の不足している能力を聞き分けられるような気がしてきました。そしてHPの工夫に繋がりました。

それ以前は、どちらかと言うとチェックシート方式での評価に重きを置いていましたが、この方式からの脱却も視野に入れて音質改善に取り組んでいます。どうやら最近はチェックシートは置いといてと言う聴き方が出来るようになりました。横道に入りますがチェックシート方式について少し話します。耳に入ってきた音を、低域中域高域のように帯域に分け周波数バランス、分解能、スピード感、歪感とか、定位、音像、音場等の要素に展開し優良可不可程度に評価するようなことです。この方法は、比較的自分の中で客観的に行えるので環境や感情の影響が少なくブレも少ないことと記憶に残し易いという長所があります。しかし、意識に関わらず標語にし易い評価項目を選ぶ傾向にあり場合によっては偏りを招き評価そのものを怪しくしますし、感情の影響を少なく出来ることから、気分の高揚とか萎縮というような感情的な要素は取り込まなくなります。また、よく使い込んで手垢の滲みこんだような状態のチェックリストは意外と良く覚えられます。その際思い出すためにキーワードとして簡単なまとめと一緒にします。このとき、酷いとか良い音だなどという抽象的な表現ではなく、高域に荒れがあり「バイオリンが金属を鑢でこすったような」のように極力具体的なことです。数が多い必要はありません。このときに、ネガティブな表現だけを使うのではなく、聞き様によっては「金管楽器が色彩豊かで輝きを感ずる」と表現できるかもしれません。全体として良くない評価のばあいでも、必ず一点はポジティブな表現も盛り込むようにすると、記憶も確実になりますし、評価の精度も上がります。さらにネガティブな評価ばかりですと時として人間関係がギクシャクすることになりかねませんので普段から本心はネガティブであることに変わりませんが裏返しのポジティブな表現も使うようにすると良いと思います。チェックリスト傾向は、短時間に多数の機器を聞き記事にまとめる評論家にも見られます。記事を読む時には、どのような評価軸をどのような経緯で構築してきたかと言ったバックグラウンドを推測し、ネガティブな表現を極力避ける営業方針を読み取らないと何を持って評価しているのか混乱してしまいます。

現役の設計者だった頃は、毎年新製品のカタログで展開するため性能を改善することが半ば義務で、そのために1dBでも良い性能を得るために徹底した性能追及を行いました。しかし、性能を向上させても音質は据え置き状態から抜け出せないジレンマに陥っていました。性能を向上させるより実装方法を含めたグランドラインや電源ラインの処理による音質変化が大きいことに気が付きました。特にグラウンドラインは、回路図段階ではインピーダンス零として設計を開始しますが、実際には微小のインピーダンスを持ち様々な不具合を起こしますし、細心の注意を払って極限までインピーダンスを下げる努力をしても不十分なこともあります。回路以外の周辺の出来で、回路が本来の性能を発揮したりしなかったりが起きます。たとえ第一線級の性能が得られない回路でも得られる性能の限界で動作させるほうが、性能の良い回路が周辺の影響を受けて実力を発揮できないでいるよりよっぽど音楽的な音質を得ることが出来ます。また、高性能を狙って複雑な回路構成にすると各部の感度が上がり干渉を受ける要素が多くなり実力を発揮できなくなりがちです。徒に高性能を狙わず出来るだけシンプルな回路で周辺を追い込んでいくことも重要なポイントと考えます。どのような回路であれ希望しない信号の影響を受けずに本来持っている性能が発揮されていると心地好く耳に響くと信じています。HPの工夫もこの考えで進めています。

改造します機器は良心的に造られたエントリーレベルと言われる普及品を好んで使用します。第一に安価でありもし改造に失敗して壊してしまっても特殊な部品を使っておらず修理し易いことと最悪の事態となってもショックが少ない。第二に構造が簡単で、よく整理された回路が採用されており理解し易い。第三は、原資が少なく音質調整する箇所が限られており音の癖が少ないことなどがあります。性能は最大出力が多少少ないほかは、中高級機と比較して著しく性能が劣ることも無く、ブロックダイアグラムに展開すれば基本的に変わることはありません。三番目に上げましたように、特殊な部品を多数使っての音質調整はなされていませんので改造した結果がストレートに反映されることも魅力です。最近の中古市場には一世代前のベストセラー機も潤沢にあるようですのでこういったものをベースにすると更に経済的負担が少なく済みます。出来ればサービスマニュアルを手に入れて改造の事前検討をすると効率的に進められますが、もともとそれほど複雑ではないので現物から回路図を起こす事も可能ですし、設計の意図、妥協の手法などに理解を深めることが出来ます。

そして改造を加えて普及価格帯のレベルを超えた音が得られると充実感を堪能できます。ご自分の出来そうなところから手をつけてみたらいかがでしょうか。そして、紹介しております工夫の効果を確認して製品を買うだけではなく自分好みの音を作り出すオーディオで活気のある技術革新に繋がれば素敵だと思っています。ただし、改造に当たってはメーカーの保証の範囲を超えますので自己責任でお願いします。

 

 

自家中毒(05, March 2005)

自家中毒とは、自分の体内でつくられた毒物のために起こる中毒のことで、オーディオと関係ない言葉に思われるでしょう。しかし、音質を改善する工夫の多くは、自家中毒をどうやって減らすかと言うことだと考えます。

一般にオーディオの性能を表す特性は、周波数特性、歪率、セパレーションやS/Nなどがありますが、高性能だから音が良いとは限らないことは言うまでもありません。では、何故これらの性能と音質はリンクしないのでしょうか。

性能は、連続した正弦波を入力信号とし、出力レベル、高調波(+雑音)、入力信号が無くなった時の雑音、反対チャンネルへの漏れ等を測定します。この様子は、刻一刻音の強弱や音程が変化する音楽を聴いているときとはまったく違っています。しかし、これらの性能は機器の出来栄えを評価するために議論が重ねられ決められており蔑ろには出来ませんがこれらの性能に表せない違いが確かに存在します。

部屋に鳴り響くスピーカーが発した音楽は、CD等のソースに記録された情報だけなのでしょうか。もちろん音楽信号が増幅されスピーカーを駆動しますが、実はこの音楽信号と相似の信号がグラウンドラインや電源ラインに存在します。回路はグランドを基準に電源からエネルギーの供給を受けて動作します。基準であるべき場所が実は音楽信号で汚染されていて、正規の入力と基準を汚染した相似の信号との加算(減算)された結果を聴いていることが多々あります。また、スピーカーの振動板からバッフル板に伝わった音波はエンクロージャーを振動させ空間に放射されます。

部屋に響いている音楽は、希望する音楽信号とそれに相似した希望しない音楽信号が共存しています。測定に際しても、希望する信号とそれに相似した希望しない信号の両方を計っており、残念ながら希望しない信号は希望する信号に相似のため大量でないかぎりは測定値にほとんど影響を及ぼしません。

紹介している工夫の中のグラウンドラインやシャントレギュレーターは音楽信号に相似した機器の内部で発生する希望しない信号の影響を低減させます。共通インピーダンスを考慮しなくてもそこそこの測定結果を得ることは可能ですが、ダイナミックさに欠け、細部が表現されず活気がなく平面的で音離れやヌケの悪い音となります。さらに音量を絞るとあるところから急激に音がやせて来てラウドネスコントロールの必要性を痛感します。また、ジッターに含まれる音楽成分も同様の音の劣化を招きます。

スピーカーユニットをバッフル板に強固に取り付けるとより多くの振動がバッフル板に注入されエンクロージャーの内部での伝播の過程で熱となり消耗できなかった振動エネルギーは空間に放射され音を汚します。

機器がつくり出す希望しない音楽信号に相似した信号を取り除くことが重要です。繰り返しますが現在の測定ではこの希望する信号と希望しない信号を識別することは出来ません。しかし、耳はこの影響を聴き取ります。おそらく機器の内部で生成された希望しない信号と言うものは自然界に存在しないからだと考えます。人間も生物で生存本能があります。

   自然界に存在しない音=異常=危険

という図式で、感度が大変高いのでしょう。

と言うことで、機器内部で生成される希望しない相似の信号が自家中毒の原因で再生音を劣化させているのだと考えていますが、定量的に解析できる方法が見つからない現状では、定性的に仮説を立てて実験により減少させて耳で聞いて確認する以外の方法は残念ながらなさそうです。

 

 

ブラインドテスト(20, February 2005)

最近ブラインドテストの話題が出ています。確かにブラインドテストは公正な結果が期待でき、氾濫するオーディオ機器の評価を方法を含め正すことが出来るように思えます。しかし、ただブラインドテストを行えば正しい結果が得られるのか、何故有効と思われるブラインドテストが使われないのかを考えて見ます。

加銅鉄平氏の辛口オーディオコラム番外編No.903「ブラインドテストはノー?」という文書があります。

 すこし前の話になるが、1991年10月にニューヨークで行われたAESのコンベンションで、「オーディオシステムを評価するための正しい試聴の役割」と題するロバート・ハーリー氏の講演があり、その抄訳が山本武夫氏(パイオニア社)によってJASジャーナル誌に紹介されたことがある。(92年2/3月号)

 ハーリー氏の講演内容は今一つ要約しにくいものであるが、勇気を出して要約してみると

(1)  物理的な測定でコンポーネントの評価が可能だとハード派が主張するのは間違っている。

(2)  人間の耳の方が優れた感度を持っているのだから、音楽のためにはオーディオ評論家の主観的な試聴がベストである。

(3)  ハード派が主張するブラインドテストは幾つもの弊害があり、オーディオシステムの評価には適当ではない。

 この講演について検討してみる。

(1) については全くその通りであるが、米国はいざ知らず、現在の日本では、いかにハード派を自認する人でもこの主張はしないであろう。少しでもオーディオと測定にタッチしたことがあれば、このようなことは言わない。これは30年前の話。

 さて、問題は(3)のブラインドテストは不適当という件である。((2)も同根なのでそれも含めて)

 ここで彼は6項目の問題点を指摘している。

(a)  実験者は差を見付けることよりも差がないことを証明したがる。

(b)  試聴実験される側とする側が敵対関係にあることが多い。試聴実験参加者は試聴に失敗すると笑われることを知っている。

(c)  試聴実験は、部屋、装置などの試聴環境に慣れていない。

(d)  実験者は再生レベル、音楽、回数等のすべてをコントロールする。

(e)  実験者は被験者の疲労に関係なく実施したがる。

(f)  統計的な信頼度を上げようと、試験回数を増やす。

 これでは、いかに耳派の良い耳でも感度が低下してしまい、分かるものも分からなくなることがある、という主張である。

 氏が挙げた6項目は、これだけを見ると如何にも普遍性の無い理由のようであるが、この講演の以前に、ハード派による「試聴はブラインドであるべき」ふうの議論があったらしく、それに対するオーディオ誌の評論家、且つ耳派の代表としての反論なのでこんな形になったもののようである。

 小生も職業柄、音質評価の方法については昔から関心があった。ハーリー氏の主張には頷ける点もあるが、それでよし、とするためには、次の点がクリヤーされることが前提となる。すなわち「試聴者は、メーカー、価格、外観、使用されている技術、他人の評価等に影響されないか」(ハーリー氏はそんなことは無いと言っているが)

 では、次のようなブラインドの試聴を企画してみようか。

1. 自宅の試聴室でもよい、十分に習熟した場所を使用する。

2. 機器の操作はすべて敵対関係にない他人が行うが、使用曲目や再生レベル、繰り返し回数、休憩時間等はすべて被験者の自由とする。

3. リファレンス機の使用は自由に行って良い。

 これでハーリー氏の悩みは一切排除されたことになる筈で、これなら氏も喜んで参加してくれるのではなかろうか。(多分参加してくれないだろうけどね)

 このようなブラインドテストは、人手、時間、費用などの点で、実施する側は大変であるが、しかし、人間の先入観(場合によっては利害感)という、なんとも扱いにくい不透明な部分を排除出来るとしたら、これは安いものであろう。

 もっとも、オーディオライターの人で、ドライバーが一本トランスの横に置いてあっても音の違いが分かると言う人に出会ったことがあって「ではブラインドで分かりますか」と聞いてみたら「ブラインドではそれは分からない」という返事であった。

 こうなると「分かる」とは一体どういうことなのか、もう一つ分からなくなった。

ロバート・ハーリー氏の指摘は同意できます。私なりに解釈すると、

(a)  実験者は差を見付けることよりも差がないことを証明したがる。

これは、(c)  試聴実験は、部屋、装置などの試聴環境に慣れていない。と(d)  実験者は再生レベル、音楽、回数等のすべてをコントロールする。密接に関連します。会場に集められた被験者は普段とまったく違う環境に身を置く訳で、その環境でどのように聞えるかわかっていません。私たちが機器の評価をする場合は自分の部屋で聞き慣れたソースを用います。その時、新しい機器を購入したとか部屋の条件を変えたとか自分が主体となっていると言う動機付けがありどんな微細な変化でも聞き逃さないと言う意思を持ちます。しかし、ブラインドテストの被験者となった場合、そこまでの集中力が維持できるか言う問題が起きます。また、評価に当たっては二通りの方法を各自が使い分けていると思っています。一つは、オーディオ雑誌の記述に見られる、評価用語を用いるチェックリストのやり方、もう一つは、聞きながらもしくは聞いた後にどんなことが心に残ったかと言う記述のやり方です。チェックリスト式の評価は、既に雛形を持っていますので、どんな状況でも使うことが出来ます。しかし、記述式の評価は情緒の上で行われますので、環境が変わったことにより確信が持てなくなります。チェックリストに従っての評価は時としてチェックリストの準備が充分でなく同じ結果を得ることも多々あります。

更に、古い話の中ではブラインドテストの結果が有効であったと言う事例があります。それらの多くは伝送フォーマットに関することと記憶しています。例えばNHK技術研究所が結論付けた、偶数時高調波は3%まではほとんど検知されないという結果があります。これは、伝送に劣化する度合いはここまでは許される。つまり同じに聞えたと、言い換えると差がないという目的で使われており、氏の指摘を裏付けています。

(b)  試聴実験される側とする側が敵対関係にあることが多い。試聴実験参加者は試聴に失敗すると笑われることを知っている。

大変重要な指摘です。試験者は自由に切り替える切り替えないを使い分ける場合、変化がないのに変化したと答えることと、変化があったのに変化しないと答えるのではどちらが被験者のプライドが保たれるかと言うことが含まれていますし、敵対関係に陥りブラインドテストに至った経緯を考えると、変化したのに検知できなかったことは、被験者の問題ではなく試験環境や方法に問題があるなどのカウンター攻撃の道を残すことが出来ます。

(e)  実験者は被験者の疲労に関係なく実施したがる。

(f)  統計的な信頼度を上げようと、試験回数を増やす。

慣れない環境、試験者と対峙した関係も加わり疲労で被験者の集中力は著しく低下します。議論が紛糾し膠着したとき参加者の集中力は途切れ、最後にはその中で執着と体力を温存した人の意向で決着を見ることがあります。特に政治の場でよく起きる現象です。こういった場合、意向に従った参加者は、これ以上時間を費やしても仕方ない、たいした問題ではないのでどうでも良いなどの投遣りな気持ちになっています。ブラインドテストでこういった心情になるとどんなに細かく準備されたチェックリストであってもその運用は大雑把になり、検知能力が失われ、変化がないという結果に進みます。

また、何人かの優れたオーディオ開発者もブラインドテストに対して意見を述べています。

lungo 楠本恒隆 氏

AB比較試聴法について

よく聴き込んだ知っている(つもり)の試聴装置に未知の機器やケーブルを挿入するヒアリングテストについて。

AB比較方法は、2者の差異をクローズアップするには、分かりやすい方法とされています。しかし、試聴条件を変えると、評価が変わる危険性もあります。

たとえば・・・。

古いJBLのユニットだと、端子に鉄ビスが使われています。こういうところに、最新高性能ケーブルは、必ずしも合うとは限りません。鉄の磁気ひずみが露呈することが多いのです。

ケーブルもアンプも、「装置」を構成する一要素です。内部では、電気的に直列ですから、影響度は、長さが長い分だけ、ケーブルの方が音質影響度は大きいかも知れませんね。

オーディオはトータルな装置です。

ケーブルも、機器内部配線も直列に接続されているわけで、電気的にみれば、四角いケースに入っているかどうかの違いだけです。

SPケーブルの場合を例にするなら・・・。

SPケーブルは、SP端子、アンプの中のリレー接点、パワートランジスタ、ケミコン、トランス、・・・、或いはネットワーク各部の材質,SP内部のネットワーク・・・などが全部直列に、(或いは並列に)繋がっています。

普通の人は、部品や素材固有の音質など知らないでしょう。

さらに内部の配線はその配線ルートのとり方で音質も変わります。

すなわち、未知数が、1個だと思っていた試聴装置には、5個も10個も、或いは数十個、いやもっと多数の未知数が隠れているのです。

メーカーはそういうものが表面にでないように上手にまとめているつもり発売しているので、聴き手も(そういう諸々を)全部ひっくるめて、その機械の音、として理解してるつもりになっています。

しかし、時としてそれら(内部に潜む諸々)が顔を出すのです。

ただ、素材固有の音を知らないと、あれこれ、色々な形容詞を並べるだけに終始するしかありません。

世に多く存在する比較試聴という行為。

この行為は

「沢山の未知数が有るのに、たった一つの方程式で解を得ようとしている行為」

に似たものであることを認識しておかないとないといけません。

聴いてみないと分からない・・・と云われるオーディオですが、経験が浅いと、聴いてみても表面上に起きた変化量しか分からない・・・というほうがむしろ普通なのです。

逆に中身にまで精通すると、かなりの機器が、聴かなくてもその機器の音質上の限界能力が想像や予想ができるようにもなるものです。

 

タイムドメイン 由井啓之 氏

ブラインド・テストについて

 合理的なテスト法のように見えますが、良く考えるとオーディオの研究には余り適さないように思われますのでこれにこだわることはないでしょう。アンプ以外に目隠しできるコンポーネントはないでしょうし、音や、音以外の要素でかならず目印がついてしまいます。アンプの場合もすべてにまったく同じアンプはないので、かならず目印がつきます。オーディオに関してブラインド法は不可能ですし、必要性もないと思います。

 スピーカを2つ切替えれば音の聴こえる方向は異なりますから、目隠しする意味はないでしょう。またスピーカはそれぞれベストのセッティングをして、ということであれば瞬時切替えなどはできません。

 また一例をあげればまったく大きさも音の質も異なるスピーカについて、コントラバスのピチカットはどちらがそれらしいか?音程の変化はどちらが良くわかるか?などの試聴を重ねて良否の判断をしています。このような試聴において、ブラインドであることに意味があるでしょうか?また音量を合わせる議論については、何の音量を合わせれば良いのでしょう。音量を含む種々の条件や、ソースなどを変えて、自分の目的を達するまで種々の条件で試聴するのが良いと思います。アンプについても程度の差こそあれれ上記例と同じだと思います。

 

Atelier Audillusionの見解

ブラインドテストのメリットは否定しませんが、実施に当たっては様々な乗り越えなくてはならない問題が山積しています。先の三氏のコメントは、これまで試聴会に参加したり主催して来た経験に良く合致しています。

また、ブラインドテストに適した内容は、今あるものを基準に新しいものが勝らずとも劣らずといったことだと思います。最近目にしたまともなブラインドテストの結果は圧縮フォーマットに関することで頷けます。

つまり、新しい価値を創造するための開発に関しては不適な方法と考えます。

第一に被験者は今聞いている音は知っていますが、そこから良くなった音は観念的抽象的な世界で受け入れる範囲が個人により大きく異なります。例えば圧縮フォーマットの場合、現在の基準の品質から内側の領域での評価となり、基準に対して劣化が有るか無いかで評価は収束方向になります。しかし、今まで聴いて来た音より品質が向上する場合、革命と言えるほどの変化が聴き取れれば音楽会と比べと言うことになりますが、そこまでの改善が頻繁に起きることはありません。革新と言えない範囲の改善の場合は、改善に対する期待感は人により異なります。ある音に対し問題点を持つ人にとって少しでもそこが改善されていれば検知し評価出来ますが、特に問題点を感じない人にとっては何が変わったか判らずに終わってしまいます。言い換えると改善と言う事象は現在の基準の品質の外側での評価となり、これまで経験したことのない事象で人夫々で評価は発散方向になります。

第二に開発過程に身を置いたことのない被験者は完成された商品としての評価をします。開発途上の完成度の低い状態で、完成度の高いものと比較するのであればブラインドテストを行うまでもありません。

第三に開発過程で開発者はある意味正帰還のかかった状態で、主題となる項目に対する感度が大変高くなっています。言い換えると開発者はある主題に対して繰り返し試聴を行っており訓練された状態といえます。開発者が聞き分ける項目であっても訓練されていない被験者にとっては同じか、完成度の違いに捉われた答えになります。

開発過程においては通常の比較試聴を経験を共有する仲間で行い、思い込みや思い違いのないこととを確認し、新しい取り組みの期待できる効果を議論しながら認識しあうという方法をとらざる得ません。

いずれにせよ、既に上げられたブラインドテストの問題点が解決されなければ、絵に描いた餅から抜け出せないと考えています。Atelier Audillusionはこれまで通り信頼出来るモニターの方々の意見を取り入れ工夫を重ねて行く予定です。

 

 

2004年(29, December 2004)

10月にこのH/Pを開設し検索にかからない状況ながら訪ねていただき誠に有り難うございました。オーディオは面白いをモットーに少し難しい工作を含んだ工夫ですがさらに内容を充実させて行きたいと思っています。これからも宜しくお付き合い下さい。

 

感動再現(22, November 2004)

私が一番欲しい要素は音楽を聴いた時の感動を自分の部屋で得ることです。長年オーディオを趣味に仕事にと手がけて相当の数の名立たる製品に接したり自分で設計した製品のましたが、望む音が得られませんでした。何故望む音が得られないのか、何を望んでいるのかを考えてみました。

よく究極のオーディオは原音再生と言われています。幾つかのメーカーは原音再生をコンセプトに上げています。しかし、この言葉に違和感を感じます。何が原音なのでしょうか。コンサートホールで演奏された音なのでしょうか。確かにコンサートホールで演奏された音は欲しいと思いますが、同じ音が遥かに狭い自分の部屋に納まるわけがありません。オーディオの最も優れた機能は音量が調節出来ることと言う説があります。自分の部屋の大きさと再生する音楽の音量を調整することはなくてはならないことです。となると、適度に音量が調整された段階で厳密な意味での原音再生はなくなってしまいます。従って、原音再生は自分の部屋では最初から躓いてしまいました。ではどんな再生を考えるべきなのでしょうか?演奏会場とは比較にならないほどの小音量でしかも録音エンジニアが通常聴く位置とは全く違う場所に設置したマイクで切り取った情報を記録したCD等のメディアを使っての再生を考える必要があります。レコードに記録されている情報は演奏会場を彷彿とさせるように細心の注意である種のデフォルメがなされています。人が介在することによりデフォルメされた情報を自然に感じるように機器が切り出してこなければなりません。高額な機器は明確な主張に基ずき十二分に検討が重ねられたものが多くあり魅力を持たせています。しかし込められた作り手の主張を聞き手が望まない場合もあり難しさがあります。一方普及価格帯のものは中庸を狙っており色づけが少ない傾向にありますが工業製品の宿命として妥協が多く残っています。この妥協を取り除く工夫により普及価格帯の機器でも感動を再現出来るようになります。感動再現を目指し工夫していくことがリアリティーを追求することにつながり原音らしさをもたらすと考えています。また、原音再生から感動再現と旗印を変えることで新しいオーディオの取り組みが始まると思います。

 

COMMENTSページについて(22, November 2004)

日頃思っていることを気ままに書いてみようと思います。勿論、こと音に関しては言葉で表現するには難しいことがあります。もっとも私の表現力が不足し誤解をいただくことが多々あるとは思います。しかし、音質改善の工夫の背景をお伝えすることも必要と考え拙い文章ですがアップすることにしました。ご意見・ご要望をCONTACTのアドレスにいただければ幸いです。

また、少しずつ、しかも不定期でしか出来ませんが、内容を充実させていきます。