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| 反語的否認 はんごてきひにん apophasis | |||||||||||||||||||
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| ――『さよなら絶望先生』1巻140~141ページ (久米田康治/講談社 少年マガジンコミックス) |
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《定義》 反語的否認とは、見せかけだけの否定です。 あることについて。オモテに出てきている言いまわし、それだけを見ると「否定」をしているように見えます。つまり、文字どおり受けとったのなら「○○ではない」ということを言っているように思える。 ですが、それは「ワザと否定している」だけなのです。よく考えてみると、「ホントは、ことばどおりの意味で言っているのではない」ということが分かるものなのです。「ホントは○○なんだけどね」ということを、ほのめかしている。――それが「反語的否認」です。 つまり。「見せかけだけは、ワザと否定しているように見せかけて、本心では肯定を暗示するレトリック。これが「反語的否認」です。わざと目立つように否定してみせることで、逆に肯定であることを示すことになります。 《例文を見る、その1》 引用は、『さよなら絶望先生』1巻。 このクラスには、とっても変わったヒトがいる。まず担任の「糸色望(いとしきのぞむ)」からして、変わっている。ときどき「○○に絶望した」と叫んだり、たびたび自殺未遂したりする。なお、「糸色先生」は「自殺未遂」が好きなのであって、自殺したいのではないらしい。 この変わっているクラスメイトの中で、もう1人紹介しておきます。引用した画像に出てきている、「木津千里」。彼女は、「几帳面」で「粘着質少女」。なにごとをするのにも、キッチリしていないと気がすまない。 そんな、かなり「クセ」のありそうな生徒のそろったこのクラス。そこを「糸色」が担任をしている。で、このクラスにいる生徒の名簿が出てきているのが、このシーン。 だけれども、名簿が汚れている。それが「吐血」によるものなのか、それともコーヒーをこぼしただけなのか。それは、どっちでもいい。大事なのは、名簿のくせにクラスメイト全員のプロフィールが分からなくなっているということ。ここを、まず押さえておきます。 そして。この「ところどころ見えない」名簿について、担任の「糸色」の口から出たコメント。これが、「反語的否認」にあたります。 隠れてしまっているというところです。ここは、 【見せかけだけの否定】という。「見せかけ」と「ホントのこと」とが、正反対になることばづかい。表面では「ちがう」と言っておきながら、ウラでは「そうなんだよ」といった二面性のあることばづかい。こういった言ったことと逆のことを伝えようとするのが、「反語的否認」です。 なお。 この例は、作者が話の流れで、ワザと「反語的否認」となるようにストーリーを作ったということ。これは、とても重要なことです。 もしも「クラスメイト全員の性格とか特徴とか」が、ホントに決まっていないのならば。べつに、この場面で「クラス名簿」を描く必要はありません。 また、「クラス名簿」を書くにしても。「吐血(orコーヒー)で見えないところがある」なんていう絵を描かなくたってよかったはずです。今まで出てきたキャラクターの部分だけズームアップさせた「クラス名簿」を描くことだってできるはずです。 なのに。あからさまに「吐血(orコーヒー)」で隠れてしまったクラス名簿を描く。その上で、 隠れてしまっているという、ムリな言いわけをする。こんなことをしているのは、このシーンを「反語的否認」と受けとってほしいからに違いありません。 「まあホントは、まだ考えていない。だから、吐血(orコーヒー)で汚しておいたんだけどね」といったことを伝えようとしているためです。 なお。 『さよなら絶望先生』というコミックスは、たくさんの「レトリック」が登場します。「少年コミック」で、これだけ多くの「レトリック」が見つかるのは、ほとんどありません。ですので、このサイトで引用させていただいているコミックも、「少女コミック」が多くなっています。 《もう1つ、例文》
引用は『ありすが不思議!』3巻。 テレビ局にだまされ、ラブホテルに入ろうとしているかのような映像を流されてしまった、ありすと青山。その映像が流されてしまったこと自体は、時間を元に戻す魔法の時計のおかげで、なんとか切り抜ける。しかし、その騒動の時に、スタジオの機材はめちゃめちゃになってしまう。 で、その数日後。ありすと青山のもとに、CMの出演依頼がくる。青山は「オレたちまだ高校生だし」とか言って依頼を断ろうとするが、その時のテレビ局の反論が、引用のシーン。スタッフは、 まあ高校生のきみたちにと言っている。でも、その手元には、 (パラ…)←請求書と、弁償してもらいたがっているように暗示する行動がみられます。口では「弁償してもらわなくていい」と言いつつ、手元では「弁償してもらいたがっている」ような仕草がみられます。これが「反語的否認」にあたります。 《レトリックを深く知る》 【1.「反語的否認」に近いレトリック】 この「反語的否認」は、「皮肉法」にの下位分類にあたるレトリックです。そちらも参照して下さい。 《駄文》 マンガに登場する「練馬区」たち。 【1.『ありすが不思議』3巻】 上で引用したのと同じ『ありすが不思議』3巻の67ページ。ここで、タクシーの運転手に「石神井会館へいそいでくれ」と言うシーンがあります。 気になったので、「石神井」という地名を
で検索してみる。すると、東京都練馬区の「石神井」しか出てきません。「石神井」ってめずらしい地名だったんですね。というか、「石神井」を「しゃくじい」と読める時点で、練馬区の石神井を知っていると見て間違いないでしょう。かわちゆかり先生は、西武池袋線の沿線に住んでいらっしゃるのでしょうか?(そういえば、練馬区に住んでいる漫画家は多いという話はよく聞く) そいえば、「上石神井蓮子」っていう人いたね。『くじびきアンバランス』はアニメしか見ていないので、何ともコメントできないけれども。 【2.『指輪(エンゲージ)の嘘』】 同じく、かわちゆかり先生の作品。 『くすり指(エンゲージ)の嘘』(かわちゆかり/講談社 コミックスデザート)の「おまけ1」(103ページ)を見ると。そこには「光が丘公園」が「家の近く」にあると書いてあります。 ますます、かわちゆかり先生が練馬区に住んでいらっしゃるという感じがしてきました。 ただ、『逃げないで 先生』の205ページだとか『18歳の鼓動』の204~206ページとかには「実家は兵庫の西宮」と書いてあるので、出身が練馬区というわけではなさそうです。 こんなふうに「追加する情報」が見つかるごとにページに書き足す。そんなことをしていくうちに思うこと。 「この漫画家、そのうち『ネリマ大好き』(新井素子/徳間書店)のような本を出すようになるのでは…」と、そんな妄想をしてしまい困っています。 あの作家(新井素子)は、例外です。 練馬区出身で、練馬区の高校を卒業。ようやく大学は練馬区じゃないところを選んだみたいだけど、それでも練馬区の隣にある豊島区だったりする(立教大学卒)。上にも書いたとおり、『ネリマ大好き』なんて本まで出している、すごい人です。 他にも、『もとちゃんの夢日記』(新井素子/角川書店)の85ページには、「夢日記」の中で「夢」の内容として、こんなことが書いてあったりします。 暗渠がある。ここは――池袋。家はすぐそこ。(これも嘘。池袋からなら徒歩一時間はたっぷりかかる。)で――暗渠をこえると、ここは高松。(豊島区高松と練馬区高松を、混同している。豊島区高松は、暗渠があるあたりにあるの、実際。でも、練馬区高松は、そんなところにない。で――夢の中であたしは、暗渠のある練馬区高松にいる。)と書いてあります。「豊島区高松と練馬区高松を、混同している」なんてローカルな話題に、読者はついてくることができるのでしょうか? かわちゆかり先生は「練馬区広聴広報課」の職員ではないか、と疑うことになるような方向には進まないことを願います。 あと、どうでもいいことですが。 このサイトをよく見てみると、「新井素子っぽい文体」があちこちに見られます。これは、子供時代に新井素子の本を読みすぎたためでしょう(1999年に出版された『チグリスとユーフラテス』(新井素子/集英社)を最後に、このごろは読んでいないのですが)。 たとえば、「だけど。」「ですが。」「しかし。」「けれども。」などなど。こういう感じで、接続詞や接続詞のような働きをする言葉だけで「。」と句点を打って、文を終わりにしてしまう。これなんかは、明らかに新井素子の影響を受けて書かれた文の作りかたです(レトリックとして解釈すれば、これは「接離法」にあたります)。 あと。サイト運営者の私は、練馬区在住です。それは、誰も知らなくていい情報だけど(←この「あと。」のような書きかたが「新井素子っぽい」と言っているんです)。 【3.『天使の羽をあげる』1巻】 またもや「練馬区」を発見。 『天使の羽をあげる』(藤村真理/集英社 マーガレットコミックス)の1巻24ページ。 学生名簿の「宮島正宗」のところに「練馬区」と書いてあります。 【4.『名探偵コナン』2巻】 次は、『名探偵コナン』(青山剛昌/小学館 少年サンデーコミックス)の2巻65ページ。 行方不明になった雅美の父親は、「練馬区」の安アパートで発見されます。 やっぱり、漫画家さんたちは、練馬区が好きなのでしょうか。しかし、全国に約2000個も市町村があるのに、ナゼ「練馬区」が次から次へと出てくるのか…。私には、本当の理由は分かりません。 【5.『涼風』】 今度は、『涼風』(瀬尾公治/講談社 少年マガジンコミックス)を見てみましょう。 この作品の舞台は「成増」…、ってそれは「板橋区ジャン」と思った人は早とちり。彼らは、練馬区に所在している場所にも足を向けている。 作品に登場する公園は、「光が丘公園」。練馬区にある(ただし、ごく一部は板橋区)。 作品に登場する「出世稲荷神社」。練馬区にある(もちろん、桜井萌果は住んでいません)。 作品に登場する「神社の近くのコンビニ」。練馬区にある。 まあ「光が丘公園」なんて、うちの近所だ。もしも「光が丘図書館」で「レトリック関連の本」を山のように借りているヤツがいたら、それは十中八九、私(サイト運営者)です。生温かい目でカゲから見守っておいてもらえると、とってもうれしい(笑)。 * ――以上、個人的でローカルな話題でした(なんか、本文よりも雑談のほうが長くなってしまいましたけど)。 |
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| 関連項目→皮肉法、偽悪的讃辞、反語的讃辞、反語的緩和、反語的期待、あげ足取り、修辞的疑問、冷嘲法、愚弄的皮肉、嘲笑的あてこすり、愚弄、嘲弄、迂言法、虚言、諷刺 | |||||||||||||||||||
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