TOPへ 50音順 使う目的別(作成中) 佐藤信夫『レトリック事典』の分類 中村明『日本語の文体・レトリック辞典』の分類
 
誇張法 こちょうほう hyperbole
――『カールズザウルス』1巻75ページ(楠桂/小学館 少年サンデーコミックス)
真悟 おれ、あんたには
裸見られても
平気かと
思ってた…」
なわけないでしょ!?
相手の目、えぐっても
絶対見られたく
ないわよ!!」
真悟 わあっ!!」
――『カールズザウルス』1巻75ページ
(楠桂/小学館 少年サンデーコミックス)

 《定義》

誇張法は、事実以上に大げさな表現をするレトリックです。
つまり、ものごとの程度を高めて強調するものです。それは、自分の考えていることありのままに表現しようとして、極端なものとなってしまうものだといえます。

伝えたいことを印象づけるために使われたり、目の前で起きていることを普通の言葉では表現できないばあいに、この「誇張法」が使われます。

なおこの「誇張法」には、「一日千秋」だとか「ノミの心臓」などのように、定式化した表現も多くあります。

また、これを「張喩」と呼ぶこともありますが、一般的な用語ではありません



 《例文を見る》

引用は『ガールズザウルス』1巻から。

主人公は「知立真悟」、15歳。

彼は、恐竜のような女に告白される。そして、恐竜のような裸のすがたを見せつけられる。そのため以後、重度の“女性恐怖症”となる。

その“女性恐怖症”を克服すべく、ボクシング部に入ることにする「真悟」。
しかしその行動は、早とちり。入部したのは、ボクシング部ではなく、「ボクササイズ部」だった。この「ボクササイズ部」というのは、「ボクシング」をとりいれた「エクササイズ」をしているという部活動。

そして、最初に書いた「恐竜のようなすがたをしていた、少女」が、「西春遥」という名前で、ボクササイズ部に入部していることを知る。
おどろいたことに彼女は、ボクササイズの効果によって「恐竜ようなすがた」から「美人」へと変身していた。

そこでの、ふたりの会話が、引用のシーン。
「真悟」は、元・恐竜女の「遥」のことを、「裸を見られても平気な女だ」と思っていたらしい。しかし、そんな女の人はいない。
相手の目、えぐっても
絶対見られたくない
のです。この部分が「誇張法」だと考えます。

実際のところ、「相手の目をえぐる」のは、人間のできることではありません。「裸を見られるのが好きなわけでは決してない」ということを強調して、「相手の目をえぐっても、絶対見られたくない」と言っているわけです。



 《レトリックを深く知る》


 【1.「過大誇張法」と「過小誇張法」】

この「誇張法」は、つぎの2つに分類されます。
過大誇張法:ものごとを極端に拡大して、大きく表現するレトリック
過小誇張法:ものごとを極端に縮小して、小さく表現するレトリック
という2つです。

ただし。
世の中には「大きい」と「小さい」という尺度では、うまく表せないものもあります。

例えば「とてもからい」ということば。これは、「過大誇張法」と「過小誇張法」の、どちらに分類すればいいのでしょうか。「からい」ということばは、「大きい」とか「小さい」という分け方をすることができません。ですので、この「とてもからい」を「過大誇張法」と「過小誇張法」のどちらかに分類するには無理があります。

そのため、この「過大誇張法」と「過小誇張法」とは、原理的には同じものといえます。

もっといえば、上で引用したシーンの発言は「過大誇張法」なのでしょうか。それとも、「過小誇張法」なのでしょうか。

どちらかといえば、「過大誇張法」のように思えます。ですが、「目をえぐる」ことが「大きい」ことなのかと言われると、ちょっと迷います。そういったわけで、引用した部分を「過大誇張法」だと断言することはできません。

このように、「過大誇張法」と「過小誇張法」のどちらなのか、分類に迷ってしまうものがあります。それも、わりと多く見かけます。

ですので実際には、「過大誇張法」と「過小誇張法」を分ける意味は、ほとんどないのです。


 【2.「誇張法」と関係のあるレトリック】

また、この「誇張法」と関連のあるレトリックとして、
極言:
印象強調:
過小言辞:
類義区別:似ている言葉を、はっきりと区別して使うレトリック
感嘆法:
があります。くわしくは、それぞれの項目を参照して下さい。


 【3.「誇張法」によって表現する神仏の偉大さ】

この「誇張法」は、宗教の世界では、古今東西を問わずに多く利用されています。

たとえば、聖書から一節を(これは『レトリック辞典』が挙げている例)。
「イエスのなさったことは、このほかにもまだ数多くある。もしいちいち書きつづけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」(ヨハネによる福音書)
といったふうに「誇張法」が用いられています。神仏の偉大であることを表現する際に、この「誇張法」はピッタリのレトリックなのです。


 【4.「過小誇張法」と「緩叙法」との区別】

なお。
この「誇張法」は、「大げさに言って強調する」ことになります。ですが、これに対して「控えめに言うことによって、実際には強調ことになる」というレトリックが「緩叙法(広義の)」です。

なのですが。
この点については、かなり難しい問題があります。それは、「緩叙法(広義の)」と「過小誇張法」の2つをどのように区別するかというところです。

この「緩叙法」と「過小誇張法」の区別については、古代のレトリック学者もかなり混乱していました。そして、いま現在のレトリック研究者たちもかなり混乱しています。そういったわけで、私(サイト作成者)も混乱しています。

なので残念ながら、今の段階ではハッキリとした区別のしかたを書くことはできません。
もう少し、頭の中がまとまってきたら、このサイトでも解説をしていきたいと思っています。


 【5.「ウソ」と「誇張法」との違い】

「誇張法」は、「ウソ」とは違います。

「ウソ」が「ウソ」であるためには、相手に「ウソ」だということを気がつかれれてはいけません。もしも気がつかれてしまったら、その「ウソ」は失敗だということになります。

それに対して「誇張法」は、ワザと大げさに言っているのだということが相手に分からなくてはなりません。現実にはそれほどではないんだけれども、極端な言いかたをすれば、それくらいの感じがした。とまあ、そういうことが相手に伝わってこそ、はじめて「誇張法」といえるのです。

たとえば。
疲れて死にそうだ。
ということばを聞いたとしても。だれも、この人を救急車に乗せて病院に運ぼうとはしません。それは、みんな誰しも、このことばが「誇張法」だということが分かるからです。どれだけ疲れているかを、大げさに言ってみた。極端なセリフにしてみた。そういった事情が、聞いている人に理解される。だから、「誇張法」という表現になることができるのです。

ただし、あまりに度を越して「誇張法」を使うと、読み手(聞き手)をシラけさせることにもなりかねません。それは、「誇張法」が現実をありのままに言っている表現ではない、ということから生まれてくる、あたりまえの注意点といえます。


 【6.「誇張法」が使いづらい文章】

また、この「誇張法」は、科学的な正確性を求められる文章には用いてはいけないレトリックだといえます。これもまた、「誇張法」が客観的な事実をそのまま伝えているわけではない、ということからくる、自然な考えです。


 【7.おまけ】

なお、「ボクササイズ」ということばは、「ボクシング」と「エクササイズ」とをくっつけて作られています。なので、これは「混成語」にあたります。

この「混成語」については、そちらのページを参照してください。
関連項目→過大誇張法過小誇張法、無理誇張、過精密、誇大語調、緩叙法(広義の)虚言、極言、印象強調、過小言辞、類義区別、感嘆法
このサイト全体からのサーチ
 
「使う目的別のページ」の中からサーチ
TOPへ 50音順 使う目的別(作成中) 佐藤信夫『レトリック事典』の分類 中村明『日本語の文体・レトリック辞典』の分類