![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
| 換喩 かんゆ metonymy | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ――『最遊記』1巻21~22ページ (峰倉かずや/エニックス Gファンタジーコミックス) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
《定義》 換喩は、…どのように定義したらいいのか、難しいレトリックの1つです。 とりあえず、なんとか短く説明しようとすると、つぎのようになります。 表現したいことばを使うかわりに、のことを、「換喩」と呼びます。 ただし、 その「近くにあることば」というのは、実際にモノどうしが近くにあるというだけではなくて、 時間の前後という関係で、近くにあるモノであっても、「換喩」に含まれます。 例を1つ、あげてみると。 ナベが煮えるという表現。これは、「換喩」にあたります。 どうしてかというと、 実際に煮えているのは、ナベではなく「ナベの中身」だからです。ここでは、厳密にいえば「ナベの中身」が煮えている。だけれども代わりに、近くにある道具としての「ナベ」でもって表現しています。ですので、「換喩」というレトリックにあたるわけです。 《例文を見る》 引用は『最遊記』1巻。 冒頭の場面。 西域で起きている「牛魔王」をよみがえらせる実験が行われてしまっている。この影響で、各地の妖怪たちが人間のを襲うという事件が、たびたび起こるようになっている。 これを鎮めるべく呼び出されたのが「玄奘三蔵」。彼には、悟空・悟浄・八戒を連れて、西へと向かうことが命令される。 で、悟浄と八戒の登場シーンが、引用の部分。 ここで、引用した部分が「換喩」であることを確認しながら、「換喩」を詳しく説明していきましょう。まず、
2番目、
つぎに、
最後に、
《「換喩」を知るための予備知識》 【1.「換喩」の説明文が、「ナベが煮える」とかいうものになる理由】 最初のほうに。 「換喩」の例文として、「ナベが煮える」というものを書きました。この「ナベが煮える」というのは、ありきたりのレトリックっぽくない文です。ほかにも「換喩」の例を1つ書いてみると、 白バイが追ってくるというヤツも、「換喩」です。白バイは、バイクです。バイクが、ひとりでに勝手に追いかけてくるということは、ありません。実際に追ってきているのは、「白バイにのった警察官」のはずです。というわけで、ここで書いた「白バイ」というのも「換喩」ということになります。 といったわけで、この「換喩」というレトリックは。 ふだんの生活で、気にとめることなく使っていることが多いレトリックです。というよりもむしろ、「換喩」を使った言いまわしのほうが「ふつう」だとさえ思えます。なにか警察官に追いかけられるようなことをして、逃げている。なのに「白バイにのった警察官が追ってくる」なんていう、ムダに長い言いかたをするとは考えにくいです。 といったわけで「換喩」は、ありきたりすぎてレトリックっぽくないのです。 ですが。 気にもとめないで使っているということを理由として、「換喩」の価値が下がるわけではありません。気にとめることなく使うということは逆に、「換喩」は人間のココロに強く根ざしている重要なレトリックだということができます。 【2.「提喩」―「換喩」―「隠喩」という3つの関係】 さて。 この「提喩」―「換喩」―「隠喩」というものを、どのようにバランスをとって位置づけるか。そのことは、そのまま「換喩とは何か」ということにつながります。つまり、「換喩」についての定義をどのようにするかということと、深く密接に関係するわけです。 なので、ここには突き詰めたことは書きません。そういったことは、《レトリックを深く知る》のコーナーに、イヤというほど書いておきました。 ですので。 いろいろと、説や考え方が分かれているのですが。ここには、かるく「箇条書き」で書いておくにとどめます。
とまあ。かるく「箇条書き」とかいいながら、長くなってしまいました。でも、これでもサワリ程度なんです。ことば足らずなところ、理論不足なところが目につきます。でも、このくらいの説明にとどめておきます。 《レトリックを深く知る》 というふうに書いてきたのですが。 こんな書いただけで「換喩」という「レトリック」が何であるか分かった、という人はいないと思います。ですので、次にいくつかの説明の方法を書いて、この「換喩」に迫っていくことにします。 【1.とりあえず条件が並ぶ――古くからの定義】 ○古くからの伝統的な考えかた古い時代。 この「換喩」は、「換喩」に当たるパターンをならべて、その説明にしようとしていました。 具体的には、たとえば次のようなタイプに分かれるとされていました。
なお。上に書いた「列挙」は、『レトリック入門―修辞と論証―』(野内良三/世界思想社)からの引用です。 いかんせん「列挙」なので、「数多くならべようとするヒト」もいるし、「なるべくコンパクトにしようとするヒト」もいる。ここでは、わりと多くのパターンをあげている『レトリック入門』から引用してみました。 ○古くからの説明がもっている欠点ただ、困ったことに。 このような「列挙」には、大きな欠点があります。それは、 どうしても、もれなくカバーすることができないということです。 このことを理解するために。まったく違うジャンルでのことを、考えてみます。 たとえば、 哺乳類(ほにゅうるい)とは、どういった動物か?という質問をされたとき。もしも「哺乳類」を「列挙」して、 「サル」とか「牛」とか「ネズミ」とか「アルマジロ」とか…とかいう答えをすると。一見したところ、うまくいくように思えます。ですが、
で。はなしを「換喩」にもどすと。 「換喩」についても、「哺乳類」の説明のときと同じように。「換喩」の典型となるようなものを「列挙」しただけでは、どうにもならないような「例外」が出てしまうのです。 まあ。そんなわけで。 この「列挙」をつかって「換喩」の説明をすることで満足しているレトリック学者は、たぶんゼロです。 ○それでも、古くからの説明がなくならない理由ただし、上に書いたように「列挙」を使って説明しようとすること。これが、なくならないのです。 どうしてかというと。 この「列挙」という方法で、大半の「換喩」がカバーできるからです。 たしかに、学問としては。「列挙」して説明しようとするのは、決してスマートではありません。ですが、現実に書かれたり読まれたりする言いまわしが「換喩」かどうかを判断するときには。この「列挙」でも、ほとんどのばあい問題が起きないのです。 といったわけで。 事例を「列挙」することで「換喩」を説明しようとすることは、今でも行われています。 【2.「近接性」とか「縁故性」とかによる定義】 ○いま現在での一般的な考えかた上に書いたように。「列挙」によって定義するのは、レトリック学者だって満足しません。 ですので。いちおう、まとまった定義を用意しています。 それは、最初のところで書いたように、 表現したいことばを使うかわりに、というものです。 ○ことばの言いまわしについての注意点さて。いまここに、 表現したいことばを使うかわりに、と書きました。ですが、この「近く」という言いまわし。レトリック関係の本を見てみると、ちょっと違う書きかたがされているはずです。具体的にあげると、
なのですが。結局のところ、どのことばを使ってもおなじです。というのは、どういうことなのかというと、 日本語に翻訳する時に、いろいろなレパートリーができただけだからです。 ヤコブソンっていう人(もちろん外国人)がいて。その人が、さいしょに考え出したもので。ようするに、ヤコブソンが書いたものを日本語に翻訳したときに、いろんな呼びかたができてしまった。といったわけです。 なので。隣接性とか継起性とかいう、それぞれのことばがもっている小さな意味の違いは、気にしなくてかまいません。 もしも、この「気にしなくてかまいません」という説明では信じられないという方は。英和辞典でもって、「contiguity」の項目を調べてみてください。 ○このサイトに書かれている、「換喩」の定義についてそういったわけで、いままで書いてきたように。 「換喩」を定義するために使われている用語は、いろいろあります そして、このサイトでは。「近く」にあるかどうかを基準として、「換喩」かどうかを見分けていくことにします。 たしかに。 この「近く」ということばをつかって「換喩」を説明するのは、次に書くような2つの点で問題があることも事実です。つまり、
あえて「近く」ということばを使って、「換喩」を説明していきたいと思います。 ○そして、念のため。そして。念のため、もう1度書きますが。 ここでいう「近く」にあるという言いまわしは。ということには、十分に注意して下さい。 たしかに。 「ナベが煮える」という言葉づかいでもって、「ナベの中身が煮える」ことをいう。そういった、モノとモノどうしが現実に「近く」にあるばあいにも「換喩」にはなります。ですが、
とくに、「人間がイメージするときに、アタマの中で「近く」にあるもので言いかえるばあい」というヤツ。これが、「換喩」を分かりにくくしているのです。けれども、この点を注意しておかないと。たとえば、
《「換喩」についての厳密な定義》 いちおう、レトリックに関する学者は。 もとのことばのかわりに、「近く」にあることばを使うことというあたりでは、だいだい意見がそろっています。 「近く」という単語がイヤならば、「隣接性」でも「縁故性」でもいいです。とにかく、その「隣接性」ないしは「縁故性」というヤツががあれば、「換喩」だと考えるのが今ではふつうです。 なのですが。 この 「近く」かどうかで見分けるというのが、やたらと難しいのです。 「近く」にあるかどうか、というのでは判断がキッチリとできないのです。 そんなわけで、さいきんでは。 この 「近く」かどうかを調べることが、カンタンに誰にでも分かるような。そういった、もっと区別のしやすくなるような条件を考えようとすることが進められています。 ここでは。そういったものの、代表といえるモノを紹介しておきます。 【1.「全部で一部」「一部で全部」という関係にまとめる説】 これは。 「換喩」とは、全部と一部の関係にもとづくレトリックをいうとする考えかたです。 で、このような考えかたをとったばあい。 「換喩」というものは、
具体例を入れながら、もういちど確認しておくと、つぎのようになります。
かなり極端な書きかたをすると。「○古くからの定義」で「列挙」されてたもののうちで、いちばん中心となっているもの1つ。それでもって、他に「列挙」されてたものの代表とする。と、そのように言うこともできます。 そういったわけで。この定義は、あまり評判がよくありません。つまり、昔の「列挙」式の定義を引きずっていると考えられるからです。 【2.「あるいは」と「かつ」という関係で「提喩」と区別する説】 この、「あるいは」と「かつ」という関係で「提喩」と「換喩」とを区別するというもの。これが、今のところ有力だと思います この説は、「あるいは」と「かつ」という関係のどちらが成りたつかを考える説です。つまり、たとえられることになったものと、実際使われた言葉との間に、
そういうことかというと、だいたい次のようなことになります。なおこの説では、「換喩」に似たレトリックといえる「提喩」と比べながら「換喩」についての定義をします。ですので、あわせて「提喩」についても書くことになります。 ○換喩とは?で。 「換喩」を「提喩」との比較で言えば、次のようになります。 まず「換喩」。 例えば「木」ということばを使うことによって、「枝」だとか「葉」だとかをあらわしているばあいを考えてみましょう。 すると、 木 = 枝「および」葉「および」幹「および」根「および」…といった関係になっていることが読みとれます。つまり、接続詞「および」よって結ぶことのできる関係だということができます。 こういった接続詞「および」によって結ぶことのできる関係を、「論理的積」の関係とすることにします。そして、この「論理的積」つまり「および関係」が見受けられるものについて、これを「換喩」とすることとします。 ○提喩とは?これにたいして「提喩」。 例えば「木」ということばを使うことによって、「桜」だとか「梅」だとかをあらわしているばあいを考えてみましょう。 すると、 木 = 桜「あるいは」梅「あるいは」竹「あるいは」…といった関係になっていることが分かります。つまり、接続詞「あるいは」によって結ぶことのできる関係だということが言えます。 こういった接続詞「あるいは」によって結ぶことのできる関係を、「論理的和」の関係と考えることにします。そして、この「論理的和」つまり「あるいは関係」が成りたっているものについて、これを「提喩」と捉えることとします。 で。 このような考えかたは、記号によって説明や表現されることの多いものです。ですので、そのような記号についても触れておくことにします。 ○換喩とは?――ふたたび「換喩」のばあいは「論理的積」です。でもって、総積の記号は「パイΠ」です。まあ、数学をあまり知らない私(サイト作成者)には縁もゆかりもないのですが、とにかく「大文字パイ」というヤツは「総積」をあらわす記号です。なので、こちらは「パイΠ」によって「換喩」を説明することになります。 つまり、 換喩Π : 木=枝and葉and幹and根……という式が成立するものです。これが「換喩」となります。 なお、このときには。「かつ」という接続詞のかわりに、「and」という英語を使ったりします。 ○提喩とは?――ふたたびそれにたいして「提喩」とは、「論理的和」です。でもって、総和の記号は「シグマΣ」です。なので、このような説では「シグマΣ」によって「提喩」を説明することがあります。 つまり、 提喩Σ : 木=桜or梅or竹or……の公式で表せるもの。これが「提喩」といえます。 なお、このときには。「あるいは」という接続詞のかわりに、「or」という英語を使ったりします。 ○参考文献この説は、佐藤信夫先生の唱えていた考えかたを紹介するものです。つまり、根っこの部分では、グループμの『一般修辞学』にもとづく。その上で、佐藤先生による手直しを加えた。それが、この説です。 日本では現在、わりとこの定義が一般です。 なお。この説については。 いちばんの参考文献としてはやっぱり、佐藤先生の『レトリック感覚』をあげておきます。『一般修辞学』(グループμ[著]、佐々木健一・樋口桂子[共訳]/大修館書店)については、翻訳書なのでイキナリ飛びつくのはハードルが高いと思います。 【3.「~の一部」と「~の一種」という関係で「換喩」と区別する説】 この説は、「提喩」と「換喩」との区別が楽ちんです。どうしてかというと、「ただ公式に当てはめればいい」からです。 ○換喩のばあい「換喩」とは、 「××は○○の一部である」という言いかたができるときが、この××と○○との関係のことを呼びます。 たとえば。 【枝は木「の一部」である】という言いかたができます。けれども、【枝は木「の一種」である】という言いかたはできません。こんなばあいに、この表現を「換喩」とすることとします。 ○提喩のばあいこれに対して「提喩」とは、 「××は○○の一種である」という言いかたができるときに、この××と○○との関係のことを指します。 先ほどと同じように確認してみると。 【桜は花「の一種」である】という言いかたができます。しかしながら、【桜は花「の一部」である】という言いかたはできません。このようなときに、この表現を「提喩」と呼ぶことにします。 ○参考文献 これは、瀬戸賢一氏が強く主張している考えかたです。なので、『日本語のレトリック―文章表現の技法―(岩波ジュニア新書 418)』(瀬戸賢一/岩波書店)が入門としては最適です。あとは、『認識のレトリック』(瀬戸賢一/海鳴社)あたりに丁寧な説明があると思います。 《ここでテスト》
【1.問題。右のセリフは「換喩」か?】 といった具合で。 分かったような、分からないような。なんだか、ボヤーッとした説明を書いてきました。 でも。実際に、文の中で「換喩」だということが分かるかどうか。それが、気になってくるのではないでしょうか。 そこで、問題です。 右のセリフは、「換喩」でしょうか? それとも「提喩」でしょうか? 考えてみてください。 なお。いちおう、この場面を説明しておくと。 篠岡は、高校の野球部でマネージャーをやっている。そして、今はじまったのは、夏の高校野球。 くわしく書けば。 夏の高校野球の、埼玉予選大会のが、今はじまったということです。 でもって。マネージャーをやっている篠岡の感想に使われている という文。このなかにある「夏」というヤツは、「換喩」でしょうか? それとも「提喩」でようか? 【2.答え。右のセリフは…】 答え。右のふき出しにある「夏」というのは、「換喩」です。 「換喩」のページで扱っているのだから「換喩」に決まっている。 ――という声が聞こえてきます。 まあ。たしかに「換喩」であることは、まちがいないのですが。ここでは、その「換喩」だという理由というのを書いていくことにします。 「換喩」なのかどうかを、考える前に。まず、この「夏」という表現が「レトリック」だといえるかどうかを、確認しておくことになります。 ようするに。篠岡の目の前で「文字どおり」に「夏という季節がはじまって」いるのであれば、「(ここでいう)レトリック」とすることはできません。ですので前提として、「夏」という言いまわしが「(ここでいう)レトリック」なのかどうかを、いちおう確かめます。 とすると。なにをもって、「夏がはじまる」とするのか。これは、なかなか難しいです。気象庁が「梅雨明け」の宣言をしたときに、「夏がはじまる」のでしょうか。それも、ちょっとヘンではあります。ですが、どちらにしても。 篠岡の目の前で「文字どおり」に、「夏という季節がはじまって」いるわけではないということだけは、確かです。ですので、なんらかの「(ここでいう)レトリック」だと言うことはできます。 といったわけで、つぎのステップとして。 ここで使われている「夏」という表現が、具体的には「何のレトリック」になるのかということを考えることになります。つまり、ここで使われている「夏」という単語が、この表現が「換喩」あのか、それとも「提喩」なのかと。そういったことを考えるという段階に進むことになります。 まず。たとえられた結果、使われることになった言葉を調べます。これは、「夏」という単語です。これに、(1)という番号をふっておきます。 つぎに。「夏」という言いかたをしなければ使われていた、もともとあったと思われる言葉を考えます。これは、セリフとしては示されていないので、想像することになります。 ここでは、「夏の高校野球」という言葉だということにします。そしてこれを、(2)とします。 そして。(1)として使われている「夏」という単語と、(2)として考えられる「夏の高校野球」という言葉を、くらべることになります。 「(1)夏」というモノには、いろいろなイベントや風物詩があります。 たとえば、
ですので。 ここでの、「(1)夏」ということばと、「(2)夏の高校野球」ということばの関係では、 「(2)夏の高校野球」は、「(1)夏」に含まれて、その一部分となっているということが成りたっている、と考えることができます。 そして、これまでに書いたように。「(1)夏」と「(2)夏の高校野球」とが「全部と一部」という関係にあるものは、「換喩」です。 こういったわけで。ここに使われている「夏」というヤツは、「換喩」だということができます。 そして、つけ加えると。 この表現のように、「(2)夏の高校野球」のことを「(1)夏」ということばで表すというのは。この場面の流れでは、ありきたりの普通の表現です。そして、ここで使われた表現のように、「ジミ」で「レトリックっぽくない」もの。これが、「提喩」の大きな特徴です。 もしも。このシーンで野球部マネージャーの「篠岡」の口から出たコメントが、 夏の高校野球の、埼玉予選大会の入場行進のうちで、が今、はじまった。などという回りくどい言いまわしをしたとするなら。そっちのほうが、よっぽど「レトリックっぽい」ものになります。具体的には、「敷衍」というレトリック用語が当てはまるとおもいます。 《「換喩」のもつ性質と効果》 【1.「換喩」にあたるものに共通する性質】 この「換喩」には。一般的に、
【2.「換喩」にあたるものに共通する効果】 また。 この「換喩」の効果としては、つぎのようなものが考えられます。それは、
《「換喩」と他のレトリックとの関係》 【1.「換喩」のことを示すレトリック用語】 「換喩」のことを、英語では「メトニミー」と言います。そして、「換喩」をいうレトリック用語を使わずに、「メトニミー」というカタカナ語をそのまま使うことも、わりとよくあります。 そして。 このレトリックについては、「換喩」「メトニミー」という2つの呼びかた以外には、めったにお目にかかりません。ほとんどのレトリック用語には、同じレトリックなのにもかかわらず色々と呼びかたがあって、やたら混乱することがあります。ですがこの「換喩」については、「換喩」か「メトニミー」という、どちらかの呼びかたしかありません。 しいていえば。明治の始めごろ、日本にレトリックという学問が輸入されてきたときには、もう1つの訳しかたがありました。それは、「易名」というものです。ですが「易名」という呼びかたは、明治の中ごろまでには衰退して見かけなくなりました。ですので、いまの時代に書かれているレトリック関係の本には、このレトリックは「換喩」か「メトニミー」という、どちらあの呼びかたで載っているはずです。 【2.ほかのレトリックとの関係】 なお、この「換喩」に関係するレトリックとして「転喩」というものがあります。 これは、ある物事を直接に言うかわりに、それに先行または後続することを言うレトリックです。ですので、この「転喩」は「換喩」の一種ということができます。 さらにいえば。この「転喩」は、[原因で結果]または[結果で原因]を表すものとして「換喩」に含める場合もあります。「換喩」に含めるということは、とりたてて「転喩」という項目をつくらないということです。わりと、このように考えるレトリック研究者もいます。 ですが。このサイトでは、いちおう「転喩」というページは作っておきました。ですので、そちらもあわせてご参照ください。 《参考文献》 【1.参考文献】 この「換喩」についてはの本としては、やはり、 『一般修辞学』(グループμ[著]、佐々木健一・樋口桂子[共訳]/大修館書店)を読むのが一番だと思います。 ですが、全く「換喩」を知らない人が『一般修辞学』を読むと、「意味が分からない」「難しくて困る」といったことになってしまうと思います。そこで入門書としては、子供向けの本なのですが、 『日本語のレトリック―文章表現の技法―(岩波ジュニア新書 418)』(瀬戸賢一/岩波書店)をおすすめします。修辞学の大家である瀬戸賢一先生が、やさしい言葉で解説しています。 それと。同じく瀬戸健一先生の共同で執筆している本として 『文化と発想とレトリック(日英語比較選書 1)』(巻下吉夫・瀬戸賢一/研究社出版)には。【「全部で一部」「一部で全部」】という定義がどうして不十分なのかが、くわしく書かれています。 また、やや専門的ではあるけれども、「換喩」を中心にすえて、そこから「寓話」などのさまざまなレトリックを紹介しているものとして、 『イソップのレトリック―メタファーからメトニミーへ―』(樋口桂子/勁草書房)をあげておきます。 《補足》 【1.ナベを作る】 この、異常なまでに長い文章を読んでいただいたヒトに。ちょっと補足を。 ナベを作るという文章を見たとき。これを「換喩」だと思って、 「ナベ料理を作る」ということだと考える。それは、たいてい当たっています。 しかし。ばあいによっては、違うこともあるんです。 ナベの製造工場で、(ステンレスとかアルミの)ナベを作っているという、「文字のまま」「文字どおり」としての意味だということもありえます。ごくたまに。 もちろん。 その「ナベを作る」というフレーズの出てきた、その前後の流れをつかんでいれば。まず、読みまちがえるヒトはいないはずですが。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 関連項目→直喩、隠喩、提喩、換称、転喩、失形象法、異例結合 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
このサイト全体からのサーチ | 「使う目的別のページ」の中からサーチ |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |