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| 対義結合 たいぎけつごう oxymoron, antilogy | |
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『少女少年』 やぶうち優 |
| ――『少女少年』1巻表紙 (やぶうち優/小学館 てんとう虫コミックススペシャル) |
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| 対義結合は、矛盾することばを強引に結びつけて新しい意味を生みだすレトリックです。とくに、反対の意味をもつことばを結びつけるのが典型です。 | |||||
| 「対義結合」というレトリックがもっている、いちばんの効果。それは、とても刺激的で衝撃的な、目を引くものだということです。「対義結合」では、あえて矛盾するようなことばづかいをします。ですので、パッと見た感じでわかる強烈なインパクトをもつことになるのです。 | |||||
| インパクトのあるような、目を引くような表現だということは同時に。読んでいる人・聞いている人の興味を引くような、一風変わったことばづかいになるということでもあります。 | |||||
| 「対義結合」では、矛盾したことばづかいが使われることになります。ですので、その意味をカンタンには理解することはできません。このことから、単純ではない深い意味あいを持たせることができます。また時には、その中に一種の「真理」を含ませようとすることもできます。 | |||||
| 矛盾するようなことばどうしを、結びつける。そのようなことをしたら、ふつうは意味のわからない文になってしまうはずです。しかし、そのような矛盾した結びつきをしながら、それでいて意味の通ってしまう文ができてしまうということ。それは、読んでいる人・聞いている人にとっては思いがけないような予想外のものとなるはずです。 | |||||
| 矛盾したことばを、結び合わせること。それは、いままでにない新しいことばの使いかたをすることです。そしてこのような新しく作りだされたことばつかいによって、従来とは違った新鮮な考えかたや理論を表明することもできるようになります。 | |||||
| 新しい考えかたを表明する、という「対義結合」のチカラから一歩進んで。その「新しい考えかた」というのが、一種の「真理」を衝いたようなものとなることもあります。いいかえれば、ラディカルな表現として「真実」に迫ったような表現をしめすこともありえます。 | |||||
| 矛盾したことばどうしを結びつけて。それでいて、意味が成りたっているということ。このこと自体が、ミステリアスで謎めいています。そのことから、ある種の神秘的なフレーズをつくりあげることもできます。 | |||||
| 考えかたであるとか気持ちとかが、ひどく混乱していて。そのために、うまく理論だったことばづかいができないばあいに。その矛盾して錯綜したココロの状態そのものを、矛盾したことばどうしの結びつきという「対義結合」であらわすこともあります。 | |||||
| これは、すべての「対義結合」にあてはまるものではありませんが。ばあいによっては「対義結合」は、皮肉というか当てこすりのようなことをあらわすこともあります。その人の動作だとかが、ちょっと見た感じだとプラスのことのようにおもえるかもしれない。でも実際には、ぎゃくにマイナスになっている。そんな「プラス」と「マイナス」とをあわせもった状態をあらわすため、矛盾したことばを組み合わせる「対義結合」が使われるということがあります。 | |||||
| この「対義結合」のなかには。ことわざ・慣用句などとして、決まりきったフレーズとなっているものも多くあります。これについては、下のほうにくわしく書いてあります。 | |||||
| まったく反対の意味を持つ2つのことばを、むりやり結びつけること。これが、もっとも基本のパターンとなります。たとえば「ありがた迷惑」のようなものが、これにあたります。ただし、結びつけることになる2つのことばは、厳密な意味で「対義語(反対語)」である必要はありません。その証拠に、厳密に考えると「ありがたい」の「対義語」が「迷惑」だというわけではないのです。 | |||||
| 多くのばあい「対義結合」には、もうすこし多くのものを含めます。たとえば「冷たい火」という表現。これは明らかに矛盾しています。火が冷たいことは、ないからです。でも、これが「反対の意味をもつ言葉」の結びつきなのかというと、そうではありません。「冷たい」の対義語は「熱い」だとおもう。また、「火」の対義語は「よくわからない」。だけれども、「火」が必ず持っている性質に反するような、「冷たい」という修飾をすること。このような、「矛盾することばを結びつける」ものについても、ふつうは「対義結合」として扱います。 | |||||
| 上に書いた |
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| 「対義結合」というのは、矛盾することばどうしを組み合わせるものです。そのため、アクの強いレトリックだといえます。ですので、文の流れに合わないような浮いてしまうことばづかいになりやすい危険も多くはらんでいます。 | |||||
| もちろん、一見すると奇妙に見えたとしても、そこから目を見張るような新しい考えかたが伝えられることもありえます。ですが、単に「ヘンなだけ」の言いまわしに終わってしまうこともあるので注意が必要です。 | |||||
| 矛盾したことばどうしを、結びつける。そして、なんだか意味が通っているような文ができる。すると、そのことに感心して、納得してしまうことがあります。ですが実のところ、その「なんだか意味が通っているような文」というのが、思わせぶりなだけで内容を伴っていないということがあります。 | |||||
| 「対義結合」は、意味があるようで実は意味がないという言いまわしを作りだすことができてしまいます。そのため、「まやかし」とか「ごまかし」といったウソをつくために使われるということもありえます。 | |||||
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| で、引用は『少女少年』1巻の表紙です。 「少女」と「少年」との結びつきによる、「少女少年」というタイトル。まさに正反対の言葉を結びつけている例です。 同188ページによりますと、 よくタイトルを「少年少女」ってまちがえられるんですけどとのこと。読者がタイトルに「おっ!?」と感じるだけではないようです。作者にとっても、思い入れの深いタイトルのようです。 もっと話を進めていくと。 「少女」と「少年」との対義結合。これはつまり、上でも書いているように、「少女」ということばと「少年」ということばが、正反対であって、対の関係になっているということです。 ですが、この「対義語」だということ。それは逆説的ながら、実は「同じ軸にある」ことばなのです。 それは「ブタに真珠」みたいなことばをみればわかります。「ブタに真珠」の「ブタ」と「真珠」。これは、まったくお門違いの関係ないことばの結びつきです。なので、「対義結合」ではありません。 あくまで「少女」と「少年」とには、[人間で×子供で×……]という共通項がくくりだせるのです。共通項をくくりだすことができるからこそ、「女のコ」と「男のコ」という相違点が目を引く。そして、そういった相違点どうしが結合しているからこそ、そこに第三の意味が現れる。そのようにして「対義結合」が誕生するわけです。 |
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すぐ右の画像は、『07-GHOST』1巻から。 主人公のテイトは、バルスブルグ帝国にある士官学校に在学していた。しかしある日、失っていた幼い頃の記憶を取りもどす。その記憶というのは「テイトが、バルスブルグ帝国の敵国として滅ぼされたラグス王国の、王の息子だ」というのもの。 そんなことからテイトは、ラグスブルグ帝国の士官学校から逃げだそうとする。その結果、脱出そのものは成功したけれども、同時にキズを負ってしまい意識を失っていく。 そんな意識を失っていく中でのシーンが、右に引用してきた部分です。 意識の薄らいでいく中で、テイトの見たもの。それは、故郷=ラグス王国の風景だった。そして、その風景をいいあらわしたことばが「対義結合」となります。つまり、 それはというところです。 この表現は、ひねくれています。ふつう「残酷」であるならば、「やさしい」ということはない。逆に「やさしい」ばあいには、「残酷」ではない。 けれども。こんなふうに、一見すると反対に位置するようなことばを結びつけて、なおかつ意味を読みとることができるもの。こういったものが、「対義結合」となります。 なお。 このページの、さいしょのほうでも書きましたが。「対義結合」となるために結びつけられる2つのことばは、厳密な意味での「対義語」どうしでなくてもかまいません。ここで例としてあがっている「残酷」と「やさしい」ということばは、たしかに「どちらかと言えば反対」の意味をもつことばです。けれども、「対義語」というわけではありません。 |
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| この「対義結合」は、慣用句・ことわざにも使われています。 そして。 とくに日本語の慣用句・ことわざには、「対義結合」のものを多く見つけることができます。このページの、さいしょのほうに書いた「ありがた迷惑」というもの以外をならべてみると。「公然の秘密」「慇懃無礼」「急がば回れ」「負けるが勝ち」「損して得取れ」「タダより高いものはない」「うれしい悲鳴」「ゆっくり急ぐ」「遠くて近い」などなど。かなりの数があります。 それに比べると。 たとえば英語のばあい、それほど多くはありません。たしかに、make haste slowly(急がば回れ)、open secret(公然の秘密)といったあたりは有名です。ですが、それほど多いというわけではありません。 このような違いについて。『言葉は生きている―私の言語論ノート―』(中村保男/聖文社)によると、つぎのようなことがいえるそうです。 つまり。 欧米人は、「白と黒」をはっきりさせないと気がすまない。つまり、「対義結合」にはあまり向いていない考えかたをするタイプ。 それにたいして日本人は、それほど「白と黒」をはっきりさせることにこだわらない。つまり、「対義結合」を使うことに抵抗を持ちにくいタイプ。 日本語の慣用句・ことわざには「対義結合」が多い。けれども英語の慣用句・ことわざからは「対義結合」を見つけにくい。このことから、そんなことがいえるそうです。 なお、私(サイト作成者)の調べた限りでは。 英語の慣用句・ことわざのなかで「対義結合」のかたちをとっているものとしては、つぎにようなものがありました。cruel kindness(残酷なやさしさ) / harmonious discord(調和の不調和) / glorious failure(名誉ある失敗) / wise fool(賢い道化)/ sweet sorrow(甘く切ない) / living dead(生ける屍) / true lies(本当のウソ) / sound of silence(静寂の音)、といったあたりです。 そういえば。 「残酷なやさしさ(cruel kindness)」というのは。ちょうど【例文・その2】で、テイトが言っているフレーズそのものです。 |
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| この「対義結合」には、似かよったレトリック用語があります。それは、「逆説」と呼ばれるものです。また時として、「矛盾語法」とか呼ばれるレトリック用語が、「対義結合」とは別におかれることもあります。 ですが、困ったことに。 この「逆説」といったものを、どのように扱うか。もしくは「矛盾語法」というものを、どのように考えるか。これについては、理論が分かれています。 そういったわけなので。 細かいことなのですが、すこし説明を書いておこうと思います。とりたててレトリックに深い興味があるというわけでない方は、ばあいによっては読み飛ばしてもらってかまいません。 |
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| これは、見た目だけで「対義結合」と「逆説」とを区別しようとするものです。 つまり。 「単語レベル」で矛盾した結びつきになっているものが、「対義結合」。それに対して、「文のレベル」で矛盾した結びつきになっているのが、「逆説」。そのように分けるわけです。 例文をあげてみると。 「冷たい火」というのは、「単語」レベルのものなので「対義結合」となる。これにたいして「心の貧しい人は幸いである」といったばあいには、「~は…。」といういったふうに「文」として成りたっている。だから「対義結合」になる。こんな振りわけをします。 この考えかたで説明している本は、多くはありません。いちおうあげておくと、
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| つぎに。 けっきょく「対義結合」と「逆説」とは同じものだ、とする考えかたがあります。 どういうことかというと。 「対義結合」というのは、表現するためにつかわれている「ことば」どうしの意味が矛盾して結びついているもの。いいかえれば「ことばのレベル」で、合っていないもの。 それにたいして「逆説」というのは、その表現された「内容」が「社会の常識」と矛盾しているもの。言いあらわしていることと、ふつうの考えかたとが合っていないというもの。 だけれども。 「ことばどうしの意味が矛盾」するようなかたちで言いあらわされるものは、けっきょく「社会の常識と矛盾」するような考えかたとなる。つまり、「ことばが自然の意味どおりに結びついていないこと」とは、「社会の常識となっているような自然なモノの見かたをしないこと」と同じだ。 だから、けっきょくのところ。 「対義結合」と「逆説」とは、おなじことを指ししめしていることになる。なぜなら、「対義結合」というのは「ことばどうしの矛盾した結びつき」のこと。他方で「逆説」というのは、「社会の常識と矛盾した結びつき」をしているもののこと。そして、「ことばどうしの矛盾した結びつき」と「社会の常識と矛盾した結びつき」とは、同じことなのだから。 …とまあ、こんな考えかたのものです。 この考えかたは、佐藤信夫先生がとっていることで知られています。たとえば、
ただし。 この考えかたは、疑問があるとしている人も多くいます。つまり、あまり受けいれている学者がいないというわけです。このへんの事情については、
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| この考えかたでは。 「対義結合」と「逆説」とは、まったく別のカテゴリに属するレトリックだと考えることになります。 そして、そのように考える根拠として。 「対義結合」と「逆説」とのあいだには、1つ大きな違いがあることを指摘します。その「大きな違い」というのは、「使われていることばの意味が変化しているか」という点です。 「対義結合」においては、ことばの意味が「変化する」。つまり、比喩となっているといえる。たとえば「冷たい火」でいえば、ことば通りの意味で「火」が「冷たい」ことはありえない。だから、なんらかの比喩として考えることになる。たとえば、「火」ということばを「ホタルの光」に見立てたものだと理解することになる(もちろん、文の流れによってどうにでも変わってくるけど)。これが、「対義結合」。 それにたいして「逆説」においては、ことばの意味は「変化しない」。つまり、比喩となっているとはいえない。たとえば、「心の貧しい人は幸いである」で考えてみると。「心の貧しい人」というのを、なにかの比喩として考える必要がない。また「幸い」というのを、なにかの比喩と見立てることもない。ただ「心の貧しい人」なのにもかかわらず「幸い」であるという、論理的な面についてだけ矛盾がある。これが、「逆説」。 このように。 「対義結合」では、ことばの意味が比喩として変化している。けれども「逆説」では反対に、ことばの意味が比喩として変化していない。ここに、重大な差があると見るわけです。 このような考えかたついて、くわしくは、
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| さいごに。 「対義結合」と「逆説」という、2つのレトリック用語のほかに。「矛盾語法」(または「撞着語法」)というレトリック用語を、ほかに設けておく考えかたもあります。 その上で、つぎのように「対義結合」「矛盾語法」「逆説」の3つのレトリック用語を振り分けます。
ただし。 上の3つの分類は、きっちり区別するためのものではありません。つまり、「対義結合」であり、なおかつ「逆説」となる表現というのもありえます。 たとえば。 「急がば回れ」という言いまわし。これは「急ぐ」というのと「回る」(=遠回りする)というのが結びついている点で、「対義結合」です。しかしふつう、「急いでいるときには遠回りしないで、一直線に進む」ほうが、常識にそっているはずです。であれば、そのような常識に反しているというところにおいて「逆説」でもあります。 これは、中村明氏が主張しているものです。くわしくは、
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| この「対義結合」ほどではないけれど、ふつうでない結びつきをするものに「異例結合」というものがあります。対義語ではないけれども、ふつう結びつかない2つの言葉をダイレクトに結びつけるレトリックです。そちらに興味のある方は、「異例結合」のページを参照して下さい。 …といっても、まだ「異例結合」のページはなかったりするのですが。 |
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| 対義結合・撞着語法 | ||||
| オクシモロン | ||||
| 逆喩・撞着法 | ||||
| 反意接続法・撞着・撞着的結合・逆装法 | ||||
| ※場合によっては、「逆説」「逆説法」「矛盾語法」というレトリック用語が、あてられることもあります。ですが、このサイトでは別の意味で扱っている用語となります。 | ||||
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| 逆説法、異例結合 | |||
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| 「対義結合」にページ数を多く使っている本として、はじめにあげることができます。「対義結合」を軸として、「成句」・「婉曲語法」・「誇張法」・「緩叙法(広義の)」に関して述べられています。ですが、この本は古いので、すでに絶版となっています。読みたいと思うかたは、古本屋や図書館を探してみて下さい。 | |||
| 「対義結合」を使うことによって生じる「矛盾」が、「アイロニー」を使うときに感じることになる「矛盾」と関連性をもっていること。そのことについて書いてある本として、個人的に気にしています。〈皮肉の「しるし」〉(=「反語信号」)をあらわすひとつの手段として、「対義結合」を使うことができるのではないかとか。そういった方面で。 | |||
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| 「少女少年」という「対義結合」によく似たものとして、「男女」「女男」という言葉があります。「男女」のほうは「男のような雰囲気を持っている女の人」という意味で、「女男」のほうは「女のような雰囲気を持っている男の人」という意味だといえます。 この「男女」「女男」という言葉。少女マンガの世界ではよく見かけるものです。 例えば、短編「フリル」から。(所収:『パフェちっく』1巻(ななじ眺/集英社 マーガレットコミックス)) 主人公は、新名ゆう。 彼女は「男嫌い」でとおっている。髪がバサバサだったり、ガニマタで歩いたり。 そんな「男嫌い」の新名に平気でかまってくる男がいた。それは、「瀧」というクラスメイト。 その2人の会話を見てみましょう(140~141ページ)。場面は、「ゆう」がドアの前に立っていたところ、瀧がいきなりドアを開けた。そのために、「ゆう」がドアと「がつんっ」としたところ。 といった具合です。 ここまで読んできてくれている人ならわかると思いますが、「男女」「女男」は、どちらも「対義結合」です。そして上にも書いたように、少女マンガでは両方とも、よく見かけるものです。 が、しかーし! 「男女」のほうは国語辞典に載っているのに、「女男」のほうは国語辞典に載っていないのです。 「新明解国語辞典」(三省堂)を見ても、「女男」が載っていない。面倒になってきたので、「女男」を調べるのは4つにしておきます。結論として大切なことは、上に書いた4冊の辞書が、いずれも「男女」という言葉を掲載している。にもかかわらず、「女男」を掲載していない。その事実です。 少女マンガでは、「女男」のほうが使われる可能性が高い言葉のような気がする。でも辞典を見る限り、日本語として定着しているものは「男女」だけ。「女男」のほうは、辞書に書いておくほどの言葉ではない。そういうことみたいです。 |
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| 法律を学んだ人であるなら、知っているかもしれないことばに。「地下地上権」というのがあります。 この「地下地上権」というのは、「対義結合」ではありません。なんか並んでいる文字を読んだだけだと、「地下」と「地上」が無理やり結びついている気がするのですが。そうではないのです。 「地下地上権」というのは、民法第269条の2(地下又は空間を目的とする地上権)のいう「地下を目的とする地上権」のことをいいます。 「地上権」というのは、ひどくおおまかにいえば「借地権」みたいなものです。ですので「地下地上権」というのは、「地下の部分をレンタルした権利」のことを指しているのです。ようするに「〈地下〉+〈地上権〉」という結びをしているわけなのです。「〈地下地上〉+権」ではないので、「対義結合」でないというワケです。 ちなみに。 「地下地上権」というのは、現実のところあまり使われません。地下鉄が地下を利用するときには使うようなのですが。 |
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