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風次郎の世界旅
 遥かなる大地・トルコ  

music by TAM Music Factory 

  
  宮廷内レストラン「コンヤル」のテラス  

(17) 帰路―終章― 

 昼食は宮殿内の展望レストラン「コンヤル」に席が用意されていた。
 真夏のような陽がさんさんと注ぐ相変わらずの好天とはいえ暑い。かなり精力的に宮殿内を見て廻ったから、喉が渇いていた。はなと一杯のビールを飲んだ。
 爽やかだった。喉の潤おいと海原を見渡すテラスに寄せる風が、体の疲れをまるで拭ってくれるように心地よかった。
 すべてのスケジュールを終えた安堵のなかで、トルコの料理「ドネルケバブ」を食べた。回転焼きの大きな肉を削ぐように切って皿に盛られたものがでた。世界一と言われても香辛料になかなか馴染めなかったトルコ料理だったが、やっと口が慣れてきたのだろうと思った。
 腹も減っていたから、トルコのパンも、そして、これ以上甘いものはないといった程とろけるような、蜜をかけたデザートのケーキも、とても美味しく戴いた。   
 宮殿のテラスに設けられた素晴らしいレストランだと思った。ウェイター達のアテンドも行き届いていて、こういったところが入場者誰にでも開放されていることに、この国の優しさや解放性を感じるのだった。トルコに対する好感は増した。
 はなと二人でテラスの手摺に立ち、アタチュルク橋とガラダ橋が並ぶ金閣湾の向こうの丘を、ホテル群の中に今朝まで過したヒルトンを見つけながら眺めた。朝のクルーズを楽しんだボスポラス海峡にも、島のように見えるアジア側の薄い緑を背景に広く右手に続くマルマラ海にも眼をやった。風景も爽やかで美しかった。

 食事を済ませるとバスは空港へ向かった。
 車窓にはイスタンブールの郊外の景色が飛ぶように流れていった。すべて良い印象の旅で良かったと思いながら揺れて行った。

                  ○

 アタチュルク国際空港に着いたのはは午後3時頃だった。国際線の搭乗手続き窓口の前で、1週間の間気持の良い案内をしてくれたガイドのギョクチェさんと別れた。
 彼女はカッパドキア出身だったので、特にトルコでは決して欠かせないカッパドキアの観光をを効率的に、また友人の洞窟住居まで案内してくれて、とても印象的な観光をさせてもらったことに、私もお礼を言った。トルコの人はみんな日本人贔屓だと彼女も言った。ちょっと憂いの残る声で日本語を話し、スラッとした美形の彼女は皆に人気があった。

 TK50便は予定通り17時10分に飛び発った。私は窓側の席をはなに替わってもらい、晴れたイスタンブールの上空を眺めた。機はマルマラ海に出て上昇し、イスタンブールのアジア側の空を北に向かった。ボスポラス海峡があっという間に小さな川のようになっていき、アナトリア半島北部を黒海へ向かっているのが解った。午後の黒海がきらりと光っているのは来たときと同じだが、今見る真下のトルコの国に持つ感情はすっかり変わっていた。好奇心ばかりだった1週間前と打って変わったのは親しめる国だということであった。
 トルコ民族はもともと中央アジアの遊牧民であり、他民族圏を治めるようになったセルジュク族に誘導されて次第に西方へ移動した民族である。そのセルジュクは11世紀中ごろ、当時ビザンチン帝国の中にセルジュクトルコ国を作るが、遊牧の素地にビザンチンとも和合しつつ国を維持する必然性から、他民族に対する寛容の生き方を潜めて持つ民族なのであろう。
 私は窓から眺めながら、ローマ帝国が滅びた時代の都イスタンブールにばかり拘って、トルコの国に理解が無かったことを改めて認識した。何よりも人々が日本に思いの外というほどの親しみを持っているということである。民族の歴史は古く、世界を震撼させたイスラム教皇帝スルタンの時代よりも遥かに遠い昔から、優れた文明を担う民族の存在した地であると、関心を高めることができて良かったと思った。

 その昔に引き替え、現代のトルコはいかにも素朴だ。人々は貧しい。
 エジプトを旅して思ったと同じように、他に比する貧しさは、やはりヨーロッパに比してはならないと言うことだろうか?トイレでは、入り口でお金が要るところが多かった(私はこれを貧しさと関連的に考えてしまう)し、特定の観光地を除くイスタンブールの公共施設は汚れていた。
 遺跡が手をつけられず土の下に眠っていることは、これからの発掘が楽しみなこととしても、経済的に余裕の無いことは想像に難くない。国の宗教がイスラム教で、貧者に手を差し伸べる教義を重んずるのならば、手を差し伸べる側の人々が活躍できる政治が要求される筈だが、そこは社会主義のごとく国が関与して統制することになるのであろうか。
 自由主義の国に生きる私には解明できそうにない。そしてこれは、世界に益々信者を増やしている宗教の不思議なところである。
 芸術にしても「偶像の禁止」を掲げているので、生存中は誰も見ることができないアッラーの姿を、人間の想像で描くのさへ禁じている。イスラムで発達したのは、絨毯の図柄に現れるように、人・神・風景・事物を描かない、抽象的な文様の細密画である。
 モスクの壁にも、精密に大理石を彫った文様しかない。西欧のキリスト像や、仏教の仏像はない。彼らにとって唯一神であるアッラー以外は、神ではないのである。そして偶像を崇拝すれば、唯一神であるアッラーを裏切ることになるのである。
 だから人、自然、事物を描かない。その細密の芸を競っても、肖像画はないのだ。
 絵は、抽象的な文様ばかりであった。アラビア文字が芸術の中心なのかもしれないとさえ思う。

 機内は乗客が半分くらいの空き々状態だったので、体を伸ばすことが出来て助かった。空いているのは多分に新型インフルエンザのせいだろう。日本を発つときに気をもんだことを思い出して、マスクの存在を確かめたりした。
 順調で安定した飛行は向かったときと同じ1時間も早い成田着となった。日本の空も雲はあったが陽の射すまずまずの天気だった。
 来週はまた中東へ旅立たねばならないと多忙なベテラン添乗員細野さんにお礼を述べつつ別れを告げて、私たちはゲートを後にした。
                            (完)

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