月下美人   

月下美人
月下美人がはじめて我が家にやってきたのはもう十年余り前、ある春の夕方でした。
友人のHさんがご主人の車で持ってきてくださったのです。

転勤先の土地で親しくなった彼女とは、かれこれ30年のお付き合いになります。
家も近く、週一度は顔も合わせていましたのに、順次東京に帰ってきてからは
お互い、三人の子育て、姑との同居、介護と続き、なかなか会う機会も少なくなりました。

それでも人生のある時代を共に過ごした良い思い出は
今も私たちを繋ぐ大きな力となっていることを感じています。
月下美人が咲くたび、美しいそのひとの面影が思い出されます。

その年、花は先ずはじめにふたつ、咲きました。
あの日の感激!忘れることはできません。

でも先ず最初の驚きは、花芽がついてから咲くまでのの一ヶ月、
そのドラマティックな成長ぶりでした。
葉の縁にぽっちりついた爪楊枝の頭のような花芽は,ぐんぐん育って
3週間もすると小さめの胡瓜くらいの大きさになりました。
6月27日 7月7日. 7月10日

それだけでも驚きなのに、次には先の方が鎌首を持ち上げるようにキューっと反り返ってきて、
そのさきっぽのふくらみが音のするような勢いで大きくなってきたのです。
もう、いつ咲いてもおかしくない、時間の問題かと思われました。

開花は夜中と聞いていましたが、はじめてのことですから花の様子を見ていても
確かな予想はできなくて、家中で胸躍らせて真夜中を待ち、
三晩も寝不足が続いてしまいました。

4日目の夕方です。
花のまわりからなんともいえない良い香りがしてきて蕾がいちだんとふくらみを増して
きました。

「いよいよみたいよ!」
家族みんなを呼び集め,待ちに待ったそのドラマは8時半ごろから始まりました。
ふたつの花がそろっておなじように開いていくのです。
   なんと美しい姿でしょう,なんと清らかな花の色でしょう・・・・
            花芯はまさに神の手が造りたもうたもの・・・・・
直径15,6センチはありそうな純白の大輪、
そのしっとりと露を含んだようなはなびらは,いのちの輝きを全身にあふれさせ,
生きている喜びにうちふるえているかのようです。
「すごいねぇ・・・きれいだねぇ・・・」
花に興味がありそうもない息子もときどき二階から下りてきて見ていきます


の夜、わたしは花に酔いました。
はじめて花に酔いました。
そのうち、ふと気が付くと,花には先ほどの艶が消え、
輝きはなくなっていたのです。
・・・・ピークは12時ごろだったのかもしれません。
その劇的な変容にわたしは言葉がありませんでした。

翌朝、
見るかげもなくなった花がらを、いえ、花のなきがらを、だれも起きて
来ないうちに取り、庭に埋めてやったものです






月下美人の成長は早くて、何年も待たずにわたしの背より大きくなりました。
神秘的な花は年毎に数を増して、一度に10数個もの花を咲かせるようになりました。
しかも花が終ると何日もしないで次の花芽が出てきて、1シーズンに四回、多い年は5回も
その豪華なドラマをみせてくれたのです。
開花の予定日を数えてそのあたりは外出の予定も入れずに待った日々・・・
家族だけで見るなんて勿体無い、と人を招いて宴となったこともあって、
月下美人は我が家に楽しい思い出をたくさん作ってくれたのでした。
一つ、二つの花の開花をあんなに家族みんなで楽しんだ日々が今は懐かしく思われます。
このごろは、たくさんの花が咲いても楽しむのは夫とふたりだけ・・・

それでも馥郁と香る命短い花のドラマは我が家の変らぬ夏の風物詩として
遠方の子供たちの心にも残っていることでしょう。