とあるお宅から、なんと!槐多の掛け軸と年賀状が見つかったのです。
ご家族の方がインターネット上で村山槐多を検索し、がらんす倶楽部に連絡を下さいました。
槐多のもの以外にも、槐多の父谷助、母たま、そして弟桂次の手紙なども出てきたとのことで
当時の村山家と交友のあるご家族だったようです。本当に驚きました
私のような唯の槐多ファンにとって一生に一度あるかないかの大事件
連絡をいただいた日から興奮さめやらぬ状態が続いた管理人であります。
そしてこの度、ご了承を得てHP上で槐多作品を公開させていただくことに
なりました。そのご厚意に対してなんと感謝してよいか分かりません。
この場をお借りして深く御礼申し上げます。

尚、提供者の方のプライバシー等に関する質問などは一切お受けできませんのでご了承下さい。


84年という長い時を経て平成の空の下に出てきた槐多作品です

是非御覧下さい

********「年賀葉書」********

大正5年1月6日消印 『東京都田端155小杉未醒隣り 村山槐多』

『A HAPPY NEW YEAR おめでとう。
 ごぶさたして居ます。私はずっと東京で絵描きの修行をして居ます。
 ●●ちゃんはこの絵くらいではなくずい分大きくなりましたらしいね。
 おぢさんは御丈夫ですか。みなさん 御丈夫に。 さよなら。』

 
クリックすると画像が出ます

大正5年といえば1915年、槐多がほとんど日記をつけていなかった頃です。
その春には小杉未醒宅を離れ根津界隈に引っ越します。モデル女の「お珠さん」や下宿先の「おばさん」
など恋愛に燃えた一年間でした。住所が田端になっているのが私にとっては感慨深いものがあります。
槐多の残した葉書にはよく絵が入っていますね。印刷などが身近ではない時代、一枚一枚相手のことを
考えながら田端の下宿で描いたのでしょうか。こういう葉書などを見ると槐多の人となりを感じられると
思います。84年前のものとは思えないほど色彩も奇麗に残っているのが感動的です。
女の子の頬が真っ赤なのは槐多らしいといえば槐多らしいのでは‥?

********「掛け軸」******** 

モデルの人は誰か分かりませんが、槐多による美人画です。水辺に佇む女性。
透き通った青が印象的な水彩です。青を基調にした水彩画でといえば「庭園の少女」や
「二人の少年(二少年図)」がありますが両方とも大正3年頃の作品なのですが‥。
もしかしたら同じ頃に描かれたのかもしれないですね。(全くの推測)
発見時、掛け軸を見たご家族からは「ヘタな絵だね〜」との感想がもれたそうです(笑)。


画像を受信し、はやる気持ちを抑えつつクリックした後に画像が現れた瞬間、息が止まってしまい
鳥肌がゾワワワッ!と立ちました。これはまさしく槐多の絵。
保存状態も素晴らしい!
こんな夢の様な瞬間、皆さんは想像できますか? もう一生ないかもしれない体験でした!
100年以上前に生まれて、80年前に亡くなった槐多の残した物をこんなに身近に感じられるなんて‥。
槐多ファンとしては本当に幸せです。これ以上のことは無いと思える位幸せです。
OL時代、槐多の眠る雑司ヶ谷墓地が近かったので昼休みによく墓掃除をしていた賜なのでしょうか‥?

クリックすると拡大部分がでます


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