大竹しのぶ一人芝居 売り言葉

作・演出/野田秀樹
ReviewWriteDate:2002/2/13
LastUpdate:2002/2/13
Cast:
大竹しのぶ
2002/2/2〜20 @スパイラルホール
Date:
2002/2/8 19:00
Note:
野田版、智恵子抄


ヒトコトReview:

必見でした 野田版・智恵子抄

最近シアターガイドも買っていないので、実は存在すら知らなかった(笑)大竹しのぶひとり芝居。
運良く友達より権利を譲ってもらい、行ってきましたスパイラルホール!
実は評判を聞くまでどういう演目なのかも知らなかったんですが。
演目は、野田版・智恵子抄、となります。


■あだたらやまに・・・

個人的な思い出で申し訳ないのですが
小中学校で林間学校、スキー学校に行ったのが福島県は安達太良山。
単に市の施設があったからなんだけど、どーもそのイメージが強い。
山上ったり、スキーしたり。
そのイメージと、智恵子抄というのが何故か結びついて記憶となっているわけ。
智恵子抄、と聞いて高村光太郎、じゃなくて、智恵子抄と聞いてスキー、なんだな。(笑)


■芸術家の妻とは

怖いね〜。まじで。
純愛詩集? をひっくり返してこういう解釈を作ってしまう野田秀樹って怖い。
わたしはさして文学少女でもないので智恵子抄自体、教科書とかの知識なので
知恵子が『芸術家』であることは、知らなかった、もしくは、忘れていた。
今回の野田芝居はかなりストレートで史実に基づいているのだろうから、
智恵子は色盲だったのかしら?

何はともあれ、芸術家の妻、芸術家の夫ていうのは、難しい。
才能は才能を妬むし、その限界をまざまざと見せつける。
私的には、たとえばアーティストとかの妻って、その人が大成することだけを願ってただそれだけで応援できるタイプの女じゃなきゃダメだと思うんですよね。
自分自身も何かすごく誇りをもってやってたりすると、旦那が『本物』であったときに自分がそのレベルに追いつけていられなければ、容易にプライドを傷つけられるし、
なんも感じないぐらいの方が幸せ・・・。
多少愚鈍なまでに尽くすタイプの方がよいかと。
まあ、旦那が結局同じような才能のある人と逃げちゃうことも多々あるわけですが(笑)
それまではこういうタイプのが妻に向いていると思うのさ。

でも自分も同じ『芸術家』であると思っていたら──。


■『智恵子』を形作るもの

智恵子は幸太郎の詩とう言葉に、縛られてゆきます。
光太郎の詠う『智恵子』という女に、自分が相応しくあろう、同じ女であろう、と必死で頑張るようになる。

最初は「いやなんです、あなたが行ってしまうのは」という熱烈な詩で愛を訴えられ光太郎ひとすじで生きてきても
自分がいつの間にか、光太郎によって体内化され、自分の自分としての価値をもぐように奪われてゆくと、それはひどく辛い。
自分が自分である、ということよりも他人の評価で自分が作られてゆくのだから。
芸術家を自称する、自分の中の才能をどこかで結局信じている人間にとって
これはもう、キツイでしょ?
自分がない。自分を他人が作る。それが自分になる。
(そうか、これは『呪』ね・・・笑)

言葉、詩で形作られてゆく『智恵子』という人格。
智恵子は『智恵子』であろうとして、自分の心を、身体を『智恵子』にしてゆく。
ぎりぎり、痛いようなそれなのに、言葉であって、紙、なんですね。

今回の野田氏のお気に入りモチーフはパンドラ〜と同じく恐らく『紙』だったと思われます。
セットも紙で出来ていて、ラストシーンに狂った智恵子が散らすのも色とりどりの和紙。
詩が書きつけられる、紙。それは何故か本当の紙ではなく、鋼。
ごつくて、端っこに手をかけたら血でも出そうな、『紙』。
だんだんと、光太郎の詩で言葉でがんじがらめになってゆく智恵子は秀逸。やっぱ大竹しのぶってすごいわ。
女学校前の少女から狂気の女まで、姿形を変えるわけでもなく演じちゃうし。


■光太郎から智恵子への言葉たち

はっきり言って、「をんなが、付属品をだんだん棄てると、どうしてこんなに きれいになるのか」て言われたら、「わたしは好きで棄ててるんじゃない!」とどやしたくなる気持ちは相当わかる。
「あなたは私の為めに生れたのだ」て言われたら最初は嬉しいだろうが、わたしは怒るね。(笑 いかん、これじゃ智恵子とは関係ないな、わたしの怒りだ)

純愛詩集だったはずの智恵子抄が、まんまと逆転してしまう。
野田演出と大竹しのぶはの演技は、智恵子抄に対して斜めな感情すらなかったわたしに、
見ているうちに「光太郎、なんつー、男だ!」という怒りを覚えさせるほど、すばらしいんですねえ。
「わたしは口をむすんで粘土をいじる。 ー智恵子はトンカラ機を織る」て読まれたら、「ちくしょう、お前も働けえ!!!」て、思うもの、わたしは。(笑)


■『芸術家』智恵子の苦悩

光太郎の薦めで自分の絵を展覧会に出品する智恵子。
通るはずないわ、と言いながらも特選から結果を探す智恵子の姿。でも入選すらしていない。
ああもう、こういう気持ちはすごくよくわかる。
わたしも似てるよな〜。
光太郎には笑顔を作って傷ついた自分のプライドなど見せたりしない。
光太郎は智恵子がちゃんと自分のスピードに着いてゆけると思っている。
智恵子はそれがさらにプレッシャーになる──。
どんどん、どんどん、逃げ場がなくなってきて、実家も破産して「わたしがなんとかする。わたしがなんとかする」とつぶやく智恵子に狂気が見え隠れしてくる。

『芸術家』であるつもりが芸術家たりえない自分と、光太郎、光太郎の言葉、詩、プライド、全部がぐしゃぐしゃに混ざった結果、物語の最初から傍観者として語っていたはずの『智恵子の女中』が『智恵子』と同化してきて、いつの間にかその本質となってゆく。
そして、死。その死すらも光太郎によって『詠われる』智恵子。
うまいな〜。何故か智恵子の狂気がわかるもの。
野田氏自身なんで狂ったのかなんてわかんないしと言っているけれども、観客にそうなのかも、て思わせるパワーはすごい。


■天才なふたり

しかしまあ、本当にすごいって思ったのは、お互い天才でありながら相手を潰すことなく、こんなお芝居作っちゃえる野田秀樹と大竹しのぶではないでしょうか?

久々に「来てよかったわ〜」と満足できるお芝居でした。(笑)


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