古事記と生命の樹 本文へジャンプ

第十四の綾 日子王朝の盛衰


②命(すめらみこと)から天皇(すめらみこと)へ(文字霊編)

『倭建命(やまとたけるのみこと)の結婚と伊吹山の神ってなあに?』

美夜受比売(みやずひめ)

 次は『美夜受比売(みやずひめ)』についてですが、

『美』は金文ではと記されます。『字通』では『象形。羊の全形。下部の大は、羊が子を生むときのさまを羍(たつ)というときの大と同じく、羊の後脚を含む下体の形。美とは犠牲としての羊牲をほめる語である。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「美」は神饌としての羊なので、生命の樹の「中の顔」における「美」の魂(セフィロト)に相応します。


『夜』は金文ではと記されます。『字通』では『会意。大+夕(月)。大は人影の横斜する形にかかれ、人の臥す形とみられる。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「大」は人であるので、生命の樹を人型に見立てた鏡神像(アダムカドモン)に相応します。「月」は陰であるので、生命の樹の「形の柱」に見立てられます。また精子としての陰、月経としての月の役割もあり、鏡神像(アダムカドモン)では性器の位置に置かれ「基礎、土台」の魂(セフィロト)に見立てられます。「夜」は人の性器の位置に月または鼎がある象にも見て取れます。


『受』は金文ではと記されます。『字通』では『会意。(ひょう)+舟(しゅう)。は上下の手。舟は盤の形。盤中にものを入れ、これを授受することをいう。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「受」は舟に上下の手なので、舟を依り代に下位世界と上位世界、「下の顔」と「上の顔」を繋げることを暗喩します。


『比』は金文ではと記されます。『字通』では『会意。二人相並ぶ形。左向きは从(じゅう)で、從(従)の初文。右向きは比で比親の意となる。金文に「左比」「右比」のように、比助の意に用いる。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「比」は生命の樹の「力の柱」と「形の柱」、または陰と陽に見立てられ、お互い助け合い、均衡することを意味します。


『売』の金文は見つかりませんでした・・・
『売』は説文ではと記されます。『字通』では『会意。旧字は賣に作り、その初形は出+買。賣はもと贖求(しょくきゅう)・贖罪の意で交付する行為であったと考えられる。すなわち賠償をはらうということであった。後に全く交換的な経済行為をいうようになった。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「売」は罪を贖うことなので、穢れた魂を代り身として請負い、清めることを意味します。


月経(さはり)

 次は『月経(さはり)』についてですが、

『月』は金文ではと記されます。『字通』では『象形。月の形に象る。【説文】闕(か)くるなり。太陰の精なり。象形。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「月」は陰であるので、生命の樹の「形の柱」に見立てられます。また精子としての陰、月経としての月の役割もあり、鏡神像(アダムカドモン)では性器の位置に置かれ「基礎、土台」の魂(セフィロト)に見立てられます。また月は英語で「MOON」の他に「Luna」の意味があり、死の樹においては「Lunacy」として精神異常、狂気、妄想になります。


『経』は金文ではと記されます。『字通』では『形声。旧字は經に作り、巠(けい)声。巠は織機のたて糸を張りかけた形で、たて糸。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「経」は縦糸なので、陰陽では陽、男に見立てられ、生命の樹では十字の縦糸として『均衡の柱』に見立てられます。


伊服岐能山(いふきのやま)

 次は『伊服岐能山(いふきのやま)』についてですが、

『伊』は金文ではと記されます。『字通』では『形声。声符は尹(いん)。尹は神官が神杖をもつ形。その神杖によって神をよぶ意がある。【説文】「殷の聖人阿衡(あこう)なり。天下を尹治する者なり。人に從ひ、尹に從ふ」と字を会意とし、伊尹(いいん)の名とする。伊尹は箱舟で洪水を免れ、空桑の中から見出だされた聖者で、洪水説話にみえる神。』とあります。
『尹』は金文ではと記されます。『字通』では『会意。|(こん)+又(ゆう)(手)。|は呪杖。呪杖をもつ人。杖には神霊が憑(よ)りつく。尹とは聖職者で、神意をただすものである。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「伊」は神官が杖を持つ形なので、杖を生命の樹に見立てて神と人とを繋げる祭祀者になります。


『服』は金文ではと記されます。『字通』では『形声。声符は(ふく)。は人に屈服する形。左偏は舟で、盤の初形。盤に臨んで服事の儀礼を行う意であろう。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「服」は盤に屈服する形なので、水鑑みに顕れた神の「思い」に従うことに相応します。


『岐』の金文は見つかりませんでした・・・
『岐』は説文ではと記されます。『字通』では『形声。声符は支(し)。【説文】「周の文王の封ぜられし所」、すなわち岐山の地であるとする。』とあります。
『支』は説文ではと記されます。『字通』では『会意。十+又(ゆう)。十は木の小枝。又(ゆう)は手。小枝をもつ形で、枝の初文。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「山」は生命の樹の「上の顔」に見立てられます。「支」は小枝を手で持つので、「上の顔」から依り代を用いて上位世界へ繋がることを暗喩しています。


『山』は金文ではと記されます。『字通』では『象形。山の突出する形に象る。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「山」は「海」と対比させると、生命の樹の「上の顔」に相応します。その他は、生命の樹の「均衡の柱」、「力の柱」、「形の柱」や「王冠」、「叡智」、「理解」のセフィロト(魂)の三角領域にも相応できます。


居寤清泉(ゐさめのしみづ)

 次は『居寤清泉(ゐさめのしみづ)』についてですが、

『居』は金文ではと記されます。『字通』では『会意。正字は凥に作り、尸(し)+几(き)。祖祭のとき、尸(かたしろ)となる者が几(机)に腰かけている形。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「居」は尸(かたしろ)となる者が机に腰かけている形なので、二本脚の台を鼎として上位世界へと旅立つことに見立てられます。


『寤』の金文は見つかりませんでした・・・
『寤』は説文ではと記されます。『字通』では『形声。声符は吾(ご)。吾に悟・晤の意がある。【説文】七下に「寐覺(びかく)して信(言)有るを寤と曰ふ。の省に從ひ、吾聲」とする。は夢の別体。寢(寝)・寐と同構に従う字で、牀に臥する意である。【周礼、春官、占夢】の「六夢」のうちの「寤夢」にあてて解する。夢を脱することを寤というとするものであろう。』とあります。
『吾』は金文ではと記されます。『字通』では『会意。五+口。五は木を交叉して器を蓋(ふた)するもの。口は(さい)、祝禱を収めた器の形。その器に固く蓋して、祝禱の呪能を守るもので、敔(まも)る意。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「寤」は鼎に備えた神饌を固く守るので、夢を脱するというより、夢を理解することに見立てられます。


『清』の金文は見つかりませんでした・・・
『清』は説文ではと記されます。『字通』では『形声。声符は青(せい)。【説文】十一上に「朖(あき)らかなり」とあり、清朗の意とし、また「澂(す)みたる水の皃(げい)なり」と清澄の意とする。』とあります。
『青』は金文ではと記されます。『字通』で『形声。字の初形は生に従い、生(せい)声。丹青は鉱物質のもので変色せず、ゆえに「丹青の信」という。殷墓の遺品に丹を用いたものは、今もなおその色を存しており、また器の朽ちたものは土に印して、花土として残っている。丹や青は器の聖化・修祓のために用いるもので、たとえば静は力(耜(すき))を上下よりもち、これに青を加えて修祓する農耕儀礼をいう字である。

生命の樹に見立てれば、「青」は生まれたばかりの生命の樹に見立てられ、陰陽では陰の色にも相応するので、泉から湧き出た清水として神の「思い」が至高の三角領域に顕れることに見立てられます。


『泉』の金文は見つかりませんでした・・・
『泉』は甲骨文ではと記されます。『字通』では『象形。崖の下から水が流れ落ちる形。【爾雅、釈水】に、濫泉(らんせん)は涌き水、沃泉(よくせん)は落ち水、氿泉(きせん)は穴から出る水とする。泉は岩の間から水が流れ落ちる形で、原がその全体形。』とあります。
『原』は金文ではと記されます。『字通』では『象形。古文の字形はに作り、厂(かん)(巌)下に三泉の流れ出る形。水のわき出る水源をいう。それより原始・原委の意となる。』とあります。

生命の樹に見立てれば、「泉」は岩の間から水が流れ落ちるので、岩を依り代とすると、依り代を通じて神の「思い」が顕在することを暗喩します。


どうですか?老子様。


 うむ、わしには、別な解釈があるが、おぬしの魂の成長ではその辺が妥当じゃろう。では、安万侶殿の物語りをしようかの。

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