今、台北の茶芸館で、木柵鉄観音を飲みながら、池の鯉を眺めつつ、これを書いている。
表の街の喧騒が嘘のような別世界だけれども、店の内側は内側で、お茶を楽しむ台灣の人たちでまた賑やかだ。
昨夜まではたくさんの人たちと一緒にいたのが、急に一人になって、寂しさも感じている。でも、またこれに慣れなければいけない。
一昨日、昨日は、実に満ち足りた時間だった。自分がいるべき所にいるという感覚。台灣の各地から一人でやって来て、びっくりするぐらい長い時間並ぶこともいとわない人たちと一緒に、伍佰の曲の着メロがあちこちで鳴るような環境に身を置いていると、何とも不思議な安心感に自分が包まれるのを感じた。
誰に何を説明する必要もない。皆同じなのだ。それだけの距離と時間を乗り越えることに、何の迷いも躊躇もない、それくらいただ伍佰さんが好きだ、という人たち。
そういう中に身を置いていると、日本においてまっとうな伍佰ファンでいるということがいかに困難であることか、と思う。
距離と時間に加えて、言葉の壁、情報の壁など、あまりに乗り越えるべきことが多すぎる。
そして、「何故、伍佰なのか?」ということを、いろんな人が聞いてくる。その上、香港アイドルなども含めた「中華音楽」全般の中に否応なく一緒にくくられ、その文脈の中で望むと望まないに関わらず語られてしまう。日本で伍佰ファンでいることは、全く「自然」なことではないのだ。結果、いつもいつも説明ばかりする羽目になり、それでも理解などされないということにひたすら耐えなければならない。
自分で招いたことだとはいえ、そういう状況に、かなり疲れてしまっていた。
それが、台北では単なる一人のファンでいられる。
この当たり前のことが、私には全身全霊ほっとすることだった。
ずいぶん癒された気がする。
今年の@liveのステージは、ひたすら飛ばした去年とは全く違って、大型演唱會の時のようにバランスの取れた選曲だった。「愛情的盡頭」も「ノルウェイの森」も「浪人情歌」も「白鴿」も歌った。そういう選曲のせいもあったと思うけれど、伍佰さんのステージを生で見るのが5回目の今回、初めて舞い上がらずにじっくりと「音楽」を味わうことができたように思う。
会場の歌声があまりに大きくて、ほとんど伍佰さんの実声は聴こえなかったけど、近くで聴くことで伝わってくるものに心が震えた。
とは言っても、途中からもうがまんができなくなってしまい、大はしゃぎで歌い踊る姿をしっかり台灣の友人たちに観察され、大笑いされてしまったのだけれど。
抑え目の選曲と、1回だけだったアンコールは、伍佰さんが現在アルバムを制作中だということもあったのかもしれない。
実際、今回伍佰さんが話をしたのは、「今日は何も話さない。語りたいことは、新しいアルバムの中ですべて語る。」ということだけで、あとは何も話さなかった。
それだけ、制作に没頭している中でのライブだったのだと思う。
伍佰さんのこの言葉にはひどく感動した。
伍佰さんがこういうことを言うのは、単なるかっこつけでは決してない。
彼の制作が彼にとってどういうものなのかを、誠実に語っていると思う。
そういう伍佰さんの誠実さに直に触れられて、非常に満たされたと同時に、彼のような真剣な姿勢で、果たして自分は自分自身に向き合っているか、自分の日々の生活に自分のすべてを注ぎ込んで生きているのか、ということを、自分に向けて問いかけない訳にはいかなかった。
お前は一体何をしているんだ?
ただ人に向かって「がんばって下さい!」などと言っている場合ではない。そんなことでは、彼に触れる幸運と機会を持てた者として、あまりに恥ずかしい。
この満たされた思いを胸に、私自身ががんばらなければならないのだ。
そういう意味で、運動会のようなカタルシスとは違った非常に大きなものを、今回は伍佰さんから与えてもらったと思う。
幸せだ。本当に。
私もがんばろうと思う。
(2001年7月28日 台北にて TEXT by 仁美)