伍佰&China Blue 生命熱力Life Power演唱會
2004年2月29日
台北県新荘体育館

いろんな意味で、初めてづくしのコンサートだった。
初めての慈善(チャリティー)コンサート。
(今回の収益は、緊急医療の基金会に寄付されるという。)
初めての会場。
(中規模の、台北郊外の体育館だった。)
いったい、どういう規模で、どういう内容で、どういう意味のあるライブとなるのか、全く見当がつかなかった。

そもそも、時期的に言えば、12月に新しいアルバムが出て、1月にPUBのライブはやったにしても、大きなコンサートはまだだから、タイミングとしては「涙橋」のツアーとなるのが自然なところ。
それが、特にそういうわけではなく、しかも1回きりでツアーでもなく、しかも慈善コンサートなのだから、どういうものになるのかさっぱりわからなかった。
でも、テレビでの伍佰さんの話によれば、今回は慈善コンサートだし、生命の大切さというのがテーマなので、今までライブでできなかったような曲もたくさんやるという。
アンプラグド中心になるということで、想像できない分、今までにないコンサートになりそうで、期待がふくらんだ。

折しも4年に1度しかない2月29日、天気の良い日曜日で、新荘体育場は運動したり遊んだりしている家族連れでいっぱいだった。
中規模の体育館とはいっても、大きなコンサートは「九重天」以来で2年近くぶり。
しかも新譜が出てからは初めてだから、みんな待ちわびていたようで、早くから会場の周りには長蛇の列ができていた。
こんなにたくさんの人が、果たして入りきれるのだろうか、と不安になるくらいの人だった。
しかも、搖滾区から先に入場が始まり、看台区だった私たちの列は、開演時間が過ぎてもぴくりとも動かない。
まだ看台区の入場が終わらないのに非情にも開演してしまった11月の陶浮フ悪夢がよみがえり、まさかそんなことはないだろう、と思いながらも、非常に焦りを感じていたのだが、やはりちゃんと看台区の入場が終わるのを待ってくれて、30分ぐらい遅れて開演した。

すごく人が多いと思ったけれど、会場の規模は6000人ぐらいの収容だったらしい。
そのくらいの中規模の会場は初めての経験だったけれど、すごくいい会場だった。
観客の数とパワーは十分で、しかも会場全体がコンパクトに見渡せる大きさで、親密感が感じられる。
舞台も遠すぎず肉眼でも見えるし、高いところから見る会場全体を埋め尽くした蛍光棒の光の海は、感動的にきれいだった。

ライブは、前半がアンプラグドで、後半がロック編という構成だった。
最初から椅子に座って、アコースティックでしみじみと始まるコンサートというのは、非常に新鮮だった。
運動会みたいに盛り上がるということはないかわりに、何かとても厳粛で、しかもあたたかい雰囲気が流れていた。
ただ曲目がいつもと違うということだけでなく、何か今日のこの場が、非常に特別であるという感じだった。
「生命之歌」も、とても自然に会場にしみわたっていった。
そして、その後にさざなみのような拍手が続いた。

嬉しかったのは、「看我」を歌ってくれたことだった。
この曲は「白鴿」の中でも私が好きな曲で、でも「真世界」ツアーでさえやらなかったから、こういう機会でもなければ、きっとライブで聴くことはできないはずの曲だった。
今まで歌う機会がなくても、決して派手な曲でなくても、そういう曲を伍佰さん自身も大切にしていることがわかって、嬉しかった。

しかし、何より圧巻だったのは、やはり「汝是我的心肝」だった。
この曲は、10年前に、当時の水晶唱片社長の難病にかかったお子さんのために作って、一度だけ慈善コンサート(そのお子さんの治療費を集めるためのものだったという)で歌ったことがある曲だということだった。
しかし、その後そのお子さんは結局亡くなってしまったということなのだけれど、子を思う父親の気持ちが結晶したようなこの美しい曲は、ファンの間でも語り継がれて、10年たった今、再び歌われる機会を得ることとなった。
水晶唱片の社長さんも、会場にみえていたようだった。
初めて聴いた、しかも台湾語がわからない私でさえ、涙せずにはいられなかったのだから、社長さんはどういう思いで聴いていたのだろう。
強く感じたことは、社長さんの思いが今でもこの曲に結晶して残っているのと同じように、その思いと共に、お子さんも生きているということだった。

この曲が、今回のこのコンサートの意味を象徴しているように思う。
生命の大切さと、はかなさと、生命を永遠にする愛。
それがテーマとして通底しているこのコンサートは、今までに感じたことのなかった深くあたたかな感動と、充実感を残してくれた。

こういう場が実現したのは、いろんな偶然と必然とが重なったからであって、ただ普通のツアーだったらこういう内容にはきっとなっていなかっただろう。
そういう意味でも、いろいろな見えない力が働いて初めて成立したような、後にも先にもないたった一度きりの、とても特別なコンサートであったような気がする。

(TEXT by 仁美)

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