今回の旅は、私に今までにない衝撃を与えた。
別に、何があったというわけでもない。
楽しいことばかりだった。
何が違ったかと言えば、1年前はほとんど喋れなかった言葉がこの1年でずいぶん喋れるようになり、情報収集能力がかなり上がったということと、地方に足を伸ばすだけの時間があったということだ。
おそらく、台湾に最初に行った頃はただ、本で読み、自分の中に作り上げた台湾のイメージを確認するだけだったのが、だんだんと思い込みを排して、自分の感覚で見、感じることができるようになってきたのだと思う。
そして、言葉がわかるようになってきた分、逆に、わからない部分もはっきりと見えてきた、ということなのではないか、と思う。
まず、日本人にとっては、台湾は、身近に感じる国、親しさを感じる国、というイメージがあると思う。
それは実際にそうなのだと今でも私も思うけれども、そう思うことによって、知らず知らずのうちに、自分の見るものを、自分の枠の中にはめこんでしまっているのではないかと思う。
自分の枠の中にはめるということは、すなわち、自分が理解できるものである、と思うということだ。
そこにはめることによって、人は初めて外界のものに対して安心感を得ることができるし、もしそこにはめられないものの中に自分が放り込まれたとすれば、自分の枠は完全に危機的状況に陥り、激しい拒否反応に襲われることになる。
自分の枠という秩序を自分の中に保つことで、ようやく平静を保って生きているという、そんな危うい動物なのである。人間は。
で、今回、台湾のあちこちを歩いていて、私は、何か、今までとは違うものを感じていた。
今まで私が「台湾」だと思っていたものとは、全く違う何か。
それが何なのかは、私にはわからない。
でも、それは、私には馴染みのない世界で、自分がそこに含まれていると感じることもなく、身近に感じるということもない世界だった。
そこでは、私は孤独だった。
しかし、その「何か」は、強烈に私の中に“来る”ものがあった。
その「何か」に対して、私が強烈に感じたもののひとつは、哀感である。
私は、台湾というところのことを、何もわかっていなかったんだ、と思った。
そして、伍佰さんという人のことも。
例えば、あるインタビューで、外国に移住しようと思ったことはないのか、と聞かれ、伍佰さんはこう答えている。
もし北京に行って新しいバンドを組んだとしたら、たくさんの人が自分の音楽を聴いてくれるかもしれない。でも、台湾で新車を買ったばかりじゃないか。きっと、台湾に戻ってすごく新車を運転したくなるだろう、と。
それは、マスコミ向けのある種のサービストークで、別にそれほど意味もない言葉だったのかもしれない。
でも、もし本当に車が重要なのであるとしたら、別に北京でも日本でもどこでも好きな車に乗ればいい。
今回、台湾で、私はすごく思った。
この土地でアルファ・ロメオに乗るということは、北京でベンツに乗ったり、日本でジャガーに乗ったりすることとは全く違う意味を持つことなんだな、と。
そういう、言葉や事実の向こう側に込められた心情、情感を正確に受け止めるのは、残念ながら、外国人には至難である。
台灣金讚2002跨年演唱會会場の中山足球場に身を置き、遠くから大きなスクリーンと小さな伍佰さんを見つめながら、私は伍佰さんの偉大さを身にしみて感じていた。
考えてみれば、約2年前にシンガポールの大型演唱會で初めて伍佰さんのステージを見てから、小さなライブハウスや福岡など至近距離でばかり見てきたため、大スクリーンを使うような大きなコンサートを台湾で見たのは、これが初めてだった。
遠くから見ると、改めて、つくづく、伍佰さんの偉大さを感じた。
しかも、副総統が祝辞を述べるような、国民的な大きなコンサートで、他の歌手たちとは全く別格の扱いのメイン出演。
そういう扱いだけではなく、内容において、その前に入れ代わり立ち代り歌っていた歌手たちとは、もう全くお話にならないくらい、別格、別次元なのである。
よくぞ、彼らのような突出した人たちが、この土地から出たものだ、と思う。
なんてかっこいい人なんだろう、と、今更ながら、呆然としながら見つめていた。
そんな伍佰さんたちが出演する無料のコンサートが立て続けに行われ、そこに当たり前のようにやってきて、当たり前のようにそれを聴いている台湾の人たち。
そして、この後には、台湾各地のライブハウスを巡回して回る伍佰さんたち。
歌詞の中身や喋っている内容は、それが北京語であろうが台湾語であろうが、ここでは当然100%理解される。
やはり伍佰さんたちは台湾のミュージシャンで、彼らの音楽を最も良く受けとめられるのも台湾の人たちなんだ、と、当たり前のことを今更ながら痛感する。
でも、羨んでばかりいても仕方がない。
私は、日本に生きる日本人であるのだから。
台湾人の真似をしても、台湾人になれるわけではない。
ひとつ確かなことは、それでも私には伍佰さんが必要だ、ということ。
私は、日本語を母語とする日本人として、これからも伍佰さんを聴き続けるだけだ。
新しいアルバムを日本に持って帰って、なぜ私がこれほどに伍佰さんに惹かれ続けるのか、その理由を、じっくりと考えてみようと思う。
伍佰さんという人は、最も台湾的な人であると同時に、最も台湾的でない人なのではないか。
そんな気が、旅の最中にした。
(Jan. 12, 2002 TEXT by 仁美)