<PREFACE>

出会いは、台湾帰りの友人から「伍佰的Live」(95年)のカセットを借りたことだった。
なにしろ今のこの時代にカセットだし(それは単に興味のなかった友人がお金とスペースを節約するためだったらしいが)、内容もほとんど(後から北京語もわずかに入っていたことが判明した)台湾語で何を言っているかわからないし、音的にもめちゃくちゃ泥臭くて、やっぱり台湾はこんなに田舎で時代的なんだ、という感想だった。
でも、その泥臭さが妙に一度聴くと耳から離れなくなってしまい、「台湾の甲斐バンドみたいだな」と思って、おもしろがって聴いていた。

今にして思えば、数ある彼らのアルバムの中で、よりによって最もベタベタに泥臭いアルバムを最初に聴いてしまった訳だ。

その後、ある日本のテレビ番組で台湾の音楽が紹介されたとき、たまたま彼らのライブの模様と伍佰のインタビューが流れたのを見た。
そのライブの様子は「伍佰的Live」の音から想像したのとは全然違って正しく「今」の音楽だった。
そして、彼が話すのを聞き、彼の目を見たとき、なぜだかわからないけれど、直感的に「この人は絶対に信用できる人だ」という確信を持った。
私は信用した人の音楽しか基本的に聴かない。
彼の音楽をきちんと聴いてみたい、と思った。

その後香港に行く機会があったので、彼らの今までのCDやVCDを、当時出たばかりだった新譜の「白鴿」を含めて買い占めてきた。
ホテルのテレビで彼が出演している番組を見たり、MTVを見たりした。
歌詞が北京語で内容が理解できるのと、出たばかりの正しく「今の彼」の音楽だ、というのが無性に嬉しかった。

聴くほどに、彼の言葉のひとつひとつが、自分の中に染み込んでいった。

彼の歌は、自分の中にしまい込み、閉じ込めてきた悲しみや痛みにことごとく反応する。
道を歩きながら、あるいは電車の中で、何度落涙しそうになったことだろうか。
しかし、彼はいう。
それでも、永遠の傷を抱えながら生き続けよ、と。

私は、決して北京語がよくできるわけではない。
でも、思い込みに過ぎないかもしれないけれど、なぜだか私には、彼の言葉は実感的にすごく理解できる気がする。
実は本音としては、自分と彼との間の密やかな交流にとどめておきたい気もするのだけれど、歌詞の内容をわからないままに聴いている方々にはやはり意味をわかって聴いてほしいと思うので(だってたぶん歌詞を知らなければ3割ぐらいしかその曲はわかったことにならないから)、私の「成果」をここに公開することにした。
多分間違いもあるし、元の中国語の語感を残したくて日本語としてはこなれていないこともある。
でも、きっと、彼の「魂」は何かしら伝わるのではないかと思う。

私の愛の証として、このページを伍佰こと呉俊霖さんに捧げます。

2000年3月
「真世界亜洲巡回演唱会」シンガポール公演訪星の前に

仁美

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