ごはんが子ども達を変えた!
──熱血先生・大塚貢の挑戦──
 
小冊子『正しい食事を変える・シリーズ1』
毎日新聞社北海道支社 発行
2009年6月2日 第3刷
 
上田市教育委員長 大塚 貢

この記事は毎日新聞社北海道支社の許可をいただき、全文を掲載いたします。

T 問題の根源は食事にあった

非行、イジメ、キレる、無気力のこども達

 荒れたこども達を救いたい! どうしたら救えるのか!
 中学校の教員、校長、そして教育長。長野県内で長く教育に携わってきた大塚貢氏は、非行や犯罪などが多発する、いわゆる「荒れた学校」へ赴任するたびに考えていた。「この悲しい現状でも、こども達を救う方法は絶対にあるはずだ。それは何なのか!」
 長野県の、1200人弱の、ある中学校校長に赴任した1992年春、大塚氏は新たな挑戦をスタートさせた。後に、非行件数はゼロ、不登校牛徒も激減という見事な成果をあげる、三つの取り組みを。
 
 「荒れた中学校に赴任してみて、まず教師の授業を見てみました。すばらしい授業をする先生がいる一方で、ただただ教科書を読み続けるだけの先生がいた。こども達は授業がつまらなく、学ぶ意欲を失っていたのでした」
 悪貨は良貨を駆逐する。
 このことわざのとおり、いい授業だなと思える教師の授業でさえ、こども達は退屈していた。授業で発言をしたり、意見を交換しあうなど、積極的な生徒の行動がない。学内でエネルギーを発散できないためなのか、こども達のエネルギーは外に向いた。学校外で、強盗や窃盗、暴力や空き巣狙いなどを繰り返したのである。そこまでの犯罪行為には及ばないまでも、喫煙、イジメ、教師に暴力をふるなどの非行は相次いだ。いらいらする、無気力で机に伏せたまま、不登校……など、精神的に落ち着かない生徒は数限りなかった。
 1997年に、大塚氏は旧真田町(2006年3月に合併後、上田市)の教育長に就任する。このときの苦い思い出をこう話す。
 「教育長をしていたときですが、町でオートバイが数カ月に20数台も盗まれたんですよ。それも、80万円以上するような高価なもの。生徒たちはバイクを盗んでは改造し、暴走行為を繰り返しました。当然、無免許でマフラーの騒音を大音量で町中に響かせながら、夜の11時ごろから明け方まで、延々と続くのです」
 当時、新しい公園の落成式を前に、公園内のトイレを壊すなどの破壊行為も多発していた。これらの非行行為の対応で、大塚氏は昼間は警察や鑑別所、家庭裁判所を駆け回り、生徒を指導、夕方から夜にかけては、非行行為を起こした親との面談に追われる毎日だった。といっても、大塚氏の話を熱心に聞いてくれる親などほとんどいない。「うちの息子に言ったって、意味ないですよ、先生」。午後10時過ぎ、教育長としての本来の仕事がやっとできるのです。疲れきって帰宅した真夜中に、町民からの苦情電話。「バイクの騒音がうるさくて寝られない! 俺たちだって生活があるんだ! 教育長、何とかしろ!」そんな生活が続いた。
 しかし、何としてもこども達を救いたい──。
 こうしたなかで、大塚氏は「授業の改革」と「給食の改善」、「学校内にうるおいが感じられる花壇づくり」の三本柱に取り組むのである。教師や保護者からの大反対を受けながら……。

花のない学校 ── 少年犯罪の現場を訪ねて(1)

 全国で、青少年による凶悪犯罪が後を絶たない。親や同級生を狙った犯行、そして「誰でもよかった」と語る無差別殺人。こうした事件が起きると大塚氏は、国内のどこであっても、そのこどもが生活していた現場に行く。1997年に神戸市須磨区で起きた神戸連続児童殺傷事件をはじめ、これまでに訪れた現場は40近くになる。こども達が通う学校や育った環境を確認するためである。
 「自分の目で見て、自分で聞かないとね。テレビや新聞の情報で推測しただけでは、はっきりしたことが語れない」
 大塚氏はそう考え、現場へ向かう。そしていつも、同じ光景を見る。花の咲いていない学校だ。「どこの学校でも、うるおいや癒しが感じられない」。事件を起こした少年や少女が通う小学校・中学校には、花が咲いていない。植木鉢の植物は枯れている。「いつから、枯れたまま放置されているんだろう」。木があっても整然と整えられているだけ。「ここは、企業のIT工場か?」小学校なのに、こどもが無邪気に遊べる遊具がない。「この校庭には、こどもの笑い声が響いているのだろうか」。
 命あるものを大切にする心の教育が感じられない学校の風景に、大塚氏はその都度、落胆するのである。

食べたいものが食べられる家庭環境 ── 少年犯罪の現場を訪ねて(2)

 凶悪犯罪を起こした彼らの学校とともに、家庭周辺にも大塚氏は足を運ぶ。大塚氏がその現場で感じているもう一つの共通点が、凶悪犯罪を起こしたこども達のほとんどは恵まれた家庭環境にあるということだ。
 「地域の人に彼らの家庭について尋ねると、『お父さんは温厚な方ですよ』『お母さんは教育に熱心でしたね』と、だいたい家庭の評判は悪くありません。実際にその家を見ても、貧しさが感じられるような家庭はほとんどないのです」
 しかし大塚氏は、そこに問題点を見出している。裕福な家庭では、こどもは食べたいものを食べられる。その家庭環境こそが、凶悪犯罪につながっている危険性を孕んでいるのではないか──。
 東名高速でバスハイジャック事件を起こした14歳のA君の小学校卒業文集には、好きな食べ物は「やきにく(カルビ)」とあった。就寝中の母親を殺害した高校3年生B君の祖父に「彼の好きな食べ物」について聞いたら、「こどもが好きだし、元気が出るからと、よく肉を食べさせていた」という答えが返ってきた。こどもが好きな「肉食」に偏った食事が、こどもから自制心をなくしてしまっているのではないか。大塚氏は、そう危惧するのである。
 「肉食に偏った食事では、イワシなど青魚に入っているミネラルやカルシウムやDHA(ドコサヘキサエン酸)、EPA(エイコサペンタエン酸)などを摂取できません。彼らは血がどろどろになってしまって、前頭葉の働きがマヒしてしまっているのではないでしょうか。物事を考えたり、判断したり、学ぶ意欲を高めたり、人とコミュニケーションをとる──。その大切な働きをする前頭葉の能力が、偏った食事のせいで低下してしまっているのではないかと思うのです」
 少年犯罪の現場で気づいたこの思いは、間違いではなかった。後に、大塚氏は小中学校で米飯給食と花壇づくりで、問題の解消に成功するのである。

U 挑戦の日々

まずは、授業の改善から

 「生徒が荒れている原因は、授業がつまらないからだ」
 大塚貢氏は1992年に中学校校長に赴任後、70人余の各教科の先生の授業を見て、そう気づいた。
 「素晴らしい授業をやっている先生の反面、とにかく授業がつまらない。私が聞いていても、まったく興味がわいてこない。授業で何を教えてくれているのか、わからないんですよ」
 生徒たちは授業を放棄した。教室を抜け出し、学校内で非行行為に及ぶ。校内でタバコを吸う者もいる。教室に残っている生徒も、無気力で机にうつぶせたまま動かない。
 「こんな授業をしていては、生徒たちに学ぶ意欲が起きるはずがない!」
 「わかる、できる、楽しい授業」をしないかぎり、生徒たちの学ぶ意欲が高まるはずがないし、授業を楽しめて集中できなければ、非行や無気力が減ることはない──。大塚氏はそう確信した。
 大塚氏には、民間企業での勤務経験がある。
 「教育現場だけの視野では狭すぎる」
 そう思い、一時、ビル・マンション等建設販売会社に就職をしたのである。その経験をもとに、校長として教師たちにこう語ったという。
 「生徒たちの授業を、私は10分も聞いていられない。こども達はこれに、50分も耐えている。私よりよっぽど我慢強い。こんなつまらない授業をしていては、先生たちは民間企業ならクビですよ!」
 荒れたこども達を救いたい──。その思いを同じにする教師たちもいた。大塚氏の発破に、授業をよくしたいと意欲を高めてくれる教師たちも現れた。
 「まだ、家庭用のビデオがそれほど普及していないときです。50万円近いビデオを自費で購入して、日本の水産業を教えるために、焼津や釜石などの漁港へ行き、漁業について調べてきた教師もいたんですよ」
 こうして、やる気のある教師たちの授業が変わっていった。反感を抱く教師ももちろんいた。しかし、教材を手作りしたり、わかりやすい授業をするために研究を重ねるなど、熱心に取り組むほかの教師の姿を見て、変わる教師も増えてきたのである。教師たちは互いの授業に意見をし、より分かり、楽しめる授業にしようと高めあった。大塚氏が見ても、「おもしろい!」とうなずける授業が増えていった。
 1997年に真田町の教育長に就任した。すぐ、全校の全員の先生の授業を見た。「荒れている学校は、つまらない授業に問題がある」という考えのもと、町内のすべての小中学校で授業改革を訴えた。中学校にかぎらず小学校でも、授業がつまらないせいで無気力になっている児童がいることに、大塚氏は驚いた。
 授業の改革の賛否について、当然ながら学校によって温度差があったが、危機感をもった学校から授業改革を進めていった。それは町内全ての小中学校に広がった。今では、全校の先生一人ひとりが、1年に1度か数回、研究授業を通して批評し合い、指導力の向上を図っている。また、町内の全員の先生が集まり、研究授業を通して指導のあり方を深めている。

食事の問題とは何か?

 教師たちの努力によって、授業が「わかる、できる、楽しい」ものに改革されてきても、非行やイジメ、無気力といったこども達の問題は、まだ残っていた。実は大塚氏は、授業だけを改善しても問題の解決は難しいことを、当初から肌で感じていた。授業中に集中力を失い無気力になる生徒や、全校集会などで倒れる生徒が少なくなかったことから、問題は「食事」にあるのではないかと推測している。
 当時は、「早寝、早起き、朝ごはん」などの標語もなく、朝食を食べてこない生徒が多かった。食べてきたとしても、菓子パンやジュースだった。
 「前の晩8時ごろに夕食を食べてから、何も食べずに給食の正午すぎまでを過ごすと、こども達はおよそ16時間も欠食状態になる。身体に栄養がまわっていない。授業中は無気力になったり、イライラして気持ちが落ち着かない状態になるのは当然だ」と、大塚氏は思っていた。
 中学校で開催する球技大会や、陸上競技大会の日。生徒たちが集合する前に、大塚氏は近隣のコンビニエンスストアに車を停め、朝5時ごろから張り込んだ。
 「こんな日に親にコンビニに連れてこられるこども達は、普段から、ろくなものを食べさせてもらってないのではないか。コンビニで買うのは、ほとんどがコンビニ弁当や菓子パン、ジュース……力が出るとは思えないものばかり。そうした買い物をする彼らの顔を覚えておき、後ほど職員会議で彼らの生活態度について尋ねると、ほとんどが非行や教師に暴力を起こしていたり、無気力な生徒だったのです」
 ここぞという勝負をする球技大会や、待ちに待った遠足の日でさえ、朝食や弁当を作ってもらえないこども達。自分で買ったコンビニ弁当や菓子パンでは、「お母さん、今日はどんな弁当を作ってくれたんだろう」という期待はない。帰宅後に、「弁当どうだった?」という親子の会話もありえない。「食」を通じて強くつながるはずの親子の絆は、まったく切れてしまっているのだった。
 大塚氏は、家庭の2週間の食事調査も実施した。生徒が各家庭で食べた2〜3日分の食材の包装やカラの容器を学校に持ってこさせたのだ。すると、菓子パンや肉、ハムやウインナー、ジュースなどに偏っていることがわかった。
 カラの容器を見て、朝ごはんは菓子パン、夜はカレーや焼肉だろうと推測できた。育ち盛りのこども達には、なんとも貧しい食生活だった。
 「こども達には、カルシウム、ミネラル、マグネシウムやビタミン類が摂取でき、血のめぐりがよくなるような魚や野菜を食べさせてくださいと保護者に訴えても、だめなのです。聞いてくれるお母さんはほとんどいませんでした。もちろん『肉ばかり食べさせないで』と言ったところで、何にも効果はありません」

パンからごはんへ

 大塚氏は、考えた。
 「親の意識を変えることは難しい。食事の改善を家庭に任せるのは無理だ。肉類は、家庭で食べてもらえばいい。学校では魚や野菜を食べさせよう!」
 こうして、「ごはん」と「魚」「野菜」が中心の給食への改善に取り組むことにした。
 「ごはんと、カルシウムやミネラルが豊富な青魚で、こども達を救おう!」
 PTAなどで保護者に話してもムダだと悟った大塚氏は、まず、生徒たちの意識の改革に取り組んだ。栄養士に教室で「食」についての授業をしてもらったのだ。食育という言葉が普及した今でこそ、「栄養教諭」という専門職ができたが、1992年当時、栄養士が授業をするということはなかったのである。
 思わぬ対抗勢力は、教師たちだった。「栄養士に授業をしてもらう時間なんかない。授業数が減るので反対だ」。しかし、校長としてその意見はあえて聞き入れなかった。
 「栄養士は、食の大切さを本当にわかりやすく説明してくれました。ごはんや魚、野菜にはどんな栄養素が入っていて、その栄養素が身体にとってどれほど大切かを、写真や標本などを駆使して話してくれたのです」
 やがて生徒だけでなく教師たちも「食」の意識が少しずつ変わってきた。「次はうちのクラスで、栄養士さんの授業をしてほしい」という要望が、教師たちから出てきたのである。
 生徒と教師の「食」の意識の変化を受けて、大塚氏はいよいよ学校給食の改善に取り組んだ。まだ学校5日制になる以前のこと。週6日のうち、5日をパン食からごはん食に切り替え、魚や野菜のおかずを多くする給食に変更したのである。
 「ごはんと魚を中心とした給食の内容に、教師たちから少なからざる反対がありました。教師自身もこどもの味覚のままで、揚げパンや肉が好き。魚の味に慣れていないのです。魚なんてまずくて食べられない、と言いました。しかし、これまでのパンと肉に偏った給食ではこどもをダメにすると、校長だからこそ強く押し通すことができたのです」
 栄養士は、イワシの甘露煮やサバの味噌煮など、バラエティに富んだ魚料理を食べやすく調理してくれた。頭から食べられるように柔らかく煮込んでくれたり、カルシウムや亜鉛、マグネシウムといった魚に含まれるミネラルの重要性を、常に生徒や教師たちにわかりやすく解説してくれたのだった。
 生徒はもちろん、教師や親たちも、栄養素が身体に及ぼす影響を理解し、ごはん給食に賛同し始めた。こうして、週5日のごはん給食が定着していった。

より安全・安心な食材を求めて

 校長のときは自分の学校だから、思うように事を進めることができた。
 しかし、1997年に真田町の教育長になり、町全体で給食の改善を進めようとすると、小中学校にはそれぞれの校長がいて、教師たちも大勢いる。反対勢力はより大きいものとなった。教育長として、町の小中学校全体の給食を変えることには、はかりしれない苦戦を強いられたという。
 教師自身が、パン食や、コンビニ弁当の味に慣れている。親も「給食費を払っているのは我々だ。子どもの好きなものを出せ!」と、強気だ。教師や親、そして生徒たちの意見に従い、栄養士は、揚げパンや中華麺、スパゲティ、ハムやソーセージ、揚げ物などに偏った「喜ばれる給食」を作り続けていた。調理師たちは、米は研がなければならないからパンより手間がかかって困ると言って反対していた。
 大塚氏は、町全体の給食改善には、あきらめの気持ちもあったという。
 しかし、何十種類のパンを買って来て置いておいて、数日たっても固くならない、カビが発生してこないことや、ハムやソーセージの色のよさから、使われている保存料や合成着色料が気になって仕方がなかった。このような人工的な添加物は、1食に食べる量だけでは安全なのかもしれないが、これらを日々家庭で食べ、給食で提供していて、こども達の身体にまったく害を及ぼさないとは言い切れない。
 「教育長として、町内のこども達に安全・安心な食材を食べさせなければならない使命がある。育ち盛りのこども達に、時間の猶予はない」
 その使命感が、大塚氏を奮い立たせた。
 米に使われている農薬も気になった。安全な米を手に入れるため、長野県内を縦横に走っては、農家を見学した。米にも農薬が浸透している。大塚氏は、何十種類かの米を用意し、虫がわいてきやすい米、すなわち農薬が少ない米がどれかを調べた。
 そして、無農薬の農家の米を選んだのだが、いざ購入しようとしたときに、「一農家の利益のために、教育長は学校給食を私物化している」と、叩かれてしまう。それらの農家の米を使うようになると、給食材料の従来の供給ルートに反することから、給食費の補助金が下りなくなるという問題もあった。しかし、あきらめなかった。
 教師や保護者の理解を得るために、校長のときに給食の改善にともに取り組んだ栄養士に、また応援を依頼した。「栄養士の実力には、本当に感心した」と、大塚氏は言う。何度も何度も試食会を開催し、ごはんと魚料理のおいしさを生徒や教師、親に浸透させ、さまざまな栄養素が身体に働く役割について、彼らに地道に伝えていったのである。特に栄養士と大塚氏が注目したのは、「発芽玄米」である。ごはん給食では、白米に発芽玄米を10パーセント以上加えた。発芽玄米に含まれる成分「GABA(ギャバ)」に着目したのである。ギャバには、脳内の血流を活発にして、酸素の供給量を増やしたり、脳細胞の代謝機能を高める働きがあることがわかっている。脳内のギャバが不足してしまうと、イライラしたり、体調不良を招いてしまうのだ。こうして真田町の小中学校の献立表は、発芽玄米入りのごはんと魚、野菜のおかずで埋め尽くされた。

命の大切さを知らないこども達

 学校教育では、心の教育が足りない──。
 給食の改善とともに、大塚氏が校長として率先して取り組んだのが「花壇づくり」だ。
 凶悪犯罪を起こしたこどもが通う学校を訪れては、殺伐とした学校の風景に驚いた。校内にクローバーを植えて、そこで寝転がりながら、生徒たちが夢を語り合う──そんなうるおいのある学校にしたい!
 春、校門のすぐ近くでグラウンドの角の2ヵ所を花壇にした。サッカーゴールのすぐ脇だ。ほかにも20ヵ所以上の花壇を作った。クラスごとに緑化委員も設けた。業者には頼らず、生徒が土を耕すところから始め、堆肥をつくり、苗を育て、水や肥料を与える。水やりをサボる生徒も当然いた。保護者からは「学校でこどもに土方をやらせるなんて」という苦情もあった。しかし、春から夏にかけて、花は見事に咲いた。
 サッカーゴールの脇の花壇には、よくボールが入った。ボールを取るために、生徒たちは花壇に入った。花を踏みつけても彼らはお構いなしだった。しかし、それは大塚氏の想定の範囲だった。「花の命の大切さなど、生徒たちは考えもしないことがよくわかりました。しかし、その場所に花を植えた係の生徒は悲しみます。が、自分がしたことで友達が悲しむということすら、生徒たちは想像できないのです」
 放課後の部活などで荒らされた花壇を元通りにするため、大塚氏は夜中に、車のヘッドライトをつけながら、倒れた花を数十本こっそり植え替えた。翌朝になれば、花壇には同じように花が咲いた状態になっている。育てている生徒たちが悲しまないようにとの計らいだ。
 校長として全校集会などで話をするときも、「花を大切にしよう」とは、あえて言わなかったという。荒れた生徒たちに、花の大切さを訴えても、まったく耳を貸さないのは明らかだったからだ。花を踏んで悲しむ人の気持ちがわからないということは、人を傷つけても相手の気持ちがわからないことと同じだ。彼らが自分で気がつく日まで、大塚氏は辛抱強く、夜中の植え替えをし続けた。
 指導する先生と生徒は、放課後も遅くまで、休日も、ほんとうによく花の世話をした。花壇がほんとうに見事に美しく咲いた。

全国化段コンクールで文部大臣賞

 同じ年の夏休み前、秋用に花壇の植え替えをした。夏休み中は、生徒が当番で花に水をやりに来る。しかも、当番ではない多くの生徒も、草取りや水やりに来るようになった。
 夏休みが終わり、秋花壇が見事に咲きだすと、同じサッカーゴールの脇にあった花壇には、ボールが入らなくなった。花を踏みつぶす生徒もいなくなった。生徒たちが、自ら汗を流しながら耕して育てた花の命の大切さがわかってきたのである。その後、大塚氏がこの中学校で校長を努める5年の間、ボールによって折れた花はわずか2本だけだったという。
 花壇づくりを始めて2年目には、全国花壇コンクールで県知事賞、文部大臣賞などを受賞。その後も毎年、文部大臣賞相当の大賞を受賞するようになった。
 「子ども達に、命の大切さが身についてきたことがよくわかりました」
 1997年に真田町の教育長になると、給食の改善とともに、花壇づくりも待ちの小中学校に普及させた。「うちの学校には、生徒が花壇をつくる場所も時間もありませんよ」と、大塚氏の提案をはねつける校長もいたが、校長が交代する時期を狙って徐々に進めていった。
 「こども達は、本当に花を大事にします。休日、ある小学校へ行ったときに、こども達が花についたアブラムシを楊枝で1匹ずつ取り除いていました。『先生にスプレーの殺虫剤をもらえばいいのに』と私が言うと、『花が傷んじゃいますよ』と児童に怒られてしまいました」

こども達が変わった!──非行ゼロ、不登校も激減

 「授業の改革」と「給食の改善」、「学校内にうるおいと癒しが感じられる花壇づくり」の三本柱の成果は、それぞれがうまく融合しながら、顕著に現れてきた。
 校長としてこの三つを進めて1年が過ぎることから、校内にタバコの吸殻がなくなった。イライラしたり、無気力な生徒も減っていた。
 2年目が終わるころには、生徒が起こす非行や犯罪件数がゼロになった。当初、不登校の生徒は学校に60〜70人近くいたが、まったく学校にこられない状態の不登校は二人にまで激減した。
 生徒たちが落ち着き始め、学ぶ意欲が高まったことで、こんな変化も現れた。
 「校内が荒れていたころは、図書室ががら空きにもかかわらず、本の紛失は年に480冊くらいありました。読まないのに紛失が多い。それが、昼休みに図書室の席がすべて埋まり、床に腰をおろして読むほど、生徒たちが読書をするようになったのです。生徒たちが落ち着きを取り戻してきた証拠でした」そして、本の紛失は2年目からゼロか1冊になった。
 読書力が高まると、生徒たちは学外でこんな栄光を手に入れる。難関と言われる読売新聞主催の「全国作文コンクール」で、1位か2位に入賞する生徒が現れたのだ。歌を歌うこども達が増え、合唱コンクールでも中部日本大会や東海ブロックで毎年1位に入賞した。数年前までは、生徒の歌声が聞こえるどころか、改造したバイクの騒音が校内に響いていたというのに……。

全国平均を上回った学力

 教育長として、真田町全体にこれらの取り組みを進めて以来、成果は着実に現れ、維持されてきた。ここ数年、町内の小中学校による非行や犯罪は万引きも含めてゼロ。小学校では不登校の児童はゼロ、中学校でも数人に限られるという。
 学力は、飛躍的に向上した。2005年に、生徒たち一人ひとりの学習状況やクラスの状況が分析できる数研式CRT全国学力テストを実施したところ、多くの教科で「学力が高いランク」にいる生徒の割合が全国平均より極めて高く、「学力が低いランク」にいる生徒の割合は極めて低いという結果が出た。
 2006年には「ふるさとの田んぼと水 子ども絵画展」(全国土地改良事業団体連合会主催)で、町内の小学6年生の女児が応募8000点の中から第1位を獲得している。
 「こどもが悪いのではない」。こども達が見事に変わっていく姿を目の当たりにして、大塚氏は確信している。非行やイジメ、キレる、無気力のこども達は、急にその状態になるのではない。家庭で、学校で、大人がそのように育ててしまっているのだ。
 確かに授業にも問題はあったが、家庭でバランスのとれた食事を十分にとっていないこども達には、心も身体も授業を受け入れる体制ができあがっていなかったのである。
 給食の改善では、こんなエピソードもある。
 東京から転校してきた中学生のある女子は、重度のアトピー性皮膚炎だった。それが真田町の学校で給食を食べ始めてから4ヵ月ほどで、その皮膚炎が治まったのである。その後、彼女は父親の転勤で大阪へ転校するが、食事が合わず再発する。結果的に、父親が大阪で単身赴任することになり、母と二人、真田町の中学校に戻り、きれいな肌に戻った受胎で卒業していったという。
 「彼女が特別なわけではありません。合成着色料や保存料など人工的な加工が多くなされた食べ物は、表面に表れなくても、こども達の心と身体に何かしらの影響を及ぼしているはずです」
 発芽玄米入りごはんと魚や野菜のおかずでバランスがとれた食事は、体を強くするだけでなく心も安定させる。安定した心で「花壇づくり」にも取り組めば、心身ともに健やかな思いやりのあるこどもが育つ。大塚氏の信念は、見事に証明された。

V 挑戦はまだまだ続く

ごはんはおとなも変える!

 大塚貢氏は、「授業の改革」と「給食の改善」、「学校内にうるおいと癒しが感じられる花壇づくり」の三つに取り組むなかで、こども達の変化とともに大人の変わりようにも驚いているという。
 給食の改善では、魚料理を好まない教師たちが猛反発していた。
 「それは当然のことでした。給食とはいえ、パンや麺類、揚げ物や肉料理など、自分の好きなものとはまったく正反対の食生活を強いられるのですから。こども以上に長い年月をかけた大人の嗜好を変えるのは難しいことです」
 親たちも同じだ。しかし、こどもの変化で、周囲にいる大人たちも変わっていったのである。生徒からは、「お母さんがインスタントのものを買って来なくなった」「産地がどこだか、良く調べている」「虫の食べた野菜を買う」「魚も多く食べるようになった」という話を聞くまでになった。
 大塚氏は、凶悪犯罪を引き起こした大人の食生活にも注目している。秋葉原で無差別殺人を犯した犯人はブログでは『コンビニ弁当を買って帰った』という記述を見つけたり、容疑者の自宅のゴミがカップラーメンの容器だらけだと聞いたりする。
 その度に、玄米入りごはんと魚、野菜のバランスがとれた食生活であれば、このような残虐な事件を起こすことはなかったはずだ、という思いを募らせている。
 そして実際、旧真田町では大人の犯罪率も減少している。

花壇づくりで企業も変わる

 大塚氏は旧真田町での取り組みを普及させるべく、いま、全国を駆け回っている。これまでの真田町での食育活動について、さまざまな場所で講演を重ねているのだ。大塚氏の取り組みは、教育関係者や父兄・保護者だけでなく、企業の経営者の心を動かすことが多い。
 大塚氏の話を聞いたあるスーパーの経営者は、店頭で「花壇づくり」を始めた。当初、店長や社員からは「なぜ、花を育てなければいけないんだ」という反対意見がほとんどだった。しかし、客の一人がこう言った。「花が咲くのが楽しみだわ」。
 花が咲くと、別の客が「お宅のお店はきれいですね」と褒められた。孫を連れたある年配の女性客からはこう言われたという。「孫が、近くのお店じゃなくて、お花が咲いているスーパーに行きたいと言うのでわざわざ来ました」。店先の花を見た客の一言一言が、店長をはじめ、社員のやる気に火をつけていったのだ。
 300人規模のある工場でも、大塚氏の話から、自主的に7人の社員が花を植えた。工場内に憩いの場所ができたと、昼食を花壇の近くで食べる社員が増えた。通りがかりの人には「きれいな会社ですね」と声をかけられた。従業員の妻らが休日に、昼食を作って夫の勤める会社の花を家族で見学に来るようにもなった。
 「たった一輪の花で、大人も変わるのです。人が変わり、会社や組織が変わっていく。その心の変化はこどもと何も変わりません。癒される空間を自分たちの手で作り出す花壇づくりは、心の充実にはもっとも効果的な方法なのです」

これからの私の食育

 大塚氏は各地の講演活動をこなすなかで、がっくりくるときもあるという。「食育」がこれだけ声高に叫ばれている今でも、耳を貸さない教育関係者や親が少なくないのだ。
 たとえば、学校の栄養士。「うちは給食の残飯が少ない」と自慢げに語っているが、その給食の内容を聞くと、こどもが好きな、菓子パンや中華麺、ウインナーばかり。それでは、家庭で食べるものとを変わらず、学校給食の意味がない。栄養士さえもが残飯率の少なさを優先させ、こどもや親の要望を第一に考えていまっている現状に、食育の形骸化を感じるという。
 「パン食や肉食に偏った食事がこどもをダメにします」と講演で訴えても、表情を曇らせるだけの保護者が多いことにも苦しさを感じている。その都度、「食育」という言葉が上滑りをするように漫然と広がっているだけで、現状は何も変わっていないことを痛感するのだ。
 一方で、福井県小浜市や滋賀県栗東市、山梨県山梨市、高知県南国市などでは、ごはん給食が進んできた。給食で安心・安全なものを食べさせることで、こどもの心と身体をつくり、そして、立派な市民を育てようとしている。その取り組みの素晴らしさと努力にはほんとうに頭が下がる。その考えを広めたいというのが、大塚氏の食育であり、一番の願いである。
 またある企業では、経営者が大塚氏の講演を聞き、旧真田町の献立表を真似した食事を社員に出しているという。その経営者からは「特に若手社員にやる気が出てきたと感じる」と大塚氏に報告があり、バランスのとれた食事が業績の工場にも貢献できると知った。
 このように、大塚氏の講演活動は全国各地で実を結びつつある。
 昨今の小麦価格の高騰で、給食でパンに代えてごはんの提供回数を増やしている学校もある。しかし、そうした動きについては、大塚氏は反対だ。
 「そのような理由で変えるのでは、食育になりません。パンから米に変わった意味がないのです。玄米入りのごはんと魚と野菜でバランスのとれた食事にするということが、食育の大前提なのです」
 給食でごはんを増やし、魚料理と野菜料理を充実させて、米農家をはじめ農業や漁業を活性化させる。栄養士は、こどもや親に迎合するのでなく、こども達にとって本当に望ましい、おいしい給食づくりに精を出してほしい。現に、旧真田町のある中学校では、一番の人気メニューが頭から骨まで食べる「サンマの甘露煮」なのだから。
 ごはん給食を増やし、日本のこども達とともに農業や漁業をも元気にし、日本の食糧自給率をアップさせたい──。上田市の教育委員長を辞した今、大塚貢氏や、教育アドバイザー・食育アドバイザーとして、日々、全国で挑戦を続けている。
(了)
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