武玉川 初篇・27

  まつかぜの やわらかに くる ひとえもの風鈴
  松風の和らかに来るひとへ物  『楽しむ』
 松の梢を渡る風が、単衣に着替えた日にさわやかにそよぎます。
その感覚が良く伝わる句です。

  すみぞめの ちから つくには うつしもの
  墨染のちからつくにハ写し物
 「写し物」は、主として、写経でしょうが、僧は学問の勉強もしましたから、各種書物の筆写もしたでしょう。
 「力付く」なのか、「力尽(ず)く」なのか、それで、意味は変わりますが、ここでは、『誹諧武玉川』山 澤英雄校注の索引にしたがって、まずは、「力付く」で解釈してみます。
 僧として認められ、高い地位へ登るには、教典を究めることも大切ですが、一般の学問に秀でることも、大切なことです。
筆写によって、知識を吸収し、力を蓄えます。
 句は、おそらく、「力尽く」の意味も込めて、
ただもう、無闇に、写経を続けて、大量の写経をなしたことを誇り、経の教えは身に付いていない僧もいると、皮肉ってもいるのでしょう。

  ねこの にかいへ あがる せいてん
  猫の二階へ上る晴天  『とくとく清水』『楽しむ』
 小春日和など、寒い時期の晴天でしょう。
 二階は日当たりが良く、暖かいので、猫は上がっていきます。

  このよも やみの うを つれて でる
  此世も闇の鵜を連て出
 謡曲『鵜飼』を拠り所とした句です。
 「この世も闇の」は、鮎を獲るという殺生を、続けて止められない、鵜飼いという業の闇の意味で、また、鵜飼いは夜に行う、鵜は闇のように黒い、というこ とを掛けています。

  ぼうを ちそうに つかう かんどり
  棒を馳走に遣ふ神取
 「神取」は、「梶取(かんどり)」のことと思われます。
この句では、船頭のことを言っているのでしょう。
喧嘩の時に、船頭が使い慣れた棹で、一発お見舞いすることを、「棒を馳走に遣う」と詠んでいるのではないでしょうか。

  うつの やま すてたいような やりに あい
  宇津の山捨たいやうな鑓に逢  『川柳と雑俳』
 宇津の谷峠には、追いはぎがよく出るとされていました。
 尾羽打ち枯らした浪人が、食い詰めて、追いはぎをしましたが、手入れもろくにしていない古ぼけた槍で、脅しました。
よく磨かれた良い槍で刺されるより、痛そうです。
--- 2010.8.15 追加
 『川柳と雑俳』の解釈はまったく違います。
「『伊勢物語』の『夢にも人に逢わぬ』を踏む。今でも難所で、大名行列の槍持ちもだらしなく持っていて、人が見ていなければ捨てて逃げそうだの意。人目をはばかる必要もないからである。」
というのですが、大名行列であれば、同僚や上司などの目があって捨てて逃げることは出来ないと思うのですが。
また、大名行列でない場合も、槍持ちはほとんど主人と一緒に歩きます。
 なお、「夢にも人に逢わぬ」は
  駿河なるうつの山辺のうつつにも
    夢にも人にあはぬなりけり
です。
 『川柳と雑俳』の著者の鈴木勝忠さんは、長年川柳・雑俳を研究なさり、著書も数多くあって、おおいに参考にさせて頂いていますが、まれには勘違いをなさるようで、わたしはかえってほっとします。

  とおく ひの さす よこぶえの ひじ
  遠く日のさす横笛の肘

 「遠く」は「肘(笛の吹き手)」に掛かるのでしょう。
 横笛を吹くとき、肘は水平に張って、姿がいいですね。
 遠くに笛を吹いている人がいて、張った肘に陽が当たっているのが見えます。
平敦盛が青葉の笛を吹いている姿を想像しているのかもしれません。

  ろっかくどうを うばが しこなし
  六角堂を乳母かしこなし
 「六角堂」は、京都市中京区六角通にある紫雲山頂法寺のことでしょう。
 省二さんによると、西鶴の『好色二代男』の中に、
「此処(六角堂)は洛中のお乳の人の集まり遊び所なり、…」
とあるそうです。
 つまり、六角堂は、乳母が、よく遊びに来るところなので、物慣れた様子でいる、ということです。

  つまめば さびし きんらんの うら
  つまめハ淋し金襴のうら
 「金襴」は、繻子や綾などの地に、緯糸(よこいと)に金糸や金箔を織り込んで、模様を表した織物です。
 金襴は、表は豪華に見える織物ですが、裏は、がっかりするほど淋しく見える物です。

  ほれたとは みじかい ことの いいにくき            
  惚たとハ短い事の言にくき  『楽しむ』『とくとく清水』『選釈』『江戸の夢』
 「楽しむ」、「とくとく清水」、「選釈」、「江戸の夢」 の四冊の本にすべて取り上げられているのは、初篇では「朝皃の思ひ直して二ツ三ツ」と、この句の二つだけです。
どちらも分かりやすい句で、しかも、誰もが納得できる句です。
こういう句が、句会などの互選では、上位に入りやすいのでしょう。
 ただし、名句とは言いかねるように小生には思えます。

  ひよこの ついて はいる かんぶつ
  ひよこの付て這入灌仏
 「灌仏」は、灌仏会(花祭り)で、四月八日の釈迦の生誕の日です。
旧暦の四月ですから、初夏で暖かく、ひよこも元気です。
 釈迦の誕生日にふさわしく、生まれて間もない、ひよことの取り合わせを詠んだのでしょう。

  からすの ありく せたの がんじつ
  烏の歩行瀬多の元日
 元日の静かな情景。
長大な瀬田の唐橋に、点景として、烏を詠み込んでいます。

  うるう ごがつの いたずらに ふる
  閏五月のいたつらに降
 「閏五月」は、現在の暦で六月下旬から七月中旬までとなり、関東地方では、ちょうど梅雨の時期と重なります。
 閏月は、太陰暦では必要なもので、ほぼ三年に一度入り、閏月の入った年は、一年が十三ヶ月になります。
なお、閏月は正式の月の後、例えば、閏五月は、五月の後に入ります。

  ひの いった さけ でさかって ほととぎす
  火の入た酒出盛てほとゝきす
 生酒は、そのままでは、火落菌(ひおちきん)という乳酸菌の働きで、味や匂いが悪くなるため、「火入れ」 という低温殺菌法で、殺菌すると共に酵素も破壊し、日持ちを良くします。
 この低温殺菌法は、パスツールが、19世紀の半ばに、ワインの保存のために発見した方法と同じですが、日本では、それより300年も前から行われていま した。
 冬の間は、寒さで火落菌も働かないので、生酒が売られますが、暖かくなってくると、次第に火入れした酒が売られるようになります。

  にしびの やどの めを ほそく よぶ
  西日の宿の目を細く呼
 西日は、太陽が低いところにあるので、何かとまぶしいものですね。
 逆光でまぶしいので、目を細めて、仲居さんか誰かを呼んでいます。

  うぐいすに つきはなされて ほととぎす
  鶯に突放されてほとゝきす
 鶯として育てられたホトトギスが、鶯に自分の子ではないと悟られて、巣から追い出されたというのでしょう。
実際には、ばれないのが、不思議なくらいですが。

  ちゅうきに なって ちんが つぶれる
  中気に成て亭かつふれる
 「亭」は「ちん」とも「てい」とも呼びますが、四阿(あずまや)のことです。
 主人が中気(脳卒中)になって、四阿も手入れがされなくなり、つぶれました。

  とまりきゃく もう となりから ひとの くち
  泊客最う隣から人の口
   『楽しむ』
 後家さんの家に、男の泊まり客でもあったのでしょう。
隣からいろいろ取りざたされて、噂が流れます。
実は兄弟だったり、父親だったりしますが。
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 『楽しむ』では、後ろめたい客人と推量していますが、
「嫁になる娘が挙式より前から客分といって男の家に来てくらすこともあったので、それかもしれな い」
とも書かれています。


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