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難キ連  〜nankiren〜
     
事務局だより
       事務局デスクから
★「難キ連、って何ですか?」とはよく聞かれる質問です。

難民・移住労働者問題キリスト教連絡会難キ連とは…?
 <難民・移住労働者問題キリスト教連絡会>難民・移住労働者問題に取り組むキリスト教関係者のネットワーク。1989年 難民船の西日本への漂着をめぐる排外キャンペーンのさなかに、この問題との取り組みを、市民レベルだけでなく、教会に広げ深めたいと願って発足しました。

 当時の移住労働者問題市民運動の情報ネットだった「アジア人労働者問題懇談会」の事務局を引き受け、移住労働者と連帯する全国ネットワークの結成後は、その事務所を担当するなど、全国の運動のネット作りに貢献して参りました。

日本に庇護を求めてくる難民や日本で働く移住労働者の様々な問題を教会の宣教課題として取り上げたい、という願いと、クリスチャンだけではなく一般市民の難民問題への意識の喚起、難民を難民=不法滞在者=犯罪者という負のイメージで捉えるのではなく将来、日本と故国の架け橋となるべく人材、という認識を持つ社会を推進する教派を超えた団体として、設立以来在日外国人の人権のために活動を続け、現在は面会支援を通して入管処遇問題まで活動範囲を広げ、在日難民・移住労働者とその家族の生活を守るべく、真の多民族多文化共生社会を目指して活動しております。活動についてのご質問等は 難キ連事務局までお問い合わせください。
また、難キ連ニュースレター「となりびと」 37号を無料で配布いたします。お気軽に事務局へお申し込みください。
難キ連事務局  【TEL】 (03)5826−4915 【FAX】 (03)5826−4916
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<事務局長ブログ>


2016年3月22日
3月19日土曜日午後、第4回難キ連セミナー終了致しました。大矢直人先生の講義に続いて第1陣再定住難民として入国した家族の支援、
特に進学支援を続けていらっしゃるO様のご報告の後は活発な質疑応答が交わされ、充実した時間をご参加の皆様と共有できましたことを心から感謝申し上げます。
訪問の度に民主化によるヤンゴン周辺の発展ぶりに目を見張ると報告された大矢先生にはアウンサン将軍と日本のつながり、
ビルマ独立戦争から現在のアウンサンスーチーさんの状況までは映像を通してつぶさにご紹介いただいたうえでカチン、カレン、ラカイン、ロヒンギャ、の
少数民族が政府軍に弾圧されている状況は直視できない光景も。現在、日本ではミャンマー少数民族の難民申請者が次々に収容されており、
この状態は入管の、ミャンマー民主化で発展し続ける一面のみを重視しての、非正規(仮放免)の少数民族の人々への「帰れ、帰れ」につながっているのでは、と思われました。
アウンサンスーチーさんが実際に為政に携わるにはまだ時間がかかり、少数民族の人々の不安は拭い去られている状況ではありません。
今後もまだ政府軍の国境近辺...の少数民族の人々への弾圧は看過できません。大矢先生に続きO様にはタイ国境メラキャンプから再定住した
難民家族の状況、6か月の定住研修後は当事者に寄り添う支援の必要がほとんど満たされていない現状を支援者として痛切なご報告いただきました。
就労、生活、進学、カレン語しか話せない当事者への通訳の問題が現場から報告されました。
 3月17日には人種差別撤廃の院内集会に参加いたしましたが、やはり、被差別部落、アイヌ、沖縄、移住者、当事者の方々の証言は深く心に残りました。
セミナー開催のたびに思うのですが、当事者の証言は来場者の胸に深く刻まれます。
難キ連では2015年度4回のセミナーを開催、出身地状況の理解、支援者、当事者の証言発信、入管問題につきましては日英の比較まで。
活字にはできない胸痛む証言もありました。2016年度もあらゆる角度から難民の問題を学び知る機会を2016年度も設定したいと考えております。
 大矢先生、O様のご報告、そして午前中は大雨で、午後まだ足元の悪い中ご来場いただきました皆様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。


2016年3月16日 水曜日

今週日曜日3月13日午後は日本聖公会川越キリスト教会の大斎シンポジウムで
日本の難民、及び難民申請者の現状と問題についてお話させていただきました。
教会の皆様に難民問題をお伝えすることは、弊団体の使命と考えております。「知ること」は支援の始まり、と覚え難民の定義、世界の難民数などから入り、
最も新しいデータや情報を集め、PW資料を作り、なるべくわかりやすい言葉でお伝えすることを心がけます。
今回も30名あまりの方々が熱心に耳を傾けてくださり、質問も投げかけてくださいました。国連はその国の人口数に応じて難民受け入れを強制できないのか?
という質問もあり、国際法と国内法の強制力について説明、また日本の「出入国管理ならびに難民認定法」による矛盾も。
教会は諸教派教団、全国ネットワークです。教会でこちらの話に耳を傾けて下さる方々はほとんど難民問題については初めて接する方々ばかり。
少しでも日本の難民の現状と長期仮放面難民申請者、強制送還、生活苦、教育現状などなどを理解していただく、お話しさせていただく機会は本当にありがたいこと。
1時間の講義、30分の質疑応答、感謝申し上げつつ、川越の観光客であふれた街並みを車窓に見ながら帰途につきました。
 さあ、今週今週土曜日3月19日午後は大矢直人先生のミャンマーの現状のお話し、資料準備に取り掛かります。
ミャンマーのみならず日本にいるミャンマー難民の苦労もお聞きします。アウンサン将軍と日本のつながりから現在まで、
二月に訪問したばかりの大矢先生のご報告は楽しみです。ぜひ、ご参加を!
 

2016年3月10日 木曜日 曇り
 東京大空襲があった日、昨日は冷たい雨が降り、そして今日も数日前の陽気が嘘のように寒い。
何万人が犠牲となったあの戦争を人間は、特に為政者はなぜいとも簡単に忘れるのだろう。
戦争を知らない世代が増えつつあり、というよりは戦争を経験した人たちが少なくなる今、もう一度真摯にあの時代に
思いをはせてほしい。むごたらしいほどの記録に戦争関連法など考えは及ばないはずだ。平和憲法がこの国を
守ってきたことを知っているはずの為政者たち、何を発言しても信用できない。
 5年前の3月10日には翌日にあの悲惨な大地震が起こるなど想像だにしなかった。
5年前の3月11日金曜日の朝は快晴だった。春を思わせる陽気に、参議院議員会館では民主党難民チームの議員さんへの学習会があった。
NGO側のプレゼンテーションに議員、秘書の各氏との熱心な学習会が終わったのは午後1時半過ぎ。
私は、亀戸のひまわり診療所で待つ難民女性と約束があり、諸先生方、特に故今野東先生(難民、支援者にとって神様のような方だった)と少しの会話を交わし
国会議事堂前から千代田線に乗車。この時のスイカチャージの領収書は午後2時37分。二重橋を過ぎた頃、突然の大揺れ、
隣に座っていた女子大生が私の腕をつかんで「怖い」を連発。「大丈夫、大丈夫」と言いながらもこちらも心臓がどきどきしていた。
大手町駅までゆっくり走った電車から下車、余震が時々遅い、柱につかまっていなければホームに滑り落ちそうになった。大手町駅千代田線ホームの
太い柱をこの時ほど有り難く思ったことがない。いつしか女子大生、仕事帰りの女性、私の3人チーム?が出来上がり、同じ方向に帰ることを確かめ合った。
同じような編成隊があちこちに出来上がる。パニックが起こることなく協同体を作れる日本人って素晴らしい。しばらく、駅員の指示でホーム、構内にとどまっていたら
「地上に速やかに上がってください。」とのアナウンス。そして「東京湾に津波警報が出ました。皇居前広場まで移動お願いいたします」と!!。
地上のビルからは続々と人が出てくるその人のうねりは皇居前広場へ。しかし、すでに皇居前広場には人があふれ身動きもとれない。
あの朝の陽気は冷たい雨に変わり、その日に限って冬のコートからデニムのコートに着替えた私は寒さに震えた。
その時点まで携帯メールがつながっており勤務先からで先にいた長男は自宅に戻り「家は大丈夫。安心して」というメールが入る。
しばらく皇居前広場にとどまったものの、何が起こったのか見当もつかず、途中で電車が復旧するかもしれないからとにわか作りの3人チームで
千代田線の沿線に沿って歩き始めた。途中の湯島、根津、千駄木、どの駅に降りても、運転見合わせの張り紙ばかり。
女子大生には迎えの車が入り、途中でお別れ。何時しか日は暮れ、寒さ、空腹は募るばかり。西日暮里を過ぎて千住大橋の近くで
仕事帰りの女性ともお別れ。皇居前広場に近い竹橋駅まえから歩き始めても歩道は人であふれているから寂しさは感じない。
携帯もつながらない、駅にも詳しい張り紙がない、避難所がもう受け入れていたらしいのだがその情報が一切ない。
ただひたすら歩き、家族に連絡するため、公衆電話のある町屋駅で初めて駅員が止まっていた電車内に入ることを許可してくれた。
頭が考えることを拒否する様な感じに襲われていた私の耳に公衆電話を通して聞こえた家族の声はまさに天使の声に聞こえた。
とにかく北千住まで歩け、と。電車の長椅子に座ったとき、より、通信機能の優れた電話を持っていた一人の男性が
周囲の人々に「仙台空港が水浸し、東京タワーの先端が曲がった、木更津は火の海、…宮城県沖に大地震が発生したらしい」と伝えてくれた。
そのことがより確認できたのは北千住駅前に着いたとき。駅前の大画面のテレビに映っていた気仙沼の市街が燃える紅連の炎…が延々と流れていた。
あの衝撃は今も忘れることはできない。いつか日が変わって3月12日になっていた。唯一開いていた百円ショップでフリースの手袋とホッカイロを求めるが
座る場所がない…。北千住駅はシャッターを下ろし、駅前はこれまで見た事もないほどの人、人、人。シャッターの降りたでバートの前、ATMの小さなボックスも
すべて人でいっぱい。午前2時過ぎ、拡声器で名前を呼ばれ、家族と同僚の方が乗ったタクシーが到着。自宅にたどり着いたのは午前3時を過ぎていた。
暖かな布団に包まれた時の安堵感、
 今も、あの日を忘れることはできない。寒さに震えながら歩き、待ったあの時間。私はその日会うはずだった難民の無事を確かめつつも
日本にいる難民全てに思いをはせていた。この不安、心細さ、彼らがいつも苛まれている不安、彼らの身上はより近いものとなって
私の思考を占めた。
帰宅してテレビを付ければ、あまりの映像と、被災地の方々がずぶ濡れのまま救助を待っていた放映に涙が止まらなかったあの日、
大津波より大きな被害が出た福島の原発…被災地に復興はいつ訪れるのか。放射能汚染を知りつつ、
なぜ、各地の原発を再稼働させようとするのか。被災地がいまなお苦しみの中にあるのに、なぜ東京オリンピックに浮かれるのか、
既に何百億にも上る国税を無駄に使う現政府、為政者。
なすべきことは何一つせず、国民の声を無視し、バラマキ外交に身をやつす為政をなぜ許しているのか!

大震災から5年連日の被災地の報道に、涙と共に祈らぬ日はない。
特に、福島の被災地の方々。神様の御見守り、御慰め、がありますように。
御業(わざ)が顕されますよう、心からお祈りしたい。

今週日曜日7日の礼拝では特に東日本大震災の被災地、被災者の方々のために、
復興のために祈りをささげた。
日本全国の人々の祈りが届きますように。

2016年3月2日 火曜日 快晴
2月27日午後、第3回難キ連セミナー「獄にいるとき訪ねてくれた U」予定時間を1時間オーバーして終了、Mさん、Aさんの証言、児玉晃一先生の「収容 日英の比較」は、
チャーター機送還報告も含め、日本の入管収容の問題、難民受け入れの在り方の問題があぶりだされた後で、その違いが息をのむほど明確になりました。
特にどちらも「送還」前の施設ですが、その処遇、環境、あまりの違いに誰もが驚きました。
「獄にいるとき訪ねてくれた」は聖書のマタイによる福音書25:34〜の一節です。2007年のパート1の後8年目にようやくパート2を開催することができました。
そして気が付くことは16年前のアフガニスタン難民の収容の頃から入管内のブラックボックス状態は変わらないという事です。
職員立ち合いの面会はなくなりましたが…。被収容者の人権が守られ、送還にしても、あるいはイギリス社会に送り出すにしても
被収容者への英語教室、ジム、などなど新たな生活へのトレーニングの機会が充実している様子にため息が出ました。
家畜のように頭数をそろえられてある日突然の送還などありえない人道的システム、「獄にいるとき訪ねて...くれた V」は早い時期に開催したいと
願っております。児玉先生はじめご協働、ご協力いただきました皆様に心から感謝申し上げます。
 滞日25年余りのAさんには、本日6年前の難民認定再々申請の審査結果、
不認定が告げられました。心配しておりました不認定と同時の収容は回避されたことに安堵いたしました。
3度の収容を経験したMさんにしてもAさんにしても長期仮放免の人々に一日も早く在留許可が出ることを祈ってやみません。
彼らは私たちの「隣人」「友人」であり、就労可のビザが出れば、日本社会の貴重な働き手になることは確かなのですから。


2016年2月21日
先週月曜日、仮放免難民申請者Sさん一家の長男、G君の仮放免手続きに同行。
16歳になって、両親弟妹とは延長手続きが別の日になったことで不安を覚えたのでしょう、前々日に相談を受けてのことでした。
一家との出会いは数年前の父親の収容の時、留守宅を守る母親を支えながら小学生の彼が面会と食糧支援のお礼のメールを送ってくれました。
日本で生まれて日本語で育ち、昨春、見事公立高校に合格しました。
が、彼は生まれてから一日も正規滞在になったことがありません。
初めて入管に一人で出頭するという事はどんなに心細かったでしょうか。心情は察するに余りあり、宣教師デボラさんと共に同行。
高校を休んでの出頭、今回なぜ彼が一人だけの出頭、家族と別の日になったか入管職員に尋ねましたところ、
「高校生だから、学校を度々休むのは大変でしょう。今回から家族は2か月ごとの延長出頭だけれど、彼だけ3か月になりました」とのこと。
彼の出身地は紛争地、帰国は考えられません。
「僕のようなケースが認定されたりビザをもらえたケースはあるのでしょうか。」
彼の風貌を見なければ日本人でも成人男子のようなしっかりとした口調で尋ねてきます。
高校の成績も中の上、とのこと、できれば大学に進学したい、そして日本で働きたい、
…「僕は生まれた時から仮放免者です」といった彼の言葉はこの上なく重く心に響きました。


2016年2月3日 水曜日 快晴
 2月1日の一日が終わるころ、2015年11月25日のチャーター機による大量強制送還から2か月と一週間、
突然の収容を入れると丁度2か月半ぶりに被送還青年と日本人婚約者がバングラディシュ、ダッカの空港で再会致しました。
渡航を決めてから2か月、多国籍夫婦(難民申請者とビザのある外国人)の出産支援もあり、外部会議などの合間の渡航準備支援に目まぐるしい毎日でした。
住基カードづくりから始まってパスポート申請、取得、バングラディシュの現地情報やご助言をいただき、
そこからビザ待ちが続き、結局引き受けてくださった方が出来ないと…それならば空港で観光ビザ(15日間)を、といったものの、
バングラディシュはビザがなければ入国できない…と、それが判明したのは最初の航空券を予約してから。
「ビザは必ずお客様ご自身でご準備ください」と…。私は何度も海外渡航しながらビザ申請の経験はない!!
慌ててビザ申請用紙を貰いに行ったら、オンラインしか受け付けない。
オンラインで申請書を引っ張り出したけれど書き方がわからない…何度もくじけそうになりながら徹夜で打ち込み完成、本人を連れて大使館へ...
申請受け付けは平日午前9時から11時30分まで。発給は4日後の午後3時から4時半の間。
 送還された彼が12歳で日本に連れてこられ、両親も彼より早く送還後行方不明、難民申請も却下され…
、それでも下働きで少しずつ貯めた(であろう)返還された仮放免保証金による彼女の渡航費にも限りがあり、
なるべく格安チケットをと探すのもインターネット、オンラインのビザ、ネットで手配のチケット。
スマホは頻繁に扱ってもインターネットをしない彼女に代わって結婚届のための戸籍謄本申請書も取り寄せ旅行会社社員のごとき働きで
最終的にすべてそろったのは1月29日午後でした。電車の乗り換えにも疎く成田空港に行くのも初めての彼女!!
一つ一つ説明しながら、乗り継ぎができるかが一番心配でした。案ずるより産むが易し、ですね。
クアラルンプールの乗り継ぎは日本人旅行者と一緒に行動して難なく乗り継ぎ無事にダッカシャージャラル国際空港に到着、
入国カードも周りの人々の手助けで無事に入国、彼と再会!!日本時間の午前2時近く「無事つきました!!」の二人かわるがわるの電話。
ダッカ到着後は必ず連絡するようにと言っていましたので、今か今かと待っているうちに爆睡の私は、寝ぼけ眼で受けましたが、
「よかったねー頑張ってねーむにゃむにゃ」でした。
過去4回のチャーター機による大量強制送還後、家族統合、婚約者同士の再会は初めてのケースと思います。
突然の別離に泣きに泣いた後、婚約者の呼び寄せを決心、また彼の思いに応えた彼女は、頻繁にラインで連絡を取り合い、
国際電話で喧嘩しながら(前日まで…)も、再会した二人とのこの2か月半、
いや一昨年品川で彼の面会支援を始めてからのこの1年8ヶ月、振り返ればなんだか不思議な感動に包まれています。
難民申請理由に記載の通り寄る辺ない彼にとって救いは叔母に当たる人が記憶にある場所に住んでいたことでした。
彼女のビザ延長、就労、などなど問題は山積みですが、二人で何とか乗り越えることでしょう。
 1月に予定していた入管問題セミナー、延期して開催します。
チャーター機送還がどのように行われたのか…また現在の状況、詳しくご報告したいと思っています。


2015年11月28日 土曜日 
若さって素晴らしいなあ!と感動。突然の婚約者のチャーター機による強制送還に泣くだけ泣いたら、婚約者のもとへ旅立とうと決心しています。
クリアしなければならない問題は多々あるけれど、こちらも電話を通して来週の仕事の手順を考えます。
仕事が山積み、でもなるべく早く彼女を彼のもとに送れるよう頑張りましょう。
バングラディシュへ送還された22名、力強く立ち上がってほしい!!生き抜いて、道を切り開いてほしい!!
今回のチャーター機送還には引き裂かれた愛する人たちが乗せられたのが目立ちます。
3年前の同じチャーター機にはフィリピン人80人が乗っていて、日本に残された家族との統合は
未だになっておりません。今回は結婚直前が二組も!!入籍を明日に控えたカップルもあったという事。
何とか彼女たちが訪ねていく、電話をする、積極的な結婚生活維持で
夫たちが彼女たちのもとに戻ってきますよう、心からお祈りしています。

頭数を合わせての予算消化?日本は何だか無機質なロボットが牛耳る国になりましたね。
もっとあったかい国になれないのかなあ。



2015年11月27日 金曜日
今回も本当にひどい人権無視、惨い送還でした。
弊団体が支援に関わっていたKさんは先にお送りした状況で、
前日の24日夕方に面会を行っておりますが
19日に着の身着のまま収容され、
寒いので衣類を婚約者が持ってくることになっている、と話しておりました。
しかし、25日夕方には婚約者は、
24日夜まで頻繁にあった電話が今日は一本も入っていない…と不安を訴えてお り、彼女も
26日、バングラディシュに到着したKさんからの電話で送還を知りました。
今年はチャーター機送還は行わないのでは…との見方もありましたので
私も前日に面会しながら送還は疑いもしませんでした。
恐らく、22人の誰もが同様の突然の収容で送還されているようです。

「15人の入管職員に家から入管に連れられて、そのまま送還されたと彼の連れ 合いから聞きました。
マレーシア人の女性と結婚し、彼女曰く、難民申請中だったとか。」

という報告も入っています。

難民申請者も難民申請却下、あるいは異議申し立て却下とほぼ同時、
再申請の機会を与えないで送還したようです。
ただ、入管内では着々と準備は進めていたことが
Kさんの異議却下からの経緯から推測されます。
頭数をそろえる―といった方法で。
本人から再度連絡があり次第送還詳細を共有したいと思っております。

2015年11月27日 金曜日
「お祈りの輪」 諸教会の皆様にメール送信しております。

お祈りくださるすべての皆様へ
深夜になりましたが、思いがけない連絡を受け
皆様にお祈りをお願い申し上げる次第です。
カウサールイスラムさんの突然の収容に関して、24日に面会後
皆様にお祈りお願い申し上げましたが、26日深夜、
婚約者からの電話で25日にチャーター機により強制送還されたことがわかりました。

22名のバングラディシュ人が同時送還です。
カウサールさんには将来を誓い合ったWさんという日本人婚約者と
独身証明書を待って婚姻届けを出すばかりになっておりました。
12歳で両親に連れられて入国後、日本での教育を受けることもかなわず、
同国人に預けられ、両親は行方不明になり、
日本社会で生き延びてきた彼の10年近い日々は
想像を絶するものがありました。難キ連が入管面会から支援に関わり、
この一年は真面目に日本社会で生活しようという姿勢と成長が見えました。
10月に仮放免延長許可のために入管出頭同行した際には
Wさんを紹介し、守ろうとする頼もしい姿と言葉に感動すら覚えました…。
彼にとっては、バングラディシュはもはや異国に近く、
日本が母国になりつつありました。

難民申請却下後、異議申し立ても却下された7月以降、
入管から度々の電話があったことは聞いていましたが
鶴見大学歯学部からも治療継続の必要が入管に伝えられており
強制送還などはみじんも思いませんでした。

25日夕方、Wさんからはこの日一回も電話が来ていないと
不安を訴える電話が入った時にさえ、送還を疑いもしませんでした。
今年度は?チャーター機送還の予算が計上されていないことにも
油断していたのかもしれません。

今、バングラディシュの地で途方に暮れているカウサールイスラムさんの
心身の健康と安全が守られますよう、また婚約者と突然の別れを強いられながら
気丈にこの困難の中から、婚約者のもとへ行く方法を考えているWさん、
カウサールイスラムさん、Wさんのために
どうぞお祈りくださいませ。
二人の上に神様の御見守りとお導きがありますよう、
どうぞお祈りくださいませ。

22名の被送還者の中には難民申請却下、異議申し立て却下と同時の収容
翌日の送還、といった信じられない事態もあったと聞きます。
彼らはテロリストでもなく日本社会の底辺で3Kの仕事に黙々と従事していた人 がほとんどです。
どうぞこの度の大量強制送還に家族分離、愛する人との引き裂かれるような別離 に嘆く人々のために
彼らの状況に少しでも光が見えますよう、
お祈りくださいませ。

皆様のお祈りに心からの感謝を込めて
早い冬将軍の到来の寒さの中で
皆様のご健康が守られますよう
お祈り申し上げます。

栄光在主

☆10月22日  お祈りくださるすべての皆様へ                     
おはようございます。木々の葉も色付き始め、本格的な秋を迎えておりますが
皆様いかがお過ごしでしょうか。日頃の難キ連活動へのご理解とお祈りに心から感謝申し上げます。
昨日午後は、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターにデボラ宣教師とともに被収容者面会を行いました。
入管被収容者は拘束による疾病悪化も多く、また収容期間が長くなれば新たな心身の体調不良を招くことは往々にしてあります。
昨日はネパール難民女性Bさんが面会室にも出てこれない程、体調悪化していることを知らされました。
8月の面会から二か月近く、品川に異議申し立て却下と同時の被収容者が増え牛久に来ることができないまま、面会が遅れました。
同国人難民女性への面会申請を行い、彼女から状況を聞きましたところ、この1ヶ月水分以外ほとんど食事をとらず、寝込んでいるとのこと。
8月に面会した際には元気な笑顔を見せてくれたBさんが食事もとれず、やせ細って寝込んでいるとのことです。
被収容者同士が居室を訪問することはできず、部屋の外から見ることしかできないがほとんど寝ている姿しか見えない、とのことです。
私どもがタオルや洗剤、冬用の下着などを差し入れ申請も済ませ面会室で待つこと10分、しかしなかなか本人が面会室に来ません。
いぶかしく思っておりましたところ、職員から本人が今日は面会に出られない、面会室まで来ることができないとのことです。
理由を尋ねても「個人情報だから」と断られましたが「重要な話で今日は来ていると本人に話していただけませんか」と粘りました。
「用件をメモして差し入れしては?」などとしばしのやり取りの後「体調が悪いんです。」とポツリ。(入管側が教えてくれるのはここまで。)
素早く面会室から出て、他の同国人女性被収容者からの情報を得る為に再度申請をし直し、同国人女性Gさんから上記のBさんの情報をいただいた次第です。
(被収容者間の口コミで知りえることは時には有力な情報になります)
被収容者にはアジア人女性が多く、Bさんがどのような経緯で食事がとれないような状況になったのかわかりませんが
アジアの女性の辛抱強さが時には疾病の悪化も招きます。
どうぞBさんの健康回復をお祈りくださいませ。
 
また、Bさんに状況を伝えてくれたネパール難民女性Gさんの現在に至るまでの聞き取りにも日本の研修生制度が奴隷制度、と言われる状況を胸痛めつつ確認致しました。
その制度を悪用するブローカー、雇用主の搾取ともいえる過酷な労働と低賃金、劣悪な労働条件に逃げ出す研修生も少なくありません。
Gさんも例外ではなく2013年研修生として来日、長崎県の農家で朝6時から夜8時までの重労働を土日も休みなく課せられ
賃金は一ヶ月4万円程度、契約が切れた2014年5月、蓄えた資金で上京し難民申請を致しました。
難民申請と同時に6か月の特定活動ビザを取得、職を得て富山県在住時に難民不認定と同時にビザの有効期間がまだあるにもかかわらず2014年9月名古屋入管に収容されました。9か月後の6月25日牛久へ移送、名古屋牛久一般道バス移送も手錠腰縄で6時間、男性2名とともに移送され手錠拘束された時間が苦しかったと。牛久に来て5ヶ月になる21歳の彼女は、過酷な体験を可愛い容姿で時には恥じらいと笑みを浮かべながら淡々と話してくれました。両親妹に連絡が取れず、あの大地震後はどこにいるかもわからない、自分も帰国のめどさえ立たない差し入れ希望を尋ねた際には寒くなったので着るものが欲しい、華奢な体形でSサイズとのこと日用品、石鹸、シャンプーなど(生理用品はもちろん)と遠慮しながら答えました。Bさんの病状を気にしながら、またGさんの今後を考えながらデボラさんともども、対策を話し合いながら帰途につきました。一両日中に準備、Bさんの体調も気になり、再度牛久に向かう所存です。
 
今年の難民申請3015人の内、ネパール837人と最多となっております。
経済難民などと揶揄されますが、大地震後の復興の状況も芳しくない状況にあるネパール難民に何とか人道配慮のビザが出ますようにお祈りくださいませ。
特に、Bさんの健康回復のために、女性棟最年少のGさんの将来の道が開かれますようお祈りくださいませ。
まだまだ多くのネパール人難民申請者が東京品川、茨城県牛久市、名古屋入管の収容場に収容されています。
ネパールの復興が促進されますよう、母国を思いながら収容所の中にいるネパー
ル難民の人々のためにそして難キ連が彼らとともに歩みつつ主のみ旨にかなう働きを行うことができますよう
お祈りくださいませ。
 
アジアの女性は特に辛抱強く、なかなかSOSの声を発信しません。
どうぞ日本社会で収容、3Kの職場でその過酷な状況の中ですら限界までじっと耐えている女性を覚えお祈りくださいませ。
おひとりおひとりの心の内のお祈りに合わせ、どうぞ彼女たちを覚えお祈りくださいますようお願い申し上げます。
お祈りとご支援に心からの感謝を込めて。皆様お健やかにお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。



2015年11月8日 日曜日

日頃の難キ連活動へのご理解とご支援に心から感謝申し上げます。
さて、昨日11月7日土曜日午後2時より
カリタス女子短期大学前学長、カイロ大学文学部日本学科客員教授久山宗彦先生
をお招きし
難キ連セミナー「シリア難民を受け入に関して私たちが知るべき中東情勢」を開
催いたしました。
ご出席の皆様とともに中東情勢について実に多くを学ばせていただきましたこと
を心から感謝しております。
アラビア語での板書、地図や写真を駆使しながらのご講義は
わかりやすく、ISの発生についても、またシリア人800万といわれる国内にとど
まっている人々の心情にも触れ、
シリア難民の方々の受け入れはどのようにあるべきかのヒントをいただきました。
エジプトコプト教についてのご解説は特に心に響きました。
「もっと早くに先生のご講義を受けたかった…」と思っているところです。
 ご出席いただいた日本聖公会長坂聖マリア教会司祭眞野先生には

「聖家族のエジプトへの逃避を、力に対して力で抵抗しようとしてしまう自分自
身に対する闘いとしての
積極的避難のモデルとして見るコプト教会の霊性について教えられました。

また同様なものをイスラームのヒジュラに見ることができるのではないかという
こと、
シリアの人々の難民になるという選択を、その観点から積極的な選択として理解
するということを教えられました。」

とのご感想をいただきました。

久山先生とはエチオピア難民テドロスさん(コプト教信者)支援を通してのご縁
でセミナーのご講義をいただきましたが、
テドロスさんご一家がJELAシェルター同意書を交わす席上、当時難キ連で
神学院院生として研修中の眞野司祭にもお立会いいただきました。
テドロスさんは「友人知人を泊めてはいけない」との一文に拒否反応を示した彼
の頑なまでの姿勢で同意書署名を拒否、
眞野司祭の丁寧な聞き取りと佐藤を交えての協議の末、署名に至り、その後5年
間のシェルター提供に感謝しつつ
カナダに出国いたしましたが温厚な彼がコプト教信者としてホスピタリティを強
く主張した事も
また、生まれた子供の難民性についての議論は雨宮剛先生、ジョージギッシュ先
生ともども困難な状況を見かねて、
テドロスさんと何度もの話し合いを重ねたことも思い出しました。
難民事業本部からの公的資金支援には幼子の難民申請が急務であり、日本の制度
を説明しても
「日本の様に安全な国で生まれた子供にどうして難民申請をする必要があるので
しょうか」とテドロスさんの申請拒否、
支給する側のRHQと本人の調整は難しく、出生直後から何か月もの時間を費やし、
結果としてはテドロスさんが渋々承諾して長男の難民申請を提出いたしました。
カナダ出国まで、裁判などの実務的支援の場面では困惑したことも多々ありますが、
昨日の久山先生のご講義を拝聴し、コプト教の敬虔な信徒である
テドロスさん夫妻の言葉と姿勢を理解、「頑固」との印象が払拭されました。

難キ連が支援に関わる難民申請者の多くは、彼らが望む結果を得るまで
何年も必要としますが、認められないままうつうつとなってしまう彼らの個々の
背景を深く理解したうえで
寄り添う必要を痛切に感じております。


2015年10月10日 土曜日
すっかり秋めいてまいりました。
皆様お元気でお過ごしでしょうか。
世界中の平和を望む人々が祈り続けた
「憲法9条にノーベル平和賞を」の受賞は成りませんでしたが、アフガニスタンの病院空爆、
そして昨日はトルコの自爆テロ、胸痛む報道が連日のようになされる毎日、
戦争放棄を定める「憲法9条にノーベル平和賞を」引き続きお祈りしたいと思います。
また、
8日の文学賞はスベトラーナ・アレクシエービッチさんによるドキュメント「チェルノブイリの祈り」
に授与が決まりました。受賞によって、原発事故や子どもたちの被曝、
保養の重要性に関心が集まることを心から願ってやみません。
さて、
安倍総理の国連安保理のスピーチにも日本のシリア難民受け入れ姿勢はみじんも示されませんでしたが
このところの難民申請者の突然の収容が続いている現状は
まさにそのような政府の姿勢を反映していると思えてなりません。

突然の収容と強制送還におびえる
現在仮放免という見えない鎖でつながれているKさん
(2014年12月、収容前に顔面打撲で前歯を失い著しい体重減少と内臓疾患、受任弁護士と難キ連協働で仮放免支援)
から何度も電話が入ったのも先週初めでした。
鶴見大学の歯科診療継続を入管にも伝えているため収容があるとは思えませんでしたが
仮放免延長許可申請のために出頭する前日、あまりにおびえた様子にこちらも心配になり
10月7日の入管出頭には急遽佐藤が同行いたしました。
入管で待ち合わせしましたところ
可愛い女性W・Iさんを紹介され、間もなく結婚することを報告されました。
 1か月半の延長許可を手にし品川駅近くのカフェでしばし二人と話をしましたが
Kさんの生い立ち、収容、現在の仮放免状況もすべて理解した上での婚約とのこと
6日は再収容を心配し、二人とも眠れなかったと話してくれました。
そしてこちらも照れるほど驚くほどのしっかりした言葉で
「自分がいまここにいるのは佐藤さんのおかげ。佐藤さんと出会えなかったら
今の自分はいない、W(彼女の名前)とも会えなかった。」
心情を伝えました。
初めての面会の時にはどのような支援ができるか途方にくれましたが
彼の収容までの経緯を知るにつれ、何とか日本社会で自立をと祈りつつ
聖公会横浜教区社会委員会、人権セミナーフィールドワーク出席の皆さんと
繰り返しの面会によりKさんが難民申請中であることも判明し、
鶴見大学歯学部難民無料歯科治療を難キ連が取り次ぐことで仮放免許可が出されました。
高額な歯科治療の負担が消え 断絶していた養父(同国人)との関係も改善、
今回の結婚には養母(日本人)も賛成し結婚準備を始めていると
嬉しそうに話しました。
21歳、22歳、と若い二人ですが、両親もなく祖父母に育てられたという
Wさんを守っていこうとの覚悟と頼もしさもK君の顔に見えました。
各々が重ねた苦労をばねにして平和な家庭を築いてほしいと、
今後、「日本人の配偶者等ビザ」取得に向けて頑張ろうねと励まして二人の写真を
納め別れました。

被収容者面会は聞き取りはもちろん、
彼らの望む道が、仮放免、帰国、と別れても、
収容を解かれた後の生活への覚悟を促すことも重要であると認識いたしております。
K君だけではなく、牛久収容一年余で仮放免許可されたAさんとの
児相保護の長女面会に同席しておりますが
6年間のブランクを経ての面会を重ねる毎に、
Aさんが父親としてしっかりと成長していく様子が見えます。
面会室のアクリル板越しに、Aさんには随分厳しい話を毎回致しました。
しかし、仮放免後のAさんは病弱で心の病を抱える日本人妻を養い、看病しています。
被収容者面会では、
脆弱な日本人配偶者を支えている外国人労働者、難民がたくさんいることも見えてきます。
収容を解かれて、脳梗塞後遺症の夫の介護に追われているフィリピン妻もいます。
性同一障害で女性棟に収容されていたBさんも老夫婦の生活の世話をしています。
入管になかなか婚姻が認められず収容されている夫が
病弱な日本人妻を案じ、時には日本人妻の両親も養っていて
生計を維持するために、早く出してほしいと懇願されることもあります。
先日はAさん夫婦と長女の面会に同行同席いたしましたが
心の病気の妻への細やかな気遣い、子供への温かいまなざしは
夫として父親としての成長が見え安堵しました。近い将来、
母国への家族そろっての帰国も可能になるよう祈っております。
 
仮放免後、正規滞在化し日本で、あるいは帰国し母国で、カナダなど第3国際定住し
平和な安定した生活を過ごしてくれることは何にも代えがたい喜びで
時折の彼らからの報告に元気をいただきます

余談ですが
かつてアメリカで初のチェス世界王者となったボビーフィッシャーさんも、
日本政府に亡命を申請したものの却下され
牛久に半年以上収容されていました。アイスランドで亡命が受け入れられた日、
多くの報道陣が牛久入管の門前に集まり(その日は他の被収容者面会日で
居合わせましたが) 収容を解かれ車中の人となったボビー氏はまっすぐ向かった
成田空港であらん限りの悪態をついて出国しました。
その後,氏はアイスランドで生涯を終えました。
寒い氷の国といった印象を受ける国ですが
日本よりも人道的な温かい国、なのですね。日本も難民の人々へ「ようこそと言
える日本」になってほしいと願っております。

長くなりましたが、12歳で日本に連れてこられ、両親とも生き別れになり、
教育を受けることもなく必死でつまずきながら生きてきたK君
のこれからの人生が平和な安定したものでありますよう、
また、Aさん一家はじめ日本人配偶者とともに日本で生活する
すべての外国籍の方々が安心して平和に過ごせますよう
お祈り致します。
また、
難キ連の働きを必要とし待っている入管内外の
外国籍の方々のために途切れることなく
微力を尽くしたいと思います。
皆様のお祈りとご支援に心からの感謝を込めて
お健やかな日々をお祈り申し上げます。

栄光在主
9月17日 木曜日
雨が降り続く中、参議院特別委員会で戦争法案が可決されました。午後に予定されていた打ち合わせが都合により延期になったため
書類の山とPCに向かいながら中継を見ました。鴻池委員長への不信任動議に沿って福山民主党幹事長代理に続き野党の議員の方々の動議賛成ご意見、
戦争法案がいかに国民の意思を無視しているか、安倍内閣の暴挙を暴くに足るものでした。
しかし、不信任動議否決の後、まさに驚くべき強行採決から可決。どのように理解しようとしても安倍内閣、自民党のやり方は理解できません。
福山議員、福島議員、山本太郎議員のまさに国民の声の代弁の言葉が少しも採決前には審議されなかった事には本当に憤りを覚えます。
 今は、2015年ノーベル平和賞が憲法9条に与えられますよう、安倍が内閣が変えようとしても世界が見張り、一文言たりとも変えることを許さないように
祈っております。
9月16日 水曜日
マッサンバさんの勝訴が確定しました!本当にうれしいことです。8月28日の勝訴判決後、
私ども支援者は、控訴期間が過ぎるまでは安心できませんでした。
ひたすらお祈りの結果、本日国側の控訴断念、マッサンバさんには勝訴が確定、難民認定が義務付けられるという
完全勝利に至りました。以下は弊団体運営委員会、およびお祈りの輪の皆様への報告です。

お祈りくださるすべての皆様へ

主の平和

いつも難キ連活動へのお支えとお祈り、誠にありがとうございます。

先月28日に引き続きお祈りをお願い申し上げました
マッサンバ・マランガさん(コンゴ出身難民申請者)の難民不認定の取り消しを
求める裁判勝訴は
本日、国側の控訴断念により、
勝訴が確定いたしました。皆様のお祈りに心から感謝申し上げます。

マッサンバさんには、5月23日の難キ連チャリティコンサートにおきまして
渡辺英俊先生の日本の難民受け入れの現状のお話の後に
ご本人がご来場の皆様に自らお話いたしましたので
ご記憶にある方も多いと思います。
マッサンバ・マランガさん支援の会では、異議申し立てが却下された後、裁判提
訴してからは
難キ連運営委員として創立から私ども歴代事務局をご指導くださいました
渡辺英俊先生(日本キリスト教団中伝道所 元牧師)が
中心になって緻密な証拠書類を作成、
神原元弁護士、小笠原祐輔弁護士(難キ連前事務局、運営委員 小笠原公子さん
ご子息)、
明治学院大学教授浪岡先生(フランス語翻訳)
事務局安藤真起子さん、支援の会の皆様が一丸となって裁判に向き合い、
このたびの裁判の勝利、そして難民認定を義務付ける判決を得るに至りました。
判決後はただ控訴期間が過ぎ、判決が確定することを祈ってまいりました。
判決の確定は本当にうれしいことです。

ご支援、お祈り本当にありがとうございました。
どうぞマッサンバさんの今後の就労、生活、進む道が神様のお恵みと見守りのう
ちにありますようお祈りくださいませ。

心からの感謝を込めて
季節の変わり目、天候不順の折
皆様おひとりおひとりのご健康が守られますよう
お祈り申し上げます。

9月15日 火曜日
 聖公会横浜教区社会委員会はじめ11名の皆様と東京入国管理局収容場(品川入管)で被収容者面会。
同委員会の皆様が入管被収容者の問題と取り組む難キ連活動へご関心を寄せ、セミナーにお招きを下さるなど
難民や外国人労働者の入管収容問題の学習会にもつなげて下さり、
牛久、品川と面会支援活動にご同行くださるようになって5年目になりました。心から感謝です。

昨日は特に、異議申し立て却下と同時に収容されたミャンマー難民の方々にお会いし、
しかも再収容どころか各々3度目の収容とのこと。Mさんには日本で生まれ育った10歳の長女があり、
父親の突然の収容に泣き悲しんでいるといいます。13日に記したLちゃんは中学3年で一緒に
出頭した品川で父親が収容されました。入管の廊下で泣きながら「パパを返して」と膝まづいて
入管職員にすがっていた姿を思い出します。
昨日の面会で、入管間の移送(牛久→長崎県大村)の状況も明らかになりました。
入管収容における問題は途切れることがない、…とつくづく思っています。

日本社会の片隅にある入管の収容場で、そこにいることすら知られずに
孤独にさいなまれる人々に
光が当たるよう、そしてふさわしい道が開かれるよう微力を尽くしたい…と
自分の無力さをかみしめながら、いつも入管面会の帰りに思います。

宮崎司祭様はじめ聖公会横浜教区社会委員会の皆様、
三原司祭様はじめ聖アンデレ横浜教会の皆様、
北関東教区、土浦からご参加くださった藤井司祭様、有難うございました。

9月13日 日曜日

FBは時には思いがけない恵みをもたらすことがあります。昨夜一番驚いたこと、Lちゃん(フィリピン国籍 定住)の成人式の振袖姿!
3月には定時制高校を無事に卒業したとの支援協働のMさん、母親のRさんから電話で報告を受けたけれど、長期仮放免後一家が定住ビザをもらってから、
折々の彼女からのカードに一家の近況を知るだけで、地方都市に住む彼女たち一家に会ってはいませんでした。
日本で生まれて日本語で教育を受けている子供たちのアムネスティを求める活動のさなか「帰れ」「帰れ」コールの入管で
父親の度重なる収容に涙をながしながら母親を支えた健気な女の子でした。
思春期には何時間も相談を受けたり…高校生になってようやくビザがでた日がクリスマスイブだったので、
入管を出て大きな声で♪We wish your Merry Christmas を歌ったこと、
市営住宅に入居出来た時には「今、一番幸せです」と手紙をくれたことなどなど懐かしく思い出しました。
美しく成長した彼女と一家の写真を何度も見ながら、豊かな自然に恵まれたT市にLちゃん一家とMさんを今年こそ訪ねよう、と思ったところでした。


9月13日 日曜日
深夜二時、先週の大雨の被害を受けられた皆様はどのようにお過ごしでしょうか。木曜日、降りしきる雨の日
ニュース映像は鬼怒川決壊の大洪水の模様を伝えておりました。目の前で住み慣れた我が家が流れていく…、命からがら避難場所にたどり着いた皆様は
「命があってよかった」と異口同音に発せられましたがこれからの困難を思い、胸が痛みました。2011年3月11日の震災後の大津波と同じような、
すべてが流される様子を思い出し、ただただ復旧へ神様の御業、御手が差し伸べられますよう、お祈りいたしました。
 一昨年、私の住む市内でも洪水に見舞われ、親しい方々が床上浸水の被害を受けました。泥水をかき出すため、地元の中学生、高校生、多くのボランティアが
復旧に協力いたしました。常総市においても多くの人手が必要になります。またすでに復旧のために必要な物資が不足しております。
FBで次の投稿を受け早速、自分の身の回りにあるものをまとめております。泥水のかきだし、拭き掃除にタオルが大変役に立つとのこと、
このブログをご覧になりましたら、ぜひご協力のほどお願い申し上げます。

【緊急拡散希望】
?支援物資のお願い

保立 康弘・茨城県商工青年同友会
つくばみらい市・斎藤浩司災害対策担当...
からのお願い。

この度の鬼怒川決壊による常総市の災害において、支援物資が不足しています。

使い捨ての容器(紙コップ、紙皿等)、使い捨てのスプーン、フォーク、タオル(新古問わず)、衛生用品(紙おむつ、生理用品)、お菓子等

これらの物資が大変不足しております。

これらをお持ちで、余裕のある方は

つくば市商工会谷田部支所
029ー879−8200
までお持ちいただくか、発送してください。

よろしくお願いいたします。



8月31日 月曜日
難キ連運営委員会、お祈りくださる皆様へお送りしたメールです。

主の平和

本日の戦争関連法案廃案を求める国会議事堂前抗議行動は
12万人!のデモとなりました。外国メディア、TVニュースでも報道されており
ますが
報道していただきたかったのは、デモ開始前の自由の森学園高校の生徒たちの
「民衆の歌」…でした。刻々と入るデモ現場の報告とともに、
FBで再生した彼らの歌声に耳を傾けながら、高校生たちの熱い思いに
胸が熱くなりました。

全国の集会、デモ参加者は予想をはるかに超えました。
また、私のように健康上参加できない、あるいは地方在住、仕事…
などなど様々な理由で行動できなかった多くの思いも
安倍内閣の暴挙を国民が許さない、という意思とともに
9条を守る平和への祈りすべてが結集された
本日の行動でした。

難キ連では運営委員佐々木紀久江さんよりデモ参加ご報告を頂きました。
ありがとうございました。
以下に、デモの状況を伝えるURL,小笠原様よりのBBCニュース、
自由の森学園高校の生徒さんたちの高らかな「民衆の歌」を
貼り付けました。ご共有いただければ幸いです。

https://theta360.com/s/qgdL0z3RF3c0G0cfszFkTwFFc

https://www.youtube.com/watch?v=7ooHe6uq52s
https://www.youtube.com/watch?v=56nfmL9cr5Y

http://www.bbc.com/news/world-asia-34101247 (BBC ニュース)

今回の民主主義を無視した戦争関連法案の可決に躍起となっている安倍内閣への
不信と憤りは
政治への関心の有無にかかわらず
あらゆる世代、宗教、立場、主義主張を超えて広がりを見せております。
軍靴響く時代を招いてはならない、再び戦争に加担する、戦争する国にしてはな
らない、という
国民の危機感が行動を促していると思います。

どうぞ、国民の求めている平和を脅かす安保関連法案(戦争関連法案)の廃案に
神様の御業が顕れますよう、お祈りくださいませ。

これまで70年間戦争放棄を謳った憲法9条は
日本の内外の日本人の安全を守ってきました。
海外で暮らしたおりにも、憲法9条を守る
戦争をしない国=日本、人々=日本国民が
信頼を得ていること、そして逆にそのことが在外の日本人を守っていることを肌
で感じてまいりました。
また、史実をしっかり認識する必要をも。

人知を超えた神様のご意思が著されますよう、
私たちすべての日本人が平和のために生かされ、
働く人となりますように、
どうぞお祈りくださいませ。

猛暑の夏の8月も終わります。
季節の変わり目、皆様のご健康をお祈り申し上げます。

心からの感謝を込めて
栄光在主


8月28日 金曜日
マッサンバさん、勝訴!!難民認定を義務付ける判決が出ました!
喜びがふつふつと湧き上がってきます。カラバオの会の皆様、
特に支援中心となって精力的に証拠資料を集められて作成した渡辺英俊先生、事務局安藤さん、
弁護士神原元先生、小笠原先生、本当にお疲れさまでした。
支援の会立ち上げから支援者が一丸となって、また当事者のマッサンバさんの
誠実な前向きなお人柄がはぐくんだ当事者支援者の堅い絆の勝利です。

5月23日のお茶の水クリスチャンセンターでの
ボーマン先生のご奉仕による難キ連チャリティコンサートでも
渡辺先生のごあいさつに続きアピールをしたマッサンバさんのために
ご来場の皆さんには引き続きお祈りいただいてまいりました。
これから、判決が確定するまではまだ安心できません。引き続きのご加祷を
心からの感謝を込めてお願い申し上げます。

8月12日 水曜日
2014年、日本に庇護を求めた難民申請者は前年度の1,5倍の5000人に上りました。しかし認定を受けたのは11人、
人道配慮の定住ビザが与えられた申請者も110人、庇護数は121人に留まりました。
 このような「難民鎖国」の日本に10数年前に庇護を求めながら、なかなか難民とは認められず、
仮放免の両親のもとに生まれた子供たちは無国籍…子供たちの将来を案じた父親が下した決断は
カナダへの難民申請、再定住出国でした。ようやく2014年に人道上受け入れが必要な移民として受け入れられたテドロスさん一家が
カナダに再定住して10カ月。日本で彼らが生きられる方法は、道はなかったのでしょうか?
5月に彼らを訪問した支援者代表 海老名幹雄氏のお話しと映像、
そしてテドロスさんの収容回避のため仮放免延長許可申請、入管出頭同行支援を続けた酒井雅巳氏のお話しをお聞きします。
カナダ再定住に関する詳細、同時期カナダで難民と認められた難民女性の現状は難キ連がお話し致します。
また、難民のアピール、生の声をお聞きいただきます。
(会場と資料準備の関係から申し込み先着50名まで。)

<学習会のお...知らせ>
 テドロスさん一家は何故カナダに移住したか
      〜  日本の難民受け入れ制度を問う 〜

 日時 : 2015年10月3日 土曜日 午後2時より
 会場 : カトリック幼きイエス会 ニコラバレ 会議室 105
         〒102-0085 東京都千代田区六番町14-4
        JR四ツ谷駅麹町口徒歩1分

  新事務局デスクでの業務が先週からスタート。第1号の電話相談は名古屋から。カナダ再定住について。
その前日は、暑い昼下がり、児相保護の長女と6年ぶりに会う外国籍父親の同行でした。
道すがら、非正規滞在(仮放免)でも日本にいることを望んだ(望んでいた)彼が
「子供と帰国します。帰国したいです。日本は悪くなるから」…本当に、日本人の私も日本は良くなるのだろうか…と不安がよぎる。
今朝の新聞一面トップは川内原発の再稼働!!日本中の原発の稼働停止後、国民は節電に心がけ、
太陽光発電の普及拡大で原発が動かなくても、猛暑のこの夏さえ乗り切れるのになぜ危険な原発を再稼働させなければならないのだろう!!!。
富士山の噴火より怖いのは九州地方のカルデラの噴火という。日本は悪くなる一方…悪くなるどころか壊滅?
彼の言葉が本当に的を得ていて、私は大きく頷いて彼の帰国願望を聴いたのでした。
昨日は夏休み中の事務所で、電話移設工事にやってきた若者が大汗をかきながら、
フロア全体になかなか見つからない取り付け口を探し、仲間にも手伝いを頼みついに開通!その間3時間余り!!真面目な仕事ぶりに感...嘆しました。
 連日の猛暑の中で戦争関連法案の廃案を求めるSHALDsの学生の皆さん、制服向上委員会はじめ高校生の皆さん、
そして全国の若いママの皆さんの平和を求める声の広がり!!日本の次代を担う素晴らしい若者たち、
仕事の上でも、弁護士の諸先生方や支援者、行政機関の若い職員の方々と接するたびに、
「日本の未来も捨てたものではない」と思っていたのに…。
今、その次代を担う若い世代を戦争加担の暗黒の時代に追い込もうとする安倍政権の支離滅裂な愚政、本当に悲しい。
平和の大切さを痛感しているはずの安倍さん世代が戦争法案を押し付け、原発再稼働と、時代の退行に躍起になる事は本当に理解に苦しみます。
 あんなにも、こんなにも素晴らしい若い世代に、戦争をしない平和な日本を残したい!!
 戦争をしない国、憲法9条を守る日本はどの国に行っても誇りでした。
電話工事の若者の顔面を汗にしながらみせたさわやかな笑顔を思い出しつつ、心から祈りました。
「彼らの技術が今も未来も平和の為に活かされますように…」と。



7月25日 土曜日 夜
報道されています通り、安保関連法案の廃案を求めて
キリスト者平和ネットはじめ多くの国民が声を上げ、
首都圏では、何万人という世代を超えた人々、特に若者が連日、国会、官邸周辺で声をあげております。
彼らは、これまで政治に関心の無かった人も多く、
今や全国の青年、学生が
戦争に加担する国、自分たちの未来を壊されることを強く危惧して
戦争関連法案の廃案とアベ総理の退陣を強く求めています。

どうぞ猛暑の中、平和を求め、声を上げ続ける若者の
健康が守られます様、思いと声が聞き届けられ、
神様の見守りと御恵みと限りないご祝福が、
全国各地で集う彼らの上にあります様
お祈りくださいませ。

一人の学生の切なる叫びを以下に貼りつけます。
長文ですがどうぞご一読くださいます様、そして
恒久の平和を願い戦争放棄を誓った先人の思いと
今、平和と民主主義を守ろうと必死の行動を起こしている若者たちの思いに合わせ
憲法9条を私たちが守り切る事が出来ます様
どうぞどうぞお祈りくださいませ。

「これ以上、あなたに私の未来を託すことは出来ません。
ここにいる私たち一人ひとりで、未来を勝ち取っていきましょう。
2015年7月24日、私は安部政権に退陣を求めます」
SEALDs 大学3年芝田万奈さん
「今日は安倍晋三さんに手紙を書いてきたので読ませていただきます。...
私はあなたに底知れない絶望と怒りを感じています。沖縄の新基地建設
や、東北の仮設に住む人達、あなたはこの状況が目指すべき美しい国だと
言えますか。後藤さんたちが殺害されたとき、私は日本もアメリカと
同じように対テロ戦争をするんじゃないかと怖かった。でも日本は
アメリカと同じ道を歩まなかったし、これからも同じ道を歩くことは
ないでしょう。私は帰ったらご飯をつくって待ってくれているお母さんが
いて、仕送りしてくれたおじいちゃんおばあちゃんに『ありがとう』って
電話して、好きな人に教えてもらった曲を聞きながら帰る。この日常を
平和と呼びたい。母さんがいて、仕送りしてくれたおじいちゃん
おばあちゃんに『ありがとう』って電話して、好きな人に教えてもらった
曲を聞きながら帰る。この日常を平和と呼びたい。それがいつか私が産む
子どもに残したい未来です。でもいまこんな状況の国で子ども育てられる
とは思えない。人殺しをして得たものを平和とは呼ばない。平和の名で
人殺しをさせる法案は絶対に許すことはできない。安倍さん、あなたに
私の不安を拭えますか。被災地の子どもたちに健康不安のない未来を
あげられますか、沖縄のおじいおばあに基地のない沖縄を返せますか、
子どもを育てたいと思える国をつくれますか。これ以上、あなたに私の
未来を託すことは出来ません。私はここに立って見える景色に希望を
感じます。安倍さんあなたにもここに立って欲しい。きっと普段あなたが
見ているよりも強く希望に満ちた顔が並んでいます。ここにいる私たち
一人ひとりで、未来を勝ち取っていきましょう。2015年7月24日、
私は安部政権に退陣を求めます」


連日の酷暑、どうぞ皆様お健やかに過ごされます様、
お祈りとご支援に心からの感謝を込めて
ご健康をお祈り申し上げます。

7月25日 土曜日
いよいよ来週には事務局デスクの引っ越し。昨日も事務局で最後の荷物の整理でした。けがの治療もあったり、1週間ぶりでデスクの片づけを。
もうすでに大部分は移送したのでデスクの引き出し、パソコンや電話、デスク上の物のみです。
 昨日はデスクの上には嬉しい置手紙とお土産が!!
昨年カナダに再定住出国したGさんの夫君からカナダ訪問のお土産と写真でした!!
10年余りの仮放免を経てカナダ政府から難民と認められ、昨年10月にぎりぎりセーフで正規出国(正規出国の場合は再上陸禁止期間がありません)、
夫君が昨年末、今春と2度訪問された際のお写真も一緒でした。温和な微笑みをうかべたGさん、
日本上陸後、成田空港で拘束された初めの1年間は入管収容。どれほど彼女を傷つけたことでしょう。
今、満面の笑顔と豊かな表情で写真に収まっています。「ストレスから解放されて元気にやっています」と夫君の言葉。
受け入れ先のプリンスエドワード島から今回はトロント、ナイアガラまで旅行されたとのこと、
赤い雨合羽にくるまれた彼女の顔の何と美しい事!一枚一枚見ながら、お土産のおいしいチョコレートを味わいつつ、
写真に向かって「よかったねー!」の連発です。
共に悩み苦しみ涙した時期を超えて、難民の人々が幸せになってくれる事、ふさわしい道に進める事が一番の喜び、
報われることの少ないこの仕事を続ける事が出来たのは、彼等、彼女等の「ありがとう」と笑顔という恵みがあったからかもしれません。
それにしても…
 彼女は何ヶ国語も話し、今、彼女の持てる能力を活かして働いている様子。
貴重な人材を日本は受け入れようとしなかった事、出来なかった事…本当に残念。

 今朝の朝日新聞の一面に「難民審査 政府の厳格化案 国連、異例の懸念意見」の見出しが。
昨年の5000人の申請に対し、11人という認定は世界的に難民急増の現状から見ても驚くべき低さと思う。
「新たな計画案は、就労目的等で来日し、明らかに難民の対象外となる人の審査を厳格化する対策を盛り込んでいる」。

国民の声にも耳をふさぎ、戦争法案の可決に躍起になっているアベ現政府のもと、
今日が締め切りのパブリックコメントもどれほどの効果があるのだろう…。
 
今朝味わうGさんのチョコレートはほろ苦い。


6月17日 水曜日
このところ、被収容者の仮放免手続きや、家族統合の為の話し合いのた め、毎週1〜2回牛久通いを続けております。
昨日は昨年秋に面会して頂きました難民 Mさんに仮放免許可が出て
大阪の支援団体様(身元保証人)、名古屋のMさん従兄弟(保証金提供)に代わって手続きを行いました。
従兄弟Hさんから送金された保証金の受け取りに始まり、
小職に代わって一週間に何度も面会をして下さった難キ連ボランティア袴田さん、つい一か月前に仮放免担ったSさんを
牛久駅東口でピックアップ、東日本入管センターに向かいました。
牛久の入管センターで仮放免担当窓口で国庫金納入書(保証金20万円)を受け取り、
再び車を走らせ、日本銀行代理店のある竜ヶ崎市内の銀行で納入、牛久に戻り、
(入管内に銀行が出張してくれればよいのですが… 保証金納入して手続きが完了、解放まで時間かかります)
手続きを終えて待つ事30分、本人を待合室で出迎えました。満面の笑顔は、8か月前に
初めて面会した日の陰鬱な顔ではありません。待ち構えていた人々とハグし合い、小職の運転する車で我孫子駅へ。
我孫子からは上野東京ラインで品川まで。その後品川駅から新幹線で名古屋に向かうMさんを見送りました。
ほぼ1日がかりの仮放免支援となりました。その前日は、急な所用で東北を車で往復しており、
帰宅は深夜になり、いささか疲れ気味の体ではありましたが、
確かな足取りで入管収容所の外の社会へ歩み始める姿を
見送り、ボランティアの方とともに、快い疲労感と喜びを分かち合いました。感謝!!

5月24日 日曜日

コンサート最後は、「憲法9条にノーベル平和賞を」の声を発し、今その呼びかけは世界中に広まっている
鷹巣直美さんが優しい表情と淡々と、日本全国に留まらず世界に広がっている呼びかけの趣旨を含めてお話しいただきました。
幼い二人のお子さんを連れて昨日もスタッフとしてお手伝いくださいました。
オーストラリア留学時代にはアフリカからの難民とのシェアハウス生活も体験され、
難キ連の難民の支援問題では真摯に物心両面から支えて下さった鷹巣さんは、どちらかと言えば華奢なほっそりとした風情で、
粘り強い働きはどこから?と思えるのですが、二人の子を持つ普通の母親として、憲法9条を守るために実行委員会の方々と地道な活動も続け、
時には院内の会議でも背筋を伸ばし、凛として発言します。非常に骨太な行動力を発揮します。
今、安保関連法令、9条改憲を急ぐ現政権に強い懸念を感じるのは、母親たちなのです。子供を孫を戦場に行かせたくはありません。
戦場で命を落とすだけではなく、人を殺すかも知れないのです。
憲法9条は私たち日本国民を守ってきた大きな見えない盾、と私は思います。
非戦の日本に戦いを仕掛ければ、その国は世界から非難され批判の的になるでしょう。
この憲法が確固として存在する限り、いかなる無謀な国もあからさまな宣戦布告は出来ないはず。この盾を日本が失う事がありませんように。
 図らずも、...渡辺英俊先生、ボーマン先生、鷹巣さん、のコメントの中に「愛する日本」「大好きな日本」がおり込まれていました。
「愛する日本が難民受け入れに人道的寛容さを見せるよう、人道オリンピックがあれば金メダルが取れるように、…」との
渡辺英俊先生の日本の難民受け入れの問題点を指摘の結びの言葉は会場に深く響き共感を得ました。

 昨日のテーマ「喜びと平和につながる働きを」に添って、
チャリティ=愛、ということ、なぜ、難キ連の働きに共感を覚え貴い演奏というご支援をチャリティコンサート出演という形で
ご協力くださっているか、ボーマン先生が述べられました。
日本に庇護を求める難民の方々にとって少なくとも日本が「平和」な居場所となりますように、
束の間でも安らぎと喜びを覚える事が出来ますよう。
 そして、彼らへの実際的なサービスが速やかに届けられる社会になりますように。
 コンサート仕掛け人として、喜びをたくさんいただきました。
また明日から日本社会で低くされている人々=入管の被収容者や、仮放免の人々、
認定を受けても貧困や子供の問題で悩む人々の「喜びと平和につながる働きを」求めつつ
ともに歩んで行けますように。

今週はAさんの状況が好転するよう全力投球です。
 

5月24日 日曜日
昨日のコンサート開始前に、「喜びと平和につなぐ働きを」と題して、難民の問題と難キ連の働き、使命をパワポを使ってお話しさせて頂き、
10年以上の仮放免生活を過ごした難民申請者で昨年カナダに第3国再定住出国をしたTさん一家の最近況を、5月中旬彼らを訪問した
支援者代表Eさん支援者Kさんから頂戴した写真も交えて少し報告させて頂きました。
 昨年の今頃は、自分たちを難民と認めてくれない、認められないいらだちから、夫婦ともにいつも暗い顔で
支援者の方々の電話にさえ出ない…といったこちらも途方に暮れる状況を呈しました。しかし、昨秋のカナダ再定住から6か月目、
就労し、日本で生まれた二人の子供も幼稚園へ、のびのびと過ごしており…第3子にも恵まれ、
Tさんも、赤ちゃんを抱く妻Sさんの表情のなんとおだやかなこと!!
安らぎに満ちた一家の表情。安心して住める状況=就労権のある正規滞在=住んでもいいよと国が言ってくれる…
日本が10年以上も彼らに与えられなかった「喜び」と「平和」、おだやかな暮らし。カナダはたった6ヶ月で与えてくれたのです。
国土が広いだけではなく…懐も大きいの...ですね…。
(難キ連が支援に関わった難民申請者のカナダ再定住につきましては、経過報告を兼ねて第3国再定住出国に関するセミナーを 9月開催予定です)


 昨日、ミニバザール会場で来場者の皆様に御茶と美味しいお菓子を提供して下さったのはお茶の水クリスチャンセンターで毎週金曜日午前、
ボーマン・ルリ子先生が主宰される「聖書と賛美」学ぶWOGA Japanの有志の皆様でした。
 ピアニストであり、ボーマンベアンテ先生のまさに神の手が奏でるチェロ演奏の伴奏をされ、
牧会神学博士(D. Min)として協力宣教師の働きも担われるルリ子先生が、御忙しい日程の合間に
コンサート会場クリスチャンセンター様との交渉から案内印刷、茶菓サービスの手配などなど
細やかな献身的なお働きが昨日のコンサート盛会をもたらして下さったと覚えます。
会場探しから案内作成、などなどこれまでのチャリティコンサート開催の労苦をすべてルリ子先生が担って下さった事、
御茶ノ水クリスチャンセンター岡田義和先生がプログラムの遂行を支えて下さいました事、全てに筆舌に尽くしがたい感謝でした。
 難キ連のチャリティコンサートは、教会、市民社会への難民問題意識喚起、関心拡大が目的ですが、
多くの皆様に問題をお伝えする機会が与えられました。
また、昨日はチャペル前ロビー...をお借りして、カトリック3Ms支援の会、コンゴ難民マッサンバさん支援の会、
ビルマ難民支援、バングラディシュ支援、バンサーイターン(タイのエイズ母子支援)の皆さんによるミニバザールを5年ぶりに再開、
各団体の支援活動を支える一助となりましたことも感謝でした。
貴いお働きに黙々と従事する団体は活動資金の潤沢なところは一つもありません。
会員の方の個人負担になることもしばしばなのです。お働きの継続を心から願って、
また昨日のコンサートをより盛会に導いて下さった各団体の皆様に感謝申し上げます。
 カトリック3Ms支援の会のメンバー、カトリック高円寺教会信徒のジャズシンガー中山育子さんの
讃美歌いつくしみふかき♪独唱も柔らかな歌声が耳に残りました。またご一緒出来ますように。


会場には、難民の方々も。マリップさんの手伝いの二人の難民女性。Rさんも早々と来場。家族統合を願う一人です。
4度の収容を経験し、今も労災事故の後遺症に悩むEさんがMちゃんを連れて
来場してくれました。大学時代から支援者だった妻のHさんはお仕事。パパと二人のお出かけでした。
両親の良いところを受け継いだMちゃんの可愛い容姿と賢さ!!きっと将来は両国の懸け橋になるでしょう。
支援者同士が素敵なカップルになったUさんご夫妻も一番に駆けつけて下さいました。いつも真摯な姿勢で社会情勢を見極め
的確な情報を届けて下さるのもUさんです。難キ連事務局を担って15年目、これまで出会えたたくさんの方々、
その出会いは私の宝物です。みんなみんな幸せに暮らしてくれますように。当事者、支援者、御一人お一人を思い浮かべては
ご健康とお幸せを祈ります。

5月23日 土曜日
 

チャリティコンサートご来場の皆様、本日は有難うございました。170席がほとんど満席状態!心から感謝申し上げます!!
難民支援現場からの報告に次ぐボーマン先生ご夫妻の演奏は素晴らしかったです。拍手が鳴りやみませんでした。
 ボーマン先生ご夫妻が難民問題に関心を寄せて下さり、チャリティコンサート開催にご奉仕いただいてから
3回目のコンサートは盛会のうちに終了致しました。
万感こみ上げる思い…ただただ感謝です。


5月18日 月曜日
 先週は、牛久の被収容者Aさんの抱えている問題での協議が続いて、結論が出ないまま週明けを迎えました。
新緑の道を車を走らせての牛久の行き帰り、思わずため息をつきます。
帰国したい父親、離れ離れの家族の温度差が広がって行くのを見るとき、ばらばらの方向を向いた家族
ひとりひとりそれぞれのおかれた位置や状況、そして思いをどのように調整すべきか。
年老いた両親を思い帰国を切望するAさん、その思いにすぐにはこたえられない状況にある家族。
それでも日本人の妻と子供を置いてはいけない、と涙ぐむ。妻子が一緒に帰れるまでは1年でも2年でも
収容に耐えられると。
ただただ神様のお導きを祈りつつ帰途に着きます。 

5月4日 月曜日
ネパールの大地震被災地支援への緊急依頼とともに、現地の女性Kさんからの手紙、神戸の岩村義雄先生の発信が
鷹巣直美さんを通して届きました。岩村先生は5月12日〜現地入りのご予定との事
(Kさんの手紙抜粋)
「震源の近いところで村の家は90%以上つぶれている。
今の問題は家がないので寝る場所が大変。食べ物がない。きるものがないです。
政府の支援も届いてない。動物が腐り病気が生える恐れある。
この場所でOKですか。通訳は私はやりますので。
影響、被害があるところは沢山あります。どこがよいのか迷うことがあると思い
ますが。
村は今の被害から乗り越える力を貸してもらえるように村の人が望んでいます。
一番必要なのは地震についての理解力ですね。ネパール人はそれを勉強する必
要があります。
色々教えてください。生活の中で今すぐ欲しいのはビニルのテント。6、7人
ほどの頭を隠す場所つくるのに一番役に立ちます。もうすぐ雨季なのでこの雨季を
乗り越えるためにこれが必要です。 …」
牛久の被収容者にもネパールの人々がおり、故国と連絡が取れずただ胸を痛めているのが現状です。
支援物資もなかなか被災者自身の手元に届かないという現実、本当に胸が痛んでなりません。
ニュースの映像も目を覆うばかりです。何とか少しでも支援の手が一人一人の被災者に届きますように祈るばかりです。

5月3日 日曜日 晴れ

4月28日は聖公会北関東教区のSさん、宣教師デボラさんと3人で牛久へ。支援者グループの方々と再会、
いつも真摯なお働きでご協働ご指導下さる大川先生、そして牛久の会代表田中さんとも久しぶりにお会いし、
田中さんと思わずハグしてしまいました。前回面会した難民申請者Mさん、今日は笑顔で現れました。
しかし血圧は相変わらず高く106−150が続いているとの事。保証人、保証金、住居全て準備万端にもかかわらず、
なかなか仮放免許可が出ない。昨年夏、成田空港から牛久へ移送され言葉もままならず、体調も悪い状況での収容と
健康状態悪化でいら立ち居室のガラスを割ったり、同室の人と喧嘩をしたり…素行が悪かったから
仮放免許可が出ないのかもしれないと自嘲気味。
間もなく収容9カ月。懲罰の意味での仮放免の長期化…あるのかなあと言いつつも、気になりました。
収容の長期化は、心身状況の悪化を招き、収容が解かれても病院の通院を余儀なくされる例が少なくありません。
ただ、Mさんの日本語能力が向上!びっくりです。半年前は全く言葉が通じませんでした。
上陸当時のガングリオン(脂肪の塊)の摘出は入管内で受けており、まだ若いMさん(いとこは認定難民)の心身の健康と、
収容を解かれる日は元気に牛久を離れる事が出来ることを祈りつつ、次の被収容者、日本人妻子との母国への帰国願望のAさんとの面会に臨みました。



4月27日 月曜日 快晴
 朝一番に届いたメールは地球の反対側から届きました。昨年夏、アメリカ合同メソジスト教会から派遣されたボランティア学生のチアゴ君からです。
3名のボランティア学生には日本の入管問題、非正規滞在の外国人収容をテーマに毎週牛久の被収容者面会支援に取り組んでもらいました。
一番熱心に取り組んだのがチアゴ君でした。多くの日系ブラジル人は彼の面会を待ち望むまでに。
帰国して何度かのメールでは大学に戻って忙しくしている様子で喜んでおりましたが、今朝のメールは私の涙腺を刺激するには十分すぎるほどでした。
7週間のボランティア研修でも成長が見られた彼がキューバからの移民の為にポルトガル語のクラスを始めたとのこと、難キ連の研修の中で学んだことを
彼が実践し始め、そして、またネパールでのボランティアを希望している姿勢に、彼の澄んだ眼差しとさわやかな笑顔を思い出し
チアゴ君の働きに神様のお導きとご祝福をお祈り致しました。

Good morning Dear Naoko San
How are you and your family? I miss you all so much! 
How is Nankiren? I really miss volunteering and supporting the detainees. My time in Tokyo changed all my life!
I have some news for you. Do you remember that I told you that in Brazil there are a lot of people from Cuba? 
especially in Curitiba, my town. I started a project with them that we teach Portuguese for some Cuban families at church.
It has been amazing to do that. Now, I'm writing to you because I'm planning to go to Nepal in a few weeks to help them
in because of the earthquake that hit there few days ago.
I need your prayer and I would like to say that this is just happening because of the experience I had in Japan.
I realized my life is not to me but to others. 
Thank you so much for all your support and kindness all the time.
I hope to see you soon :)
Thiago Augusto - Brazil 



4月18日 土曜日 くもり
午後2時から聖公会大宮聖愛会教会にて北関東教区の婦人会役員の皆様に
難キ連活動と被収容者面会について御話しさせて頂きました。
早速、難キ連の成り立ちから活動の状況、そして、難キ連の使命と覚える入管被収容者面会の経緯を
お話ししました。準備した資料の2003年、2004年当時の被収容者の状況、を読み返すと
現在の被収容者の状況もあまり変わらないような気がしてなりません。
ふくれあがる難民申請者、日本に生活基盤を築きながら超過滞在の外国人労働者、
非正規滞在=仮放免者と置かれた人々はどのように暮らしを立てればよいのか。
2001年アメリカ同時多発テロ後、首都圏のアフガニスタン人を拘束、
庇護を求めてやってきたアフガニスタン難民が成田で拘束、牛久に送られ、
絶望的になった何人かの青年が自傷行為を繰り返し、自殺を図りました。
10年以上を経た昨年は牛久で2名、品川で1名亡くなりました。いずれも病死ですが
自傷行為、自殺未遂は無くなっていません。

「youは何しに日本へ?」という番組があり、外国人旅行者が日本人の親切に感謝しつつ
各地を巡る様子を放映しておりますが、日本社会の底辺で3Kと呼ばれる職場で
貴重な労働力として使われ、超過滞在になって、収容され、そして送還される、
あるいは収容が解かれても仮放免という 、あらゆる市民サービスも受けられず
就労できない、移動の自由がない、定期的な、2,3カ月毎の入管出頭を義務付けられる
生活をほとんどの日本人は知りません。その様な状況をつぶさに伝え、問題を共有するべく、
「伝える事」「先ず知って頂く事」が関心拡大、そして物心両面の支援につながって行きます。
そして支援は自立支援でなければなりません。
難キ連では、仮放免にある難民申請者とその家族、日本で生まれて日本語しか話せない
子供を持つ仮放免の家族、彼らの正規滞在化そして自ら働き自立する支援を目指しています。
難キ連の活動は、諸団体からの助成金、賛同金、教会と個人の皆様からの献金によって
行われており、今回はその様な運営状況もご心配頂き、つぶさに御話しさせて頂くことが出来ました。(感謝)

教会で「難民や入管問題」についてお話しさせていただくことは本当に感謝です。
仮放免難民申請者、超過滞在の人々にはクリスチャンも多く、また改宗を希望する人々もいるからです。
教会の扉をたたく難民を含む外国籍住民が救いを求める、あるいは支援を求めてきたときに
私たちの「となりびと」として快く迎え、互いに支え合い、協力し合い共に生きていくことができますよう、
支援者と被支援者の関係ではなく、主にある兄弟姉妹として広い意味での同労者、協働者と
なる事が出来ますよう祈っております。

質問にお答えしながら2時間たっぷりの御話の後の
皆さんとのティータイムでは美味しいデザートを頂きながらの交流、
同行の佐々木運営委員とともに、楽しく心満ちたひと時を過ごさせて頂き
教会を後にしました。

聖公会北関東教区の婦人会役員の皆様、聖公会大宮聖愛教会の皆様
本当にありがとうございました!!
皆様のお働きの上に主の豊かなご祝福をお祈り致します。


4月14日 火曜日 断続的に雨
午後雨降りのお天気、大阪、名古屋から支援者の方と身内の方を迎えて
牛久へ。当事者(難民男性)Mさんは昨年8月来日以来、収容。様々な疾患を抱えていても
仮放免許可申請は却下が続き、3回目の仮放免申請です。
弊団体で面会する度、心身の悪化が見られ、その報告を受けた支援者の方が案じての身内を伴っての牛久訪問。
総勢4名での面会に、また身内の通訳はどんなに心強かったことでしょうか。
頬を紅潮させた明るい笑顔と仮放免申請に弊団体からの嘆願書も提出して頂き、
明るい気持ちで帰途に着きました。名古屋からの到着が遅れ、センター到着は3時少し前。
Mさんの面会終了後まだ窓口が開いていました!4時10分前。どうしても本人に確かめたい事柄のある被収容者Aさんに面会申請。
3時〜4時の間で二人も!面会できたのはこの2001年のアフガニスタン難民収容以来初めて?。
牛久の面会待ち時間がこんなにも短くなった事、本当にありがたいです。
それにしても、長期収容が与える疾病悪化のプロセスに胸を痛めつつ、何としても不必要な収容と長期収容は回避すべき!
とつくづく思います。今日はこれから大宮の教会で弊団体の活動と被収容者面会支援についてお話しします。

2015年4月 6日 月曜日
 2015年のイースター、手賀沼沿いの満開の桜並木道を車で走り抜け、聖アンデレ柏教会へ。何とかイースター礼拝に出席出来ました。
洗礼を受けたのはもう35年前、シンガポールのボタニックガーデン近くのセントジョン教会(イギリス国教会)で毎週行われていた日本語によるシンガポール日本語キリスト教会
(Singapore Japanese Christian Fellowship http://www.sjcf.org.sg/)エキュメニカルな超教派の教会でした。
後にクリスチャンアカデミーでお働きになり2007年日本エキュメニカル功労賞を受賞された故荒井俊次先生により受洗。
JCFはプロテスタント、カトリック、様々な教派教団の方々が集う真のエキュメニズム=世界教会一致運動 を実践の教会で、
荒井先生もまたエキュメニズムのために生涯をささげられ、荒井先生に洗礼を受けた私が、現在、日本で数少ないエキュメニカルな活動体である
難キ連で働かせて頂いている事に神様の御計画の不思議を覚えます。
2011年4月29日難キ連は2011年度エキュメニカル功労賞を受賞いたしましたが、その4年前の2007年には荒井先生が授賞されました。
イースター礼拝説教のなかで眞榮田先生(この数年入管被収容者面会支援にもご同行)がイザヤ52:13〜53:12を朗読された時、
被収容者の方々が思われてなりませんでした。一昨年聖公会横浜教区婦人会の方が作成して下さった難キ連紹介の「私たちは知っています。イエスさまは
あの収容所の中におられる事を」という一節が浮かびました。面会する、ではない、面会させていただく、聞き取りをさせていただく、ということが
神様が与えられた難キ連への面会姿勢であるべき事を再確認いたしました。日本聖公会横浜教区社会委員会の皆様の入管被収容者面会は
数年前から毎年続けられ、難キ連の働きを物心両面からお支えいただいております。
入管に収容された難民や移住労働者の状況は、彼らからの発信がない限り、面会につながらず、彼らの問題が知られる事はありません。
面会が内部からの新たな発信を生み医療面、処遇面等の問題改善につながって行きます。
図らずも、今年は入管内外の問題を発信する機会を与えられ、彼ら=被収容者、仮放免(非正規滞在者)の現状を発信しております。
入管の問題を「ありのまま」伝える事を使命と覚え、2015年ご復活日(○歳の誕生日でした…)は
(落ちこぼれクリスチャンの)私の心にも深く深く聖書のみことばが刻まれ、
入管の内外の問題に向き合うキリスト者としての姿勢を省みた一日でした。

2015年4月 2日 木曜日
 ホームページの更新、2015年度の難キ連チャリティコンサートの案内を新たに掲載いたしました。
今年も演奏のご奉仕下さるボーマン・ベアンテ先生、ルリ子先生ご夫妻への感謝!!言葉に尽くせません。
極貧?状態にある難キ連の窮状をお察し下さり会場としてお茶の水クリスチャンセンターをご予約下さり、素晴らしい、素敵なチラシまで作成して下さいました。
昨年の難民のシェルター居座り事件が「建物明け渡し」裁判にまで至った際にも、心萎え心おれるほどに落ち込んでいた難キ連に
暖かなお励ましと、物心両面からのご支援を頂き、2013年6月の東大駒場キャンパスでの御演奏奉仕に続き、2014年7月には日本キリスト教団早稲田教会でコンサートご奉仕
を頂きました。そして今年は3回目、2015年難キ連チャリティコンサート開催が実現いたします。
神様のなさることは時にかなって美しい…そしてご計画は何と慈愛に満ちているのでしょうか。
私自身がボーマン先生ご夫妻のコンサートに初めて接したのは、1984年松戸市のバプテスト栗ヶ沢教会でした。
当時、4年間のシンガポール滞在を終えて帰国したばかりの耳に先生ご夫妻の御演奏はお二人の奏でる旋律がそのまま心にしみとおる感動を覚え
東京交響楽団の首席チェリストを務められていた事を知り、ご在任中は何度かサントリーホールに足を運んでコンサートを堪能させて頂きました。
 雲の上のご存在の様なボーマン先生ご夫妻に思いがけず、難民の為のコンサートのご奉仕を頂く事になった時は、まさに天にも昇る気持ちでした。
この恵みの出会いは今、日本国内だけではなく世界中に 拡がっている「憲法9条にノーベル平和賞を」と呼びかけられた鷹巣直美さんによって齎されました。
2012年4月、相模原市の「平和をつくる会」で日本の難民についてお話しさせて頂いたのが鷹巣さんとの出会い、そしてそれはボーマン先生ご夫妻に
つなげて頂き、3回目のコンサート開催、に至っております。トップページにはNHKのスタッフの皆さんも先生の演奏に涙を流した…と紹介させて頂きましたが
まさに天使の調べのボーマン先生のご演奏、そしてルリ子先生の伴奏はもとより、
曲目紹介から証(あかし)、メッセージの飾らないユーモアあふれる通訳をなさるルリ子先生の暖かいお人柄にもいつも心が解きほぐされます。
神様がルリ子先生を通して難キ連の働きを支えて下さっていると感じることもしばしばあります。
ボーマン先生、ルリ子先生のコンサートを今年も皆さんと共有できる事は心から嬉しく、またミニバザールでは、ビルマ難民として日本社会に貢献をと、
何時も努力を惜しまないマリップ・センブさんと協働できる事も楽しみです。美味しいチーズケーキを添えたお茶のサービスもあります。
(当日お手伝いくださる皆さんの昼食は美味しいビルマ料理のお弁当!)
 お茶の水クリスチャンセンターでルリ子先生の「聖書の学びと賛美」WOGA JAPAN の皆様にも難キ連が関わる日本の難民や入管収容の問題に関心とお祈りを
頂いております。安心して暮らせる多民族多文化共生社会は日本人、外国人ともに居心地良く暮らせるはず、この小さな器もお役にたてば…と
(この冬は持病の悪化で寝込む事が多かったのですが)、春到来とともに(漢方薬の効果?)元気になり、感謝とともにぼちぼち再始動です。
 
難キ連の活動にご関心を寄せて下さる方、ご理解ご支援下さる方、このページに訪れて下さる方、すべての皆さんが健やかに過ごされますよう!!


2015年3月31日 火曜日
 あっという間に3月末、今月は入管被収容者面会支援に関する外部会議出席が多く、
改めて難キ連が入管被収容者面会支援関わった経緯を2001年から現在に至るまでを振り返っています。
私たちの被収容者面会支援の目的はただ被収容者の一人一人に最良の道が与えられるための働きにほかなりません。
帰国する人、日本社会に復帰する人が心身の健康を損なわれることなく新たな出発点に立てるよう…
昨年はその様な思いで面会をした人々が、日本で受け入れられる事が出来ず、カナダに出国いたしました。
そのなかでも、成田空港から牛久に移送され、心身の極限まで弱ってしまったGさん支援は私どもに
支援の在り方を教えてくれたケースでもありました。
保証人、保証金なしで仮放免されたGさんを難キ連と共に出迎え、時には意見を対立させながらも心を合わせて
協働頂いたカトリックさいたま教区終身助祭、齋藤紳二先生はGさんにとって父親以上の存在でした。
Gさんのお別れ会食で柔和な笑顔でお話しされた齋藤先生が去る3月13日に肺がんによりご帰天、この世でのお別れを
遠いカナダでGさんがどの様な思いで受け止めたか案じられてなりません。

私自身、牛久面会ネット設立以来、協働させていただいた齋藤先生とのお別れがいまだに実感できず、
よくお会いした牛久収容所の待合室に座ると、在りし日の齋藤先生との様々な会話を思い出し涙がこみ上げてきます。

齋藤先生は長い間毎週、カトリックさいたま教区のある浦和から
常磐線牛久駅から一日に9本しか走らないバスで20分という
辺鄙な場所にある東日本入管センター(通称牛久収容所)に
通われ、地道な面会支援を続けられ、Gさんばかりではなく、
多くの難民や日本人妻子がありながらなかなか認められず収容されていた外国人
労働者の仮放免保証人となり、彼らの解放と社会復帰の為、またその家族の統合のため
に働かれ、物心両面からのご支援と敬虔なお祈りをお捧げになる先生の面会ご姿勢と
温和なお人柄と笑顔とお声は今も心に残り、旅立ちの間際まで被収容者に心砕かれたお姿に
キリスト者としての面会支援の在り方を学ばせて頂きました。

齋藤先生の御通夜の帰途、東海林路得子先生のご帰天の報が入りました。
路得子先生の夫君は、難キ連の創設に深く尽力され、今もご活躍の東海林勤先生です。
路得子先生はキリスト者として女性の人権の為に半生をささげられ、
女性のためのシェルター「矯風会ステップハウス」の初代所長のほか、
従軍慰安婦問題を取り上げる女性国際戦犯法廷を開いた
「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの共同代表も務められました。
齋藤先生、路得子先生、両先生とのこの世でのお別れに深い悲しみを覚えますとともに
キリスト者として、全ての人々、特に日本社会で低くされた弱い人々の「人権」の為の大きなお働きに
心からの敬意と感謝を覚えております。

2015年1月12日 日曜日
 2014年は、難民シェルター居座り事件の裁判という、創設以来の難局に直面した一年の始まりながら、後半は、多くの被収容者面会を続ける一方、
難キ連が支援に関わってきた3件の難民申請者がカナダ再定住を果たしました。
内2件は10年以上の仮放免期間を経て、今、一年前には予想もしなかった、自由と希望に満ちた生活を新天地カナダで営んでおります。
 彼らを成田空港で見送り、庇護申請をする人々に必要な支援は何か、改めて自問自答しております。

今年は、2014年夏に難キ連ボランティアとして働いた3名の大学生(アメリカ2名、ブラジル1名)とともに取り組んだ入管収容問題、そして、仮放免という状況にある
難民申請者の人々が必要な支援機能に到達できるよう微力を尽くしたいと思っております。
 日本聖公会横浜教区社会委員会、人権委員会の皆さんとともに面会、早急な歯科治療が望まれたバングラディシュ青年の仮放免支援も実現、
鶴見大学歯学部のご支援により入れ歯装着を視野に入れた治療が始まりました。
 人間が人間らしく生きられるのは、物やお金の支援ではありません。ひとり立ちできる術を提供する事、自立につながる支援です。物質的な支援は、
時には人間として生きる力を喪失させます。不満と恨みのスパイラルの中でもがき続ける人間を作ります。

 難キ連は2015年も彼らとともに歩み、生きる力を生み出す支援を模索したいと強く思います。


2014年9月19日 金曜日

難民女性Eさんが一昨日、無事に再定住先カナダ向けてに出国いたしました。
関係各位の皆様に心から感謝申し上げます。
Eさんが日本に庇護を求めてやってきたのは4年前です。
母国から庇護を求めて日本に逃れてきたものの成田空港で難民申請却下(パスポートの不備)となり
2週間の成田空港収容施設での拘束後牛久に移送され収容、11ヶ月後に仮放免となりました。
2012年、仮放免後の住居支援に関わり、住居探しに同行、契約、入居、今春の契約更新、そして現在に至りました。
E さんからの度々の報告(カナダ領事館との折衝、進捗状況)を受けたものの、
これまでカナダ、ノルウェーなど第3国再定住を実現するまでには少なくとも3年は必要としており
つい先月、2014年8月に、カナダ政府の受け入れが報告された時には信じられませんでした。
本来、カナダ政府は日本にいる難民申請者から直接の難民申請は受け付けません。日本は難民条約に加入しており先進国でもあり、
難民申請者を受け入れないはずがない、と東京にあるカナダ大使館ではフィリピンマニラにあるカナダ領事館に取次をするだけと聞いておりました。
そのため、...申請をしても、インタビューはマニラから担当領事の来日が必要で、受け入れが決まっても健康診断などがあり、
また、難民としてではなく移民としても、カナダの国内に5人のスポンサーと1年間の生活費、渡航費の準備を必要とされ、
申請受領書を受け取ってから、受け入れ結果は3〜4年の期間待たされるのが当たり前となっております。
今回のEさんケースは、親族がカナダにいる事、難民性も認められた結果、カナダ在住弁護士の働きも功を奏し異例の速さで入国が実現いたしました。

パスポート、航空券の持参により入管は速やかに1カ月の出国準備のビザを発給、出国に至りました。
この数日、引っ越しなどめまぐるしく過ぎ、また出国日は朝から、水道局、ガス会社、東京電力の解約清算に立会い、
大家さんとの清算金支払い後、成田空港まで見送りいたしました。
成田まで運転する道すがら、助手席のEさんが何度も口にする感謝の言葉を聴きながら、
安堵とともに、難民申請者に門戸を開けない日本、Eさんを受け入れられなかった日本に言いようのない寂しさ、悲しみを覚えました。


11か月の収容生活は、女性棟内でいじめのような状況もあり、
プライドを傷つけられることも多く苦しい日々だったと、(いじめた人の事を)名指しで涙を目にいっぱいためて話す事もありましたが
4年の間、親切を受けた全ての方々に感謝し、たった一人の見送りの私に、輝くような笑顔で手を振り、日本を発ちました。
仮放免という働く事も出来ない、国民健康保険にも入れない、移動の自由もない生活から、
一人でも多く正規滞在化してほしいという願い、そして、それがかなわないのならば、
日本ではない再定住地に自由と自立する幸せを求めて旅立ってほしいとの切なる祈りが
第3国再定住を目指す人々への支援につながります。

9月に入って、いよいよ出国の日が決まってからは
秒読みの様な日々、賃貸アパートからの荷物の移動も頭の痛い事でしたが、
ただただ無事に出国をと祈り、弊団体関係者の皆様にもお祈りをお願いして参りました。
 Eさんを日本社会で受け入れられなかった事は大きな寂しさですが
これまで送りだした人々は皆、受け入れ国で自立、安定した生活を営んでおり、
多くの親族が待ち受けるカナダで、Eさんも活き活きと能力を生かし、仕事をすることでしょう。
Eさんの幸せを心から祈っております。



2014年7月23日 水曜日
昨日の難キ連チャリティコンサートへのご来場、
誠にありがとうございました。
皆様、
おかげさまで、今年も素晴らしい御演奏を頂き
また、ルリ子先生、ボーマン先生のメッセージと証しは
会場の皆様に深い感銘を与えてくださいました。
心から感謝です。
ボーマン・ルリ子先生には、また来年のコンサートのお約束までいただき、
しかも会場はお茶の水クリスチャンセンターを
ご予約下さるとの有難いお申し出を頂きました。
また、
難キ連の活動へのお祈りの輪の広がりに感謝申し上げます。
ご来場くださいました皆様も半数以上は諸教会の皆さまで、
難キ連の働きへのご関心が諸教会に広がりつつあることを
感謝いたしました。

マリップセンブさんのお話も、日本で地道に努力されている
認定難民のセンブさんの言葉にはとても重みがあり
ミャンマー民主化についても、皆様への意識喚起が行われたように思います。

お父上様のお具合が悪い中、ご一家でご来場くださった鷹巣様の
「憲法九条を守る日本国民にノーベル平和賞を」のお働きも
御紹介申し上げますとともに
ご自身から会場の皆様にお話しいただくことが出来ました。
また、昨年、今年、ボーマン先生へのコンサートが実現いたしましたのも
鷹巣様はじめ相模原の平和を作る会様との出会いがきっかけであったことも
お話しさせていただきました。

会場にはボーマン先生の妹様ご夫妻も、
日本での最後の夜、コンサートを共に拝聴され、
終了後、佐藤にも暖かいお励ましを頂きました。

昨日はパレスチナ問題の集会と重なってしまい、
来場者数は40名足らずでしたが
心豊かな素晴らしいコンサートに
3人のボランティア学生もとても感銘を受けたことを話しております。
デボラさんのお二人の息子さん、また私の長女も手伝い
アットホームなコンサートとなりました。
体調の優れないなか駆けつけてくださった佐々木様、
本当にありがとうございました。

なお、席上献金は43,200円頂戴いたしました。
とりいそぎ、チャリティコンサートが無事終了いたしましたこと、
ご来場へのお礼とともに
心からの感謝をこめて報告申し上げます。

2014年7月6日 日曜日
今朝、ヘイトデモが早稲田奉仕園へ、という情報を頂戴し、
ちょうど、早稲田奉仕園内の日本バプテスト同盟東京平和教会へ
アメリカ合同メソジスト教会から派遣された三人のボランティア学生と
礼拝出席するために出掛けるところでしたので、また、
彼ら(ヘイトスピーカー)の行動情報は私は全く知りませんでしたので、学生3人ももちろん外国人であり(スーダン人、台湾人、ブラジル人…ブラジル以外は国籍アメリカ)
彼らを伴うことに一抹の不安がよぎりましたが主の御旨によって派遣された、また東京平和教会に集う外国籍の方々に危険が及ぶことは、神様がお許しにならないと礼拝に出席いたしました。

東京平和教会の牧師、大矢直人先生は難キ連の運営委員でもあり、
今回の学生の宿舎探しに苦慮していた折に
日本バプテスト同盟神学校学生寮提供を交渉してくださいました。
彼らはメソジストですが、来日以後、日本バプテスト同盟横浜南教会、
そして我孫子市の宿舎へ移動後の今日は東京平和教会での礼拝出席となりました。

大矢先生からはヘイトデモが早稲田奉仕園をターゲットにしていることを
知らされましたが、大矢先生は何事もないように笑顔で「午後3時頃に予定されているというヘイトデモには多くの警官も警戒に入ってくることでしょうからこの奉仕園の中は混乱も予想されます彼らは聞くに堪えない暴言を吐きますが、暴言に対して暴言ではなにも生まれません。
彼らの暴言に私たちは愛を持って迎えたいものです」とお話しされました。
教会内は、私たち4人を含めて何カ国もの人々が集い、声を合わせて賛美し、
ルカ6:46〜49の聖書に基づいた力強いメッセージ、聖餐式、祝祷、と続く
礼拝終了後の愛餐では、和やかにビルマのカレーと牧師夫人の手作りチーズケーキまで頂きました。
私は、かつて難キ連日本語クラスで学んだミャンマー難民の方々とハグして再会を喜び合い、
また難民子女の英会話教室への学生の派遣依頼など、心豊かな充実したお交わりを頂きました。
同教会では、引き続きカチン語礼拝が始まり、私どもは教会を後にいたしましたが
奉仕園内のスコットホール、早稲田教会…( 7月21日にはボーマン先生のコンサートを開催致します。)キリスト教会館など敷地内を案内しながら次の訪問先、東京ユニオンチャーチに急ぎました。

今回のヘイトスピーカーの標的には弊団体難キ連も含まれていたことを帰宅後に知りました。
現在は、すでにお知らせしています通り、耐震改修工事のため、キリスト教会館からは、
長年外国人の人権や福祉のために働いた多くのキリスト教団体が都内各所に移転しており
何故今頃?と疑問が残りましたが、
平和に満ちた礼拝のひと時をもし彼らが共有したらどの様に感じるのでしょう。

先々週土曜日から、学生たちと、品川、茨城県牛久に収容されている
様々な国からやってきて、様々な理由で収容されている人々に面会をしながら
日本人外国人に限らず、私たちは共に手を取り協力し合って生きる方法を
どの様に探ればよいのか課題としましたが、興味深く学生たちのレポート提出を待っております。

本日の聖書の箇所はまさに私たち日本人に投げかけられた生きる姿勢を
神様に問われたような気がしてなりません。

2014年6月29日 日曜日
 昨日午後、難キ連のボランティアとしてアメリカ合同メソジスト教会(GBGM)からの派遣で3名の学生が来日。フィリピンで研修を受けた後、これから1ヵ月半彼らは主に首都圏の難民、難民申請者、仮放免者の問題を牛久、品川両入管被収容者面会支援を通して学び、奉仕活動を行います。早速、空港内カフェで第一週のスケジュール表を渡し、今回のボランティアのメインプログラムである難民支援、仮放免者支援のまえに、日本の全件収容ということを例を交えて簡単に説明。「たとえば…あなたたちもover stayになったら、入管に収容されるということ」「期限は?」「無期限なの…。1カ月なのか1年なのか…、3年、5年の人もいる」に、
しばし絶句。各々心理学、薬学、史学、専攻の若い学生である彼らがどのように日本の非正規滞在にある人々の問題をとらえるでしょうか。羽田から、横浜と移動し、夕食を共にして今週の宿舎である戸塚にあるバプテスト同盟神学校まで彼らを送り、担当のW先生の柔和な笑顔に迎えられ、彼ら共々ほっといたしました。
帰宅は23時過ぎ。数ヶ月前から派遣は決まっていたものの、具体的な事は知らされないまま、フライトを知らされたのも一日前!という…状況で、迎えるこちら側も一抹どころかいっぱいの不安を抱えて迎えた弊団体のGBGMボランティア一期生、案ずるより…の一日でした。心地よい疲労は彼らのさわやかさのせいでしょうか?
彼らが日本の難民申請者、都合良く働かされてOSになった外国人労働者の問題、収容の問題、仮放免、「ありのままに」見て報告してほしいと願ったところです。

2014年6月25日 水曜日
6月24日、聖公会横浜教区の皆さんと東京入管面会支援の際、1階のコンビニエンスストアで偶然、弊団体日本語クラスの第1号の生徒でもあるアフガニスタン難民女性 Jさんと出会いました。ビザが出て一年更新とのこと。Jさんにつきましては、アフガニスタン難民Yさんの義妹で
姉夫婦を頼って日本に難を逃れ難民申請をしましたが、2004年、2009年、収容され、ラマダンの時期と重なり、あらゆる飲食を拒否、急激な体重減少から動けなくなりました。それでも品川から牛久に移送され、牛久では点滴治療を受けるに至り、その間ほとんど毎日面会をを行い、ハンガーストライキはラマダンによるもので政治的な意図のない事を入管側に説明する一方、受任弁護士渡辺典子先生、故今野東先生の貴いお働きにより、牛久移送後わずか2週間足らずで仮放免になり、
その後、食糧支援などを行っておりました。昨年7月、何度か電話が入っていたのですが、ちょうど、弊団体創設以来初めての難局ともいえるGさんの問題に忙殺されていた時期でかけなおすこともしないままに時間が経過、
昨日は「ビザが出た時何度も電話をかけたけれど出なかったから、もうやめたかと思った…」と何度も握手をしながら、 YさんとJさんから笑顔で責められ?ました。
 Jさんの正規滞在化も長年の祈りの課題でしたので、本当に本当にうれしい再会でした。Jさんの経過は本国の明らかな性差別問題でもあり、また日本では脆弱者の収容の問題として取り組んだケースでもありました。

改めて被収容者面会支援が弊団体のミッションであることを認識しました。

2014年6月23日 月曜日
 先週の金曜日、四ツ谷イエズス会の一室、難民当事者と支援者の会議ではまた出現した新たな問題で暗雲が立ち込めていました。先月は、裁判所の陳述書をめぐっての感情のもつれを何時間もかけて解きほぐす糸口を見しだしたばかり。ようやく裁判が進み安堵したところに思いがけなく、他国からの証言者招聘をめぐっての家庭内の温度差が。英語と日本語を交えて、当事者の気持ちに寄り沿いながら解決の方向を探ります。頑なな顔に少しずつ、笑顔が見え始めると、ほんの少しずつ歩み寄り始めるのです。当事者、支援者、凍てついたような表情に笑顔が見えるとき「なぜ難民支援の現場で働いているのか」の答えを私自身も見出すのです。笑顔の明日が見える毎日が彼らにも、非正規に置かれた彼らにも当たり前になってほしい、つくづく思います。

2014年6月22日 日曜日
6月20日世界難民の日のFRJ(なんみんフォーラム)主催の
シンポジウム、
前後に会議があり、ぎりぎりに出席、途中退席させていただきましたが、とても心打たれる内容でした。JAR事務局長石川えりさんの難民申請者の現状報告は、JARの皆さんの真摯なお働きに敬意を表するとともに頷きながら、改めて協働を願ったところでした。カトリック難民移住移動者委員会委員長の松浦悟郎司教様のご講演は、今、難民、移住労働者を受け入れる日本が、かつては移民を送っていたこと、からゆきさんなどの近代史を紐解かれ、近代史を学ぶ必要をお話しされました。
 私的には、シンガポール在住時代は多くのからゆきさんの御墓が並ぶ日本人墓地(余談ですが現地で客死した二葉亭四迷の御墓もありました)を何度か訪れており、当時「サンダカン八番娼館」(山崎朋子著)は熟読、南米生活では、移住当時の意識を持って生活している1世、2世の方々の生活史に耳を傾けるなど、送られた日本人の状況、故国を出なければならなかった日本人の状況と共に、送り出し国の状況、人々についての情報が少ない日本をもどかしく思うこともあり、松浦司教様のお話は、「本当に!!」と声を出しそうなほど(笑)共感を持って拝聴いたしました。宮内先生の丁寧な難民受け入れに関する法的ご説明の途中で退席という失礼をいたしましたがとても学び多い午後になりました。感謝!!
2014年6月22日
難キ連難民セミナーへのご出席、またご関心ありがとうございました。

出席者は20人未満でしたが、歴史から現在まで映像と共に丁寧なお話に
とても感銘を受けました。特に内乱の避難民キャンプの女性が被る被害に
涙と怒りを禁じ得ませんでした。手放しでミャンマー民主化を喜べない事情と
日本にいるミャンマー難民への帰還促進が、入管収容などの形で表れていること、
10万人という避難民キャンプへの支援がほとんど届かないこと、
私たちはまだまだ知るべき現実がたくさんあることに気付かされました。

バプテスト同盟東京平和教会様と難キ連の協働は、...
前牧師の丹野先生の時代から、急病人の搬送と医療費支援や、
カチン族の皆さんを迎えての日本語クラス、早稲田大学学生有志
「カチニーズ」の皆さんの学習支援と日本語支援など、2011年終わりまで
キリスト教会館で続けてまいりました。(2012年より閉講)
今後、現地の避難民支援や、日本にいるカチンの皆さんの支援についても、
また、ミャンマー少数民族の問題を
より深く理解するため、
昨日のセミナーは今後、第2回、第3回と継続していく所存です。

2014年5月30日 金曜日
昨日は事務局から都内某法律事務所に直行。5時から、難民不認定取り消しを求める裁判の陳述書作成の話し合いに同席。
当事者と弁護士との関係悪化で陳述書作成が進まず、一度延期している裁判の続行が危ぶまれていた(前回の話し合いでは当事者が泣き叫ぶような事態になり
その結果裁判の延期を余儀なくされていた)件について相談を受けており依頼がありましたので法律事務所にて当事者、支援者を交えた陳述書作成対策会議に同席いたしました。当初は感情的な発言が双方にありましたが、通訳氏を入れ、丁寧な話し合いを重ねた結果、4時間近くかかりましたが、本人も納得いく12ページの陳述書が完成!、署名に至りました。何よりも丹念な陳述書作成への弁護士の先生の努力が当事者(不信感を募らせていた)に伝わったことは本当にうれしい事でした。
本日、裁判所に提出され、来月予定通り裁判が行われます。
難民申請者の正規滞在化には、支援者、弁...護士、コーディネイトするNGOの三位一体の調和のとれた支援の働きが必要であることを以前から感じており、昨夜はあらためて再認識いたしました。何とか、当事者の裁判勝訴に至りますよう、祈りつつ帰途に就いたところでした。 今週は難民申請後収容と仮放免の繰り返しの後に、病を得てようやく特定活動のビザが与えられたFさんからこちらの健康を案じるメールも。こちらからの返信にまた返信、来週心臓検査入院とのこと。多くの特技、技能?を持ちながら、職業として活かせないまま、そして、病身のまま、孤独のうちに老齢期に入っています。生活保護を受給、何とか生活は維持できていますが、認定を受けた、在特が出た正規滞在化した難民の孤立への対策も、弊団体の使命、ととらえています。
2014年5月19日 月曜日
 この夏、難キ連宣教師デボラさんを派遣しているアメリカ合同メソジスト教会から3名のボランティア学生を受け入れます。3名のうち一人は国籍がアメリカではないため、ビザの申請書類が必要、何とか招聘理由書、活動予定表、団体概要を送って準備完了。主に、彼らには入管被収容者面会聞き取りをしてほしいと考えています。
コスモポリタンの国からやってくる彼らが入管被収容者の実態を見たら驚愕するのでは…。
2014年5月18日  日曜日
 1989年9月に創設以来25年、住み慣れたキリスト教会館の耐震改装工事のために、神楽坂駅近くの新事務局に引っ越し、ほぼ完了。四半世紀の活動の記録は歴代代表、諸先輩、運営委員の皆様方の地道なぶれない活動が積み上げられたもの、日本社会の底辺を支える多くの外国人労働者の人権のための真摯なお働きにただただ敬服しながら、この度の事務局の引っ越しに伴う膨大な量の貴重な書類の山!設立経緯から現在までの資料整理に追われた金曜日でした。土曜日は朝から、昨日不在着信の電話にかけなおし。胃カメラ検査を受けた病院で検査後に倒れたとの報告があり、すぐさま電話で安否を尋ねると、すでに回復自宅に戻っていることにホッとしました。特に機能には問題がなく、ストレスが原因とのこと。滞っている裁判について支援者代表の方からの相談を受け、次週の訪問を伝えながらも、長い非正規滞在の難民申請者はストレスをためるだけため込んでおり,頷きながらしばらく話を聞きました。本日到着しているはずの食糧の確認などをしている間に落ち着いて少し安堵いたしました。着信で残されたメッセージには聞き取れないものもあり、昨年のチャーター機送還の輸送機入札が行われたのがちょうど今頃、かけなおしができないメッセージに落ち着かない気持ちです。
 
2014年5月11日  日曜日
今日は母の日。朝、一番に携帯にはかつての日本語講座生Nさん(ミャンマーカチン民族)からの「Happy Mother's Day!」(感謝!!)諸事情から現在は難民日本語講座は休講しているが
2011年8月まで日曜日午前中は早稲田大学学生有志カチニーズの皆さんが、午後は難キ連ボランティア講師が日本語指導に当たり、前年度2010年の日本語検定では午後クラスの90%がN1からN5まで合格、休講後も各々日本語習得に励み、検定に挑戦していてNさんもその一人です。キリスト教会館のある早稲田奉仕園敷地内日本バプテスト同盟東京平和教会で、多くのカチン民族の方々が礼拝を守っていることから、午前、午後の日本語クラスはカチンの皆さんの拠り所となり、Nさんカチンのみなさんはじめビルマ民族、カレン民族、イラン、クルド…諸国からの難民講座生の皆さんにセカンドハーベスト様からの食糧提供、交通費の支給、日本語検定の指導、受験料全額支援を行いました。まだ時折の食糧支援(宅配)は続けておりますが、日本語講座は指導者もいないことから休講中で、再会が望まれております。
 
さて、今朝の朝日新聞の一文「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で民族浄化の目的で公然とレイプが行われ…」が目にとまりました。世界を震撼とさせたあのニュース、実はミャンマーの民主化の陰では政府軍とカチン民族、カレン民族の紛争の中で、政府軍兵士は半ば公然とカチン民族女性をレイプするという事態が生じました。生まれた子供を女性の母親が育てている状況も含めて、映像とカチン民族の問題を彼らの魂に寄り添う大矢直人東京平和教会牧師が6月21日の難キ連セミナーでお話しいたします。今年1月25日の、「外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会(外キ協)」の第27回全国協議会最終日に大矢直人先生が発表、映像は見る人全てに衝撃を与え、また、現在、ミャンマー民主化に伴い、帰還促進のありカチン民族はじめ難民として日本に庇護を求めたミャンマー難民の方々のビザや仮放免期間の短縮、仮滞在から仮放免へなど問題は相変わらず深刻化していることもあり、6月21日土曜日の午後に、大矢先生を講師に迎えセミナーを開催することになりました。大矢直人先生は難キ連の運営委員、外キ協
役員も担っていらっしゃいます。過去の難キ連コンサート、セミナーではNさんはじめカチンの皆さんの手工芸品も販売し、好評を頂きました。6月21日のセミナーでも彼女たちの出店をお願いしています。

 なお、6月20日には世界難民の日に寄せて難民フォーラム主催のシンポジウムも開催されます。6月20日は世界難民の日でもあり、6月一カ月、日本、世界の難民の問題を有識者だけではなく研究者や支援活動者だけではなく、広く一般市民の方々が身近な問題として考え、何ができるか関心を寄せていただきたいと願っております。

 7月21日 海の日には午後6時〜「難キ連チャリティコンサート〜全ての難民、移住労働者のための祈りと音楽のゆうべ〜」を開催いたします。ボーマン・ベアンテ、ルリ子夫妻は昨年も、世界難民の日記念コンサートで演奏してくださいました。神の音と称されるボーマン氏のチェロ、ルリ子夫人のピアノが醸し出す調べの美しさは文字では再現できませんが、はるか以前、まだボーマン先生が東京交響楽団の首席チェリストとしてご活躍の頃、NHK番組「ちいさこべ」の録音収録の際ボーマン先生のソロ演奏が始まると、居合わせた放送関係技術者まで感動の涙を流したそうです。昨年、リハーサルの時間も必要とせず、ほとんど音合わせのみで演奏を開始されましたが、サンサーンスの白鳥はじめ1時間半にわたる演奏、体が震えるような感動を覚えました。
 私は30年前に教会コンサートでご夫妻の演奏を拝聴してからのファンで、サントリーホールのコンサートにも足を運んでおりましたが、ますます円熟の御演奏、気さくで温かいご夫妻の息の合ったトーク(先生の曲の解説、聖書のみことばからのお話しをルリ子夫人が通訳…これが非常に楽しいのです)、今年も演奏のご奉仕を頂けること、仕掛け人として本当に光栄で今から楽しみにしているところです。海の日は猛暑の頃でしょうが、夕方の涼しい、スコットホール(早稲田奉仕園内日本基督教団早稲田教会…歴史的建造物です)に多くの皆様にご来場いただきたいと願っております。当日は入場無料、難民の証言もあります。

世界中の母親が子や孫、愛する人を戦場に送ることのない、 戦争で失うことのない平和な社会でありますように!!

2014年5月3日 土曜日
これまで通いなれたキリスト教会館が耐震改修工事へ。先月末から事務局の移転作業。7月のチャリティコンサートを控え案内作り、アメリカからボランティア受け入れのためのビザなどなど手続きもあり、ようやくデスクを移動しました。夕方がらんとした事務局で書類の整理しているところへS夫人(難民申請者)から電話。「ありがとう、言いたかっただけ。網戸入ったよ。古い冷蔵庫も持って行ってくれた」声が弾んでいてうれしい。先週は引き込まれそうな沈んだ声でした。子供の声への近所からの苦情にすっかりふさぎこんで、それが引き金になったのか様々な降り積もった不満が次から次へ…「子供たちに近所のおじいちゃんがお年玉3000円くれた。それを言ったら2月はお金減らされたよ。」は本当に胸が痛いのです。難民事業本部RHQから支給される保護費は本当にありがたいのですが、お年玉でもクリスマスプレゼントでも何か現金収入があったことを申告すれ...ば、次月の支給からは確実に減額されるのです…。彼女のとつとつと話す声が、気になっていただけに、昨日はほんの少し生活が改善されることの報告でも弾んで話す声をうれしく聴きました。多くの仮放免の難民申請者にとって、シェルターに入居できる事、RHQの保護費が受給できることは、本当にありがたい事です。支援する団体にとっても。特に、弱小団体には。
 入管の中でも、仮放免になっても、就労許可がない、ビザがない、難民申請者は日本社会で即戦力になれる力を持て余しながら、無期限の失望感の中で暮らしています。飛び切りの料理の腕を持つS夫人が即戦力になれるように、就労許可のビザ(認定、…無理ならば人道配慮)がほしい!!まだまだ、けれどぼちぼち、倒れないように、今、関わっている非正規滞在の仮放免難民申請者の正規滞在化のために働かなければ…と思いを新たにしたところでした。

2014年4月2日 水曜日
2か月ぶりの東日本入国管理センター被収容者面会です。8分咲
きの桜並木を通り、車から降りると鶯の鳴き声が美しく響きました。この恵まれた自然環境の外国人収容施設で先週末、相次いで二人の被収容者―イラン出身男性とカメルーン出身男性が急逝いたしました。彼らは手が届きそうな場所に咲く桜の花を見ることなく、清々しい外気にも触れることなく母国から遠い日本の、何重にも鍵をかけられた部屋で(居室から面会室までは鍵のかかる扉が数か所あるそうです… 被収容者より)
季節の移ろいも知らずこの春を迎え、苦しみの中で息絶えたのです
 本日面会した被収容者Aさんの言葉によりますと亡くなったカメルーン出身男性は「成田から牛久に移送されて一年、一度も外に出ることがなかった」とのこと。一層悲しみを深くしました。かく云う収容36ヶ月のAさんも5回目の仮放免申請が却下されたと持病の高血圧で充血した眼に涙を浮かべて嘆きました。...保証人と連絡を取り対策を講じること、できるだけ早い再訪を約束して退室しましたが、予備軍は何人もいるのです。

 牛久の待ち時間が長いことは、面会支援活動を行う者にとって頭痛の種、しかし、その待合室が貴重な情報交換の場になることも否めません。「牛久収容所の問題を考える会」で地道な面会支援活動を続ける田中喜美子さんはじめ井上さん、細田さん、増田さん、みなさんの真摯な活動姿勢に接し、多くを学ばせていただきます。また、今日はコソボより帰国して活動再開された弁護士大川先生にもお目にかかることができました!!感謝!

被収容者面会支援を始めてすでに14年目、思わぬ再会の機会も与えられます。
待合室で声をかけられた女性、は本日、石鹸やシャンプー、歯ブラシ、はがきなどの差し入れ品を準備していったBさん!でした。彼女Bさんは昨年早春、一度に6本の抜歯!!、入れ歯装着費用の一部を届けたのは昨年のちょうど今頃でした。12月に仮放免になったとのこと。入れ歯も入り、すっかり若返った彼女は見違えるばかり!!差し入れ手続きの必要がなくなった日用品は彼女にお土産として手渡しました。 

アメリカ同時多発テロ後、多くのアフガニスタン難民に面会支援活動を始めたばかりの頃、
一日に23名に面会したこともありましたが、今は、面会制限あり、どんなに長く居ても一日1組しか面会できないことのほうが多く、支援者の面会を待っている被収容者の健康状態も本当に気がかりです。私どもは、面会者にも、時間がなく面会ができない被収容者にも差し入れの品を持参いたしますが、もっと多くの被収容者に面会支援ができれば…彼らの声に耳を傾けることができれば…と切に願っております。

待合室のドアには以下の報告が貼られていました。

「平成26年3月31日

 東日本入国管理センターに収容中の被退去強制者2名が,収容施設内で意識不
明の状態となったことから,直ちに救命措置を講じる一方,救急車の出動を要請
し,救急車で病院に搬送しました。
 救急搬送後,医師が救命に向けた措置を執りましたが,被収容者2名とも病
院で死亡が確認されました。その概要は,下記のとおりです。
 なお,死亡者の氏名等の身分事項,病院名などにつきましては,公表を控えさ
せていただきます。
 亡くなられたお2人の方に対しては心から哀悼の意を表します。
 また,ご遺族の方には,心からお悔やみ申し上げます。

                  記

1 本年3月28日19時50分ころ,被退去強制者(イラン人男性,30歳代)
 は,食事中に食物を喉に詰まらせ,意識不明となったことから,直ちに喉の異
 物の除去に努めるとともに,速やかに救急車の出動を要請した。
  救急車が到着するまでの間,AEDを起動し,心臓マッサージ等の救命措置
 を講じるなどして病院に救急搬送し,その後も医師による延命治療が続けられ
 たが,3月29日15時26分,病院で死亡した。

2 本年3月30日07時ころ,被退去強制者(カメルーン人男性,40歳代)
 が呼びかけに応じず,意識及び呼吸がない様子であったことから,直ちに救急
 車の出動を要請した。
  救急車が到着するまでの間,AEDを起動し,心臓マッサージ等の救命措置
 を講じるなどして病院に救急搬送し,医師による救命治療が施されたが,3月
 30日08時07分,病院で死亡した。」

むなしさと無力感、そして再会の喜び、明日するべきこと、入り混じった思いと空っぽになった差し入れの袋とともに牛久を後にしました。


2014年3月20日、
平成25年度の難民認定数、および庇護数が法務省により発表されました。
3000名あまりの難民申請者数に対し認定6名を含む庇護数は157名とまさに「難民鎖国」を表しているとしか言いようがありません。発表前日はシェルターに住む難民家族を訪問しておりました。彼らは難民申請から7年、シェルター入居6年目を迎え日本で生まれ育った子どもたちは5歳、2歳になります。
子供たちは無国籍のまま成長しています。澄んだ眼差しと笑顔の子供たちの父親は母国の迫害を逃れ日本に庇護を求めてやってきました。しかし、来日当初は自国への通報に恐怖を覚え難民申請ができませんでした。そのため、申請が遅れたことにより法務省はなかなか難民とは認めず、在留許可のない、就労許可もない、働くこともままならないまま、難民申請→不認定→異議申し立て→却下→難民不認定の取り消しを求める裁判...提訴と7年が経過しました。就労許可も与えられず、支援グループ、団体からの住居や細々とした生活支援により都内の片隅で親子4人命をつないできました。
最貧の暮らしの中、2Kのシェルターは清潔に磨きあげられ、信仰篤く心豊かな両親に育まれた子供たちは明るい笑顔の子に成長しており、母語はもはや日本語であり幼い彼らの話す声に耳だけを傾ければ日本人の子供としか思えません。しかし、彼らには在留資格がないことから、児童手当などの受けるべきサービスは与えられていません。それでも「私は日本に感謝しています。もし、母国にいたら、今頃は死んでいました。シェルターに入れていただかなければ二人の子供も育てることができませんでした。」私の訪問のために焼いてくれた質素なパンとコーヒーを振る舞い、丁寧な日本語で感謝の気持ちを伝えた彼らがいつも案じるのは無国籍の子供たちであり、難民として認定されず、「仮放免」という見えない鎖で繋がれた両親のもとに生まれ帰るべき祖国も、国籍も持たない子供たちの将来です。難民と認定されれば、あるいは人道配慮のビザでも在留資格が付与されれば、日本社会の即戦力となる父親、母親はもとより、無国籍のまま成長する子供たちもやがて母国と日本の懸け橋、人材となりえるのです。在留資格もないまま社会保障の枠組みの外に置かれた無国籍の難民の子供たちは彼らばかりではありません。25年度の認定数に愕然としながらも、せめて、全ての無国籍難民子女に道が開かれる様な難民受け入れをと心から祈ってやみません


2014年1月28日   火曜日 快晴
1月25日、バプテスト同盟東京平和教会で開催された「外国人住民基本法」の制定を求める第28回全国キリスト者集会 に参加いたしました。20年前から多くのビルマ カチン族難民の方々が礼拝を守っている同教会での集会にふさわしい内容で、カチンの文化に触れる心豊かなひと時を共有させて戴きました。同教会前任牧師の丹野先生の時代から難民の方の急病の病院同行や、難民子女英語教室、運営委員会の為の会場をお借りしたり、現牧師大矢直人先生ご夫妻にも何かと御世話になっております。2011年まで開講していた弊団体難民日本語教室は早稲田大学学生のグループカチニーズと協働でカチンの皆さんの日本語教育に携わりましたので、カチンの状況について彼ら彼女らが話す内容から、状況を知っているつもりでおりましたが、当日、大矢直人先生のメッセージの前に映し出された、
ミャンマー政府軍とカチン族の今なお続く内乱の状況についての映像は、本当に胸痛む内容...で、「ミャンマー民主化」の陰で、まだまだ多くの人々が傷つき、庇護を求めている事を知らせなければ…とつくづく思いました。
 日本で生まれた難民の子供たちの多くが無国籍のままで成長しており、カチンの子供たちにも無国籍は少なくとも50名と聞いており、本日のカチン女性の証言では、夫の入管収容時の苦しみ、成長する子供たちの教育問題と、日本語で育つ子供と母語で暮らす両親とのコミュニケーションギャップの心配も報告されました。「ミャンマー民主化」以来、日本にいるミャンマー難民のビザ延長期間が短縮されたり、これまで仮滞在だった人が、仮放免、といった状況になったり、…正規滞在化が難しい状況を憂慮しております。本日の集会主催の外キ協が提唱する「外国人が住みやすい街は日本人も住みやすい」多民族多文化共生社会の実現を、すべての子供たちの未来の為に求め続ける大切さを痛感、また、今年も小さな働きを続けようという元気を戴きました。


2014年1月14日  火曜日 晴れ 
 前回の記述から7カ月余り、業務のほとんどの時間と物心両面の支援力をもって難民申請者Aさんのシェルター占拠問題に
真正面から向き合い、支援団体の持てる力の限界まで持続的住居支援の提示など説得を試みましたが、頑として説得にも応ぜず動かず、苦渋の決断としてAさん支援撤退を決め、「建物明け渡しを求める裁判」を提訴いたしました。


2013年5月30日  木曜日 曇り
  晴れるにつけ、雨が降るにつけ、日本にいる難民申請者や難民、外国籍労働者とその家族の生活状況が気になって仕方がありません。
2013年2月19日 火曜日 雨
 厳しい寒さはいつまで続くのでしょう。今日も朝から一桁止まりの気温。牛久、品川からの電話が途切れることがありません。この寒さの中、仮放免の人々、ホームレスの難民申請者、どのように過ごしているのでしょうか。案じられてなりません。
 先週の木曜日は、相模大野バプテスト教会「平和をつくる会」の皆様からの冬物の男性衣類を抱え牛久に収容されているアフリカ難民申請者男性の方々に差し入れをいたしました。昨年4月に日本の難民申請者の状況をお話させていただいたご縁により、代表鷹巣様の貴い呼びかけのお働きで、L.LLサイズの冬物男性衣類、献金をお送りいただき、切手、封筒などとともに差し入れすることができました。また、日々次々に起こる問題についてはお祈りの会で、毎週皆様にお祈りいただき、私どもの支援活動を物心両面から支えてくださっています。心から感謝申し上げております。
 難キ連の入管被収容者面会支援が始まって12年目を迎えておりますが、度々変わる面会申請のシステムにより、面会出来る被収容者は要望の半分がやっとというところです。このところ、首都圏から3時間近くかかる東日本入管センターに面会に出向いても、「面会制限にご協力を」というはり札により、たった一人にしか面会することができずにスゴスゴと帰る道は、無力感を限りなく味わうことになります。コレクトコールでかかってくる電話が彼ら(被収容者)と外の社会をつなぐ縁であれば無碍に断ることはできず、彼らの状況を聞き取り、面会することを告げます。しかし、期待感を煽ることを避けるべく、このところは牛久に行っても必ずしも約束した日にちに面会できる保証はない事も告げます。入管被収容者面会支援活動は、彼らの言い分を聞くだけではなく、彼らにとって(将来にとって)帰国という選択肢を交えながら話し合い、日本人配偶者がいる場合は出来るだけ家族の統合という選択に近づくような手段を考える、そのための支援機能への連帯を含め、医療の問題があれば治癒に向けての対策を練り、また、日本社会への定住を希望しても、法的に無理なケースも多々あり、そのような場合は出来るだけ収容の疲弊を募らせないうちの帰国を促す、といったこともあるのです。ひとりひとり、顔と顔を合わせての面会が可能であれば…と、遠い道のりを面会に出向いても一人しか面会ができず、「貴方がたに会いに来ましたよ」と一言のメッセージを記した名刺を何枚も差し入れしての帰途はため息ばかりです。
 アメリカ合同メソジスト教会から難キ連に派遣され7年目になる宣教師のデボラさんとも交わす言葉が少なくなる帰り道です。
 
今年は、いまだ突発性難聴の回復が遅く、広い会場での聞き取りが困難な事も有り、難民裁判、
大きな会場での外部会議は失礼させていただき、狭い面会室で、余り聞き取りに不自由を感じない被収容者面会に仕事の比重をかけております。しかし、チャーター機での大量強制送還も現実味を帯びており、被収容者から丁寧な聞き取りを行い、ひとりでも多く、彼らの意にかなった、日本の内外を問わず、人間の尊厳が守られる社会復帰ができるよう、デボラさんいわく「直子さんへのミッション」を粛々と果たしていきたいと願っております。

2012年11月15日 木曜日
 また一年が過ぎ去ろうとしております。今年もあと1ヶ月半を残すのみとなりました。様々な物心両面からのご支援によって運営される難キ連は今年も費用対効果大の働きを残すこができました。ご支援くださいました皆様に心から御礼申し上げます。心から感謝です。

 難キ連活動をお支えくださった、NPO法人セカンドハーベスト佐久間ルビー様、そして、長い間「節子さんのジャム」をご提供献品くださった、カトリック高崎教会信徒 丸山節子様(丸山靖人様御母上)がご帰天されました。この世でのお別れは本当に寂しく、尊敬申し上げていたおふたりのご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様に神様のお慰めありますように心からお祈り申し上げます。

私事ながら事務局長自身の体調不良により、10月から思うような支援活動は停止しております。突発性難聴に加え、不整脈により心不全を起こしかけるという状況を呈し、外部会議への出席、様々な相談対応に支障をきたしていることに心からお詫び申し上げます。

良いお年をお迎えください。

2012年3月23日 金曜日
 冷たい雨の一日となりました。難民申請中の女性Aさんに住居がほぼ決まり嬉しい一日となりました。駅からも徒歩10分というところにリーズナブルな住居を借りることができそうです。難民事業本部からの保護費受給でほぼ家賃をまかなうことは可能となり、日本に庇護を求めてやってきたAさんの謙虚な姿勢はこれまでの苦しさを微塵も感じさせず、住居探しに同行したことへの感謝をこちらが恐縮するほど表してくれました。Aさんのこれからの日本での生活が少しでも居心地のよいものとなるように祈りつつ別れました。ディズホームのTさん(担当)にも感謝です。

 前日は事務局で数件の難民家庭、支援グループにNPO法人セカンドハーベストからの食料品
を分配いたしました。今月2日、セカンドハーベストパントリーのルビー佐久間さんが天に召されました。2006年から共に汗を流して食料の箱詰をし、ボランティアの難キ連日本語講座の生徒達を暖かく迎え励ましてくださいました。毎週の食料提供、また財政難で苦しい弊団体にも少なくない献金を捧げてくださるなど、いつも変わらぬ笑顔と暖かい励ましで物心両面からお支え頂きました。私たちは彼女の尊いお働きと愛に満ちたすべての行いを忘れることはありません。ルビー佐久間さんのご冥福を心からお祈りいたします。

 このところ、様々な相談が相次ぎ、残してくださった留守電にもまだ返信できない状況です。順次返信させていただきます。ご容赦下さい。

2012年2月26日 日曜日
 昨日は日本キリスト教婦人矯風会において難民学習会が開催され、日本の難民、難民申請者の現状をお話させていただきました。ビルマ難民として認定されたKさん、Sさんも証言、おりからの悪天候で出席者は少なかったものの質疑応答では非常に活発に論議、有意義な時間を共
有させていただきました。23年度の難民認定数が公表されましたが、23年度は1867人の申請で、過去最も多い申請に対し、21人というのはあまりにも少なく、特に一時申請は7人しか認められていません。早速、大阪の支援活動をなさっている方からは、認定数が少ないのは、非国家主体による迫害を認定しない方針を入管がとっているから…とのご指摘もありました。昨日も論議されましたが、国連の難民条約の難民の定義に合致しないケースは認めないという方針を頑として変えようとしない、入管の姿勢が強く現れている数字と見ています。特にアフリカからの難民申請者の多くが部族間の抗争で親族を殺され、命からがら逃げてきたり、難民を証明する書類の準備が困難といったケースもままあります。
 一昨日は仮放免になったばかりのアフリカ出身の難民申請者A氏からコレクトコール。公衆電話から、当初、様々な怒りを露わに話していましたが、弊団体はケースワークをする団体ではなく、生活資金や住居の支援等は到底できない旨話し、難民支援協会さん、CTICさんなど他の団体に、と伝えると「食べ物もお金も必要ないから話を聞いて欲しい」と。45分間、耳を傾けているうちに、次第に落ち着き、「話を聞いてくれてありがとう」と穏やかに礼を述べて受話器を置きました。一昨年、人権上無視できないケースとして、当時3度目の収容中だった難民女性の仮放免と生活支援に力を注ぎましたが、自らの状況改善への努力は一切見られず、「支援者や支援団体は難民の自分を支援して当然。」とばかりに、傲慢な態度を増長させるにいたり、支援協働を担い医療費の負担や入管出頭同行をしてくださった「難民を支援し連帯する会」の有志の皆さんには大変ご迷惑をおかけしてしまいました。非正規滞在で就労権のないままに住居(シェルター)が与えられ、光熱費を支払うことなくいつのまにか、お金も食べ物も「誰かがくれる」支援慣れをしてしまい、難民と認めない日本政府が悪い、支援してくれないNGOが役たたず…などと、あちこちで声高に喚くばかりになってしまうのかもしれません。彼女の場合は他団体に涙ながらに「難キ連が支援をしてくれると言ったのに嘘をついた…支援をしてくれないから自分は病院にも行けない」と泣きつくことでこちらを苦しめました。実際は、セカンドハーベストからの食料提供、医療費は全額支援者カンパで支払われており、彼女は一円の支払いも必要としないで治療を受けることができます.
ゲストハウスの家賃や生活費の貸付(名ばかりの貸付)交通費の援助などが費やされたこと、精神科でPTSDの治療を受けるために自立支援法適用申請に猛暑のさなか走り、震災をはさんで何度もの引越しの手助け、物心両面からの弊団体の限界までのこの1年半の支援に対する彼女の仕打ちとも言える苦い経験は、ケースワークを持たないはずの連絡会というネットワーク事務局としての働きを担う難キ連が行なってしまった(受け手のすべての要求には答えられなかった)支援の結果として多くの教訓を事務局長、宣教師、運営委員スタッフに与えております。
以来、被収容者面会においても、相談対応においても「難キ連は、ケースワークはしません。生活資金の援助や住居など生活支援はできません。あなたの話を聞きながら問題をどのように改善するか、どのようなサービスにつなげるか一緒に考えます」とまず、伝えることにしています。
 前述のA氏との電話はまさに今後の難キ連の難民支援の方向を明確に示してくれたと、穏やかに礼を述べてくれたA氏に「Thank you for caling,」と受話器を置きました。
 難民申請者の支援は、収容されていた場合は、仮放免保証金(1円〜300万円)、保証人住居、生活費、医療費、同行費…個人があるいは小さなNGOが抱えるには途方もない資金を要することになります。なんとか公的な支援につなげるためにも、就労権のある、難民申請者の正規滞在化が強く望まれます。
2012年2月20日 月曜日
 2年ぶりにニュースレター37号を編集発行致しました。
すでに2月はじめ全国のNCC(日本キリスト教協議会)加盟の諸教会ならびに関係諸団体に送付されております。
 7月15日のブログ直後、私事ながら夫が急性肺炎で入院中脳梗塞を発症、左半身麻痺となり3つの病院の転院、4ヶ月の入院に次ぐ自宅介護のため休ませていただきました。ようやく仕事復帰しております。
夫の急性期病院入院中に同じ脳卒中集中治療室には中国語しか話せない女性が運ばれて来ました。意思疎通もままならないまま治療、看護を受けていました。こちらはリハビリテーション病院への転院を余儀なくされ、気がかりながら彼女のその後はわかりません。難キ連事務局への相談はほとんど非正規滞在にある難民申請者や収容と仮放免の繰り返しの中にある移住労働者からです。医療費の100%自己負担という、就労権もないままに社会保障の枠組みから阻害されている彼らの彼女らの置かれている状況はあまりにも厳しく、一日も早い、ひとりでも多くの正規滞在化が望まれます。
2011年7月15日 金曜日
 7月9日のコンサートは7年間続けて開催してまいりましたが、今年はJELAホールをお借りして、例年よりは少人数定員の会場で開催させていただきました。しかし、ほぼ満席の状態で、演奏者と来場者が一体となって音楽を楽しむ、まさに音楽の本来あるべき使命が活かされたコンサートとなりました。また、今年は4年間のうちに3度もの収容を経験した難民申請者が日本語で体験を話しました。今週は、月曜日、火曜日と品川入管、議員会館と走り回っているうちに、疲れか、夏風邪か、焼けるような喉の痛みと咳でダウンしてしまいました。宣教師のデボラさんの英語教室が今日はバプテスト同盟様の会議室をお借りして開かれています。
 難キ連の活動は多くの方々、団体のお支えによって続けられてきました。このたびのコンサートは日本福音ルーテル社団事務局長森川氏が自ら土曜日の出勤をなさってホールを開けてくださいました。本来は土日はお休みです。尊いご支援に心から感謝申し上げます。

2011年7月7日 木曜日
 このところの忙しさはたとえようがありません。いよいよ明日は難キ連チャリティコンサートです。
ルシア塩満さんのアルパ演奏は卓越して人の心を揺さぶります。また高橋マサヒロさん、菱本さんとのトリオでのフォルクローレも、もっと多くの方々に聞いていただきたいと思いながら集客はなかなか思うように出来ません。このたびは日本福音ルーテル社団様の特別なお計らいで、本来はお休みの土曜日の午後にJELAホールをお借りしました。ステンドグラスが美しい、室内楽にはうってつけのホールです。出来るだけ多くの方々にご来場いただけますように、ただただ祈りつつ準備をしています。
2011年3月14日 月曜日
 朝から余震が絶えません。本日は難民申請者Aさんのシェルター同行を予定しており、電車で向かうつもりでしたが電車の運行状況から支援に携わる人が誰も都内に入れないことが判明、一人、宣教師デボラさんの自宅が23区内で比較的、現在の居場所から近いので一時保護をお願いしたところ、快く了承していただきました。しかし、本人は、シェルター、以外への移動を好まず現在の居場所にとどまることとしました。ガソリンが供給されない限り、車は何台あっても鉄の塊でしかなく、先日の震災の深夜まで臨時バスが北千住駅に次々入ってくる様子を思い出し、
電車やバスの公共交通機関の整備と充実の必要を今回ほど強く思ったことはありません。もし、
電車のすべての運行が不可能と理解した時点で、バスの増発と情報伝達の工夫がなされていたら、帰宅難民は半分に減ったと思います。地震発生時から北千住駅到着の11時まで、都内各所で宿泊場所の都立高校などの解放先の情報が速やかに伝わっていたら、あるいは都内から自宅に向かう人々のために臨時にバスが出ていたら(例えば、北千住→常磐線沿線行き、など)
と思います。世界各地から、今回の震災時に暴動もなく略奪もなく、整然と電車を待った、あるいは帰宅の途についた日本人への評価が著しく上がったそうです。
 週明けの月曜日、仮放免許可延長出頭に出かける必要のある難民申請者やオーバースティなどの外国人労働者の人々へ入管の方から、出頭延長も認められると転送メールがあり、ほっといたしました。
以下、全難連MLへ投稿転記します。

全難連の皆様
以下転送いたします。
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仮放免出頭だけども電車が動かなくていけない、というビルマ人がおり、入管に連絡したところ、自分で電車の運行状態等確認し、出頭できる状態になったら速やかに出頭してくださいとのこと。今日中にいけない場合(行っても帰れそうに無い場合)は、後日になっても大丈夫だそうです。
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事務局 杉本


2011年3月13日 日曜日
金曜日午後1時から2時まで民主党難民WTのNGO〜現状聞き取りの会議に出ておりました。
会議終了後、議員会館を出たのは2時半を過ぎたころだったと思います。
3時には亀戸のひまわり診療所で難民申請者女性Aと会う約束をしておりましたので
すぐ携帯で診療所に先に行き、私を待つように連絡しました。
国会議事堂前から千代田線我孫子行きに乗り、大手町駅に入ろうとした瞬間
揺れとブザーとともに急停車、宮城県地方でかなり大きな地震があったとのアナウンスで
車内にとどまるよう指示がでました。
一番気がかりだったのは、亀戸で待つAさんのことでまず、携帯は通話が不能になっていましたので支援者の方々にメールで手短に状況説明安否確認をお願いいたしました。そのうちに、
車内からホームに出るよう、ホームから改札口の外に出るようにとの指示があり、
地上に上がると、「東京湾に津波警報が出ましたので皇居前広場に非難してください」とのこと。
歩いて皇居前広場に行きましたが、人がいっぱいでまた、大手町駅に戻りました。
その頃になって、車内で「怖い」を連発しながらしがみついていた隣席の女子大生と、
ホームで待機中に言葉を交わすようになった女性と3人で行動するようになっていましたので
携帯で得られるニュースを学生のお嬢さんが伝えてくれ、おぼろげながらとにかく、交通機関は完全麻痺、ということが理解できました。私自身は早稲田の事務局にも戻れない、自宅へ帰ろうと決め、運命共同体?となった3人で協議の結果、千代田線に沿って北千住方面に向かって歩こうということになり長男からは「こちらは全員無事、自身の安全確保を」、との連絡が入り安心したものの、Aさんの安否確認を何度もメールで送信しながら大手町→新お茶の水→湯島→根津→…と歩きました。夕方になって、彼女は難民を支援し連帯する会の山崎さんと一緒にひまわり診療所でお世話になっているとのメールが入り、本当にホッといたしました。
地下鉄の駅に到着するごとにいったん降りて、運行状況を見ましたが
運転再開見込み未定の張り紙ばかり。携帯は不能で(メールは何とか、時々可)
何が起こって、どのような状況なのか、まったくわからず、もうかなり歩いた後、
私用携帯をなくしていることが判明。皇居前広場に行く途中、小雨が降り、
傘を出したときに落としたのかも知れません。根津駅につく頃に女子学生と別れ、
日も暮れ、風は冷たく寒くなってまいりました。
ほとんど休みなく歩き、千駄木→西日暮里→町屋まで来て、
もうお一人とも別れ、時間も午後9時近くになり疲れて寒さはいっそう厳しくなりました。
あと少し歩けば北千住、しかし、町屋ー北千住間は結構距離があることを思い出し、
町屋駅で駅構内(かなり狭い)に降りると20名近い人がやはり待っていました。
電車の運転再開見込みも立ちませんがすでに午後9時近くになっており、
途中何度も家族への携帯通話を試みたのですが不能、
公衆電話はどこも長蛇の列で、その時間まで、通話での確認が出来ていませんでしたので
比較的、人が少ない町屋駅でようやく公衆電話にならび自宅と夫の職場に電話。結局通話が出来たのは午後9時、ようやく夫とも連絡がつき、お互いに無事であることを確認しました。
(すでにメールは何度も送っていたのですが、後にこれもかなり送信されていないことも判明しました。携帯は留守電が次々にたまることがわかっても聞くことも出来ません)
夫が職場でタクシーを呼んでいるが、首都高速が封鎖されたために、都内はどこもかなりの渋滞、何時に来るかはわからない、とにかく、待っているようにとの事もし移動可能であれば北千住で待つようにと。
地震発生以来、ほとんど歩く以外は立ちっぱなし。ようやく11時近くになって、表参道ー北千住の運転再開、北千住行きの車両の中で待ってもよいとのアナウンスで、ようやく腰を下ろしました。
車内で隣り合わせた高校生の男の子から、地震の後の津波の惨状を聞きました。
車内で待つこと1時間近く、ようやく電車が動き、何とか北千住までたどり着くことが出来ました。
しかし、電車を降りるともう駅構内は人でいっぱい。
公衆電話はまたも長蛇の列。しかし、何とか、夫には北千住についたこと、待ち合わせ場所を告げ、駅前で待つこと、2時間あまり。地震発生からもうすでに10時間、駅前の電光掲示板が絶え間なく地震の惨状の映像を放映しており、何が起こったのか現実をようやく把握できたのでした。
職場の方々とタクシーに乗った夫が北千住に到着したのはもう深夜2時近く。
「帰宅難民」となった12時間の中で、実は一番大変だったのは、
北千住駅前で寒風の中、立って待っていた2時間あまりでした。寒さが身にしみ、
足はもうすでに感覚がなくなるような気がしました。時折、意識も遠のくのではないかと。
そのとき、私は日本に庇護を求めてやってきた難民申請者の人々の苦しみを思いました。
タクシーを今か今かと寒さに震えながら、立ちっぱなしで待っていたあの時間こそ、
今の難民申請者の人々の苦しみではないのか。今日の一日は、どの時点でも
程度の差はあれ、難民にいたる人々の辿った経緯ではなかったかと…。
そして一番辛い、と感じたあの時間は
難民認定を待っている国内にいる難民申請者の人々の現実の苦しみではないかと。
 
深夜3時、ようやく自宅に到着いたしました。
昨日から、様々な難民、支援者、身内の安否を確認しながら、
ボランティアの先生方と協議の結果、日本語クラスの臨時休講を決め、
連絡しました。
日本語クラスの方々はほぼ何事もなく週末を迎えている様子、
安心いたしました。Yさんは、何か自分たちに出来ることはないかたずねてきました。
 
明日、弊団体運営委員大津恵子先生のご尽力で、確保できたシェルターまでAさんの移動に同行いたしますが、事務局のあるNCCの内部も心配です。セカンドハーベストも土曜日の配達も不能となり連絡が入りました。ただ、ガソリンスタンドはもう給油できるガソリンもなく車は出せません。スーパーマーケットはどこも棚はガラガラ、特に、パンやお米、主食になるものは全くと言って良いほどありません!運営委員佐々木さんと二人で電車で向かうことにしましたが、輪番停電がすでに発表されており、電車の運行が心配です。明日のAさんの移動が無事に済みますようにとひたすら祈っております。
 被災地の皆様のご無事、ご健康、とともに一日も早い復興に私たちみんなが力と心を合わせることが出来ますように、心からお祈りいたします。

2011年3月9日 水曜日
まぶしいほどの春の太陽が輝いています。
糖尿病とPTSDに悩む難民申請者は珍しくはありません。ビルマ、スリランカ…そしてアフリカ、多くの難民、難民申請者がこれらの疾病に苦しんでいます。生活習慣病と呼ぶには、彼らの場合、栄養不良と栄養失調がなせる業、胸が痛みます。弊団体が取り組んでいる被収容面会を通して、仮放免中の難民申請者の多くにみられるこの疾病には規則正しい食事を取ることが先ず大切です。現在、人道上見過ごすことは出来ず、被収容者面会、そして、仮放免支援、仮放免後の生活支援に関わっている難民女性もしかりです。何とか食事つきのシェルターに1週間でも…と願っておりましたが、弊団体運営委員の大津恵子先生のご尽力で願いはかないそうです。感謝!!昨日8日は午後大切な会議が入っておりましたが急遽キャンセル、事務局で連絡を待つ一方、様々な用件の電話対応、その合間に事務局に届いている食料の箱をあけ、食料のサービスを待っている仮放免難民のお世話に奔走される教会、シェルターのお世話人、PTSDの治療で睡眠薬の投与が効きすぎてフラフラする内に怪我をしてしまった日本語クラスの難民申請者…に食料を入れた段ボール箱を作り宅配便で送る手はずを整え、5件に送りました。
 昨年まではNPO法人セカンドハーベストでの難民家庭への発送のお手伝いをしておりましたが、現在は毎週届けられる食料を、日本語クラス生10数名、上記のような個別配送に分け、弊団体から、手渡し、発送しております。
さて、シェルター入居に関しての、門限や注意事項を件の難民申請者Aが守れるかどうか意思確認を行ったところ、快く受け入れました。何よりも先ず、心身の健康を取り戻さなければならない、と説得する此方の言葉が届いたのでしょう。
 収容と疾病、特に上述したPTSDは難民申請者にあまりに多く、仮放免中の精神科治療が支援者にとっては、治療費捻出に頭の痛い支援です。
 何はともあれ、かえるに帰れない難民申請者は、国保にも入れず、職にも就けず移動の自由も無く社会保障の枠組みの外に追いやられるのです。

2011年3月7日 月曜日
首都圏は予報どおり、午前中は雪になりました。週明けは、朝から電話の応対。先週末まで頭を抱えながら支援に取り組んでいた難民女性Aの件、週末には、血液検査の結果が報告され、かなりの悪化を示す数値を呈しております。彼女は自分が難民であることを声高に主張するものの
なかなか支援者初め話し手には耳を傾けない。そのため、多くの支援者を失い、孤立する状況を招いています。難民と認定されない、いわゆる不法滞在と見做されており、もちろん国民健康保険に入ることも出来ず、安定した住む場所もありません。
 難民申請者への支援機能の連帯と連携のパイプ役である弊団体にとってはもっとも、コーディネーションがやりにくいタイプの難民申請者です。

弊団体はサービスコーディネイトが主な働きであり、先週、生活保護の受給が決まった難民家族は、上記女性とは正反対のケースでした。ビザの取得後、疾病と加齢による困窮生活から自立のために生保受給につなげるべく、つい先日、品川入管にて午後ビザ(難民不認定・人道配慮のビザ)を貰って、居住地区役所まで走り、当日のうちに(時間ぎりぎり)生保申請いたしました。必要な書類もそろえ、申請→審査→決定まで2週間。初回は現金で支給されており、当事者ともども安堵いたしました。しかし、そのような働きも、難民当事者が日本社会における自分の状況を理解していて、自立する意志がしっかりしている事、言葉が完全ではなくとも、此方に耳を傾け相手のリクエストに(質問にも)応じられる本人の姿勢が、早期のサービスにつながることを痛感しております。

弊団体のこの様な支援活動はすべて無料です。当事者本人、支援教会や支援者からも一切の費用を頂いておりません。活動はすべて献金や助成金によってまかなわれていますが、今年はランティアの交通費もままならない状況の中で、上述の難民女性の支援はほとんど支援者個人の立替になっております。弊団体のように難民支援、弱者支援の団体は潤沢な資金などあるはずもなく、最小の資金で最大の効果を生み出していることを考えれば、費用対効果大、の活動と言っても良いかもしれません。幸いなことに、事務局は、宣教師デボラさん、運営委員佐々木さん、日本語講師ボランティアの皆さんに支えられ、人件費の心配がない(職員がいれば給与支払いに窮するところですが)事は感謝かもしれません。
 これまで何度も経済危機に見舞われた弊団体ですが、2011年はかなり厳しい一年になりそうです。今は直近の問題として上述の難民女性の心身の健康を取り戻すべく支援が出来るようにと祈っているところです。

2011年2月10日 木曜日
1月23日の東高円寺ベリスメルセス会宣教修道女会礼拝堂において難キ連ファミリアコンサート開催後に風邪をこじらせて思いがけず寝込むことになり、報告が遅れましたが、コンサートには約100名の皆様にご来場いただきました。心から感謝です。このコンサートの口火を切ってくださったのは同会シスターの真神シゲさんです。いつもお優しい笑顔で明るく接してくださる真神シスターにはこれまで長い間、入管被収容者面会支援においても、適切なご助言を頂き、困難なときにも励ましていただきました。コンサート当日の準備にも心を砕いてくださいました。真神さん、本当にありがとうございました。このコンサートでは難民の方々の証言、そして、ビルマカチン族の手芸品やヒラソルの会の皆さんによるミニバザールもお楽しみいただきましたが、「節子さんのジャム」も完売いたしました。売り上げは全て難民支援活動に用いられます。席上献金およびカンパは日本語クラスに通う難民の方々の交通費に当てられます。演奏者の皆様、全ての皆様のご協力に感謝申し上げます。ありがとうございました。

2011年1月10日 日曜日
 昨日は難民日本語クラスの第1回目の授業。ボランティア講師の芦田あけ美先生、高井敬子先生の明るい声と元気な受講生の声が響くなか、受講者の交通費を今年は一律600円としました。
今年はまったく助成金のない厳しいスタート、生徒の皆さんにも理解していただくほかありません。過去に10円が足りなくて難キ連事務局まで来れなかった、といった難民申請者がいたことから、出来るだけ、たとえどんなに遠くても交通費を全額支給してきましたが、生徒数も多くなった今、苦渋の決断ながら、細く長く交通費補助、食料無料提供の日本語講座を存続させるには…と相成った次第です。昨日もつくば市からの希望、とても交通費全額支給は難しく、近くに日本語講座を探すことで西早稲田の弊団体日本語クラスへの参加は断念いただきました。
 日本語クラス生の食料持ち帰りの袋を作り、教会、シェルター、個人への食料送付のダンボールを作るともう外は真っ暗です。難民、難民申請者の一人ひとりが言葉によるトラブルを招きませんように、と祈りつつ日本語クラスの運営に当たっております。

2011年1月8日 土曜日
 昨日午後から、何とか事務局デスクに復帰。デスク上には嬉しい賀状の数々が。日本語クラスの生徒の皆さん、また、昨年末、ビザが出たアルヴァレス一家の名前も。これから賀状にファミリアコンサートの案内を添えて送ります。デスクの前には嬉しいプレゼントが!!カトリック高崎教会 丸山節子さんからの献品、無添加ジャムがいっぱい!詰まった箱に思わず笑顔になりました。感謝!!。すごく美味しいんです。説明は要らないほどに。節子さんはアルヴァレス一家支援のために献身的なお働きを下さった丸山靖人さんのお母様です。一昨年、高崎にアルヴァレス一家支援お願いのご挨拶に教会に伺った際にとってもあったかい笑顔で手作りの素敵なバッグに入れて、飛び切り美味しい手作り無添加ジャムをお土産に下さいました。甘すぎず、美味しくて大ファンになりました。朝食パン党には欠かせません。昨年の夏には事務局にたくさん頂戴し、10月の横浜国際フェスタでは即日完売いたしました。今回のお年玉プレゼントのジャムは23日のファミリアコンサートで「節子さんの無添加ジャム」と銘打って販売させていただきたいと思います。
 早速、私も予約です。数に限りがありますのでお早めにどうぞ。

2011年1月6日 木曜日
 昨日は、朝、東京入管に出頭する難民申請者の同行。彼は昨年、わずか2ヶ月の仮放免後に4度目の収容。日本人の奥さんからの要請で支援開始まもなく入管内で自殺を図りました。幸い発見が早く大事に至らなかったものの、その際の精神科の治療による投薬が原因で、仮放免後も筋硬直などの副作用が現れ長い入院生活を余儀なくされました。3度目の仮放免の保証金30万円をまだ受け取らないうちに4度目の収容、そして自殺未遂の後に仮放免許可が出たものの100万円の保証金!です。結婚して2年余りのあいだに2度も収容され、二人の生活を必死で支えてきた健気な奥さんは毎回の仮放免出頭日も仕事の日程を調節して同行していますが、今回はどうしても都合がつかず同行を引き受けました。先月は日本語クラスにも奥さんと出席、少しずつ元気を取り戻し笑顔が戻っていますが、再収容の不安がなくなったわけではありません。入管の待合室で同じ状況にあるNさんとバッタリ出会いました。日本人配偶者と健全な温かい家庭を築いていようと入管は彼らの結婚を認めようとしません。就労権の無い彼らを支えているのは日本人の妻たちです。先月会った日本人の奥さんは「仮放免と収容の繰り返しでもよいから夫に私たちのいる日本にいてほしい」二人の子供を育て、自身は仕事を持ちながらの言葉でした。難民申請者でなければ、偽装結婚でも配偶者ビザがたくさん出ている状況の中、難民支援活動の中で出会い愛をはぐくんだカップルも、一昨年は収容で離れ離れになり日本人の妻は「私も中に入りたい。二人ならば何とかがんばれる」と夫の身を案じて心情を吐露しました。温かな家庭を
壊す権利は入管にない、と思うのですが、法の名の下に引き裂かれようとした、昨年はガーナ人夫が無念の最後をとげました。妻の両親や親族からも祝福されて結ばれた夫婦に、一日も早く
夫の正規滞在化という平和が訪れてほしいと願ってやみません。

 東京入管から出る頃から寒気がし、胃の痛みが激しく午後の会議欠席を連絡して急ぎ帰宅しました。体温を測ったら38度9分、元日から家族が熱を出して救急病院に連れて行ったり、このお正月は家族の体調不良が続いたのですが、どうやらうつってしまった模様。今回の風邪の特徴は発熱と胃痛らしい。薬も飲めず眠ること眠ること、ひたすら眠り、今朝はようやく37度台に。なんとか明日は仕事に戻れそうです。
 
 昨年末に住居探しで苦労した難民申請者も酷い風邪で寝込んでいたとのこと、こちらも具合が悪く休んでいた時期、難民を支援し連帯する会のMさんが仕事の合間を縫って駆けつけてくださり薬と当座の食料を差し入れしてくださったとのこと。Mさんにただただ感謝しました。多くの仮放免難民申請者を支えているのは、ほとんどがこのような善意による支援に他なりません。夕方、ようやく体調が戻り、仕事用の携帯の留守電を聞くと茨城の面会支援をなさっている方から。早速着信履歴に残っている番号にかけると、なんと、昨年、何度か面会したアフリカ系難民申請者を仮放免の日から自宅で預かっているとの由。寒さに耐えられず体調を崩しているのを見かねて…ということで、感謝の意を伝えると共に明日仕事に戻ったら食料品を送る旨告げました。難民支援協会の皆さんも、増え続ける申請者の住居探しには悪戦苦闘していらっしゃるのですが、仮放免の難民申請者の住居探しは並大抵の苦労ではありません。仮放免難民申請者の「入管の中のほうがまだましだ」という言葉はいやみでも冗談でもないのかもしれないとつくづく考えてしまいます。家賃光熱、全て無料の上に、3度の食事も出てくるのですから。

 熱が下がったものの胃の痛みが治まりません。皆さんもくれぐれも風邪など召しませんように。
風邪を引いても100%医療費自己負担の非正規滞在者の健康が守られますように切に祈ります。

2011年1月1日 土曜日
あけましておめでとうございます。
2010年末から2011年明け、カレンダーの架け替えさえ忘れて英文報告書を何とかし上げました。今年も仕事に追われる一年になりそう…。
 昨年末、長年支援してきた移住労働者Aさん一家にビザが出ました。ご存知の方もいらっしゃると思うのですが、カルデロンのりこさんと同時期支援し、かなりバッシングを受けたケースです。父親の1回目入管収容から面会支援をはじめ、そのとき子供たちはまだ小学生と2歳でした。現在、高校生と小学生になりました。家族にビザが出た日、日本語クラスで勉強していた難民申請者が不認定となって収容されました。熱心に日本語を学んでいた彼女の姿をクリスマス会に見ることが出来ず、収容の知らせに担当の日本語の先生は涙をポロポロこぼしました。日本語もまだままならない彼女がどのような思いで、入管の中で新年を迎えているのでしょうか。胸が痛んでなりません。折りしも、3度目の収容から必死の思いで仮放免にこぎつけた難民申請者、シェルターから出なければならず(様々な経過があるのですが、ここには書けません)こちらが準備したゲストハウスは気に入らず、予算もあり、12月27日は住まいを求めて、運営委員のSさん運転の車で都内を走り回りました。このところ連日仕事に追われている身には心身ともに堪えます。不機嫌をあらわにし、うそつきとののしりへとへとになっている耳に「入管のほうが良かった。」…何をかいわんやです。新約聖書マタイ伝の「獄にいるとき尋ねてくれた」の箇所を思い出し、イエス様はどのような形で現れるのか…。

 財政難にマンパワー不足、自身の信仰を問われる、今年も試練の年になりそうです…。

2010年11月6日 土曜日
ひさびさの更新です。
2009年12月20日 日曜日
 昨夜は難民支援に取り組む若い皆さんのグループASPネットワークのクリスマスパーティでした。今年は年明けから忙しく、特に7月から難民申請者、あるいはオーバースティ家族の父親のみの収容など、面会支援も忙しく、疲れが出たのか朝から悪寒と頭痛で寝込んでしまい、午後になって何とか起きたものの、恵比寿のJELAホールまで出かけることが出来ずに欠席させていただきました。ASPの皆さん、ごめんなさいね。

代表の大山さん初め、北村さん、梅澤君、…若い彼らが一生懸命難民問題の意識喚起、関心拡大の啓発活動に取り組む姿には、彼らが担う次代も捨てたものではない、と頼もしく思います。

少子高齢化が否応なく進み、多民族多文化共生社会は確実に訪れようとしています。難民鎖国に逆戻りしつつある現状を憂い、差別の無い、誰もが居心地良く共生する、共に生きる社会の実現を願ってやみません。
 


2009年12月15日 火曜日
 まもなく2009年も終わろうとしております。
今年の後半の忙しさはこれまでに無いほど、この事務局だよりも、伝えたい事が、いつも頭の中で回っているにも拘らず、難キ連HPの編集さえ儘ならない有様でした。

9月3日に暗澹たる思いで、状況を綴っていた、アフガニスタン難民女性Jさんは9月 16日に、そして、日本人の新妻と離れ離れの苦しい収容で、25kgも体重が減少してしまったクルド難民Eさんは12月10日の国際人権デーの日に、痩せ細った体で仮放免となりました。

 11月5日現在で牛久のセンターには450名余りが収容されており、その3分の1は難民申請者です。帰国したくとも自費出国が出来ない被収容者、送還に怯えながら何ヶ月も収容されている難民申請者、未曾有の不況の日本社会で、入管の内も外も、外国籍住民に対して厳しく冷たい風が容赦なく吹き荒れています。

難キ連では、難民や難民申請者のみならず、正規非正規滞在に関わらず、日本に住む外国籍の皆さんの相談に対応しています。最近は日系ブラジル人や、滞在資格のある外国籍住民の失職、解雇と、生活の道が閉ざされている人々の相談が増えています。どの人々も、生活保護受給を潔しとしない、何とか働く事で自分の生活を維持したい、という姿勢が目立ちます。しかし、仕事を探してもなかなか見つかりません。区役所、ハローワーク、日本人も外国人も吹き荒れる不況の嵐の中で生きる事さえ、遮られ道が閉ざされているのがているのが現状です。

 12月13日には難キ連日本語クラスの講義納めとクリスマス会を行いました。
ささやかな会ではありましたが、学習意欲は高く、2010年度は日本語能力検定を各々のレベルに応じて受検いたします。

難キ連日本語講座の開講は、韓国女性人権センターの韓国語講座の運営に倣っており、自宅まで行っての講義は行えませんが、交通費の支給と食糧援助は開講以来続いております。日本語能力検定試験の受験料も講座が負担いたします。この日本語講座は財団法人庭野平和財団の助成金により運営、2010年は3年目を迎えます。テキストは(株)アルクより100部戴き、講座生だけではなく、日本語についての相談者には全て無料で、テキストとテープを進呈して参りました。来年は3級、4級の合格者のスピーチを聞く機会を是非設けたいと願っております。

品川→高田馬場→四谷→新宿→御茶ノ水 … ある日の事務局の行動です。

今年後半はまさに連日このような業務、因みに品川では仮放免の出頭者同行、あるいは嘆願書提出、高田馬場で事務局に戻り、四谷には法テラス相談の地方から出てきた難民申請者のスペイン語通訳(汗)新宿ではアフリカ系難民女性の相談、そして御茶ノ水の集会へ。といった具合です。茨城県牛久市→高田馬場、午前中は牛久面会や会議、午後は東京で仕事や会議。昼食を取る時間が無い…。

ただただ健康が支えられたことに感謝し、難民申請者、難民を含む外国籍の皆さんの生活改善のために少しでも役に立てたならば嬉しい限りです。残り少ない2009 年、まだまだ忙しい日が続きます。

全ての皆さんの健康が守られることを祈りつつ、クリスマスを喜びのうちに迎えられますようお祈りいたします。


2009年9月3日 木曜日
 アフガニスタン難民女性J さんが8月17日月曜日の仮放免出頭日に再収容されて今日で18日目。彼女は2005年10月17日〜26日にも収容されています。

2005年のその収容時も、今回も奇しくもラマダンの時期(イスラム教徒の信仰上守るべき義務の一つで日の出から日没まで断食)
です。

彼女は敬虔なイスラム教徒であり、入管で提供される食事に不信感を抱き一切の飲食を.絶っています。久しぶりに会った彼女の顔は、収容のショックと心労に加え、断食で一回り小さくなっていました。「(日没後は)食べなきゃ駄目、飲み物も飲まなければ駄目よ」と諭しても首を振るばかりです。(入管ではラマダンの時期の食事の配慮が行われています)前回の収容ではわずか1週間の間に体重が激減、衰弱がひどく仮放免になりました。彼女は学校教育を受けた事がありません。前回収容時の面会で日本語教育の必要性を痛感、2005年11月に開講した難キ連日本語講座生徒第一号になりました。駅や電車の案内はローマ字表記でも読めませんから彼女の送り迎えも日本語指導に含まれました。イエズス会社会司牧センターをお借りし約半年間行われたこの講座を今回の収容時の面会をした時に彼女は非常に懐かしみました。

何を話しても涙の彼女が「日本語の勉強楽しかった。勉強大好き」と笑顔を見せ、私がメモ用紙に「にほんごよめる」と即興に書いた平仮名をガラス板を通して見せたら指差して読み、二人で笑い合いました。たった10分間の面会でしたが、彼女は、同室の女性(ともだち)が送還された時、時計を持っていなかったから自分の腕時計をあげたとの事。3時のお祈りの時間がわからないから安くてもよいから時計が欲しいと私に伝える事ができました。前回の収容の時には義兄のYさんに通訳してもらっての面会でした。あの当時の日本語クラスは資金難と講師のリタイヤでわずか半年しか行えませんでした。現在、庭野平和財団の助成金により日本語講座は、難民申請者への通学費支給と食料支給もあわせ1ヶ月に2回ですが、二人のボランティア講師の熱心なご指導により2年目を迎え、受講生が定着、平仮名カタカナ、漢字まで日本語能力を身に着けつつあります。そして何より受講生である仮放免を含む難民申請者や正規滞在化している難民の心の拠り所となっているのです。Jさんの面会は、難民の為の日本語講座開講が正しい選択であったことをも確信させてくれました。

 それにしても、Jさんの再収容に心から憤りと悲しみを覚えております。収容経費の試算では被収容者一人当たり 9万円/月とされています。
彼女には逃亡の恐れもありません。国民の税金の無駄遣いでもある不必要な収容がなぜ行われるのでしょうか。東京入管では常時700名もの難民を含むいわゆる不法滞在者が収容されており、茨城県牛久市の東日本入管センターへの移送後1年以上時には2年以上の長期収容も多く見受けられます。

一切の食事を絶ち、点滴すら拒んでいるJ さんの健康状態が本当に案じられます。収容が心身を蝕んでいる事は否めません。一日も早い解放を、そして正規滞在化を心から祈ります。
 このところJさんだけではなく、難民再申請者や新ガイドラインの運用緩和を求めるオーバースティ家族の父親にも再収容が次々に行われています。7月には Aさん、ビルマ難民Rさん、イラン難民Aさん、そして8月22日はまだ労災事故が完治していない難民申請者 E さんまで!!。Eさんは、まもなく日本人支援者である素敵なお嬢さんとの結婚を控えての収容です。温厚で理知的な彼と聡明な彼女との結婚を私たち難民支援活動に共に従事している仲間達の誰もが心から祝福し晴れの日を待ち望んでいた矢先の収容でした。彼女のご両親も現在、未来の息子である彼の仮放免に向けて懸命に努力され、面会を繰り返しています。何よりも婚約者である彼女の健気さが私の胸を打ちます。周囲に居るものの心をあたたかくしてしまうカップルのEさんと彼女です。突然の収容がどんなに二人を痛めつけ傷つけているか、胸が痛んでなりません。一日も早いEさんの仮放免と、明るく、いつもと変らぬ笑顔でただひたすら、忙しい仕事の合間を縫って結婚の手続きに走り回っている彼女Hさんの健康が守られるよう祈るばかりです。
 
30日の日本語講座の後、入管に再収容されている間に紛失してしまった所持品についての相談を受けました。収容は摘発や仮放免延長許可申請の出頭の際に突然申し渡され、即日収容となります。当然帰宅できるものと出頭する多くの外国籍の人々への財産の保全がなされていないのです。相談者は難民申請に必要な書類と衣類や身の回りの品、幾許かの現金も入ったかばんをシェルターに残しての出頭で、そのまま収容。仮放免で解放されたのは10ヵ月後。かばんは棄てられていたそうです。私たちは人間として扱われていない、文化的にはまだまだ未熟な、危険極まりない自分の国でさえ、罪に問われて逮捕されたら、警官が付き添って、自宅に貴重品や必要なものを取りに帰れるのに、…。と涙ながらに訴えました。2度の収容でその度にそれまで蓄えたパソコンなどの調度品すべてを入管に盗られた、だから自分は絶対に必要最小限で暮らしている、とカーテンさえ取り付けない仮放免の難民申請者も居ます。

 このように収容は多くの問題を孕んでいます。5月17日に行われた外務省のシンポジウムで、国連高等弁務官補のエリカ・フェラー氏は難民の不必要な収容は国家予算の無駄遣いであることを指摘しています。難民に限らず日本経済を末端で支えてきた超過滞在の外国人労働者もしかり、不必要な収容が行われている全件収容主義はなんとしても見直されなければなりません。
 政権が変わりました。民主党には誰でも―日本人も外国人も―安心して住める人権国家を築いて欲しいと切に願っております。


2009年7月9日 木曜日
 5月の連休明けから土日返上です。
特に6月20日の世界難民の日、UNHCR主催の国連大学前イベントにバザーを出店、6月28日はチャリティコンサート、7月5日は世界難民の日東京集会にいたるまで土日の大きな行事の間には、難民や移住労働者の方々の相談、転居、出産、裁判、病院動向、と休む暇がなく、そのほかに会議出席が入ると昼食をとる時間がありません。7月5日世界難民の日東京集会が終わり一区切り、という事で今週はお休みを頂いています。


2009年6月24日 水曜日
まもなく午前3時。難キ連チャリティコンサートが近付くといつもこのような生活になります。

今年は特に広報が常識では考えられないほど遅れてしまい、チケット=賛同券の販売に苦戦しております。ルシア塩満さんは「アルパ道場」の先生でもあり、卓越した指導力で後進を育てています。

2月に演奏したラス・アウロラスも生徒で一員ですが、セミプロとしてコンサート活動をしているのがラス・カンパーナスです。今年は東京ユニオンチャーチで開催させていただきます。素敵な教会でアクセスは抜群、しかも2000円という首都圏のルシアさんのコンサートでは破格の値段なのですが…。コンサートの収益は、全て難民の支援活動に用いられます。庭野平和財団様の助成金によって開講した難民日本語講座は受講生が定着し、毎回、熱心な受講風景が繰り広げられています。交通費支給というのも続けられる一因と思っています。難民の様々なトラブルが日本語能力が起因している事が少なくありません。彼ら(彼女ら)が日本語によって不利益を被らないために継続して続けるためには難キ連の現在の資力ではとても賄いきれません。何とか運営資金をと願っているのですが…。今年のチャリティコンサートの収益はこの日本語クラスの継続運営と茨城県牛久市にある入管の被収容者面会支援に用いられます。東京から遠く、またJR牛久駅からセンターまでのバスが1日5本しかない!辺鄙な場所にあり、また、外部との接触は面会しかない被収容者のためにテレフォンカードを差し入れます。1 枚1000円でたった7分しか話せないカードを売店で購入して差し入れします。一人でも多くの人に面会してもらい、テレフォンカードでせめて故国への電話、日本の支援者や友人知人への連絡、彼らにとって面会以外1枚のテレフォンカードが外部の社会とつながる数分を与えてくれるのです。しかしKDDIのカードしか使えません。真夜中まで、コンサートの案内を再送し、一人でも多く、コンサートに賛同してくれますように、1枚でも多くテレフォンカードが替えますようにと、また、日本語講座を続けられますようにと祈りつつキーを叩いています。


2009年5月13日 水曜日
昨日は5月度の難キ連運営委員会が行われました。現在、難キ連は極端な財政難に陥っており、私的な話ですが事務局の給与も3月から支払われておりません。今月始めに支給された定額給付金、嬉しく戴いてしまいました…。貧しさに於いて、生きる事の困難においては、日本人も難民を含む外国籍労働者も差異はないような現状です。外務省は、5月に入り、国内の難民申請者への保護費審査の厳格化と打ち切りを始めました。現在、一日1500円の生活補助、月40,000円の家賃補助、同じく40,000円の医療費補助を打ち切られる難民は100名を超えると言われています。支給基準の優先順位は1、重篤な病気 2、妊娠中であること 3、短期滞在、観光ビザなど正規滞在資格がありながら失職中の難民となっています。これまでも、相談の為に難キ連事務局のある早稲田まで来る交通費がない難民もいました。日本語講座の受講生には最寄り駅から早稲田までの交通費を支払っておりますが、現在審議されている入管法改定により、在留カードの導入が認められれば、保護費打ち切りに追い討ちを掛けて、就労権のない難民個々の命の存続さえ危ぶまれる事になります。運営委員会では入管法改定に抗議する院内集会、キリスト教教会声明、難民支援協会が中心となって展開する緊急カンパについて次々に報告、協議いたしました。
2010年から3年間、タイ国境のミャンマー難民を90名、第3国定住難民として受け容れようとしておりますが、現在何万人もいる、難民と認められていない難民申請者の生活は…?社会保障の枠組みからも排除され、彼らは風邪をひいても、歯が痛くても、治療を受ける事をためらいます。100パーセントの自己負担だからです。1昨年、心筋梗塞で倒れた難民男性への治療費に320万円を請求されました。しかし、国民健康保険に入っていれば、自己負担は9万8千円ですむのです。平和に慣れた日本人には命の危険にさらされながら他国に逃れた難民の心情を理解する事はなかなか難しいのですが、せめて、母国の平和が戻るまで束の間の安住の場所を提供できる日本であって欲しいと思います。
提供する安住の場所が入管収容所というのでは難民条約加入国として余りにお粗末ではありませんか。
 母国では弁護士として活躍した、医学を志していた、優秀なエンジニアだった、通訳だった、…今、日本で彼らは各々の故国にも帰れず、収容と送還に怯え、時折の単発的な3Kの仕事で日々の糧を得ています。
 明日は宣教師、デボラさんと東日本入国管理センターに被収容者面会に行きます。一昨日は、遠くスリランカから、収容されている青年に面会してほしいと母親と思われる女性から電話がありました。事務局の携帯には、その様な電話や、送還された人々からの電話も入ります。
私はかつて移住労働者の送り出し国に住んだことがあります。日本という夢の国に思いを馳せる言葉も異口同音に聴きました。彼等の何年分もの年収と等しい金額の借金をしても日本に行けば働いてすぐ返済して家も建てられると…。日本の出入国管理の現実、真実を彼らに伝える術がないか、外国人の就労など容易に許さない、国連の難民条約に加入していてもけして難民を認定しない、難民と認めない、と言う前提から始まる難民審査、日本という国の実情を知らせたいともつくづく思います。
 今、難キ連に出来る事は、彼らが少しでも社会保障の恩恵が受けられるよう安定した滞在資格の付与と言う救済を求めていく事、彼らの痛みや苦しみを共に担いつつ歩む事、彼らが言葉による不利益を被らないように彼等の個々の能力に応じた日本語習得の教育を行うこと、などなど…です。冒頭に書きましたように難キ連自体も未曾有の不況?の中にあり、活動も制限されています。昨年は、仕事のない難民にニュースレターの発送のアルバイトをしていただき、幾許かの謝礼も渡せました。しかし、事務局や宣教師の交通費の捻出さえ厳しい現状の中で今年は仕事を依頼する事はできません。しかし、庭野平和財団様の助成金によって運営をかろうじて続けている日本語クラスに集う難民の人たちの元気な声に励まされます。彼らは日本語の授業が終わると、交通費の実費とセカンドハーベスト・ジャパンの食糧提供(難キ連では協力団体として毎週箱詰めのボランティアを行っております)のお米や缶詰などを嬉々として受け取って帰ります。回を追うごとに確実に彼等の日本語は改善されていて、もう少し、授業数を多く出来ないかと、予算、ボランティア講師の先生方のご都合を考えながら願っているこのごろです。
 衆議院議員会館では、本日、午後1時45分から入管法改定に抗議するキリスト教会各教派教団代表により声明と記者会見が行われています。難キ連では明日、茨城県の牛久にある入管センターの面会支援に一日がかりで出かけるために院内集会は欠席し、溜まった書類の整理と、ひたすらデスクワークに取り組んでいます。ホームページの編集も久しぶりに出来ました。
チャリティコンサートに向けての案内作りが今日の午後の仕事です。遅い昼食をとり、またがんばらねば…。
この拙い難キ連のホームページ、事務局ブログに目を通してくださる方々のご健康を祈念しつつ。


2009年4月19日 日曜日
 3月下旬から4月上旬に掛けてはまさに試練の時でした。難キ連の存続が危ぶまれるほどの事態が発生。
難キ連はキリスト教各教派教団の外国籍住民支援におけるネットワークです。2001年のアメリカ同時多発テロ以来、国内アフガニスタン難民支援に始まり、現在の支援相談は国内難民支援に関わる相談、また難民申請者からの直接の相談が増えています。
特にこの数ヶ月、オーバースティの子供達の人権救済に関わる相談を上回る難民に関する相談は、難民申請者の増加と共に日毎に増えています。国内難民の生活状況は未曾有の大不況の中で厳しい状況にあります。
 6月にはUNHCRの呼びかけで在京の難民支援にか携わる団体が、NPO法人FRJ(なんみんフォーラムジャパン)を発足させますが、難民、特に仮放免状態にある難民申請者の正規滞在化が強く望まれます。

2009年3月20日 金曜日
昨日は難キ連の世話人会、3月度運営委員会が開催されました。世話人会というのは、20年前に難キ連の前進であるアジア労働者問題懇談会(通称;アジ懇)が立ち上がり、そのときの呼びかけ団体で教派を超えたキリスト教関係団体によって構成されています。
その席上に於いても難キ連の位置づけについて話が及びました。
サポーターズサイトでも、支援をめぐって論議されていますが難キ連の活動趣旨が良く理解されていない事を懸念しております。

上述の通り、在日難民・移住労働者とその家族の生活を守るべく、
真の多民族多文化共生社会を目指して活動しております。

今回のカルデロンさんと同じケースと紹介し、署名活動の展開をお願いしたアルバレスさんご一家への支援の始まりは入管被収容者面会からです。家族分離収容(父親だけが収容、妻子は仮放免)で私がバプテスト連盟つくば教会牧師E先生からの要請で父親の面会をした時には
すでに収容1年2ヶ月が経過していました。高崎から牛久の収容所までは4時間近くかかります。往復8時間、たった30分間の面会に母子3人で猛暑の中やってきました。時として、収容は取り返しのつかない家族の中の温度差を生みますがアルバレス一家の家族の絆、信頼感の強さは長期の家族分離収容でも壊れませんでした。
今回の論議は難キ連活動(難キ連の活動は難民支援、入管被収容者面会支援により大きな使命を感じております)がオーバースティの家族支援に留まっているような誤解も見られ、いささか戸惑いもあります。
難キ連では入管被収容者面会に於いても難民の生活相談に於いてもいつも「帰国」という選択肢を入れております。
帰国して消息がわからなくなっている難民など明らかに非人道的な送還もある一方、母国でしっかり生活を取り戻した難民申請者、滞日30年帰国を拒み続け3 年の収容を経て、送還され、会社を興した学者など、多くの送還後の生活報告も受けており、母国に帰るという選択をしている被収容者には帰国支援を行うことも致します。父親の収容時〜仮放免支援、そして現在に至るまで私どもはアルバレス一家とも、どこに家族の幸福を見出せるか、模索しながら共に歩んでいる事を御理解いただきたいと願っております。
難キ連の支援は、難民、オーバースティの移住労働者とそれぞれの背景が違っても入管被収容者面会の現場から派生しています。
全件収容主義は収容の必要のないのない難民申請者をも「オーバースティ」という罪のゆえに収容するのです。一人1ヵ月の収容経費が9万円とも試算されており、なんとも大きな税金の無駄遣いを止めさせるためにも不必要な収容をしないと言う事を働きかけ仮放免許可が出ることを支援し、国民健康保険も加入できない(医療費全額負担)、就労権もない(貧困)、移動の制限(隣県へも旅行届け)仮放免という見えない鎖に繋がれている生活は支援者にも苦悩を与えその支援実情が非正規滞在者の正規滞在化への働きかけへと繋がっています。
私どもはキリスト教NGO団体ですから、
「旅人を迎える」
「獄にいる時訪ねてくれた」
と聖書のみ言葉が支援活動の原点にあります。支援に至るまでのプロセスを上述しましたが、神の前に平等な同じ人間として、共に歩みたいと、少しでも足場の良い状態を彼らに、と願うところです。

カルデロンさん家族のケースも、子どもの権利条約と自由権規約の、「子どもの最善の利益」と「家族保護」が主なテーマだったと思うのですが、
マスコミ報道が過熱する中で、いつの間にか、「法の公平か人道措置か」という、論拠のない感情論になってしまいました。

ただ、今回の様々な論議は確かに外国人受け容れのあり方、法の運用への関心を引き出してくれました。
昨日の世話人会、その後の運営委員会でも一致した感想でもあります。難キ連の活動につきましては
これからも随時支援活動の情報報告をさせていただきます。


2009年3月13日 金曜日
このところインフルエンザを罹患して以来、どうも体調が優れず、本日も、セカンドハーベスト・ジャパンの箱詰めボランティアを
休み、事務局勤務も休んでおります。難キ連専従のスタッフは事務局1名、昨年年初から夏休みもなく走りづめの結果がどうも老体に
現れて、黄色信号を発しているようです。さて、本日、法務省とカルデロンさん一家の判断が示されました。
4月13日に両親は帰国、のり子さんは在留許可が与えられ、親戚に身を寄せて学業を続けるとのこと。4月8日の2年生の始業式を見届けて両親が帰国すると言う事です。法的には、両親の再上陸拒否期間は5年ですが、柔軟に運用、1年以内の再上陸、あるいはそれより短期間に再上陸が認められる、という含みを持たせた判断でした。国内の賛否様々な議論を戦わせ、外国籍住民の問題に対してこれ程関心が高まった事はなかったかもしれません。各メディアの真剣な取り組みも見られました。
私どもが支援するアルバレス家の裁判はまだ終わってはいません。ラニエルちゃんは中学3年に進級します。父親は失職、母親も病を抱え、
会えば「なおこさん、なおこさん」とまとわりついてくれる、長男のルク君5歳も保育園にも入る事ができません。入管の担当官に再審情願を提出した際に「不法滞在の上に構築された年月は何の意味もない」と言われましたが、子供の成長は何よりの再審査を願う新しい状況証拠ではないでしょうか。3月11日附け朝日新聞「天声人語」の「法は法として貴い。だが運用の妙があっても良い」とつくづく思います。
*以下、カルデロン家に寄り添い、共に闘ってきた渡辺彰吾弁護士のコメントを貼り付けました。

皆様  、 カルデロンの件でご報告いたします。
この間皆様にはさまざまご心配をいただきこころから感謝いたします。
本日3月13日入管に行き,9時過ぎから親子と約45分話をして,最終的な方針を決めました。
その面会のときまで方針は決まっていませんでした。3人で残りたいという気持ちは本当に強かったこと,そして何よりも両親は自分達の意思で子どもを残すという選択ができませんでした。
しかし,13日の回答の時点で,入管の提示したオプションの選択がなければ16日の母と子の収容,17日の全員国費送還の案は彼らに重く圧し掛かりました。
ぎりぎりまで(16日の朝まで)粘って,その朝に変化がなければ両親が帰国の意思を表明するという選択もありえました。その案も実際検討しました。しかし,のり子ちゃんの収容という事態は絶対に避けたいという親の決断がありました。
最終的なこちらからの提案は,

「@ノリコの在留を認めるという判断を法務大臣から示してほしい。
 Aその判断が示されれば,両親は納得して帰国の意思を表明する」
ほかにもありますが,これが基本です。

しかし,入管はこれすらも拒否しました。
入管はあくまでも親の帰国意思の表明を条件にノリコへの在留特別許可を出すことにこだわりました。そして,親は最終的にそれを飲みました。これが経過です。
とても残念です。入管・法務大臣を私は許すことができません。子どもを人質にして親の承諾をとったのです。これが脅しでなくて何なのかと思います。とりあえず以上です。
また詳細は報告します。

渡辺彰悟

 なお、難キ連サポーターズhttp://nankiren.squares.net/、のサイトにはフィリピン外務省コメントが掲載されています。
此の度の一連の動きに真摯に対応してくださった管理人様に心から御礼申し上げます。
<以下 難キ連サポーターズ 3・13より>
カルデロンさん一家の国外退去処分決定について、フィリピン側の反応も掲載しておきます。
フィリピンの外務省は、不法滞在により国外退去処分の通告を受けたフィリピン人家族に対し、人道的支援を提供する準備があると公表しています。

以下「Manila Bulletin Websites and Publications」からの引用です。
http://www.mb.com.ph/node/198570

DFA to extend “humanitarian assistance” to Pinoy couple, daughter in Japan immigration row

The DFA and other concerned agencies are ready to extend humanitarian and other (forms of) assistance to the Calderon family, including their re-integration into Philippine society, contingent on the results of the proceedings under way in Japan with respect to that country’s implementation of its laws,” said DFA undersecretary for migrant workers affairs Esteban Conejos Jr. in a statement on Thursday.

【抄訳】(フィリピン)外務省および関係各省庁は、日本の法執行により国外退去となるカルデロン一家に対して、人道的支援そのほかフィリピン社会に再び適応できるための援助を提供するつもりである。

The source said the Philippine government couldn’t give in to the couple’s request to remain in Japan because it would only send the wrong signal to the international community.

【抄訳】関係筋は 「フィリピン政府としてはカルデロン夫妻の、日本に在留したいという希望を容認することはできない。それは国際社会に誤った認識を与えることになるだけだ」 と述べた。

The United Nations has asked for the records of the Calderons to be reviewed, while the Amnesty International called on Tokyo authorities to stop deportation procedures for the couple to remain with their daughter in Japan.

他方、アムネスティ・インターナショナルによる、このケースの執行は国連「子どもの権利条約」に違反しているとの声明を受けて、国連はカルデロンさんの記録を再調査するように求めた、とも書かれており、フィリピン政府も慎重な姿勢を崩していないようです。 ⇒ アムネスティインターナショナルの声明 「退去強制は人権侵害」


2009年3月12日 木曜日
朝日新聞社説です。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

フィリピン家族―森法相はここで英断を
 一家は埼玉県蕨市で暮らしている。36歳の夫は、内装解体会社で後輩に仕事を教える立場になった。38歳の妻は専業主婦。13歳の娘は、音楽の部活動に打ち込む中学1年生だ。 どこにでもいそうな3人家族。フィリピン人のカルデロン一家である。一家は17日に強制送還されるかもしれない。両親が90年代前半に、それぞれ偽造旅券を使って入国したからだ。
妻は06年に不法在留で逮捕され、執行猶予付きの有罪となった。昨年9月には一家の国外退去処分が確定した。退去処分になっても、家族の事情や人道的配慮から法相が滞在を認める制度がある。この在留特別許可を一家は求めたが、認められなかった。
法務省の姿勢はこうだ。極めて悪質な不正入国だ。十数年滞在した事実はあるが、ほかの不法滞在者への影響を考えると厳格な処分で臨むべきだ。裁判所も退去処分を認めている。法律論はその通りだ。だが、だからといって子どもの幸福をないがしろにしていいわけはない。

 彼女は日本で生まれ育ち、日本語しか分からない。「母国は日本。家族とも友だちとも離れたくない」という。思春期のごく普通の女の子だ。
 同じようなケースで、子どもが中学生以上だった場合には在留が認められたことがある。「処分が出た時に長女は小学生。中学生になったのは訴訟で争ったからで、すぐに帰国した人との公平を欠く」という法務省の説明に、説得力はあるだろうか。法務省も、近所の親類に預けることを前提に長女だけに在留許可を出し、両親が会いに来るときは再入国を認めるとの案も示した。そこまで配慮できるのなら、森法相はいっそ一家全員に在留特別許可は出せないものか。 彼女の望みをかなえることが、日本社会に不利益を及ぼすとは思えない。

 長女の学校の友人や地域住民らからは、一家の残留を求める嘆願書が約2万人分も集まっているという。蕨市議会は「長女の成長と学習を保障する見地から一家の在留特別許可を求める」との意見書を採択した。一家はすでに地域社会を構成する隣人として認められ、職場や地域に十分貢献している。一人娘は将来、日本を支える一人になってくれるはずだ。日本に不法に残留する外国人は約11万人とされる。日本社会に溶け込み、いまさら帰国しても生計が立たない人々は多いだろう。在留特別許可も年1万件前後認められている。

 日本社会ではすでに外国人が大きな担い手になっている。今回のようなケースはこれからも起きるだろう。いまの入管行政でそれに対応できるのか。社会の一員として認めるべき外国人は速やかに救済する。そんな審査システムをつくることが検討されていい。


2009年3月11日水曜日
鹿児島市の方から全難連ML(全国難民弁護団連盟メーリングリスト)に寄せられた南日本新聞社説です。
 本日付の南日本新聞(鹿児島県内では75%のシェアを誇る地方紙です)でも、本日付社説でカルデロン一家の件が
取り上げられていました。参考までにお送りいたします。
*****
[比人一家送還] 「法は非情」で済むのか ( 3/11 付 )
http://373news.com/_column/syasetu.php?ym=200903&storyid=15716
 両親とフィリピンへ帰国するか、さもなければ1人で日本に残りなさい−。埼玉県に住む中学1年のカルデロン・のり子さんに、法務省東京入国管理局が出した最後通告である。

 のり子さんは日本で生まれた。だが、両親は16、7年前にフィリピンから出稼ぎにきた。ともに他人名義のパスポートで来日した不法入国者である。家族3人の在留特別許可を求めた一家だったが、父はすでに入管施設に収容され、のり子さんと母親は厳しい選択を迫られている。拒否しても来週早々には一家そろって強制送還される予定だ。
 のり子さんには何の罪もない。しかし、両親が違法滞在者であることは事実である。どうしたら家族の幸せを壊さず、同時に法による処分を実行できるか、難問ではある。
 在留特別許可は法相の裁量に任されている。今回のケースでは、一家全員の帰国が原則だが、のり子さんだけには在留を認めるという判断だった。一家は最高裁まで争ったものの昨年9月に敗訴が確定した。

 非情とも思える入管当局の最後通告は判決に後押しされている。しかし、罪もない未成年者に家族との別れを強いることが妥当なのか、やはり問わなければならない。
 在留特別許可の判断には生活状況や素行のほか、人道的配慮が求められる。実際、のり子さんの両親のような違法滞在者であっても、日本人と結婚した場合や、日本人との間に子どもがいた場合は、家族関係などを考慮して許可する例が最近は増えた。このことは評価できる。

 今回は両親ともフィリピン人である。日本人が介在しないケースの前例を作りたくない、という判断が働いたとしか思えない。
7年以上の違法滞在者で子どもがいたら永住権を与える英国のように、欧米では不法滞在をめぐる問題を現実的に解決してきた。法の運用にあたって、日本も人権を重視する余地がまだあるだろう。
 日本も批准した「児童の権利に関する条約」からも問題はある。条約では教育を受ける権利、親からの分離禁止などを定めている。のり子さんは日本語しか話せない。フィリピンに送還されれば直ちに教育困難となるのは自明の理であり、国連人権理事会も調査に乗り出した。

 20年近く日本で働き地域にとけ込んできた一家を、違法滞在というだけで強制処分する。法は非情とはいえ、やはり疑問が残る。

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今朝3月11日の朝日新聞東京版「天声人語」です。
天声人語
 埼玉に住む不法滞在のフィリピン人一家が国外退去を命じられている問題に、蕪村の句を思い起こす。
<斧入れて 香に驚くや 冬木立> 倒そうと入れた気から生々しい香が立ち上った。
生命力に打たれて詠んだ一句とされている。一家の件では、親子と言う「生木」に入管当局の斧が入った。在留許可は認められず、父親は身柄を拘束された。一人娘のカルデロン・のり子さん(13)を両親と帰国するか、日本に残るかの辛い選択が待つ。立ちのぼるのは悲しみの香だろうか。
 のり子さんは父母の国に行ったことはない。日本語しか話せない。「母国は日本、心も日本人」と言う中学一年生だ。両親は真面目に働いて職場や地域になじみ、偽造旅券での入国ではあったがこの国に根を下ろしてきた。
 13歳という年齢は、なかなか難しい。異国で市から出直すには日本に根を張りすぎている。だが、親と離れて暮らすには、その根も幹もまだ弱い。いわば人生の早春である。
両親と日本、どちらを選ぶにせよ、生木を裂かれる思いだろう。 いつも一定の基準にものごとを当てはめる、杓子定規という言い方は江戸の昔からあった。
庶民が大岡裁きの政談に喝采したのには、そうした背景もあっただろう。法は法として貴い。だが運用の妙があってもよい。
 13日までに両親が帰国の意思を示さなければ、強制送還されるという。「家族3人で日本にいたい」とのり子さんは涙ぐむ。何とか手はないものか。
彼女以外にも、同じ境遇で育ち、学ぶ子等が、日本には大勢いる。
(原文を転記)

以上が今朝の朝日新聞「天声人語」です。
難キ連では、カルデロン・のり子さんとほぼ同じ状況にあるアルバレス一家を支援しております。
>彼女以外にも、同じ境遇で育ち、学ぶ子等が、日本には大勢いる。
賛同とバッシングのなかにいる、カルデロン・のり子さんと同じ状況にあるアルバレス・ラニエルさんはじめ多くの子供達にあたたかな春が来ますように祈って止みません。


2009年3月6日 金曜日
アムネスティから、カルデロンさん一家について公式声明が出されました。
アムネスティ発表国際ニュース
2009年3月5日

アムネスティ日本 <info@amnesty.or.jp>http://www.amnesty.or.jp/

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日本:フィリピン人夫妻の退去強制は人権侵害
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アムネスティは本日、日本政府に対して、アラン・カルデロンとサラ・カルデロンの夫妻が、13歳になる娘ノリコ・カルデロンと共に日本に残れるよう、2人に対する退去強制手続きを停止するよう求めた。
ノリコ・カルデロンは、日本で生まれ日本語しか話せない。彼女は法務省から、両親と共にフィリピンに帰るか、日本に残るために在留特別許可を申請するかのどちらかを選択しなければならない、と命じられた。しかし、政府は両親に対して、彼らが非正規滞在であることを理由に退去制を行おうとしている。ノリコは、日本に残りたいという意思を公式に表明している。「日本は、あらゆる政策において、子どもの利益を最優先に考慮する国際的な義務を遵守しなければならない。ノリコの両親に対する退去強制は、明らかに彼女の最善の利益に反するものである」と、
アムネスティのアジア太平洋部副部長ロジーン・ライフは述べた。
日本も締約国である子どもの権利条約では、第9条において「締約国は、子どもがその父母の意思に反してその父母から分離されないことを保する。ただし、権限のある当局が司法の審査に従うことを条件として適用のある法律及び手続に従いその分離が子どもの最善の利益のために必要であると決定する場合は、この限りでない」と規定している。
日本は、同規定について、出入国管理法に基づく退去強制の結果として子どもが父母から分離される場合に適用されるものではない、との解釈宣言を行い、この義務を免れようとしている。
アムネスティは、この解釈は受け入れられないものであると考える。「子どもの利益を最優先とする原則は、子どもの権利条約の中核
であり、絶対に拒否できないものである。私たちは日本に対し、国際的な義務に従い、人間としての良識と基本的な人道の観点に基づき、この家族が一緒に日本で暮らすことを認めるよう要求する」と、ロジーン・ライフは述べた。

背景:
子どもの権利委員会は、2004年に発表した日本に対する最終所見の中で、「国内法制度が条約の原則及び規定を十分に反映していな
いこと」について懸念を表明し、日本の法制度が移住労働者の子どもを差別していると指摘した。
*この件に関するアムネスティ日本支部の声明(2009年2月27日付)は以下からご覧いただけます。
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=613


2009年3月4日 月曜日
 春を目前にして異常なまでの寒さ、2月はじめインフルエンザを患って以来、頻脈で救急点滴を受けたり、今朝から寒気と喉の痛み、なんとも心細い健康状態の身には堪える寒さです。雪が降りしきる昨日夕刻、カトリックオープンハウスのKシスターより留守電が入っている事に気が付きました。早速、聞いてみると、難キ連で相談を受け、居住地域が群馬県と言う事でお願いした難民のケースの事でした。スリランカ難民の女性が、東京のとある警察で任意で取調べを受けていると言う事、場合によっては収容もありうる、との担当刑事の話になす術もなく、とにかく本人の携帯に電話をしてみてください、と言った内容でした。K シスターに早速電話をして詳細を確認、本人の携帯電話に掛けてみたところ、すぐ本人が出て、入管出頭の帰途職務質問で提示したパスポートの在留期限が切れていた事でつかまった、家には病気で寝ている子供がいる、早く返すように頼んでくれ、と涙交じりの声で訴える。担当刑事の方に代わってもらって、本人は難民申請をしている事、しかし不認定になり異議申し立てを行おうとしていることを話し、なぜ捕らえられたのか聞きましたところ、パスポートのビザの期限が切れている事からオーバースティの疑いで任意の取り調べであり、入管と今連絡を取っているところ、との事。
「彼女に関しては難キ連も相談を受けた上でカトリックオーオープンセンターが現在相談対応をしています。仮滞在許可と言う制度もあり、本人がそれを受けていないか確認してほしい。とにかく人道的に善処してほしい」旨お願いいたしました。担当刑事も丁寧な対応でシンハラ語の通訳も頼んで、今からインタビューをするところで、入管とも連絡を取り、今、どのような状況にあるかを確認した上で人道的に対処を心がけています、しかし、収容もないとは言い切れません。との回答を得ました。とにかく、病気の子供が言葉もわからず自宅で待っている事を考慮してくれるよう再三お願いして電話を置きました。11時半過ぎ、Kシスターよりまた留守電が入っており「無事に開放されて自宅に戻ったと連絡を受けました。同行の同国人男性は留め置かれているとの事です」。ホット致しました。迫害から逃れ日本に庇護を求めてやってきた難民も、日本の難民認定は極端に少なく、第3国へ出国したリ人道配慮の在留特別許可が出る難民はまだ幸運で、多くはなかなか人道的配慮を認められず、不認定によりオーバースティとひとくくりにされ収容されるのです。入管収容,被収容者面会は多くの難民申請者も収容されているところから正確な聞き取りが必要と始められ、10年になります。しかし、このところ、余りに忙しく、牛久市にある入管センターには、多くの難民からの面会要請があるにもかかわらず、なかなか面会にいけない状態にあります。急増する難民の状況も楽観できない状況にあるのです。
 さて、3月1日の事務局便りに早速ご意見を頂戴しました。多くの方々がオーバースティの子供達の救済支援に対し、賛否は別にして関心を持ってくださることをありがたいと思っております。早速、返信のメールを差し上げておりますが、下記に貼り付け致しました。

(メール返信内容を皆さんに共有いただきたく貼り付けるのですが技術的な問題と思うのですがアップできませんでした。次号のニュースレター等で紹介させていただきます)

叫びを聞く

                                         渡辺 英俊
「寄留者を虐待したり、圧迫してはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。」 
(レビ 22章20)
 私の伝道所で、10数年にわたって礼拝を共にしてきた外国籍のメンバー一家が、
入管の「摘発」を受け、退去強制されました。上の子どもが小学校6年、
卒業寸前という時期になってのことです。下の子は生後3週間で父親が収容され、
送還されたときには生後2ヶ月でした。まじめに働いて、いくつもの技術の認定を受けており、
住民税も自分から申告して払ってきました。子どもが中学生になったら在留特別許可の申請をして、
安心して暮らせるようにしてあげようと準備を重ねていたのが、無になりました。
子どもの権利条約は、締約国のすべての公的・私的機関の活動は、
「児童の最善の利益をはかることが第1義的に考慮されなければならない」と規定しています。
また、子どもの教育を受ける権利を認めています。もし「違法」を咎められるのなら、
国際条約を法として守っていない政府の違法が咎められなければならないでしょう。
また、入管法上の在留資格がないまま日本に住んでいたことが違法と咎められるのなら、

 海外からの労働力に依存して成り立ってきた日本の経済の現実に合わない「法」を放置してきた、
政府の不作為の罪こそ問われるべきでしょう。この国は、政府の怠慢や政策の誤りのしわ寄せを、
最も弱い立場の当事者に負わせて苦しめ、咎めなくてもだれにも迷惑をかけていない
「違法」を咎めるために、税金と労力を無駄遣いしているのです。
今、アメリカ発の世界不況のあおりで、派遣労働者の首切りが大きな社会問題になっています。
日本人の労働者の失業が大きくなってメディアが騒ぎ始めましたが、外国籍の労働者、
とくに1989〜90年に一挙に導入されて以後年々増えてきた日系ラテンアメリカ人労働者は、
来日の初めから「派遣労働者」として雇用されてきたのです。
日本の自動車産業が輸出の主力として日本経済の「繁栄」を引っぱってきた陰には、
不安定な雇用条件の下で懸命に働いてきた、外国籍労働者の力があったのです。
ところが、ひとたび「不況」の声がかかると、真っ先に切り捨てられる派遣労働者の、

 その最先端で外国籍の派遣労働者が大量首切りを受けているのです。
解雇されると家族で住んでいた社宅から追い出されるために、野宿に追いやられ、
幼児が凍死したというニュースさえ伝わってきます。
この国の社会の冷たさは、真っ先に最も弱い立場の人びとの上に降りかかります。
この人びとの叫びが、教会の耳に届いているでしょうか。
「知りません。わたしが彼らの番人でしょうか」(創世記4:9)というカインのせりふを、
教会は愛用してきたのではないでしょうか。
「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」(マタイ25:45)
というのは、今、教会に語りかけられている神の言葉ではないでしょうか。
(わたなべ・ひでとし :  日本キリスト教団なか伝道所牧師・移住労働者と連帯する全国ネットワーク共同代表・難キ連運営委員)


2009年3月1日 日曜日
日本基督教団代々木上原教会の皆さんによって立ち上げられた難キ連サポーターズのウェブサイトに、昨年12月にお願いいたしましたオーバースティのフィリピン人家族の署名依頼につきまして、2000筆のご署名を頂戴する一方で、多くのご批判も拝受いたしました。
難キ連サポーターズの皆さんには、コンサートの散らし作成、またニュースレターの発送のお手伝いを戴き、毎年春のマーマレード作り販売売り上げの教会学校の皆さんからの献金など、物心両面からご支援いただいております。しかし、様々なご批判に苦慮されていると御知らせ戴き、早速、難キ連のスタンスをお送りいたしました。以下は、難キ連サポーターズウェブサイト管理人M様へお送りしたメール全文です。
M様、
いつもご支援、お働きに心から感謝いたしております。ニュースレターの発送、コンサートへのご来場誠に有難うございました。
さて、アルバレスさんご一家への署名のご協力へのお願いが、Mさんやサポーターズの皆さんにも、ご心痛と対応へのご苦労をおかけしております事をメール拝読し、大変申し訳なく思って心を痛めております。
12月に、署名をお願いいたしまして、12月21日には同じような状況にある子供達のために支援団体が情報を交換と言う事でキリスト教会館に集まりましたが、その折にカルデロンさん一家、そして私どもが支援しているアルバレス一家が顔を合わせました。また、大阪、神奈川、と予想以上の家族が集まりました。(この集会につきましてはTBSニュースでも報道)
しかし、彼らへの支援につきましては難キ連のメールにもご批判を頂戴しましたし、またカルデロンさんの弁護士、渡辺彰吾先生のところへも
批判のメールが殺到しているそうです。

> 批判の要旨はこういう事です。
> 1.不法就労者は犯罪者なのだから、法に従って処分されるのは当然。
> 2.「かわいそうな子ども」を前面に出して同情を買おうとするやり方は問題のすり替えだ。
> 3. 不法入国した人々を日本に在留させることが、なぜ人権を守ることになるのか、背景の説明がない。
>
Tさんにも大変お世話になりまして発送いたしました難キ連ニュースレター35号をメール添付させていただきましたが、ご寄稿いただきました
日本基督教団なか伝道所牧師で移住労働者と連帯する全国ネットワーク「移住連」共同代表の渡辺英俊先生の「叫びを聞く」が、御批判の要旨の1〜3への難キ連としてのスタンスを一番如実に著してくださっていると考えております。
編集後記では字数の関係で多くは掲載できなかったのですが掲載できなかった難キ連の考えを以下にまとめました。また長くなりますがその下に渡辺先生のご寄稿を貼り付けました。サポーターズのサイトにご掲載頂ければ幸いです。私どもは現行の「出入国管理法ならびに難民認定法」の改正を求めております。今回のカルデロンさん一家に発した子供の問題は現在の日本の外国人を受け容れる法律が如何にあるべきかを国民全てが考える機会になってほしいと願っております。

<以下難キ連の回答>
1月14日、カルデロン一家に、2月13日までの再度の仮放免許可が出された入管の判定について報道されました。
@ フィリピンで親子三人暮らすか
A ノリコちゃんを残して両親が帰国するか
どちらにしても、日本で生まれ、日本語しか話せない13歳の少女と家族に対して厳しい選択肢が示唆されました。
2月27日には、上記のどちらかを選び、帰国日を決めた上で3月9日に出頭しなければ家族全員を強制収容すると入管は言い渡しました。
難キ連では、カルデロン一家と殆ど同じ経緯と状況の中、ノリコちゃんと全く同じ境遇にある二人の子供を持つAさん一家の署名依頼を各MLに送信して2週間で240通(1200筆)の協力を戴きましたが
「親の不法行為を見て育つのは子供にとって最大の不幸です。 人の子の親として良心があるのなら、
一日も早くこのような不法滞在をやめて帰国して、子供を立派なフィリピン人として育てるべきです。
こんな不法行為でまんまと日本に滞在できるようになれば、子供はこれからも犯罪はやったもん勝ちと言う恐ろしい倫理観を身に付けてしまいます。この両親は成人してから日本へ来ても、日本語を身に付けたのです。 子供が帰国してタガログ語を覚えるのは簡単ですね。
早く違法行為をやめるように忠告するのが、善良な市民の務めです。」
といったご意見も戴きました。しかし、多くの送還された母国語が儘ならない子供達が母国で、家族離散や学業の中断、授業についていけない、など過酷な試練に耐えていることを神奈川県「信愛塾」の追跡調査報告で著し、昨年朝日新聞に5回にわたって特集記事で掲載されていますが、子供に「仮の住まい」と言う事はないと研究者からの指摘もあります。
生まれ育ったところ(日本)が親にとっては仮の住まいであっても子供にとっては仮の住まいではありません。

「罪を憎んで人を憎まず」といった言葉がありますが私達がノリコちゃんの両親、そしてAさん一家はじめ、同様のケースの子供達の両親の「超過滞在」という入管法違反という罪に思いを馳せると、彼等の罪で傷ついた人も損害を被った人もいないのです。むしろ、低賃金で黙々と働く彼らは不法といわれようと、企業の貴重な労働力であり、実際このような労働力が日本の企業から完全に失われてしまえば成り立たなくなる企業が出るとの見方もあります。また、彼らも低い賃金の中から税金を納めている納税者でもあり、彼らを(人を)憎みようも無く、彼等には(人として)憎むべき罪が見当たらないのです。
日本の法律「出入国管理法及び難民認定法」の書類上の罪でしかありません。むしろ、真面目に働きながら十数年にわたり日本に住んでも居住権が認められず、いつも送還と収容に怯えながら暮らさなければなりません。現在、移民法について政界経済界で論議されておりますが
今回のノリコちゃん初め、多くのオーバースティの子供達の教育を受ける権利と、やがて否応無くやってくる多民族多文化共生社会が誰にとっても居心地の良い社会になるよう、日本の、外国人受け容れの法律がどうあるべきかについて、私達日本人がもっと深く考える機会になってほしいと思います。多くの子供達の未来をつぶさない結論を入管が出してくださる事を強く望んでおります。


2009年2月14日 土曜日
インフルエンザの蔓延の波をもろにかぶってしまって2週間、思いがけず、快復が遅くようやく事務局デスクに復帰いたしました。
さて、2月8日日曜日、日本基督教団王子教会で開催いたしました難キ連ファミリアコンサートへの御協力誠に有難うございました。
おかげさまで、約60名余りのご参加を戴き、恵み多いひと時を共有させていただきました事を心から感謝申し上げご報告させていただきます。
充実した設備の王子教会を会場としてご提供くださいました大久保正禎先生はじめ王子教会の皆様、誠に有難うございました。
素晴らしい音響に演奏奉仕の出演者の皆さんも気持ちよく演奏させていただいた事を感謝しておりました。
素敵な演奏で会場を魅了してくださった出演者の皆様、長谷川さん、星野尾さん、米原さん、石山さん、佐藤さん、
本当に有難うございました。

コンサート仕掛け人佐藤が10日ほど前から自分も含めて一家がインフルエンザにかかるなど、この季節に危惧されたことが
現実に起こってしまい、コンサート前10日は全く大久保先生はじめ、関係各位への連絡も差し上げず、また各MLへのメールでの再度の広報も行わずに迎えたコンサートですが素晴らしい音響に恵まれた心地よい教会の席はほぼ埋め尽くされ
音楽を楽しみ、アートワークの作品に感嘆し、また難民の方々の証言に耳を傾けました。
道家さん、大久保先生の弛まぬ真摯なご支援の姿勢、「安心出来る場所で、安心できない現状を語ることによる癒し効果」、
「アートワークは難民の方々ばかりではなく私達も多くの恵を与えられている」との道家さんのお言葉がとても印象に残りました。
Fさんの証言にも心打たれました。ただ、特別活動とはいえ正規滞在化した
Fさんの表情が見違えるほど明るくなったと、Fさんの以前を知る方々が驚きました。

CTIC目黒のシスター真神様、ヒラソルの会の松丸様、御協力誠に有難うございました。
また、
急遽司会の労をとり、楽器や資料運搬のため都内の運転を引き受けてくださった
難キ連運営委員の佐々木紀久江さん、前日から佐藤に代わり、セカンドハーベストの作業ほか
様々な手配をしてくださり早くから会場で準備作業を黙々とこなしてくださった難キ連日本語講師ボランティアの高井敬子さん、
受付の労をとってくださったNCCボランティアの藤野さん、本当に有難うございました。

ご参集いただきました皆様お一人お一人に
心から御礼申し上げます。暦の上では春とはいえ、まだまだ寒い日が続きますが
どうぞ皆様くれぐれもご自愛下さいますよう。

皆様のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。



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