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辰韓 『後漢書』辰韓伝 辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。有城柵屋室。諸小別邑、各有渠帥、大者名臣智、次有儉側、次有樊秖、次有殺奚、次有邑借。土地肥美、宜五穀。知蠶桑、作縑布。乘駕牛馬。嫁娶以禮。行者讓路。國出鐵、濊、倭、馬韓並從巿之。凡諸(貨)〔貿〕易、皆以鐵為貨。俗喜歌舞飲酒鼓瑟。兒生欲令其頭扁、皆押之以石。 辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。 城柵、家屋、宮室がある。諸々の小邑落には各自に渠帥がおり、大長は臣智、次に儉側、次に樊秖、次に殺奚、次に邑借がいる。土地は肥沃、五穀の栽培に適している。養蚕を知っており、縑布を作る。牛馬の車に乗る。嫁は婚礼をして娶る。道で行き合えば道を譲る。 国内で鉄を産出し、濊、倭、馬韓などが、これを求めに来る。おおよそ諸々の交易では皆、鉄を以て通貨とする。習俗は歌舞、飲酒、鼓を打ち瑟(しつ=弦が25本か16本の琴)を弾くことを好む。幼児はその頭を扁平にするため、皆でこれを石に押し付ける。 『三国志魏書』辰韓伝 辰韓在馬韓之東、其耆老傳世、自言古之亡人避秦役來適韓國、馬韓割其東界地與之。有城柵。其言語不與馬韓同、名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴。相呼皆為徒、有似秦人、非但燕、齊之名物也。名樂浪人為阿殘;東方人名我為阿、謂樂浪人本其殘餘人。今有名之為秦韓者。始有六國、稍分為十二國。 辰韓は馬韓の東、そこの古老の伝承では、秦の苦役を避けて韓国にやって来た昔の逃亡者で、馬韓が東界の地を彼らに割譲したのだと自称している。城柵あり。言語は馬韓と同じではない。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)、皆のことを徒と呼び合い、秦語に相似しているが、燕や斉の名称ではない。楽浪人を阿残と呼ぶ;東方人は自分を阿と言うが、楽浪人は本来、その残余の人だと言われる。今はこの国の名称を秦韓とする。始めには六国あり、十二国に細分化した。 『晋書』辰韓伝 辰韓在馬韓之東、自言秦之亡人避役入韓、韓割東界以居之、立城柵、言語有類秦人、由是或謂之為秦韓。初有六國、後稍分為十二、又有弁辰、亦十二國、合四五萬戸、各有渠帥、皆屬於辰韓。辰韓常用馬韓人作主、雖世世相承、而不得自立、明其流移之人、故為馬韓所制也。地宜五穀、俗饒蠶桑、善作縑布、服牛乘馬。其風俗可類馬韓、兵器亦與之同。初生子、便以石押其頭使扁。喜舞、善彈瑟、瑟形似筑。 辰韓は馬韓の東に在り、苦役を避けて韓にやって秦の逃亡者で、韓が東界の地を割譲したので、ここに居住したのだと自称している。城柵を立て、言語は秦人に類似していめので、あるいはこれを秦韓とも言う。初めは六国あり、後に十二国に細分した。また、弁辰があり、これもまた十二国で、合計四、五万戸、各々に渠帥がいるが、皆、辰韓に属している。辰韓は常に馬韓人を用いて君主となす、代々の相伝とはいえ、自立することを得ず、明らかに流移の人ゆえに馬韓が全土を制している。土地は五穀の栽培に適しており、習俗は多くの蚕や桑があり、上手に縑布を作り、牛を飼い馬に乗る。その風俗は馬韓に類似しており、兵器もまたこれに同じである。初めの子が生まれると、石にその頭を押し付けて扁平にさせる。嬉々として舞い、瑟を弾く、瑟の形は筑(琴に似た13弦琴)に似ている。 武帝太康元年、其王遣使獻方物。二年復來朝貢、七年又來。 武帝の太康元年(280年)、その王は遣使を以て方物を献上した。二年にも再び来朝して貢献、七年にもまた来た。 |