三顧亭南枝 談
書聖の評価
書道史上に燦然と輝く巨星、それが書聖といわれる王羲之です。
書を学ぶ者にとっては、行書練習の際の「蘭亭序」や「集字聖教序」、草書学習時の「十七帖」と、必修の古典として誰もが通るのが王羲之です。また、高校世界史の教科書にも、中国の文化芸術の項で、取り上げられるくらい有名な書人です。
その書に対する印象はと言いますと、バランスのとれた立派な字であるとは言えますが、特徴を挙げるとなると、ちょっと悩んでしまいます。それは、王羲之の書があまりにも普通に見えるからです。ここに王羲之の偉大さがあるのです。つまり、すべての文字造形が王羲之流になっているからです。言い替えれば、文字造形自体が王羲之流を基として展開していると言うことです。それは書道に限らず、活字の字形もそうなのです。私達は知らず知らずのうちに、自然に、王羲之流の文字造形を見、学んできているのです。それが当然の文字の形なんだと思って。だから、王羲之の書が特別には見えないのです。
以上のように、文字造形の典型を成したという意味で、王羲之の偉大さがあるのです。しかし、この偉大な業績は、王羲之だけの力によって成し得たわけではありません。そこには、その芸術性を高く評価し、広めてくれた大立者の絶大なる支援があったからこそです。それが唐の太宗皇帝です。
中国歴代皇帝の中でも五本の指に入ると言われる名君太宗は、文化への理解も深く、とりわけ書には関心がありました。特に王羲之には心酔し、書蹟蒐集に情熱を燃やしました。そして、中国全土から2290紙に及ぶ羲之書を集めたのでした。まさしく王羲之マニアと言うところです。このような皇帝ですから、国中に王羲之書風を大いに奨励しました。よって、太宗の下には王羲之流を善くする初唐の三大家(虞世南・歐陽詢・楮遂良)が揃い、王羲之書風の一大ブームとなり、その後の書道史上に大きく影響することとなったのです。こうした国を挙げてのバックアップは、多くの王羲之ファンを生み、羲之書風追従者を多数出現させました。すると、逆に反目する者も現れて、新たな書法を開こうとする動向も起こってきたのでした。いずれにせよ、初唐以降の書法展開の契機は、太宗によるものだと言うことです。これ以後の書は、何かにつけ王羲之の書と比べてどうこうと、言われるようになったのですから。
では、太宗出現以前はと言いますと、王羲之の名声はそれほどでもなかったのです。初唐からさかのぼること約300年、中国南北朝時代、南朝の東晋代に王羲之はいました。北朝は、異民族の侵略による戦乱続きの世に対し、南朝は、優雅な貴族中心の時代でした。その中で王羲之は貴族の書人として活躍していました。その書は、きわめて先進的で、この時代にあってはまだ新しい書体であった行書・草書を一挙に完成の域にまで高めたのでした。たった一人の技量だけで、それをやってのけたと言うことが物凄い訳で、この時代の他の書人には、とうてい及ばぬ仕業だったのです。まさしく書聖、書の神様です。
その手腕は高く評価され、多くの人々が書を求めました。しかしながら、行書・草書は日常の書体、この時代にあってもまだ、漢代からの風習として正式書体としての隷書の地位が残っていました。楷書がその地位を奪うにも、まだ時が必要でした。ですから、王羲之がいかに優れていようとも、隷書を書かない以上、公的な場に用いられることはなかったのです。その証拠として、王羲之一族の墓誌に羲之の書は採用されていません。一族にあんな天才が居りながら、風習とはいえ墓誌に書かれているのはヘタクソな隷書です。当時の人々にとっては(今の人達もそうかもしれないが)、先進的なものを受け入れるより、伝統的慣習を守る方が良いと思ったのでしょう。いや、この時代では王羲之の先進性を理解する方が、無理だったのかも知れません。だって、真に理解を得るのは、300年後のまさしく先進の時代なのですから。
卒意の書
私たちが筆を手にするとき、必ずと言っていいほど、誰かに見せる見られるということを前提に書くものです。書道展や展示会、あるいは競書に出品する作品はもちろんのこと、日常の手紙や署名にしてもそうです。
人の目に、少しでも上手そうに、きれいに、達筆そうにみられたい。これは誰もが抱くごく自然な心情です。ましてや、「書は人なり」とか「書は心画なり」などと言われれば、なおさら人目を気にしないわけにはいきません。当然、人目を意識して書かれるものは、練習を積み、多くの枚数を費やすことになります。だから、そこには力作が生まれます。
こうやって書かれた書は、本人の努力のかいあって、字形は整い、線は練れて立派なものでしょう。どこにもスキがなく、失敗もない洗練された書には、確かに感心させられるものです。でもこれは、あくまでもよそ行きの書の姿です。本当の意味での「書は人なり」の書でしょうか。正装し、背筋を伸ばし、行儀を整えるのは、他者に対する姿勢です。それが、平素の自分自身の姿でしょうか。人は絶えず緊張ばかりはしてられません。リラックスして、心を解き放った心身こそ、その人の本来の姿ではないでしょうか。そういう心持ちで書かれた書とは、どういうものなのでしょう。
かの書聖王羲之は、のどかな春の日に、一族知人を招いて宴遊会を催しました。豊かな自然の中で、酒を飲み、興が乗っては詩を作る。宴は人々を楽しませました。多くの詩ができ、寄せれたところで、王羲之は序文w蘭亭序xをしたためることにしました。楽しく心地よい酔いにまとわれた筆は、全くの即興で紙面に墨跡を残していきました。書き上げたなら、すぐに見せようという気は無く、後で清書するつもりだったのでしょう。ですから、行間に脱字を書き加えたり、字を消して書き直したりしている部分があります。作品作りという計算などない、自然体の書です。にもかかわらず、同じ文字はすべて字形を変えて表現するという変化の妙を示している所などは、さすが書聖と言われるゆえんでしょう。後日、あらためて清書した王羲之ですが、何枚書いてもうまくいかなかったそうです。あの時の、あの雰囲気の中で、自然に書かされた筆致には及ばなかったのです。きちんと書き上げようという緊張感が、書聖の筆にもプレッシャーを与えたのでしょう。あきらめた王羲之は、ミスのあるのは承知で、我が最良の作として伝え残すことにしました。体裁良く作られた完成品より、失敗は有れども筆勢豊かな作を上としたのです。この王羲之の書に対する姿勢の中に、自然体の書(卒意の書)の価値を見出すことが出来ます。
このように、作意的意識を持たず、その時の自然な気持ちで書かれた卒意の書なる名品は他にもあります。
まずは顔真卿。戦争で亡くなった甥の霊を祭った時の祭文の草稿である『祭姪文稿』や、集会で席次を乱した者に対する抗議文の草稿『争坐位稿』が卒位の書です。『祭姪文稿』は、かわいがっていた兄の子に対する悲しみの思いで、『争坐位稿』は、無礼者に対する怒りの気持ちで書かれています。共に、深い感慨を込めて書いたものとはいえ、草稿ですから、王羲之の『蘭亭序』同様、書き加えたり、書き直したりしている部分が見受けられます。両者とも、しかるべき人に渡す書状ですから、きちんと清書したものがあったはずですけれど、それらは残っていません。後世に残る石碑を数多く書いた顔真卿でが、まさか下書きが古典となって伝えられようとは、夢にも思わなかったことでしょう。
日本の書人のものでは、小野道風の『屏風土代』がそうです。これは、醍醐天皇の宮廷に新調された屏風の色紙形に揮毫を頼まれた道風が、作品の構想を練った際の下書きです。随所に文字の訂正や書き込みなどが見られ、字形を工夫した様子が伺えるものです。その筆致は、実にのびのびとしており、変化にも富んでいます。やはり、本番ではないという気楽さが、筆をここまで走らせたのでしょう。
以上のように、作意に専念せず、その時折りの素直な気持ちの中で書かれた書は、その人の本質、ありのままの姿を表出させるものです。現実の私たちの世界でも、そんな書には、まずお目にかかることはありません。今という時代にあっては、尚のことでしょう。それだけに、こういった卒意の書を目にすると、筆者の誠の真意をかいま見たようで、嬉しくなると同時に、書人の平素からの技量の高さを知ることができ、感服させられます。あえて、卒意の書を意識的に残した王羲之は別として、顔真卿や小野道風にしてみれば、やや面はゆい気持ちかもしれませんが。
私たち自身も、何かに出品する場合だけ鍛練するのではなく、日々の日常書でも自ずと実力が発揮できるよう、普段から腕を磨いておく必要があるのではないでしょうか。いつ何時、誰かに卒意の書を見られるかもしれないのですから。その時、軽率の書と思われないためにも。
臨書考 ---形臨と意臨---
私たちが書を学ぶ上で書かせないのが、古典の臨書です。
その方法には、そっくりに書こうという形臨が、まず第一にあげられるでしょう。そっくりに書くというと、単なるモノマネに過ぎないと否定する声もありますが、まねるということは、細部まで見極める鑑賞眼と、それを表現する技術力が、必要とされるのですから、高度な学書法なのです。当然、学ぶ人の経験やレベルの差から、見える部分、表現できる範囲は異なるでしょうけど、形臨を重ねるうちに、その視点と技術力は養成されていくものです。「古典のニセモノを作ってやる」「コピーに負けてたまるか」と、言うような意識でやれば、上達も早いでしょう。つまり、優れた鑑賞眼と高度な技術力を養わないで、創作を試みても、それは高が知れてると言うことです。
次に、意臨という臨書の仕方があります。これは、「意」の解釈をどのようにとらえるかによって、その方法が大きく変わってきます。
かつては、古典作者の意をとらえて書こうと言われてました。古典を書いた書人のことを思い浮かべ、その時の境遇、立場を考えて、古人の心をくみ取って書くのだと。そうすることによって、臨書は内面的にも古典に迫ることが出来るのだというのです。形臨で古典の外面を学び、意臨で内面をとらえるのです。
でも、そんなことが本当に出来るのでしょうか。現代人の我々が、何百年も前の、ましてやそれが、中国の書人だったりしたら、皆目見当もつきません。確かに多くの文献で、歴史や風土、人物伝を知ることは出来ます。だからといって、古人の心まで迫ることは、超能力者でない限り出来ないはずです。
そこで現在では、意臨の「意」とは、臨書者の意であるという考えが普及してきました。昔の書人の意によって書かれた古典に、臨書者が己の意を加えて表現するというものです。古典には、それぞれ特徴があります。その特徴を、臨書者が主観的にとらえ表現するのです。主観ですから、古典のどこに、臨書者が着目し、それをどう表現するかも千差万別です。ある者は、特徴をさらに強調して書くかもしれませんし、別の人は、字形より線質の表情を中心として表現するかもしれません。こうやって意臨された作品は、同じ題材であっても、臨書者の見解によって大きく異なるものとなるでしょう。しかし、それでもいいのです。何のために古典を学び、臨書をするのかというと、自分自身の書を生み出すための練習手段なのです。目的である、自己の書風を確立するための手助けとなればよいのです。決して、マネが上手になるためにやっているのではないのですから。つまり意臨は、一種の創作的活動と言えるのです。やがて行う、創作という本格的自己表現活動のための準備運動です。これをやることにより、古典から発想のエキスを得、そこに自分の創造性をプラスしていく。そうやっていくうちに、新たな表現パターンを見出すことができるようになるのです。
テレビでたまにやる芸能人のモノマネ番組。あそこで繰り広げられるモノマネは、実際の歌手の歌い方とはかなりかけ離れています。そこまではやってないよというくらい、歌手の特徴を大げさに誇張して出しているのです。見る側にとっては、そこが面白いわけですし、実物の特徴をオーバーに表現して見せるからこそ、似ていると実感できるのです。でも、その似ているは、オリジナルとは別ものです。そこに展開しているオリジナルでは味わえない、新しい魅力に惹かれるのです。これこそ意臨です。オリジナルの古典の特徴をどう生かしながら、自分なりにいかに調理していくかが意臨という臨書表現活動なのです。
ここに明清時代の書人王鐸の臨書作品を取り上げてみました。王羲之を臨書したものですが、全くオリジナルとは違うことにお気づきでしょう。似せることよりも、自分自身の表現パターンを発見するために、臨書(意臨)している態度がよく伺えます。このような姿勢から、独創的作品は生まれてくるのです。臨書は、所詮創作の糧なのですから。
続・臨書考 ---意臨と自運---
「意臨とは書者の意(心)をくみ取り、その書の内面に宿る情趣や精神を学ぶことである。」とは、様々な書籍類に書かれたり、言われたりしていることです。
では、これを実践してみるとどの様になるのでしょうか。まず、古典の作者の事を知るために、その時代、風土や風習などを調べ、人物伝を読み、その書人に可能な限り肉迫しなければなりません。そして、その書人の心を想いながら、ひたすら臨書に没入します。すると、やがては書者の心を得た、外形も内面もとらえた書となるのです。
これを、形臨をさす「形似」(形が似る)という言葉に対して、「神似」(魂・心が似る)と言います。こうなってこそ、真に古典を理解し、会得したと言えるのです。
しかしながら、そうなって何の意味があるのでしょうか。いかに、真髄をとらえた臨書が出来るといっても、それは古典書者の生み出した書風を見事に再現して見せただけであって、所詮二番煎じです。オリジナルの古典書者の現した一番搾りほどには、魅力ないはずです。それに、古典を真に表現する意臨(神似)が出来るようになるということは、心が古典書者と同化したということですから、まるで古典書者の生まれ変わり、ダミーということではありませんか。自分自身というものは、どこにあるのでしょうか。
ひとたび、自分の創作となった時に、切り替えがスムーズにでき、本来の自分に戻れればいいのですが、これほどまでに、古典にはまり込んでしまうと、なかなか脱却は出来ないものです。名跡や古典書人の虜となり、自己を埋没してしまうことを「奴書」(奴隷となってしまった書)と言います。この状態に陥ると、自己の発動はなくなり、技術はあっても、決して新しいものを生むという発想にはならないものです。
そもそも古典の名品とは、各時代におけるナンバーワンの作品、最も先進的な文字表現の書だったのです。しかも、その書風の中には、いつの時代にも通用する品格と優れた造形美があったのです。だからこそ、今日まで伝わった訳で、これが普遍性というものなのです。この普遍性の原理原則を学び取ることが、臨書における目標の第一であります。
さらに、古典のいずれもがオリジナリティー(独創性)にあふれているということです。古典作品の中には、同じ雰囲気のものはありません。それぞれの書人が、いずれも個性的な表現をしています。このオリジナリティーが、芸術では最も大事な要素です。技術は、練習を積めばどうにかなりますが、オリジナリティーを生む発想力は特異なものですから、そこに価値が見出されるのです。ファッションにしてみても、デザインを発想したデザイナーの名は出ますが、実際に服を縫製した人の名は出ません。それほどに、発想は芸術の命であり、オリジナリティーが要求されるのです。そのヒントを古典の中に探ることが、第二の目標です。
書論で言われるところの「名筆を以て、その運筆の理を思い、古人の意を得る」とは、古典の筆跡や造形の中から、書人が何を考えて、そのような表現を取ったのかという作意を推察せよ、そうすれば造形表現の原理原則が分かってくると、解釈します。古人の意をくみ取るとは、そういうことではないでしょうか。
以上のような事から、つかみ取った普遍性の原理原則を、自己の書に投影していくのです。そして、それを基本に、いかにオリジナリティーあふれる書を表現(自運)するかが、最終の目標となります。
そのためには、様々な古典が、時代ごとに、新しい表現を生んで来ていることから分かるように、現代人である我々もまた、その使命を受け継いでいかなければなりません。つまり、我々の成すべき事は、未来において古典となるような作品を生み出すということです。とてつもなく遠大な目標ではありますが、各自がそれを思い臨まなくては進歩はありえません。
最後に、あえて過言するならば、師を追い越し、古典を越え、自己の書風を確立しようという気持ちのない人の書は、すべからく「奴書」と言えるでしょう。
明治時代の書人、中林梧竹も「古人を奴する者は少なく、古人に奴せらるる者多し」と、言っています。
文明と文化
世界の四大文明(黄河・インダス・メソポタミア・エジプト)の一つである黄河文明から「漢字」は生まれました。その目的は、他の文明でも「文字」が登場した理由と同じ、記録・伝達という人間社会生活におけるコミュニケーションの必要性からでした。「文字」は、文明の最も重要な要素として、発展変遷しながら、歴史を今日まで伝えてきました。ただ「漢字」だけは、その発達過程に置いて、他の文明の文字とは異なる進路を歩んだのでした。
それが、「書」という芸術を志向する概念です。それは、「文字」本来の目的とはルートを別にする考えで、きわめて嗜好的なものです。しかしながら多くの人々が、「漢字」の造形美というものに興味を持ち、研究・研鑽し「書文化」という領域を確立したのでした。
このようなことから、文明と文化を定義するならば、文明は人間の生活に必要なもの、つまり実用です。そして文化は、必ずしも必要ではないが、あれば人間の生活にうるおいを与えるものと、考えられるのではないでしょうか。
あらゆる芸術やスポーツは、私たちの社会生活に絶対的に必要なものではありませんが、それがあることによって、楽しみを得、生活にうるおいや活力をもたらしてくれるのです。それが文化の目的です。
この世に存在するすべての動植物が、実用という生きるために必要なことは実践しています。人間だけが唯一、そうでないことにも燃えられる特権が許されているのです。
ところが、文字に関する情況はどうでしょうか。
現代は、ありとあらゆる筆記用具の進歩と、ワープロやパソコンの台頭で、文字を書く道具の選択肢は、きわめて豊富です。こんな時代ですから、昔の毛筆しかなかった頃とは、環境が大きく違います。
書で扱う古典のいずれもは、毛筆しかなかった時代のものです。その頃にすれば毛筆は実用の筆記用具だったわけですが、「用の美」という観念が生まれ、書芸術と言われるまで高めてられていったのです。現代でも、「用の美」への意識は当然あるのです。だからこそ、整然と配置され、見た目にも整った文字の書けるワープロ・パソコンが多用されているのです。ただ違うのは、そこには個性的造形がないということです。
文字がつづる文章の意味内容で、書いた人の気持ちはある程度伝わるものす。しかし、それが手書きなら毛筆ならば、もっと、その人らしさや心情が伝えられるのではないでしょうか。にもかかわらず、ワープロ・パソコンが多用されるというのは、この上ない便利さと、ある程度の見た目の良さに納得し、それ以外の付加価値は求めないからでしょう。
似たようなことが、現代流行のコミュニケーションツールを見ても言えます。携帯電話に電子メール、パソコン通信と、きわめて便利で手軽なものが今大はやりです。これらのツールは、本来ならば実際に逢って話をすべきところを、簡略する代替えの道具です。なのにその簡便さから、無味乾燥ながら、これらの道具が多用され、主流になってきています。
まさにこれは、古代において、文明として文字が生まれた時、人々が便利になったと感じたことと類似しているのではないでしょうか。現時点においては、ワープロ・パソコン・携帯電話は、あると便利な文化的道具でしょうけど、近い将来には、無くてはならない実用品となることでしょう。つまり、これらの品は、現代に生まれた文明の道具と言えるのです。
悲しいかな現代、様々な文明機器の影響下、漢字文化圏で育ってきた我々の文字は、特質である「書」という文化が生んだ「用の美」を捨て、他の文明の文字と同様の扱いをするようになってきています。
今、このような時代、もはや毛筆は特別な用具となっています。勿論、毛筆が実用として活躍する場が、完全に失われたわけではありませんが、毛筆でなければ絶対にダメと言うわけでもなく、代替えの用具でも許される環境です。
こうなってしまった現代において、毛筆の活躍する舞台は、もう芸術面しか残されていません。しかしその芸術面すら、現代では使用されなくなった草書・隷書・篆書・変体仮名などが用いられるため、一般の人から敬遠されつつあります。現代は、印刷文字主流による活字の時代、つまり楷書が主の時代なのです。
ここの隔たりを何とかして埋めていかない限り、「用の美」は勿論のこと、「書文化」自体の将来も危ういことでしょう。
人々が書の芸術性を素敵だと感じ、それを実用にも反映させたいと思うようになるまで、書を愛する者は努力を続ける必要があるのではないでしょうか。