国宝如庵






                                  
  
 如庵という茶室があることを教えてくれたのは、私が所属していた大学の茶道部を指導していただいた葛西宗貫先生であった。

先生が教えてくれなければわからない程、如庵はごく一部の人しか知られていなかった。それは大磯町の三井家別邸城山荘の中にあり、

ほとんど紹介されていなかったためである。

 
 昭和40年の秋、先生の発案で如庵を茶道部の有志で見学に行くことなり、事前に電話で予約しておいた。東京駅で湘南電車に乗り、大磯駅で降りた。

バスが通っていたが、本数が少ないために歩いた。駅の前を海岸線に沿って国道一号線が通っている。国道を二宮に向って左手に海岸方面を

見ながら20分位行くと、前方に緑に囲まれたなだらかな丘が横たわり、国道は切り通しになっている。国道の海よりが戦後の日本政治に君臨した

吉田茂元首相の別荘旧吉田邸があり、山側の森の中に三井家別邸城山荘があった。その中に如庵と旧正伝庵書院が並んで建っていた。


 一歩門を潜ると、石が敷き詰められた路地は素晴らしく、大磯にいることを忘れ、

京都の寺院を訪ねているような錯覚におちいる。

当時、如庵の管理人は元平塚警察署長の方で、親切に丁寧に楽しく如庵を案内してくれた。

日曜日であったが、見学者は私達だけであった。

 すぐに目当ての如庵の中に入った。薄暗くしばらく中で正座して目を慣らした。

如庵は 二畳半台目で、「暦張りの席」と呼ばれたように、腰壁に貼られている古暦が有名であったが、

あまり目立たなかった。一番目につくのは中柱で火灯形のくりぬき板と連なり半畳と台目を仕切っている。

先生は手前をする立場から、「二本の太鼓張りの小襖をたてた洞庫」と「三角形の鱗板」を機能的で絶賛していた。

特に、洞庫は開けて見ると広く、水屋に行かなくても、手前してながら、茶器を取り出すことができるようになっている。

また、三角形の鱗板は手前をしていても、その横を水屋から床の間や二畳間に通れるように工夫されている。

茶室に長く座っているとわかるが、窓が多く、一日の変化が差し込む明かりでわかるように工夫され、

特に有楽窓とよばれる竹を隙間なく並べた連子窓は狭い隙間からこぼれる光は虹のようなきらめいていた。

 
 水屋を通って元に戻り、次に旧正伝庵書院に入った。有楽斎が隠居所とした書院はすっきりとしている。

襖に何気なく書かれている絵はあの名高い長谷川等伯を始めに狩野山雪等のものである。

私は初めて長谷川等伯の肉筆の絵に出会った。簡単な邂逅に感激も少なかったが無造作に

置かれている姿が心地よかった。

書院の廊下より庭に出て、改めて如庵の外形を眺めた。入母屋風の屋根の妻に「如庵」と書かれた額が目についた。

庭は広く書院からまっすぐ行った所に茅葺の小さな門があり、その先には国道一号線が通っているのに、

そのようなことはまったく感じさせない静寂さがあった。

 帰りは国道を横切り、旧吉田邸の脇を通って相模灘に出た。波打ち際を歩きながら大磯駅に方に向った。

 
 如庵の魅力に見せられた数人で二度目の如庵見学を計画した。これには細やか企みがあり、

「国宝茶室如庵での茶会」であった。そのために、こっそりとお湯が沢山入った魔法瓶と茶箱を用意した。

茶箱には茶が入った棗と菓子が入った振り出しを入れて、すぐに茶会ができるようにして準備しておいた。


 前回と同じように、大磯駅から歩いて如庵に行った。管理人は前に見学した茶道部の人達だとわかり、

自由に回ってくださいとおっしゃって引っ込んでしまった。この日も見学者は私達だけであった。

すぐに如庵に入り、亭主と客を決めて茶箱で茶会を始めた。差し込む光だけなので薄暗く、

静寂に包まれていたので、仮に管理人が来ればすぐにわかった。

南禅寺にある重要文化財の茶室で練習したことはあったが、国宝の茶室は初めてであり、細心の注意を払って、

全員が一服飲むまでの約30分の茶会であった。その後、片付けが終わっても、

陽の移ろいを感じながらしばらく如庵の中に留まった。

 書院から、明るい庭に出た時、なんともいえない爽快な感じと「やった」という充実感にみなぎっていた。

本当に快い気持ちで帰路に着いた。

 
 この茶室を建てたのは織田信長の実弟長益で、剃髪してから有楽斎如庵と号した。本能寺の変の後に秀吉の配下となり、

関が原戦後は徳川家康より禄を与えられ、豊臣秀頼の補佐役として大阪城に勤めた。家康の招きで江戸に行き、茶室を建てて茶の湯を楽しんだ。

有楽町や数寄屋橋は有楽斎のゆかりの地名である。晩年は京都建仁寺塔頭の正伝庵を再興して茶室如庵を作り、書院に隠棲して亡くなった。

徳川と豊臣の狭間で、戦国を生き抜くために波瀾に富んだ人生を送った。茶室如庵も有楽斎のように明治以後転々として、

現在は犬山市に移築されて「有楽苑」の中に収まっている。


 私達が訪ねた大磯の如庵の跡地は県立大磯城山公園として、町民に開放されている。

如庵の跡地の標識が立ち、跡地に建った郷土資料館にコピーの如庵があると資料館の職員から電話で説明を受けた。

犬山の如庵は厳重に管理されて近づきがたいが、大磯の跡地はもう一度行ってみたいと思う。