真説 田島ヶ原のサクラソウ
鷲谷いずみ氏のインチキ論を論破
青 木 実
2004年12月1日設置
目 次
| 第一章 沿 革 100年前の昆虫観察記録 大正九年の報告書 消滅理由 平成の暴論 タネ無しの嘘 鷲谷いずみ博士は捏造癖 |
| 第二章 平成のサクラソウを検証 |
第三章 三好学博士の報告と現在 |
| 沿 革 私は田島ヶ原のサクラソウ。 私たちには言葉と文字という文化はありませんのでどのようにしてご先祖様がこの地を生活の場に選んだのか言い伝えや記録はありません。 わかっていることはすぐ傍に荒川があって、そこから400m離れた河川敷で繁栄していることぐらいです。荒川が出来てからか、あるいは出来るときに奥秩父から洪水とともに流されてきたのかもはっきりしません。 ご先祖様が、関東平野の平坦な海岸に近い、いくつかのやや高台の河川敷を選んだのは、洪水という暴力に抵抗できるからでした。 私たちの生存を脅かす他の力強い種族がたくさんおりますのでご先祖様は、他の種族がまだ冬眠している時期を選んでいち早く一族が栄華を誇れるようにしてくれました。 ご先祖様は、ひ弱な私たちの体躯を考えて、種子をつけてからの洪水という暴力が現れても押し流されないよう強靭なヨシとオギの集落の中に居を構えました。ここですと洪水という暴力が現れやすい時期では、私達の渾身の力で作り上げた種子が流されても、私達の本体をヨシとオギが捕まえてくれて全滅を免れることが出来るのです。 |

| でも、障害がありました。他の種族がまだ冬眠しているぐらいですから、子孫の温存という大きな作業の手助けとなる昆虫様たちもまだ冬眠中ですので、私たちサクラソウが誕生した最初の約束事である他人任せの受粉はできません。そこでご先祖様は、この時期の強い風を利用した風媒受粉という離れ業を見つけました。 それだけではありません。私達のご先祖様は劣悪な環境で子孫を温存するために3種の神器を用意しました。 地下根による発芽 風媒受粉 自家受粉 地下根による発芽は欠くことが出来ない機能の一つです。ですので、洪水で流されようとするのをヨシとオギが捕まえてくれるので生き延びられるのです。 ところがです、同じ考え方を持っている私たちより100倍以上も大柄なノウルシが何時からか私達の領域に入り込みました。ノウルシさんたちも、私たちと同じように、比較的高台で水はけが良く、洪水のとき以外は乾燥しているこの地を好んでいるのです。 それでも共存できればいいのですが、ノウルシさんたちは遠慮会釈なく羽を広げますので私たちから太陽を奪ってしまいます。光合成が出来ませんと私達はその年の開花をあきらめて次の年に期待して余力を温存します。これを繰り返しているうちに消滅します。歴史はこれの繰り返しでしたので100年前の三分の一に減りました。 現在は、人間様が種子から苗を作って植えてくれました。そこだけは100年前に近づきつつありますが、そこにもノウルシさんたちが現れますので私達の受難は減りません。 さらに悲しいことは、海岸に近いところの親戚達は江戸時代に人間という残忍な動物にさらわれて全滅しました。田島ヶ原の私たちは、不思議なことに残忍な人間という動物が必死になって天然記念物として守ってくださったおかげで今日があるのです。 |
| 100年前の観察 (昆虫) 平成10年度 旧浦和市教育委員会発行による 特別天然記念物田島ヶ原サクラソウ自生地保護増殖実験調査事業報告書より抜粋転載 3.従来話題としてとりあげられなかった訪花昆虫の記録 田島ヶ原などサクラソウの自生地では、今でこそ訪花昆虫が稀であるものの、往時はそれなりに虫たちに恵まれていたと考えられている。しかし古い文献資料に当たってみると、この地域でのサクラソウ訪花昆虫は、もともと豊富でなく、むしろ稀であったのではないかと思えてくる。 日本においてサクラソウの訪花昆虫に関する最初の記述をなしたのは明治36年(1903)雪吹敏光であった。しかし、他の植物では自らの観察が含まれているのにサクラソウに関しては ――略―― 二型花の研究紹介にとどまり、訪花昆虫への言及はない。――略―― 明治39年(1906)7月、梅沢親光は ”サクラソウと昆虫” と題する興味ある観察を発表した。観察地は戸田原、年月日は脱けているが同年の春と考えてよいであろう。内容は、サクラソウとノウルシが混在して美観を呈していたが、ノウルシには甲虫・ハエ類・ミツバチ科等多数訪れているのに、サクラソウにとっては有害とも考えられるハネカクシ類が花中に見られる以外には、受粉に役立ちそうな昆虫の訪花がなく、あたかも虫たちにこの花が嫌われているかのように見えた、というものである。そしてその原因については、サクラソウの発する香りが虫たちに好まれないためではないか、とも記している。(梅沢は秩父の昆虫などについて先駆的記録を残している)。 明治41年(1908)4月25日、矢野宗幹は、梅沢の報告内容を確認すべく戸田原を訪れた。そして3時間にわたりサクラソウの訪花昆虫を待ったが、その数は極めて少なく、実際にサクラソウを訪れた昆虫はヒゲナガハナバチ(Eucera)2固体にすぎなかったと記している(香りによりサクラソウが敬遠されるものでないことにもふれる、)そして、他では早春に多いこのハチが、戸田原では極めて少なく、サクラソウを訪れた2個体以外にはレンゲを訪花した1固体だけであったと付記している。それでもサクラソウを訪れた個体は、花にとまって熱心に吸蜜、その時間は数分にも及んでいるので、数は少ないながら花粉媒介に十分効ある昆虫であろうとしている(口器の構造と花の構造にもふれる)。――略―― そしてさらにまた、ヒゲナガハナバチに限らず全体的に昆虫の少ない理由を、ノウルシを訪花する昆虫を例にして説明(戸田原を訪れた前日、東京の中野付近では12〜13種見られたのに、戸田原では3〜4種しか見られなかった)、その原因を洪水時の冠水に求めている。(矢野はアリ・ハチなど膜翔類を専攻した昆虫学者) 戸田原のサクラソウに訪花昆虫がみられないことは伊藤篤太郎も報告しているという(明治〜大正期?)。――略―― 昭和に入ってからは植村利夫による田島ヶ原での観察結果が見られる。観察日は昭和16年(1941)5月11日。ムサシノ自然研究会の採集会で来訪、曇天のせいもあってか訪花昆虫はまったく見られなかったと記す。――略―― 以上は田島ヶ原でなく、やや下流の戸田原での観察がほとんどであるが、地形的にも植生的にも相似た環境にあるので、田島ヶ原もほぼ同様な状況にあったと考えてよいであろう。要約すると 1) 荒川河川敷のサクラソウ自生地では、全般的に訪花昆虫が少ない。 2) 送粉に有効な昆虫としてはヒゲナガハナバチ(おそらくはニッポンヒゲナガハナバチ)が挙げられる。 の2点となる。そしてこのことより、昭和前期はもとより、明治期においても、荒川河川敷のサクラソウ自生地では、訪花昆虫が極めて少なかった、ということになりそうである。 ――以上は、24〜25頁―― 天然記念物調査報告書 旧浦和市【さくらそう通信】5号 1998.2.27より抜粋転載 桜草ノ自生地ニ関スルモノ 大正九年五月 史蹟名勝天然記念物調査報告書 理学博士 三 好 学 大正9年5月天然記念物調査報告―桜草ノ自生地― 所在 埼玉県北足立郡土合村字西堀、関並ニ田島ノ一部 (民有地) 地籍 約4町歩 土地の状態 (荒川の特殊性) 東京市ヲ貫流スル隅田川ノ上流ナル荒川ノ沿岸ニハ古来桜草ノ多ク発生セル原野アリ是等ノ原野ハ屡々河水ノ氾濫ニヨリ泥土ヲ蒙ムリ養分ニ富メルモ平時ハ地面乾固シ亀裂ヲ生ゼルヲ見ル土壌ノ状態普通ノ原野ト異ナルニヨリ従ッテ植物ノ群落ヲ異ニシ其中最モ固有ナルハ桜草ニシテ仲春ノ頃ニハ原頭一面紅花ヲ以テ飾ラレ之ト交リテ黄色ノ野漆、紫色及ビ白色ノ菫、紫色ノ丁字草、紅紫色ノむらさきけまん、やぶえんごさく、黄金色ノひきのかさ等花ヲ開キ恰モ天然ノ花園ノ如ク一大美観ヲ呈ス 夏時ニハ植物ノ群落一変シ且ちがやノ発生盛ニシテ高サ人長ヲ超エ秋ニ至レバちがや刈リ取ラレ原野ハ再ビ裸出シ明年桜草ノ発生ニ便ナリ 天然記念物トシテノ桜草ノ自生地 (花冠の形態) 桜草ハ外国ニテハ亜細亜ノ東北部ニ産シ我邦ニ於テハ北海道、本州及九州ニモ産スレドモ而カモ其産地ハ特殊ノ場所ニ限ラレ且土地ノ辺境ニシテ天然記念物トシテノ研究又ハ観覧に不便ナル処多シ 桜草ハ花ノ美ナルノミナラズ先天的変化ニ富ミ花ノ形態、大小、色彩ニ種々ノ別アルノミナラズ花茎ノ長サ、花茎ノ毛ノ密度等モ一様ナラズ今花部ノ変化ノ著シキモノニ就テ述ブレバ花冠ノ五片ヨリ成レル正形ノ外ニ六片、七片又ハ多片ノモノアリ又各片ノ幅広クシテ互ニ密接シ又ハ辺縁ニテ重ナリ合ヘルモノト幅狭クシテ間隙ヲ残スモノトアリ其ノ他片端部ノ広クナリ又ハ不規則トナレルモアリ色ハ紅色ヲ普通トスレドモ往々濃紅、帯紫紅ナルモノ、淡紅、極淡紅ナルモノアリ又絞リ、線入、更紗、砂子トナルモアリ稀ニハ純白ノモノサヘアリテ原頭ニ―異彩ヲ放テルヲ見ル。――略―― 名勝トシテノ桜草原野 (消滅原因) ――略――前ニハ天然記念物トシテノ桜草自生地ノ保存ニ就テ述ベタルガ名勝トシテ見ルモ桜草ノ発生セル原野ハ大切ナルハ論ヲ俟タズ旧幕時代ニハ江戸ニ近キ浮間ヶ原、戸田原等ノ荒川沿岸ノ原野ハ桜草ノ名所トシテ知ラレ旧時出版セル名所案内、花鳥暦ノ類ニハ載セザルハナシ是等ノ原野ハ明治20年頃マデハ多少旧態ヲ保テルガ其後土地ノ変化、遊覧者ノ濫採、商売人ノ過度ノ採取等ノ為メニ今日ニテハ同地方ノ桜草ハ殆ンド採リ尽サルルニ至レリ幸ニ荒川ノ上流沿岸地方ニハ今日尚桜草ヲ産セル処アルモ交通不便ノ為ノ観覧ニ適セズ比点ヨリスレバ前記ノ土合村内ノ桜草産地ハ浦和町ヨリ僅ニ一里ニ過ギズ且車馬の便アルヲ以テ名勝トシテモ保存スルニ適当ナル土地ト云フベシ――略―― 平成の暴論 国立科学博物館ニュース第277号 15頁 (平成4年4月20日発行) 加藤克己(新潟大学助教授 理学博士 1999年現在) ――略――幸いなことに田島ヶ原は国の特別天然記念物に指定され、浦和市民らによる熱心な保護活動が続けられてきました。そのおかげで、約四ヘクタールの保護区には七十万株に及ぶサクラソウが安定して生育し、毎年春になるとピンク色の可憐な花を咲かせて訪れる人々の目を楽しませてくれています。保護区はうまくいっている、誰もがそう思っていました。 ところが最近になって、私の共同研究者でもある筑波大学の鷲谷いずみ博士(現東大教授)が意外な事実を明らかにしました。田島ヶ原のサクラソウはほとんど種子をつけないのです。数十年程度の寿命があるサクラソウですが、やがては枯れます。種子が出来ないということは、近い将来、田島ヶ原からサクラソウが消滅してしまう可能性すらあることを意味するのです。 ここで私たちは、ふたつの疑問を抱きました。ひとつめはどうして現在の田島ヶ原では種子ができないのかという疑問、ふたつめは種子ができないのは昔からのことなのか(もしそうなら、現在のサクラソウ集団そのものが成立するはずがありませんから)という疑問です。――略―― |
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| ※青木注 鷲谷いずみ博士の暴論を加藤克己氏が上記冊子に発表して以来、浦和市教育委員会文化財保護課から生態調査を委託されたグループのうちの生井兵冶氏は鷲谷暴論を肯定した。これを見た調査にかかわっていない他のそうそうたる連中も後先も見ずに乗り遅れまいと鷲谷暴論に飛びついた。なぜなら、幼稚園児でも“わ〜い種子だ〜”と足元に群落している種子を見ることが出来るからです。 |
| 鷲谷いずみ博士がサクラソウとかかわったのは、調査期間の1986〜1988年のうちの1987年の何日でもないことである。ところが、浦和市教育委員会発行の“天然記念物指定70周年記念論文集”(1990・平成2年・以下記念論文集という)103頁にある鷲谷いずみ博士の寄稿文は加藤克己氏に語った内容と違っていた。記念論文集の後で鷲谷いずみ博士は突然変異したものと思われる。鷲谷いずみ博士は記念論文集の編集者の一人でもある。ゆえに、雪吹敏光、梅沢親光、矢野宗幹、植村利夫各氏の報告書も目にしたはずです。その上で100年前から訪花昆虫が稀であると知りえた立場で、100年前も現在も同じ実態であることを無視して訪花昆虫がいないのは都市化による環境破壊で昆虫らの棲家が奪われたと言い出したのですから、暴論といわずになんといおう。ここはもっと言葉汚らしくののしっても良いと思う。 学習に役立つ日本の環境 生きものとともに 瀬田信哉 27頁 株式会社 岩崎書店 1995年4月20日第1刷発行 ――略――そこで研究者がサクラソウの花に集まる昆虫を撮影しようとビデオを回したところ、何日たっても昆虫が写りません。雌しべに雄しべの花粉をはこんでくれる昆虫がやってこないのです。 現在咲いているサクラソウは、戦後まもないころには雄しべと雌しべがまざって、種子の繁殖もあったことがわかっています。ところが現在はそのような健全なはたらきがとだえました。理由は保護区のまわりが住宅地になったり、ゴルフ場になって、緑があっても農薬がまかれたりして昆虫のすめない環境になってしまったからです。――略―― 花の友53 平成7年3月「春」号 財団法人 日本花の会 28〜29頁 岩槻邦男 ――略――サクラソウは――略――山間や原野の低湿地に生じ、ふつう大群落を生じる。短い地下茎がじめじめした地中を――略――残念なことに、このサクラソウ群落も、花粉を媒介してくれる昆虫たちが訪れることができなくなってしまってから、陸の孤島に島流しされたように、今では次世代を生み出す術を失って、いたずらに老いと死を待つだけの集団になり果てていることが、最近の研究によって明らかにされている。――略―― 教育出版株式会社 国語4上 さくらそうの保護 生井兵冶(筑波大学教授) 平成9年1月20日発行{文部省検定済} ――略――クローン毎の1花当たり結実種子数の調査結果(鷲谷)と筆者(生井)の受粉生物学的研究結果と併せて考察すると、等長花(H)にある程度自家受粉和合性を有し高い生産性を示すクローンがあり、有効な花粉媒介昆虫が少なくても長花柱花(P)には短花柱花(T)よりも適法受粉が起こり易いクローンが多いので、短花柱花クローンに比して種子生産性が比較的高い場合が多いという結果が得られたものと思われる。――略―― 以上は記念論文集にある生井兵冶氏の単独寄稿です。他に鷲谷いずみ博士との共同寄稿もあります。ところが、国語4ではこれを否定するかのように上記各氏の論調を書き込んでいた。 すなわち、――略――田島ヶ原のさくらそうに種ができにくい理由は――略――受粉をしてくれる昆虫たちが、ほとんどやってこないためだったのです――略――ですから、種ができなければ、田島ヶ原のさくらそうは、やがてはかれてしまい、ぜつめつしてしまうかもしれないのです ――略―― 鷲谷いずみ博士は捏造癖 地人書館 サクラソウの目 著者 鷲谷いずみ プロローグ 11頁11行より12頁14行 捏造癖その一 ――今から10年ほど前、1987年頃であっただろうか。サクラソウの研究を始めて間もない私は、埼玉県浦和市の田島ヶ原を研究フィールドにしていた――自生地は、国の特別天然記念物に指定されており――立ち入りを禁じられた保護区の柵の中で咲く。――花の時期に調査していると、柵の中におばあさんが正座してじっとサクラソウを眺めてる。―― 【サクラソウの目】なる書物は小説ではなく、れっきとした専門書です。鷲谷氏は、浦和市教育委員会が、天然記念物指定記念論文集(以下論文集という)を出すに当たって文化財保護課の委託により1986〜1988の3年間の花の時期に調査にかかわった一人に過ぎない。そこには当然保護課の係官も付きっ切りです。 その環境の中で書かれているような行為は不可能です。 柵の中におばあさんが正座してじっとサクラソウを眺めてる と眺められるのは認知症でもなければありえない、そんなことしようものならそこら中のサクラソウは踏み潰されているだろう。シロツメクサのように群落していればともかく、まばらにしかない貴重なサクラソウですから、保護課の担当官が入らせなかったでしょう。第一、居合わせた来訪者らが黙っていなかったはずだ。こういう大嘘が平然とつける恐ろしい女ではある。 第一、おばあさんというからには高齢者であろう、それが単独で来るわけはないし、家族の誰かが付き添っているはず、その家族が禁止区域内に入るのを黙って見ているほど人々の心は荒んでいない。続けて。 どのくらい瞬(とき)がたっただろうか、柵の外に出てきたおばあさんから次のような話を聞くことができた。 善悪の判断もできないおばあさんが柵を乗り越えるのは容易ではない。高齢といえどもまともで |
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| あれば、この環境で柵をくぐるのは躊躇もし、難しい。 捏造癖その二 おばあさんは子供の頃(明治時代の終わり頃)、荒川の下流近くに住んでいた。荒川のほとりにはサクラソウが咲き敷く河川敷が広がっていた。 インチキ論の最たるものです。 先ずおばあさんの歳ですね、子供時分で荒川河川敷へ遊びに出られる歳は6歳以上でしょう。仮に6歳としますと、明治38(1905)年生まれだろうか、今年で100歳になります。禁止区域内に座り込んだ年は鷲谷氏が委託を受けて調査に入った1986年、19年前ですからおばあさんの歳は81歳ですね。もう少し上かもしれない。男性ならともかく81歳のおばあさんの一人歩きは、私が自生地にいた時間帯の限りでは遭遇していません。家族同伴はおります。つまり、禁止区域内におばあさんが座り込んだ話はでっち上げの何ものでもない。 次に、明治の末期ではすでに荒川下流ではサクラソウは摘み取られ切ってなかったと前記三好学博士の報告書で明らかであり、かつ、そのことを鷲谷氏も【サクラソウの目】の中で報告書の全文を紹介した上で、サクラソウは明治20年頃にはなかったと解説していた。はしがきともいえるプロローグでその後で紹介した三好博士の報告書をいとも簡単に、なかったかのように書く込むこのインチキ性、捏造癖、かつ、ばれる嘘をものともせずの無神経ぶりは特筆に価する。 【サクラソウの目】はれっきとした専門書であって小説ではない。 おばあさんのくだりはまだ続くが、インチキ性、捏造癖、嘘つき女、これで十分でしょう。 光村図書 国語D 上 銀河 平成17年2月5日発行 サクラソウとトラマルハナバチ 著者 鷲谷いずみ 26頁〜 ――数十年前までは、日本各地に野生のサクラソウの群落地があり――ところが、野原や林が牧場や畑やゴルフ場に変えられて行くにつれて、だんだんそのすがたが少なくなってきました。なんとかサクラソウを守ろうと、人間が世話をしている所もありますが、そこでは、 なぜか花がさいてもタネが実らないというのです。このままでは、絶滅が心配されます。 花が咲いてもタネが実らないと言い出したのは前記のように鷲谷氏であり、平成15年以来サクラソウ情報で証拠写真をつけて反論され、そのうえインチキ論を掲載した各出版社に質問状を送り続けていたために、他人に言わせていたのを本人が著者となることから、国語D 上 銀河では風聞といういやらしい手法で逃げたのである。 風聞という手法に頼らざるを得ないのであればあっさりとインチキ論を撤回すればすむのであるが、この女は、それによって東大教授の座に滑り込んだのであるから引き摺り下ろされるのを嫌って風聞という小ざかしい手を使ったのである。 ――まず、サクラソウの受粉の仕組みを考えましょう。受粉とは、おしべの花粉がめしべにわたされることです。受粉がうまく行われないと、植物はタネを実らせることができません。サクラソウの場合、この花粉をを運ぶ大切な役わりを、トラマルハナバチという虫が果たしています―― 受粉の仕組みはそれでいいとして、サクラソウの場合、この花粉を運ぶ大切な役わりがトラマルハナバチでなければならない根拠はない。なぜなら、鷲谷氏はサクラソウに吸蜜している昆虫をはじめてみたのがトラマルハナバチであると 地人書館刊【サクラソウの目】127頁で 北海道南部で吸蜜昆虫を発見、(エゾトラマルハナバチ・はトラマルハナバチの北海ドア亜種の和名・以降本文中では、種名のトラマルハナバチを用いる)とし、有効なポリネータはトラマルハナバチ(北海道ではその亜種――)の女王であると確信している―― と甚だ乱暴にしてあやふやに断定したのだ。 甚だ乱暴にしてあやふやに断定した理由は同書の121頁(8行)では ――サクラソウの真のパートナーを探すために、その後数年間にわたって八ヶ岳や佐久のサクラソウ自生地などで、サクラソウの花を訪れる昆虫の調査を実施した。すると、豊かな自然の残されている自生地では、多様な昆虫がサクラソウの花を訪れることがわかった。トラマルハナバチなどのマルハナバチの女王のほか、さまざまなチョウやハナダカハナアブ、ビロードツリアブ、コハナバチなどである―― 以上のように多様な昆虫の訪れと書いていて、6ページ後では 有効なポリネータはトラマルハナバチ(北海道ではその亜種――)の女王であると確信している に変わってしまっている。多様な昆虫の訪れは嘘だったことを告白しているに等しい。 なぜなら、浦和市教育委員会発行の天然記念物指定70周年記念論文集(以下論文集という)103頁 鷲谷いずみ・生井兵冶共同執筆 1990年発行 ――(3)八ヶ岳山麓の個体群では各種の昆虫がサクラソウを訪れるのに対して、田島ヶ原では開花期にポリネーター(送粉昆虫)の飛来がほとんど観察されなかった(生井未発表)―― 各種の昆虫がサクラソウを訪れる事実を知っていながら、しかも、論文集の編集員を務めた鷲谷氏が、上記記述を編集した当人でありながら、そういう嘘の確信宣言は犯罪である。 絶滅についても論文集では別のことを書いている。 ――しかし、クローンの世代交代が今の条件のもとですすめば、1−2世代後には、 fertility selection が顕在化することが予想される。何世代かのちには、自生地は自植性の強い数すくないクローンの子孫が占められ、この種特有の可視形質の大きな変異も失われることになろう(論文集・117ページ12行より)。 おわかりになりますか? 鷲谷氏の主張が正しければ、明治36年から昭和16年までに4人の学者は昆虫が稀と報告されている。これが今に続く田島ヶ原のサクラソウ自生地の特徴ですから、鷲谷氏の指摘が平成の世ですでに現われていなければならない。であれば、田島にサクラソウがあるはずもなく、研究のフィールドにもなり得ないのだから斯様な記述は出来る訳はないのだ。この記述ができたこと自体がインチキ論の所以なのである。おかしいと思いませんか? 一事が万事この手であろうから他の分野も怪しいものである。 東大がその辺の検証も無しに教授として迎え入れるとは、東大の権威はどこへ行っちまったのでしょうかね。 |
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