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■ 『天下第一』出演時の思い出・・・霍建華 

■ 『天下第一』共演者、葉[王旋]が語る

■ 元マネージャー呉孟縉が語る霍建華

 

              

 

「狂おしきこと風の如く、熱きこと火に似たる」帰海一刀

霍建華『天下第一』の思い出を語る

初めての武侠ドラマ『天下第一』で武芸の達人である帰海一刀に扮することになって、それまでトレンディードラマが中心だった霍建華にとっては、おそらく大きなチャレンジであっただろう。三ヶ月あまりの特訓の末、彼は、無事試験を通過し、自分の演技は決して台湾俳優の面目を損ねるようなことにはならないだろう、とうれしそうに語るまでになった。

『天下第一』のキャスティングは、すべてプロデューサーである楊登魁と王晶の二人の裁量で決められた。王晶が霍建華に対してまず語ったのは、彼は自分がこれまで見た中で最も美しい台湾人俳優であるということだった。監督も兼ねる王晶のこのような賞賛の言葉に対し、霍建華は実に率直にこう述べる。ドラマの撮影が始まると、楊社長が自分の演技に対してひどく心配していることは、はっきりとわかった。さらに自分自身も、うまく演じられないのではないだろうか、経歴も浅いので、共演する大陸や香港の俳優たちに軽く見られるのではないかという心配もあった。それで、彼は最大の努力を払って、スタッフと一刻も早く溶け込もうとし、毎日毎日、武術の訓練に励んだのである。

初めての古装ドラマを演じるにあたって、昔の人間になりきるために、彼はオフの時間を利用して、部屋で時代劇特有の歩き方を練習した。映画やテレビドラマの古装劇を見て参考にしたのである。このほか、武術監督の程小東と彼のチームの指導を受け、自分を鞭打って、短期間のうちに能うる限り刀剣の扱いの修得に努めた。

彼が笑って言うには、ドラマの中で、自分は最もアクション場面が多かったが、幸運なことに、最も軽い怪我で済んだ。3ヶ月あまりの撮影期間中、李亜鵬と郭普安はずっとひどい怪我をした。その主な理由として、アクション場面の撮影の前には必ず、最初から最後までおさらいをし、さらにウォーミングアップをして臨んだからで、おかげで、ひどい怪我をせずに済んだのだという。

更に彼にとって幸いだったのは、他の俳優たちは皆、鬘(かつら)をつけなくてはならなかったのに対し、彼は半鬘で済んだことで、おかげで、気温の高い無錫での撮影中も、ほかの俳優よりは少し涼しい思いができた。さらに、半鬘は全鬘よりもずっと自然な感じで、全体の造型もすっきりとしているようだった、と彼は屈託なく語る。

とはいうものの、無錫の気温は耐えがたく、彼は毎日アイスクリームを食べて暑さをしのぎ、アシスタントに頼んで大量のアイスクリームを買ってきてもらい、スタッフや共演者にもおすそ分けをした。さらに、一刀大侠は寒ーいギャグでその場のテンションを下げるのが得意で、彼の話に、同じ台湾出身のタミー・チェンはいつも大笑いしていたが、ほかの俳優たちはみな「屠られる前の羊」のような顔つきをしていた。

『天下第一』の撮影では、彼は、武術の訓練のほか、葉[王旋]との愛情劇のことも忘れることができないという。このドラマでの激しくかつ細緻な感情の演技は、以前のアイドルドラマのそれとはまったく違うものだ。彼女との感情劇は深く、かつ展開も劇的だったので、ドラマの中で運命に苦しむ恋人同士を演じただけでなく、ドラマの外でも、彼女とはよく連絡をとりあう親友になったのだという。

撮影が無事終了し、今年(2004年)末に、霍建華は歌手として念願のCDを出すことになった。アルバムの宣伝がひと段落したら、再びよい脚本に挑戦して、興味深い役を演じたいが、このような冷酷で厳しい青年の役は、もう二度とやりたくはないと彼は言う。

出典:写真集&ノベライズ『天下第一』台視文化 19-22頁

日本語訳:Yan

 


             

 

『天下第一』の共演者、葉[王旋]が語る霍建華

華は、私がこれまで会った中で最も感じやすい人だ。彼がそばにいると、一挙一動を細やかに気遣ってくれるし、彼のまなざしには、人をどきっとさせるような淡い憂愁の色があり、どうしても彼に関心を向けざるを得なくなる。彼の演技の天分は彼のこの感覚が源にあるのかもしれない。もちろんそれは彼の絶え間ない努力によるものでもあるのだが。彼と一緒に演じていると、自分がドラマの中の人物であることを忘れてしまい、彼の眼と心の中に存在しているような気持ちになるのだ。

華の性格はとてもよい。以前、4月1日のエイプリル・フールに、みんなで彼にひどいいたずらをしたのだが、彼は怒らなかった。もし、これが安仔(郭晋安)ならば、私の心臓病が再発してどんな薬もきかないという、お手伝いの小花の報告など、はなから聞く耳も持たず、私を抱えながら、あわてふためいて、どうにかして助けようとなどしなかっただろうし、それどころか、私の顔に冷水をかけて、それでも芝居を続けるかどうかを確かめてから、帰っていったことだろう。

ところが、私がこれまでで、もっともはげしい喧嘩をしたのも、この人(霍建華)となのだ。何が原因でそうなったのかは思い出せないが、私はすっかり頭に血がのぼって、グラスをドアに思い切りたたきつけ、彼に後片付けをさせ、それから何日も口をきかなかった。その後、彼が何の手だてもしないで肺炎になったので、私はようやく折れて彼を病院に連れていき、点滴をしてもらった。今になれば、わたしたち二人はどうして、子供のままごと遊びのようなことをしていたのだろうかと思う。将来、私に子供ができて、あんなつまらないことをしたら、罰として、服を全部脱がせてトイレに立たせ、蚊に食わせてやるから!

私たちが、撮影スタッフに別れを告げた日、彼と一緒に上海の和平飯店に行き、すてきな西洋料理を食べた。それから、どういうわけか知らないが、激しい雨で誰もいない黄甫江に歩いていき、まるで貸し切ったかのように、誰にも邪魔されず、河岸で思い切り歌ったり踊ったりした。私たちは河に向かって、いつか最高の役者になるぞと大声で叫んだ。たぶん、その時、雨の中で私たちを見ていたのは、ホームレスの人だけだったろうが、私たちは、もっとも愉快でばかばかしいことを一緒にしたのだった。

出典:葉[王旋]著『上善若水 [王旋]攻略』71-73頁

日本語訳:Yan

 


              

 

元マネージャー呉孟縉が語る霍建華

建華を知ってほぼ7、8年になるが、初めて会った彼は、とてもハンサムで、非常に礼儀正しい学生という印象だった。その後、建華と一緒に仕事をするようになったのは、2年半前で、まだ兵役中のときだった。彼は相変わらず礼儀正しかった。退役後、最初のドラマ『摘星』を撮り、これがきっかけで、皆に知られるようになったのだ。

『摘星』のとき、彼はまったく演技においてはしろうとの新人だった。建華は外見がよいだけでなく、仕事に対して、得難いほど、まじめで仕事熱心な態度の持ち主であると、私にはすぐわかった。マネージメントの仕事を12年間してきたが、建華は私が担当した中で、最も努力家で仕事熱心でまじめな芸能人だと言える。ドラマを撮影する時、彼は必ず黙々と、傍らでシナリオを入念に読んでおり、大先輩の役者の演技を見習おうとしていた。その時から私は、彼はきっと人気がでるだろうと直感したものだ。事実、半年後に、カッコよい外形と、驚くほど迅速に進歩した演技によって、一連の偶像劇で人気を得た。

建華の仕事熱心でまじめな態度は、人気が出たからといって少しも変わらないし、えらぶったりもしない。みなさんはすでに聞いたと思うが、新譜『開始』に対しても、同じように心血を注ぎ、心をこめて歌った。みなさんが目にしたこの写真集『醸愛』に、私達と柏室科芸は準備に1年かけた。建華は写真集全体の企画に参与して、表紙、裏表紙のデザインと全ての写真の選択を自分でした。日本の河口湖での撮影時、摂氏0〜5度のなかで、建華は、上半身裸のままストールをまとっただけで撮らなければならず、彼はあまりの寒さで全身鳥肌が立ち、唇は紫色になった。しかし撮影の進行を遅らせないために、彼は今度も仕事熱心な態度を示し、歯をくいしばって撮影が順調に進むように努めた。そばにいた私は、あまりにも可哀想で見ていられないほどだった。今日みなさんがご覧になっているこの写真集『醸愛』は、建華が数々の艱難辛苦のすえに、ようやく完成した本なのだ。ここで、建華に対し、これまで私が一度も口にしなかったことを言おうと思う:「君は私の心中の永遠のナンバーワンだ!」

出典: 写真集『醸愛』巻末の「序」                   

日本語訳:Yan