BREWING LOVE   WALLACE HUO 霍建華(ウォレス・フォ)

 


 story


霍建華の映画出演第一作。

『做頭』は、上海の人気女性作家、唐頴の『紅顔』を原作としている。

關之琳演じる愛[女尼]は、若い頃は、上海でも評判の大美女で、常に衆人の注目の的であった人。しかし、彼女は貧乏で冴えない新聞記者(呉鎮宇)と結婚するという選択をしたために、平凡な主婦としての生活を送ることになる。

40歳になった彼女が、無骨者で原稿ばかり書いている夫や、反抗的な娘相手の日常で、かつての華やかだった自分を思い出すことができるのは、「明星理髪店」という国営の美容室に行くときだけ。そこには自分がモデルを務め、街中の評判になったときの写真がいまだ店頭に飾られており、10年来、彼女のカットをしてくれているハンサムな美容師の阿華(霍建華)が、いつものように、彼女をやさしく迎えてくれるからだ。

しかし、ケ小平の改革開放路線で、資本化の波が中国のどこよりも早く押し寄せた上海は、大転換の時代を迎えつつあった。美容室では、成金マダムたちが、阿華目当てに押しかけ、彼を指名するために、愛[女尼]は脇に押しのけられがちで、彼女のプライドはひどく傷つく。しかも、時代遅れとなりつつあった国営美容室がついに閉鎖されることになり、愛[女尼]は、阿華の行く末が気になる。

彼女はとうとう、夫と娘を残して家を出ることを決意し、外国に移住した兄が残していったアパートの部屋に移る。そこで阿華と一緒に暮らすことを夢見て。しかし彼は約束の時間には、ついに姿を現さなかった。

実は彼の素晴らしいカットの技術を見ぬいたある女性実業家から、彼のパトロンとして、フランスに留学させたうえ、最新式のヘアサロンの共同経営をしようという申し出を受けていたのだ。しかし、彼自身も愛[女尼]への感情と、長い間、下層の生活を強いられてきた自分の上昇のチャンスとの間で葛藤していた。美容室がとうとう閉鎖された数日後、愛[女尼]のアパートの前で待っていた阿華の口から一切の事情を聞いた彼女は、最後の洗髪をしてくれるように彼に頼む…。

 

 


■ my review


この映画は、ジャンルとしては文芸映画ということになるのだろうが、残念なことに、大胆なラブシーンの話題ばかりが先行してしまい、中国語圏では、まともな批評はあまり見かけない。けれども、切なく未来のないラブシーンは、映画の表現上、必要不可欠な場面であったと思う。

愛[女尼]と阿華の別れのあと、、現在の上海で暮らす彼女の様子がエピローグとして語られる。ひとことでいえば、彼女はあのまま<負け犬>にはならなかったということ。しかし、この結末に私はいささか鼻白む思いがした。あまりにも急速に市場経済化し、物質的豊かさが押し寄せてきた上海ならではの、成功志向が強すぎる結末に、映画の余韻はすっかり失われてしまったように思える。

けれども、この映画のよさは、40歳になる女性の心理や性的な欲望をよくぞ主題にしたということに尽きる。若くはない都会の女性を主人公にすることは、中国圏ではまれだからだ。しかも道徳的な判断を下さずに、彼女の行動を描いたことも特筆に値するのではないだろうか。

映画初出演の霍建華の演技は、非常に評価できるのではないだろうか。セクシャルな魅力が要求されるこの役はリスキーであったかもしれないが、それに挑戦し、偶像劇から一歩も二歩も演技の幅を広げることができたと思う。

阿華は、憧れの対象である愛[女尼]とは、長年のつきあいにもかかわらず、一定の距離を置いてきた。彼は、愛[女尼]と静かに午後のひとときを過ごしたり、港でどこか広い世界に出ていく船を眺めながら、自分の閉塞した状況を彼女に静かに語りかけているだけで安らぎを感じることができたのだ。

しかし阿華はあるとき、いやおうなく状況の変化を感じ、彼女との関係もその変化をまぬがれないだろうという予感を持つ。彼女が急に大胆に接近してくるようになったことに対しても、どのように対応していいのかわからず、とまどい、困惑する。少年のようにはにかんだり、天真爛漫の笑みを見せたかと思うと、あるときはひどく疲れ、将来への不安を隠せないでいる。そして愛[女尼]とのラブシーンでの官能性とその後の絶望の身振り。この映画でのウォレスは、偶像劇では絶対に見られない、さまざまな顔を見せてくれる。

台湾では、彼と同世代の美形俳優は少なくないが、どちらかといえば中性的なタイプが多く、男性的なセクシーさを出せる人は意外に少ないように思う。今後も映画やテレビドラマで、多彩な役柄を演じることで、霍建華は俳優としての可能性を大きく広げていくことだろう。