霍建華PROFILE

 霍建華のこれまでの歩み

 私説 霍建華 (戯説霍建華)

 

霍建華 PROFILE  
本名      霍建華 (huo4 jian4 hua2)     
英名(日本での通称) Wallace Huo(ウォレス・フォ)
生年月日 1979年12月26日
デビュー年 2002年
身長 177cm
血液型 B型
星座 山羊座
家族 父、母、兄
出身地 台湾
言語 北京語、台湾語
趣味 歌うこと、映画鑑賞、空想にふけること、バスケットボール
好きな色 青、白、黒
自分の顔で最も好きな部分     
好きな食べ物 緑色野菜、淡白なもの、菜甫蛋
好きな飲み物 コーヒー、野菜ジュース
好きな俳優 トム・クルーズ、 2006年のインタビューでは梁朝偉(トニー・レオン)と回答。
好きな歌手 張恵妹、 カラオケでは信樂團の曲を歌うのが好き。

 

 


 

霍建華のこれまでの歩み

 

霍建華は、早くも16歳のとき歌手になることを志したという。19歳から2年間、 曾國城という俳優の助手として裏方の経験を積む。兵役を終えたのち、2002年に 携帯電話会社、台湾大哥大の広告に起用されて芸能界に入った。同年、偶像劇『摘星』の準主役に抜擢される。

翌年、何本かの偶像劇に出演後、アンブロウズ・シュー(許紹洋)、アンジェラ・チャン(張韶涵)と共演した『海豚湾恋人』での音楽プロデューサー役で、一躍ブレイク。2003年には、ほかに5566の孫協志主演『西街少年』や『千金百分百』といった話題作で準主役をつとめ、人気を不動のものにした。しかし、3本もの作品を掛け持ちして撮影するというハードスケジュールの生活は、ウォレスを心身ともに疲れさせてしまったようだ。

しばらく休養していた彼に、香港の売れっ子監督である王晶と、台湾の大物プロデューサー 楊登魁が製作する大型武侠ドラマへの出演依頼が舞い込む。大陸、香港、台湾の俳優が共演し、長期間にわたって大陸でロケをするという『天下第一』が、彼に多くの経験と機会をもたらすことは明白だった。しかし、それまで偶像劇しか演じたことがない霍建華にとって、プレッシャーは大きく、撮影の合間、暇をみては昔の武侠映画を見ながら、古装劇特有の動きやしぐさなどを懸命に練習したという。

しかも、このドラマの撮影と並行して、映画『做頭』にも出演が決まり、何ヶ月かの間、双方の撮影場所である無錫と上海を飛行機で往復するという日々を送った。

『天下第一』は、台湾、香港で放送されて好評だったが、何より大陸各地で高い視聴率を獲得し、霍建華の大陸での知名度と人気は飛躍的に上昇した。また、台湾ソニーと契約して、2004年末には初の個人アルバム『開始』を発表。歌手を志してから9年後、ついに夢を実現させたことになる。

その後は、スー・チー(舒淇)と共演する二つ目の古装ドラマ『風塵三侠之紅拂女』の撮影が 2005年6月末まで続き、ついで、上海や杭州で、幾米(ジミー)原作のドラマ化である『地下鉄』を完成させた。その後、休息する間もなく、大型プロダクションである『屋頂上的緑寶石』の撮影で、9月末からは海南島、11月にはイギリス、12月には上海でのロケーションが続き、年内にクランクアップした。次回作はミリアム・ヨン(楊千[女華])と共演のカンフー・コメディ『武十郎』。

 


 

私説 霍建華
ここにご紹介するのは、orionさんによる文学の香り溢れ、客観的でありながらも愛情に満ちた、霍建華のこれまでの歩みを語るエッセイです。この文章が公式サイトBBSに掲載されたとき、小華自身も読み、感動させられたと語っていました。原文は中文ですが、少しでも多くの日本の方々に読んでいただきたいと思い、著者の了解を得て、私が日本語に訳しました。これをお読みになれば、霍建華がアイドルからいち早く脱皮して、優れた資質を備えた俳優への道を力強く歩んでいく姿が明瞭に伝わることと思います。    

 * 原文はblog site Wallace Huo (ウォレス・フォ)霍建華 愛與夢的飛翔参照。    

  

私説 霍建華((原題:戯説霍建華)(原題:戯説霍建華):戯説霍建華)

作:orion  日本語訳:Yan

彼は多くを語らない。しかし彼の語る一字一句は、深い熟慮を経て口にされたものだ。

彼はあまり笑わない。しかし、ひとたび笑えば、南極の氷さえ溶かしてしまうほどだ!

2005年以前、彼が演じたのは、たいてい、重要な役とはいえ脇役だった。しかし、彼が登場すると、視聴者は心ならずも主役を脇に追いやり、彼とともに泣き、彼とともに笑った。自分たちにさえ、その理由はわからない。

まじかで会ったことがある人はみな、彼の顔立ちはとても端正で、息苦しくなるほどだという。文句のつけようがない外見を形容するのに、適切な言葉をあれこれ探すのがあまりに面倒なため、彼らは、最も簡単で最もぴったりする言葉を思いついた。すなわち「完璧」の二文字だ。

その人の名は霍・建・華。

 

 

神の傑作

自分の外見を話題するのを好まない霍建華だが、自分の顔のなかでは、まっすぐな鼻筋が気に入っていると、しぶしぶだが認める。記者が見る霍建華の最大の魅力は、黒白がはっきりしていて、電波が伝わってきそうな大きな眼だ。一方、彼のファンたちが最も言いたがるのは、女性でさえとてもかなわない、嫉妬させられるほどの長い睫毛のこと。ほどよい照明が当たると、遠くからでも45度からの完全無疵の横顔に、ごく自然にまっすぐ伸びた睫毛の影を見ることができる。

ファンの目からみれば「神の完璧な芸術品」である霍建華だが、実は内向的であり、控えめで朴訥な性格である。あまり笑わず、たいていは、眉間を軽くひそめている。うまく答えられない時などは、恥ずかしそうに笑って、その華麗な外見とは天と地ほどの差がある。マネージャーはいつも冗談でこんな風に言う。「私たちの『小華』は、お馬鹿さんだね、またちょっと内気になっているよ。」

そう、彼のファンたちは彼を「霍小華」と呼ぶのが一番好きなのだ。

台湾の芸能界では、ここ数年、美男を多数排出してきたが、顔立ちの端麗さの点で、霍建華と同列に論じることができるのは、恐らく片手で足りてしまうことだろう。たとえ霍小華が、自分の顔のことを書かれるのをひどく嫌がるとしても、これほどに美しい人を起用しないとしたら、まったくもったいない話だと誰しも認めることだろう。初期の「美麗イ肖佳人」「麻辣鮮師」、「私的秘密花園」の中で、彼はいつも正直で、フレッシュで、単純な好青年を演じ、あまり演技を必要とせず、リスクもなく、彼の外見が人に与える印象と完全に一致していた。皮肉にも、自分では絶対に明朗快活なタイプではないという(その上、それをとても嫌っている)霍建華は、再三、明朗快活な青年の役を演じさせられたのだ。

公務員の家庭の出身で、聞き分けのよい子だったように見える霍建華が、芸能界に入っていったのは、決して偶然ではないだろう。彼は天性の反骨精神を持ち、変化を渇望し、平凡な日常には甘んじないタイプなのだ。しかし彼には、人々が彼に抱くお決まりの印象を覆し、血の中に流れる反逆者の情熱を呼び覚ますような役が必要だった。彼の心の裡が実際のところ、そうだったのかどうか、私たちはもちろん確かめるすべはない。でも少なくとも、何かを感じたある人が、彼に一本の電話をかけ、同時に多くの人の運命をも変えることになった。孫耀威は、この役からはずされ、再びスターダムの頂点に登る機会を失った。許紹洋はこの役から主役へと交代することになり、かえって影が薄くなってしまった。三立のドラマ総監督である陳玉珊が独断で、霍建華に「イルカ湾の恋人」での音楽総監督、鍾曉剛の役を指名したのだ。ここにまさしく、霍建華の俳優人生の大いなる道が開けることになった。

 

 

壊れた味わい

鍾曉剛は美しい外見と卓越した才能とを併せもち、一見すると非現実的な偶像である。しかしドラマが展開するにつれて、この人物の深い人間性が聴衆をひきつける重要な要素の1つになる。鍾曉剛と易天邊の感情がしだいに深まる時は、彼が地位も名誉も失いつつあるときでもある。彼は自分の貯金を使い果たすことも惜しまず、易天邊と彼と徐澤亞とが三角関係になるのかどうかも気にかけない。ただ一心に願っているのは、彼の音楽と彼の愛する女性とが完璧に一つになることだけだ。ここまで見た時、私は曉剛のかくも激しい情熱に深く心を動かされた。そもそも音楽家というものは、感性と理性が結びついた矛盾した存在なのだ。厳密な理性から生み出されるのが音符だが、それが体現するのは絶対的な感性である。これを具体的なドラマの筋に置き換えると、鍾曉剛は音楽に対しては幾分かの野心を持っているが、決して報われることがない愛情を全うするために彼は全力を傾ける。最後に易天邊の夢はついに彼の愛の中で成就する。しかし残酷なことに、彼女の歌声が彼の音符に乗って響き渡る時が、彼らの別れるときでもあった。多くのファンは曉剛のために心を痛め、彼のために昼は何も考えられず、夜は眠ることができないほどだった。しかし神は慈しみ深い。皆がしばし鍾曉剛と別れるとき、「霍建華」という大きな贈り物を届けてくれたのだ!涙をぬぐった後に多くの人は、台湾の芸能界にまた一つ宝石が増えたことを発見して喜んだ。かっこよいが、恥ずかしがりやで口数の少ない大きな子供のような彼が行くところ、つねに黒山の人だかりで、彼が気軽に路上を歩いていると、大声で「鍾プロデューサー」と叫ぶ声がするほどだった!

シナリオでは、鍾曉剛は霍建華に比べて3歳年上の設定であり、そのため、ドラマが始まったばかりの頃、霍建華の演じる鍾曉剛は、見る人にいくぶん軽薄で嫌みな感じを与えた。有能な音楽プロデューサーの野心を表現する上で、彼の演技力はまだ不十分であったけれども、霍建華の若さは、この役に予想外の活力を注ぎ込んだ。ドラマの後半に入ると、霍建華はこの役を既に自分のものにし、過不足なく自在に演じられるようになる。とりわけ、鍾曉剛の剛のなかに柔を併せもち、何事にも屈しない闘志などを絶妙に演じてみせた。私がもしひと言で形容するならば、彼の鍾曉剛には「味」があると思う。無数の聴衆を夢中にさせたこの役によって、皆は霍建華の中に潜む魅力を見出したのだ。「イルカ湾の恋人」以前、明るく健康的な外見のために、霍建華はいつもフレッシュで明朗な好青年を演じさせられてきた。このような明快な役は、失敗することもないが、人に忘れ難いほどの深い印象を与えることもない。鍾曉剛という人物は、才気に満ちあふれているが横暴で、喜んでいるかと思うと急に怒りだすような風来坊のイメージであり、硬い外見の下には、繊細で敏感な思考が隠されている。この役は聴衆が霍建華に抱く明朗快活な少年のイメージを徹底的に覆してしまった。彼は天使のような顔だちと、心中に隠された暗黒や反逆心とを、ほぼ完璧と言っていいほどに結び付け、彼自身に、自己の隠された真の能力をも発掘させた。無邪気な外見の下から、知らぬ間に覗かせる一抹の憂鬱は、抵抗しがたい魅力となって、無数の聴衆は次々とその魅力の前に敗れ、彼の大海原のような二つの瞳の中に呑み込まれてしまった。

「鍾曉剛は悪人ではないんです、けれども彼は自分の感情を外に出さない…多くの人と対立して、その中には徐澤亞や沈曼青も含まれるわけだけれど、たくさんのやっかいな事を抱えることになります」霍建華はネットのチャットルームでこのように語っている。彼へのよい評価が潮のごとく押し寄せてきたとき、彼はただ謙虚にひと言だけこう述べた。「もしもう一回演じることができるなら、鍾曉剛を更にうまく、もっと高いレベルで演じたいと思っています。」

見たところ内省的な霍建華は、明らかにまだとても自分の演技に満足してはいないようだ。

鍾曉剛を演じた後は、冷たい憂鬱が明るい微笑みに取って代わり、霍建華のスクリーン上の代名詞になる。次に撮った「西街少年」の中で、彼は母の愛を失って、街で無為の遊びにふける、個性的で孤独な天才少年を演じた。引き続く「千金百分百」の中では、有望な将来を放棄する若い弁護士で、個性がまったく違う双子の姉妹の間で行ったり来たりする。「千金百分百」のドラマの中心は女主人公の側にあり、霍建華の役はそれほど重みがなくて、役柄も「イルカ湾の恋人」あるいは「西街少年」のように突出したものではない。3本のドラマはいずれも視聴率のトップに立ったが、明らかに霍建華は限界に近づいていたようだ。彼の視線はもはや、鍾曉剛のような自信に満ちた様子ではなく、昼夜となく撮影が続き、どうしようもない疲労の色だけがあった。これをどうして責められようか。1年に7本もの偶像劇を撮り、彼が目を開いて仕事にかかることができるだけでも、すでに奇跡なのだ。これ以上彼に何を要求しようというのだろう?

「その頃、僕がテレビをつけると、1週間毎日毎日、画面にうつる自分を見るほどでした…」すごい人気だ!それで何がまずいというのだろう?「僕はもう気がおかしくなりそうでしたよ!」霍建華は苦しげに言う。急速に人気が出たことは、内向的な霍建華にひどいショックをもたらし、彼を落ちつかない状態にさせた。

 

 

 

どこまでも我一人行く

これは台湾芸能界の悪習だが、スターをただ消耗させるだけで、経験を積ませない。若い俳優は自己の中身を修養するような時間はなく、人気が出ると、どんどん起用され、台湾芸能界では、スターを作り出すのと、彼らを消耗するスピードはほとんど同じくらいに速い。儲かるうちに、少しでも多く儲けようとしない人がどこにいるだろうか? 当時の霍建華は、どんな役を演じてもすごい人気で、もしも引き続き偶像劇を演じても、それがよくないと思う人はいなかっただろう。24歳の彼は青春のまっさかりで、「イメージチェンジ」などということは、老人こそが心配すべきものだった。霍建華がインドネシアのジャカルタまで「千金百分百」を宣伝に行ったときには、ほとんど暴動寸前のような騒ぎを引き起こしたくらいの盛況ぶりだったのだ!

霍建華は孤独で内気な性格のため、人気が出た後も驕り高ぶるということがなかった。彼は他の人よりいくらか自分に自信が持てないのかもしれないが、他人よりもずっと己を正しく知っていた。偶像劇中の人物をどれほどかっこよく、真剣に演じても、鍾曉剛を上回ることはありえない。1年くらいの期間なら、うわべだけの演技でも通用するだろうが、10年間も俳優を続けようとするならば、本物の能力が必要になる。俳優というのは、シナリオ、映画監督、共演者が師である。自分で様々なキャリアを積みあげたいと思ったら、師を正しく選び、他の人の行かない道を歩んで、その上それを堅持しなければならない。もし1本の異色作に出たとしても、すぐにおとなしく元の所に戻ってしまうなら、「お飾り」と呼ばれるくらいがせいぜいで、根本的にイメージチェンジをしたとは言えないのだ。

山羊座の霍小華はとても頑固で、しかもやるときは徹底してやる。慣れない上海と無錫で一方では映画を撮り、他方では武侠ドラマを撮ったが、2つとも彼にとっては初めての経験だった。霍小華がとても内気だなどと誰がいうのだろう? 時に彼は果敢に「突き進む」人なのに、と私は思わざるを得ない。

もちろん、「突き進む」のは個性ではなく、彼の闘志と決意のせいなのだ。

彼は、映画「做頭」の中では、いくらかだらしない長髪の、貧しい理髪師を演じ、同時に李亜鵬、郭晋安、劉松仁など中国、香港の一線級俳優たちが参加する制作費数千万の武侠大作「天下第一」に、三番手の役どころであるのも厭わず出演した。霍建華の台湾のファンは、表向きはよいことだと言っていたが、内心では喜びと心配が相半ばしていた。公開されたスチル写真を見ると、彼の頬はくぼみ、皮膚は浅黒くなり、髭が長く伸び、台湾内外の無数の少女や中年女性を夢中にさせた、最新流行のヘアスタイルをしたかつての面影はまるでない。雨の中での撮影でひどい風邪をひき、ワイヤーで吊るされて全身あざだらけにもなった。美しい男性アイドルであることを放棄して、いったい霍建華は自分をこれほど苛(さいな)むのが好きなのだろうか?

自分を苛むのは、それだけの報いがあった。「做頭」でのきらびやかさを排した小華は、アイドルの外衣を脱ぎ捨て、彼本来の感性を垣間見せる。關之琳扮する、失意の主婦が全体の中心だが、多くの場面で、霍建華の存在が、この平板なストーリーに魅力と明瞭な輪郭とを与えている。「做頭」の中で、彼は巧みに青年の自然な性的魅力を表現し、5分間の激しいラブシーンを演じることによって、偶像劇の俳優の限界を超え、男性アイドルは、精神と肉体の魅力は別物という不文律を徹底的に壊した。一方でイメージチェンジしたいと称していた別のアイドルは、呆然と彼を見ていることしかできず、相変わらず、必死になって自分の衣服を脱ぐことに抵抗していた。

霍建華は後にこの場面を振り返って、「もしあのシーンをうまく演じられなかったなら、この映画は成立しないだろう…私はこう自分に言い聞かせました。ひとたび、この関門を越えさえしたら、その後は何であれ、越えられないものはなかったのです。」ごく短いコメントだが、私は、俳優としての彼の、作品を見通す能力と自分に対する厳しい要求とを見て取ることができた。ほかはさておき「做頭」の中で、彼が颯爽と、聡明な様子で自転車に乗ってくるところを見るだけでいい。それだけで、セクシーな魅力が自然にあふれ出ていることに驚くだろう。

 

 

 

「天下第一」には更に多くの驚きがある

「イルカ湾の恋人」と「天下第一」には1年の間隔があるが、両作品を比べてみると、霍建華に長足の進歩があったことは明らかだ。鍾曉剛は華麗な雰囲気に包まれてはいても、演技には未熟な点も少なくなかったのだが、彼に夢中だった聴衆には許容された。「帰海一刀」は鍾曉剛の正でもあり邪でもある魅力を引き継いでいるが、さらにそれが極端である。この役は冷ややかな内面から始まって、途中、心魔に犯され、狂乱の態に陥り、最後には、ようやく深い感情を解き放つに至る。しかしその直後、最愛の人との永劫の別れに遭遇するという、きわめて難度の高いキャラクターなのだ。寡黙で台詞は少なく、多くの場合に、自己の内面での葛藤があり、その感情のほとんど全てを、目線や表情で伝達しなければならない。霍建華は驚くほどの深い演技、細緻な表現でもって、一刀の愛と憎しみ、情熱と怨恨を表現した。眉を軽く上げるだけで無限の殺意を示し、頭をそっとめぐらせるだけで優しい心情があふれ、その千変万化ぶりは、見るものの目をくらませ、視線をそらすことができない。感情的な演技の深みが増しただけではなくて、美しく切れ味のよいアクションも見せ、気勢は十分で、これが彼の初めての古装劇であるとは信じられないほどだ。霍建華の素晴らしい演技は、他の役者の風采をすっかり奪ってしまい、「天下第一」は霍建華にとって、表現上の転換点になっただけではなく、更に演技の上での大いなる突破口にもなった。中国各地でこのドラマの視聴率は破竹の勢いを示し、彼の人気もそれに伴って急速に上昇した。

更に重要なのは、「天下第一」が典型的な夜八時台の大型ドラマであるということだ。テレビの俳優は必ずゴールデンタイムの審査を通過して、ようやく自分の実力を確認できたといえる。「天下第一」を通して、霍建華はゴールデンタイムの視聴率を担う能力を備えていることを証明できた。彼はまだ25、6歳で、偶像劇を演じるにしても十分に余裕があるにもかかわらず、自分でそれを望まず、大金を出資するプロデューサーもまた、別の算段があった。ここ数年来、台湾と中国の若手俳優は非常に不足していて、台湾本土のドラマの主役はすでに若くはなく、偶像劇のスターは屋台骨を支えることはできず、ハンサムだが演技はよくないか、演技がよくても海外市場ではアピールしないかであった。このように、問題が山積みのときに、容姿に優れた霍建華が登場したのである。硬軟いずれの役も演じられ、時代劇も現代劇もこなす彼は、偶像劇から一気にゴールデンタイムのドラマに進出し、大プロデューサーの企画になくてはならない存在となった。このような条件は、天から落ちてきた贈り物などではない。霍建華が孤独に耐え、目先の賑わいを見ることなく、それだからこそ、さなぎから脱皮して美しい蝶になったのである。

 

 

内気の魅力

多くの若い俳優は、自分の発音が明瞭ではないのを「自然」だと称している。時には字幕を見なければ、彼らが何をしゃべっているのか聞き取れない。口跡のはっきりしている霍建華は、正式な演技の訓練を受けたことはないが、せりふのリズムや抑揚、間のとり方に注意していることがよくわかる。演技はまだ絶妙の域に達したとはいえないが、彼の目線はいつも聴衆を感動させる。それぞれの役のせいではなくて、彼の高い集中力が目線を通して伝わってくるために、彼が役に深く入り込んでいることを人に感得させることができるからだ。彼の演技は、「心を砕く」のみならず、その上「力を込める」とでも言えようか。時には力を入れすぎて、スクリーンの上であまり自由自在には発揮できていないと感じることもある。特に鍾曉剛を演じたばかりの頃は、この役と彼本人の開きがあまりにも大きくて、気が強く横暴な気質を表現しようとすればするほど、ますます手足を縛ることになったようだった。かつて「イルカ湾の恋人」の冒頭のメイキング映像を見たことがある。鍾曉剛が初めて登場して、気勢だけで人を圧倒し、その上、長いせりふで滔々とまくし立てる場面。ふと見ると、皮のジャケットを着た小華は眉間にしわを寄せて、懸命にせりふを暗記していた。回りで他の俳優たちが世間話や談笑をしているのを完全に無視していて、そばにいた張韶涵や林韋君が、彼が手にしていたシナリオを取り上げ、それに、いろんな色で線が引かれているのを見て笑っていた。クールな音楽総監督のはずなのに、試験前に大慌てで準備する小学生みたいで、小華のイノセントな表情がおかしいし、またむしょうに可愛かった。

謹厳実直な山羊座の彼は、土鍋にたとえられるかもしれない。うわべは平静で動揺も見えない。あらゆる圧力が内部では渦巻いている。しかし時間がたって、鍋の蓋が開けられるとき、これまでの血と汗は報いられる。もしこのような千年かけて一本の剣を磨くような辛抱強い心がなければ、簡単に人気が出た後で、型どおりの役者に成り下がってしまうだろう。絶えず自らを深く磨き、内側から役の厚みと豊潤さが現れるようになるには、集中して、方向を定めることが必要で、更に時間を必要とする。デビュー作「摘星」の青くささに始まり、「イルカ湾の恋人」で会得し、「天下第一」に至り大いに光を放つに至った小華の集中力と真剣さはずっと変わらない。唯一変化しているのは、日ごとに豊かになる演技の経験であり、初めの頃明瞭に見えた努力の跡はしだいに洗練され、更に自在に表現できるようになっている。もしそうでなければ、金馬奨の主演女優で優れた演技者である舒淇に挑み、乱世の男女の愛情劇「風塵三侠」で、彼女の相手役に選ばれるはずもない。

デビューしてわずか3年の短い内に、霍建華はドラマ1本のギャラが8千台湾元の新人から、舒淇の新作ドラマの男性主役にまでなった。ただ始めと終わりだけを見る人は、「ああ、あの若造は本当に幸運だ!」と言う。たしかに王晶、関錦鵬、關之琳、舒淇、楊千[女華]などのビッグネームが、彼とこれまでともに仕事をし、共演してきたリストに載っているのをみれば、霍建華は幸運だといえなくもない。3年・・・気楽に暮らしている人にとっては、日記を簡単に1ページめくるだけの期間かもしれない。しかし、いつも自己に何かを求める人にとっては、千年の長さのようでもある。西洋には「チャンスは、よく準備しておく人にだけ巡ってくる」という格言がある。誰が準備をしっかりと行ったかって?もちろんそれは、かつて鍾曉剛の台詞を懸命に暗記して、現在に至った人のことである。

仕事ではスポット・ライトに当っている小華だが、いまだかつて、大衆の前に、自分のことをさらけ出すのに慣れたことがない。彼はみんなに注視されるのが恐ろしいと言う。だから写真を撮る時は、どんどん後ろにさがってしまい、そのたびにマネージャーが、顔がよく見える位置まで、彼を引っ張ってこなければならないことが往々にしてある。しかし彼はまた、時には人に注目されて、多少はうれしく思うこともある、とも言っている。恐れもし満足もするという一種矛盾する心理だ。番組での霍建華は見たところいつもまじめで、あまり自分をださない。しかし、ひとたび彼が笑うと、神ですらそれに気をとられるほどなのだ。

イルカ湾という名の場所から、小さい太陽がひとつ昇る。