済州島蜂起の真相語る
  金石範・金時鐘 なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』 (平凡社刊)

 朝鮮半島解放後の一九四八年、米軍政下の「南」では大韓民国建国に向けた「単独選挙」が準備され、それに反対する闘いが、済州島では四月三日の武装蜂起とその後の「パルチザン闘争」に発展した。朝鮮戦争をはさんだ六年有余で鎮圧となるが、その真相は積極的に明らかにされてこなかった。長期間の戦闘と、「三万人以上の島民が虐殺され、四万人以上が日本に逃れた」という規模にもかかわらずにである。

 済州島出身の在日二世・石範氏は、文学作品を通じて「事件」を積極的に「書きつづけてきた」が、他方時鐘氏は、「北」につながる南労党員として蜂起に参加するも日本に逃亡、一貫して「沈黙してきた」。石範氏はデビュー作『鴉の死』や十年近く前の長編『火山島』でこの事件を扱っているが、真相・実態という点ではもどかしさがあった。本書は、両氏の対談を通じて両氏の「事件」との関わりが語られ、とりわけ「沈黙」を守ってきた時鐘氏の生々しい告白は、多くの疑問に答えている。

 石範氏は戦時中、素朴な民族主義から済州島にも行くが、「解放」の日は日本で迎える。再び渡るが、一時帰国中に蜂起を知る。その場にいない自分の身の置きどころのなさに歯噛みすると共に、「社会主義の実現という普遍の中に自分を置くべき」と決意する。済州島出身者の多い大阪には、続々と島民が逃れてくるが、一様に口を閉ざす。だが氏は、聞き取った断片をつなぎ、実態を明らかにするために「書きつづけ」てきた。

 時鐘氏は「皇国臣民」として終戦を迎えるが、一時身を隠していた親日派が反共を口実に親米派に衣更えする無節操を目の当たりにし、「人民解放」を目指す南労党に参加する。だが、戦後処理をめぐる国際情勢の変化に党は動揺・混乱していた。日本共産党と同様に米軍を「解放軍」として美化したり、米ソによる分断支配を策した信託統治案への対応では党は二分された。「北」は自らの支配地を維持するために賛託に回るが、人民の声は圧倒的に反託だった。「日帝支配下で苦しんだのに、また大国の支配を認めるのか」と。南労党は、「北」を守るために賛託を主張したが、一方では理念としては反託だとも説明し、賛託デモの数日後には反託デモを行うなど混乱する。疑心暗鬼が党を支配し、粛正による死者も少なくなかったという。蜂起も、この混乱の中で計画され、「陸(本土)の南労党」との連絡も不十分なまま決行されたのだ。

 「表向きは単独選挙阻止を目指した」が、それがなぜ武装蜂起になったのか? そこには、党内の混乱・動揺を過激な戦術で隠蔽しようとする日和見主義者共通の過ちがある。日共の武装闘争路線への転換と同じ局面がここにはあったのだ。

 李承晩ら元親日派反共民族主義者は、反託の声に乗って米軍政と結び、「北」から逃れてきた西北青年会等の民間右翼を加え進歩勢力を弾圧するが、とりわけ「赤の島」=済州島では苛烈だった。鎮圧部隊は無差別の焼き討ちや処刑で島民を虐殺。身を潜めたパルチザン派も追いつめられ混乱し、警察や軍事施設だけでなく、利敵行為を行う(その疑いがある)住民も襲撃した。悲惨な血みどろの戦闘は親兄弟さえ引き裂き、逃れた人々は口を閉ざす。縁戚関係を重視する朝鮮半島でも済州島は特にそれが強く、時鐘氏の「沈黙」も続いたのである。

 数万の犠牲者を出した責任を自覚するからこそ「北」も「南」も真相を封印してきたが、韓国では、〇〇年一月、「真相糾明および犠牲者名誉回復に関する特別法」が施行され、少しずつ実態が明らかになろうとしている。本書もそうした中で企画されたのである。
 時鐘氏の告白は、『鴉の死』のパルチザンのスパイ・基俊にぴったり重なる。米軍通訳の基俊は、友人で同志の龍石に情報を渡すのが任務で、その素性は恋人(龍石の妹)にも明かさない。恋人が両親とともに「赤」として処刑される時にも、向けられる非難の視線に耐えなければならず、内戦の悲惨と任務の空しさを描くが、それは、同様の任務につき肉親を捨てて日本に逃げてきた時鐘氏の心情そのものである。

 残虐な殺戮と島民の無垢な心情を象徴的に描いた『看守朴書房』(書房は官職のない人の呼称)や、何事もなかったように「大韓民国」の国会議員選挙で「名家」が競う事件の終末近くを描いた『観徳亭』等の石範氏の作品は、本書を読むことによって、初めて得心がいく。単なる虐殺告発やパルチザン派賛美でなく、また、朝鮮の風俗は描かれるが、朝鮮民族主義は前面に出ない一連の作品からは、大国の支配の下で呻吟した朝鮮人の肉声と、今でも社会主義者たらんとする氏の思いが伝わってくる。

 本書には、共に日本共産党に入党するも離党・脱党にいたる両氏の経緯や、事件を語る島民の声なども盛られている。

(2002年6月・康)


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