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「賽の河原地蔵和讃」考

平成1610月・大菩薩嶺山行記(番外編)
                                      2004.10.28
 
   目次       
 はじめに
 @ 例1
 A  例2                                    
 「賽の河原地蔵和讃」の内容
 和讃の狙い
 和讃の果たした役割


 (はじめに)

    「おばあちゃん、そんなの迷信だよ」と叫びたかったが、飲み込んだ。恐怖を声に出せなかった。
  外孫だが初孫であった為か、孫のなかでも一番可愛がってくれる祖母に反論はできなかった。また、
  恐怖を表したくなかった。

  私が10歳のころ、母方の祖母がゆったりとした節で低い声で、「一つや二つや三つや四つ 十より
うちの幼子が 一重積んでは父の為  二重積んでは母の為    三重積んでは西を向き…  」と詠
っていたことを思い出す。ほかの部分は、まだ幼くて理解できなかったが、この部分は鮮烈に覚えてい
る。

「おばあちゃん何の歌?」


「やっさん、これはなあ」と、話してくれたのが、「賽の河原地蔵」の物語である。

  話の概略は、あの世にいたる途中にある河原が賽の河原である。親に先立ち死亡した小児がこの
河原で父母の供養のため小石を積んで塔を作る。すぐに鬼が来てそれを壊す。また積み始める。際限
のない労作業が続く。そこへ小児を救いに地蔵菩薩が現れる、という話である。

  15世紀後半の室町時代末期の高まる地蔵菩薩信仰とともに、幼い子供たちが堕ちる地獄、
「賽の河原」の仏話は、「賽の河原地蔵和讃」として詠われ、現代まで伝えられている。
地蔵菩薩はお釈迦様の没後から弥勒菩薩が成道するまでの無仏時代の衆生済度を付嘱された
菩薩であるといわれる。地蔵菩薩信仰は中国では唐代、日本では平安時代中期の末法思想とともに
民衆に流行した。無数の分身に変身して衆生済度すると信じられ、最も親しまれ、僧(坊主)形で左に
宝珠、右手に錫杖を持つ姿が一般的である。

  「賽の河原和讃」以降、地蔵が子供の仏とされるようになる。そして安産・子育て・延命ほかさまざ
まな現世利益にかかわって、広く信奉されてきた。現代でも児童のまつりとして毎年8月に行われる地
蔵盆の風習が関西を中心に残っている。

  さて、「賽の河原地蔵和讃」は、時代あるいは地域によって若干異なる詩のようである。いたいけな
い子供が罪で地獄に堕ち、罰を受けるという残酷な物語は、当初、宗教的効果を狙ってか、残酷な表
現が多かったようである。また、あまりに残酷な物語であるから、ソフトに変化したようだ。ここで、例示
してみよう。(なお、研究不足で例の出典・作成時期・伝承地域等は不明。インターネットに記載のもの
を例示した。)

@    例1

 帰命頂礼世の中の   定め難きは無常なり   親に先立つ有様に    

 諸事の哀を止めたり   一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子が  

 母の乳房を放れては   賽の河原に集まりて    昼の三時の間には   

 大石運びて塚をつく   夜の三時の間には   小石を拾ひて塔を積む 

  一重積んでは父の為  二重積んでは母の為   三重積んでは西を向き

  
樒程なる掌を合せ   郷里の兄弟我ためと  あら痛はしや幼子は

  泣々石を運ぶなり   手足は石に擦れだだれ  指より出づる血の滴   

  体を朱に染めなして  父上こひし母恋しと   ただ父母の事ばかり

  云うては其儘打伏して   さも苦しげに歎くなり あら怖しや獄卒が    

  鏡照日のまなこにて   幼き者を睨みつけ   汝らがつむ塔は    

  歪みがちにて見苦しし  斯ては功徳になり難し   疾々是を積直し  

成仏願へと呵りつつ    鉄の榜苔を振揚げて  塔を残らず打散らす  

あら痛しや幼な子は   又打伏して泣叫び   呵責に隙ぞ無かりける  

罪は我人あるなれど   ことに子供の罪科は   母の胎内十月のうち 

苦痛さまざま生まれ出で  三年五年七年を    纔か一期に先立つて  

父母に歎きをかくる事  第一重き罪ぞかし  母の乳房に取りついて 

乳の出でざる其の時は   せまりて胸を打叩く  母はこれを忍べども  

などて報の無かるべき  胸を叩くその音は   奈落の底に鳴響く     

  修羅の鼓と聞ゆるなり  父の涙は火の雨と  なりて其身に降懸り   

母の涙は氷となりて   其身を閉づる歎きこそ 子故の闇の呵責なり   

斯る罪科のある故に   賽の河原に迷来て  長き苦患を受くるとよ  

  河原の中に流れあり   娑婆にて嘆く父母の  一念とどきて影写れば  

  なう懐しの父母や   飢を救ひてたび給へと 乳房を慕ふて這寄れば  

  影は忽ち消え失せて  水は炎と燃えあがり  其身を焦して倒れつつ 

絶入る事は数知らず  中にも賢き子供は  色能き花を手折きて   

地蔵菩薩に奉り    暫時呵責を免れんと 咲き乱れたる大木に   

 登るとすれど情なや  幼き者のことなれば  踏み流しては彼此の   

 荊棘の棘に身を刺され 凡て鮮血に染まりつつ  漸く花を手折り来て   

 仏の前に奉る     中に這出る子供等は   胞衣を頭に被りつつ   

花折ることも叶はねば  河原に捨てたる枯花を 口にくはへて痛はしや  

仏の前に這行きて   地蔵菩薩に奉り     錫杖法衣に取付いて   

 助け給へと願ふなり   生死流転を離れなば  六趣輪回の苦みは 

唯是のみに限らねど  長夜の眠り深ければ   夢の驚くこともなし   

 唯ねがはくば地蔵尊    迷ひを導き給へかし      (101文節)

    

A 例2

  これはこの世のことならず  死出の山路の裾野なる

さいの河原の物語  聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ  十にも足らぬおさなごが

父恋し母恋し  恋し恋しと泣く声は

この世の声とは事変わり  悲しさ骨身を通すなり

 

かのみどりごの所作として  河原の石をとり集め

これにて回向の塔を組む  一重組んでは父のため

二重組んでは母のため  三重組んではふるさとの

兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども

日も入り相いのその頃は  地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする  娑婆に残りし父母は

追善供養の勤めなく  (ただ明け暮れの嘆きには)

(酷や可哀や不憫やと)  親の嘆きは汝らの

苦患を受くる種となる  我を恨むる事なかれと

くろがねの棒をのべ  積みたる塔を押し崩す

 

その時能化の地蔵尊  ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて  冥土の旅に来るなり

娑婆と冥土はほど遠し  我を冥土の父母と

思うて明け暮れ頼めよと  幼き者を御衣の

もすその内にかき入れて  哀れみたまうぞ有難き

いまだ歩まぬみどりごを  錫杖の柄に取り付かせ

忍辱慈悲の御肌へに  いだきかかえなでさすり

哀れみたまうぞ有難き  南無延命地蔵大菩薩    

 

(「賽の河原地蔵和讃」の内容)
登場人物は、親に先立ち死亡した子供、その父母、地獄の鬼(@例では「獄卒」と表現)、地蔵菩薩で
ある。なお、死亡した子供は、@例では、複数登場する。「河原の流れに嘆く父母の影写れば、‥‥乳房
を慕ふて、‥身を焦して‥絶入る事は数知らず」、「賢き子供」、「這出る子供等」と河原にあって多様な行
動をする姿が表現されている。死亡した子供が遭遇する艱難辛苦がいかに多く、むごいかを際立たせて
いる。説話の効果を狙って、多くの子供を登場させているのであろう。

物語の内容は、以下は以下のとおりである。

@   

この世は無常である、その中でも親に先立ち、子が死亡することが一番哀れである、と話を始める。賽の
河原の場所は定かに示されない。

十歳にも満たないで死亡した子は、昼は大石、夜は小石を積んで、父母、兄弟、そしてわが身の回向の
ため塚を作る。手足は石に擦れ出血し、父母恋しいと苦しげに歎く。死した幼子が父母、兄弟、そしてわ
が身の回向をなぜするのかは説明されない。

獄卒があらわれ、幼子をにらみながら言う。「お前の積んだ塚は曲がっていて見苦しい。これでは功徳が
ない。積みなおして成仏を願え」と。そして、塚を壊す。
幼な子は打伏して泣叫び、「罪は我にある。子供の罪科は、母の胎内十月間苦痛さまざま生まれ出で、
短い期間で父母に先立つて死し、父母に歎きをかける事だ。乳の出でない時は、母にせまり胸を打叩い
た。母はこれを忍んでくれた。報があるのが当然だ」と、罪を告白する。幼子は自身の罪と罰を承知してい
る。

また、獄卒は幼子に不可能な完璧さを要求する。ここで、塚を築く作業は、父母、兄弟、そしてわが身の
回向のためではなく、無意味で不可能な苦役、すなわち罰を表示しているだけのように思える。

幼子は河原の流れに映った父母の姿を見て、懐しい父母に「飢を救い給へ」と近寄るが、姿は消える。水
は炎と変わり、焼け焦げて気絶する子供も多い。幼子の中で賢い子供は、地蔵菩薩に花を手折ってささ
げ、しばし呵責を免れようと、花の咲く木に登る。が、幼いために足を踏み外して、棘に刺さる。鮮血に染
まりながらも花をささげる。もっと小さく、はいはいする子供たちは花を手折れないから、河原にある枯れ
花を口にくわえて、地蔵にささげ、錫杖法衣に取付いて助け給へと願う。

地蔵様、迷いを導き給へ、と願いと依頼で終わる。 

A   

「この世の話ではない。死出の旅路の話だよ」と断りを入れている。賽の河原は山路の裾野にある。

十歳にも満たないで死亡した子は、父母恋しいと泣きながら、回向のために石を積み塔を作る。父母、
兄弟、そしてわが身の回向のためだ。なぜ幼子が父母、兄弟、そしてわが身の回向をするのだろうか。
明示はされない。幼子がすることである、石積みは回向とは意識されず、本人にとっては昼の遊びで
あろう、と、理由はあいまいにされている。

夜になると、地獄の鬼が現れ石積みの塔を壊す。理由を当の鬼が明示する。「父母は追善供養の勤め
なく、酷や可哀や不憫やと嘆き悲しむばかりだ。親の嘆きが、子供のお前が受ける苦しみの原因だ。俺を
恨むな」と。子供の罪は、父母に転嫁される。石積みの回向が何のためかがさらにあいまいになる。

地蔵が出現し、「我を冥土の父母と思うて明け暮れ頼めよ」と、子供を救済する。救済の言葉および動作
は細やかに表現される。

お地蔵様への感謝で終わる。

以上2例のように、「幼子が死亡して賽の河原で石積み、地獄の鬼が積み上げた石を崩す、地蔵が幼子を
救済する」との話の大筋・展開は、幼い子供たちにわけのわからない恐怖を与える。
死んでも鬼にいじめられる。地獄は怖いところだ。また、寺で地獄図を見ることも多かった。炎の中で鬼が
大口を開けている。やせこけた男が食われる。炎の中に落下していく、等など。視覚・聴覚から恐怖が増
幅され、記憶される。きっと夢に見て叫んだことだろう。
なぜ死んでもいじめられるのか、近親者の死からは想像もつかない。安らかなデスマスクにそのような災
難があるとは思いつかない。加えて、僧、祖父母あるいは父母が地獄図を解説する際に、生前悪いことを
すると地獄に落ち、よいことをすれば天国に行くと聞かされていた。
子供にとって、父母兄弟、友人、他人に悪いことをすれば地獄に落ちると理解はできる。だが、子供にとっ
ての悪いことは限られる。また、自己主張の始まる時期である。賽の河原の物語を聞いても、理解しがた
い。自己の無罪を主張する。賽の河原の子供はよほど悪いことをしたんだな、と解釈してこの話は忘れる。
地獄に行かなければ、地獄が無縁であれば、地蔵様の救済は意味を成さない。村はずれのまん丸坊主
の、優しいお顔は何回も見てはいる。現世ご利益のお願い事もした。あくまで願掛けの対象であり、苦の
救済者ではない。子供に苦があろうか。あるのは現世ご利益、満たされない物質的欲望が大部分であろ
う。幸せなことに。

 

(和讃の狙い)
以上2例のように、「幼子が死亡して賽の河原で石積み、地獄の鬼が積み上げた石を崩す、地蔵が幼子を
救済する」との話の大筋・展開は同じであるが、その目的したがって表現方法には差異がある。

私が幼き日に直感した恐怖と違和感あるいは疑問に関わらして、この点の細部検討をしてみよう。

@例では、幼子の有罪を主張している。幼子が生まれ、そして生きることは、母に苦痛・苦労を強いる。
子の立場からは生命の自然の動きといえるが、父母にとっては産みそして養育することは容易でない。
肉体的のみならず精神的にも、父母とりわけ母に犠牲を強いる。
生まれた者は、無意識で、あるいは自己の欲求で強いた母の犠牲に対して、成長後に恩に報いるのが
ヒトであるとの前提がある。和讃は、幼子の死が恩を返さないことになること、そして新たな悲しみと苦悩
を父母に強いることにおいて、子の罪と主張している。

子の主張もあろう。「自分の好きで生まれたわけでない。あなたの好き勝手の結果でしょう」と。子は無罪
で、ヒトの快楽、一歩謙虚に言えば、種の保存という自然の欲求が有罪というべきでしょう、との主張だ。
子の有罪を主張すれば、時代や時代の倫理観・道徳に関係なく反論されたであろう。ヒトは自己を否定さ
れたまま生きられない。
時代の倫理観・道徳は反論を圧殺するが、子供の内部に鬱々と生き残る。そして、社会的また家族的葛
藤・争いの中で将来に爆発する。

もっとも、子供の無辜(罪のないこと)の残酷性は遊びの場面で見られる。小動物や植物を意味なく傷つ
け命を奪う。罪の意識がないから、無辜(無罪)である。不法・不道徳であるが、責任は問えない。

和讃は、上記を承知の上で、幼子を断罪するのであろう。そして、恐怖で有罪判決を納得させようとしたの
であろう。また、A例の和讃では、幼子の罪は明示されていない。恐怖の罰のみを述べ、有罪判決を推測
させる。ただし、この考え方は還暦を過ぎた現在のものであり、祖母の話を聞いたときは、納得できなく恐
怖のみ覚えたのであろう。幼い日の違和感はこの感覚であろう。


次いで、罪に対する罰が執行される。ヒトにとって、「考える葦」であるヒトにとって、最大の苦痛は、意味
のないことを行うことである。ヒトは、自分にとってあるいは他人にとって役立つこと、意味のあることを
行う。禁固・懲役の罰の基本は、周囲を遮断し、無為に過ごさせることであろう。もっとも現在は、受刑者
の社会復帰あるいは矯正・再教育を目的に「正業の」作業を実施している。収入を得る、技術を身につけ
る、場合によっては自己表現ができるなどの目的がある作業を実施している。また、思いにふけることが
苦痛でない一部のヒトには、罰の意味がないこともあるだろうが。

和讃では、罰として、父母、兄弟及び自分の回向のために石を積む作業が詠われる。ここで、理解しにく
いのが、「回向のため」という作業目的である。

「えこう・回向」は、広辞苑によれば、仏教用語で以下の意味であるという。 

(1)自己が行なった修行や造塔・布施などの善行の結果を、自己や他者の成仏や利益(利益)などの
 ために差し向けること。


(2)死者の成仏を祈って供養を行うこと。

(3)浄土真宗で、阿弥陀仏の本願の力によって浄土に往生し、またこの世に戻って人々を救済する
  こと。前者を往相廻向、後者を還相(げんそう)廻向という。

ここで回向とは、石を積んで塔をつくり、仏に対して献じて、自分の成仏を祈ることを言っているのであろう
。塔は、自分のもののみならず、父母・兄弟の分まで作る。いたいけない子供が小さな手で世話になった
人々への恩返しをする行動が、哀れさと悲惨さを増幅する。
そう、自分が生き長らえれば、父母・兄弟の供養をする立場にある。その責務を果たせない無念さをここ
で現している。当然ながら、孝行・長幼の序という道徳が前提になっている。この道徳と仏教がなければ、
石を積んで塔をつくることは遊びであり、創造であるかもしれない。強制されるのはつらいが、意外にも楽
しみであるかもしれない。

作られた塔は、地獄の鬼に破壊される。幼子の想いと行動の成果が無駄になる。哀れさと悲惨さはさら
に増幅される仕掛けになっている。

@例では、鬼が幼子に難癖をつける。「お前の作る塔はゆがんでいる。そんなもの回向の役に立つか」と
。幼子を日夜目にする父母には子供の日々の成長が楽しみである。きのうできなかったことが今日できた
と喜ぶ毎日である。完璧は期待できないことは十分に知り尽くして、少しでもできたことを喜ぶ親心である
。ここも、親の気持ちを意識した巧みな計算の難癖といえよう。テレビドラマで嫁をいじめる姑の定番せり
ふを思わせる。

A例では、鬼がこの場面で幼子に罪の説明をする。が、幼子にとって対応の仕様もない、辛い理由だ。「
娑婆に残りし父母は、追善供養の勤めなく、ただ明け暮れの嘆きには、酷や可哀や不憫やと。親の嘆き
は汝らの苦患を受くる種となる」
物心ついた子供であっても、「私のために嘆かないで。仏に祈って」と、親に言えるだろうか。鬼が意図的
な意地悪をしている。無論、子供への意地悪の効果は、父母とりわけ母に対する効果を狙っている。

回向のための作業は石の積み挙げと破壊が繰り返されると、残酷な罰となる。無意味な行為の際限ない
繰り返しは、耐えるのが困難だろう。繰り返しは記述されないが、推測される。
@例では、加えて、幼子が苦しみから逃れる別の行動を記述する。賢い子は、地蔵の助けを求めてお供
えする花を手折るために棘の木に登る。血だらけでやっと花を手にする。木に登れない小さな子は、はい
はいで河原の枯れ花を拾い口にくわえる。はいはいする子が、地蔵の助けを求めてお供えする花を探す
才覚があるかどうかは疑問だが、賢い子が教えるのであろうか。河原の石で傷つきながら、朽ちて異臭を
放つ枯れた花を口にする姿は、まさに地獄絵の題材である。なお、A例では、更なる悲惨を記述していな
い。

ここで、@例で不審に想うのは地蔵の行動である。地蔵はこのような悲惨な犠牲を求めている。罪ある
存在としてのヒトは、苦しみの中で救いを求めなければならない、そして罪を認めたヒトのみを仏は救う、
という行動をしている。 A例では、地蔵は救済者として幼子に呼びかける。「幼くして父母から別離した子
供よ。今日からは私が冥土においての父母となろう」


和讃は、@例では地蔵への「助けたまえ」という願い、A例は地蔵への感謝で終わる。地蔵さんのイメー
ジも異なる。A例では、地蔵は自ら幼子に救いの言葉を呼びかける。天国と地獄を行き来して、特に子供
を地獄から救い挙げる。@例では、地蔵は自ら救いを提供しない。はいはいする子が傷つきながら枯れ花
を供花するのを受ける。「天は自ら助くる者を助く」のようである。

時代、地域、宗派などによって、和讃の趣旨・目的があるいは地蔵のイメージが違うのであろう。上記のよ
うに、@、Aいずれの例も、子供が罰せられる悲惨さ・哀れさを強調する筋書きであるが、@例は、子供の
罪を断罪し親の苦悩を引き出す、A例では、親の罪で子が罰せられる様子を示し親を断罪する。


 

(和讃の果たした役割)

まず、和讃が歌い継がれた背景と役割を考えてみよう。
今、戦前に生まれた世代以外では和讃を知る人は多くないだろう。祖母から聞いた和讃を私も子供に伝えた事は
ない。和讃が詠いつづけられた背景、あるいは地蔵信仰が継続した背景を、そして私が伝えなかった背景を考えて
みる。

和讃の主人公は、幼くして死亡した子供である。主人公は、時代とともにその数、死亡の原因に変化が
あるが、有史以来絶えることなく日常的な存在である。現在の父母にとっても、例外ではあるが、知らない
出来事ではない。
風水害・地震など天災地変、戦乱、事故、病気は、対策の進歩により減少しているが、これらの原因によ
る幼子の死亡が避けられてはいない。飢餓は日本では皆無に近いとはいえ、地球の何処かで起きている
。交通事故、殺人による死亡は近代の新たな原因である。間引き、人工中絶、虐待死は、その起因が異
なるとはいえ継続して幼子のリスクである。

ところで、和讃が生まれ育つには、幼子の死亡するリスクと救いの大衆宗教がなければならない。末法思
想の大流行とともに、地蔵信仰が国民化したのは平安時代末期といわれる。それ以前では仏教は、奈良
時代の移入以来、支配階級における護国宗教であった。その仏教が国民各層に信仰されるようになるの
は、平安期の浄土教の流行を機としている。

中央や地方の政治がみだれ,人々の心が不安になるにつれて,念仏をとなえて阿弥陀仏にすがれば,極
楽浄土で幸福がえられると説いた浄土教がさかんになった。ここで、浄土教の変遷を見てみる。

阿弥陀信仰である浄土教はすでに奈良時代に日本に伝わっていた。奈良時代には,阿弥陀仏像が多数
つくられた。その本質は祖先崇拝、祖先の追善供養であった。死者を極楽浄土に往生させようとする呪術
的儀礼が,奈良時代の阿弥陀信仰の本質であり,その哀訴の対象として阿弥陀仏が礼拝された。

阿弥陀仏の救済によって「極楽浄土で永遠の命を得る」ということ、信仰は、諸行無常という仏教の根本
原理と矛盾する。それは、インドで生れた仏教が諸文化・宗教の要素が加わることによって変容した結果
と考えられている。阿弥陀仏の誓願(阿弥陀仏が仏になる前に、将来このような仏になろうと決意して建て
た誓い)の中に、

   「念仏をとなえたならば・・・・極楽に迎え入れる」

という表現があるそうだ。「‥‥すれば、極楽に迎え入れる」という考え方は、「契約」そのものである。
シルクロードの活発な交流の中で、ゾロアスター教を介して旧約・新約聖書さらにはコーランへと流れる「
契約宗教的」要素が含まれた、と考えられる。基盤は仏教でありながら、独特の教義を持つのが浄土教だ
といえる。この浄土教が日本に入り普及した経緯を見てみよう。

仏教は、1世紀半ばの後漢代には中国にもたらされていた。3世紀から5世紀に、浄土教『無量寿経』、
『般若経』、『維摩経』、『法華経』、『阿弥陀経』が翻訳され、浄土教『観無量寿経』が書かれ、後に言う
「浄土三部経」が揃った。

日本に広範囲に浄土教を布教したのは、円仁(794―864年)である。遣唐使として唐から帰国した円仁
は、念仏三昧(ざんまい)の法を比叡山に伝え、いわゆる「山の念仏」をはじめた。休むことなく口に阿弥陀
仏の名を唱え、休むことなく心に阿弥陀仏を想う行であった。十世紀の後半にいたると、日本の浄土教は
新しい段階を迎える。
空也(903―972年)および源信(942―1017年)の登場によって、浄土教は二つの方向に発展する。

空也は、信者とともに鉦(かね)を叩(たた)き、踊りながら一心に念仏を唱えた。この踊り念仏は、激しい
動作によって宗教的興奮をもたらす伝統的な修行の形式を継承したものである。念仏を自ら唱え、あるい
は僧俗男女の別なく他の人とともに唱えるものであった。空也は各地の人々が集まる市などをめぐり,庶
民に浄土教の信仰を説いた。「市の聖(いちのひじり)」といわれた。堂舎や念仏僧を必要としないため、
庶民のあいだに根を下ろしていく。人々は、もっぱら死後の安楽を求め、呪術的な現世利益を念仏の行に
期待した。

他方、源信(天台宗の僧。恵心僧都(えんしんそうず)ともいう)は、985年に『往生要集』を著し浄土教を発
展させた。末法の時代に「だれでも帰依しなければならないほどすぐれているのが浄土の教えである。
顕教とか密教と呼ばれている教えはたくさんある。しかし、智恵のすぐれた人にとっては、それほどむずか
しいと思わない教えであっても、私たちのような愚かな者は、どうして修することができようか。そんな人た
ちのために用意しておかれた教えが念仏の法門である。だれでも阿弥陀仏を一心に信じればすくわれる」
と説く。
『往生要集』は、すさまじい地獄の有り様と、妙なる音楽が響き天人が舞う清らかな極楽の有り様とを、対
比的に生々しく描きだした。源信の説く浄土教は、僧侶、貴族で関心を集めた。彼らは、往生を確実にす
るために阿弥陀堂を盛んに建立した。その代表的なものが藤原頼通の建てた宇治・平等院鳳凰堂で、
中堂は阿弥陀浄土を具現しているといわれる。

ここで、時代の潮流であった末法思想について見てみよう。
釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなると
するのが末法思想であり、中国から伝えられた。
平安時代後期は、飢饉や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、貴族も民衆も危機感を
募らせていたので、末法思想が現実感をともなって受け止められる。
最澄によれば1052年(永承7年)に末法に入るといわれ、仏教界のみならず一般思想界にも深刻な影響
を与えた。末法の世という時代と、その時代に生を受けた人間の性質に相応しい教えとして生まれたのが
、法然や親鸞などの、いわゆる鎌倉新仏教だと言われる。

仏教の大衆化を以上の経過をたどったという。ここで、本題の地蔵信仰を見てみよう。地蔵菩薩は、梵語
で、命の源泉である「大地」を意味するという。インドにおいて、釈迦生誕以前に、婆羅門教(バラモン)の
地神であったという。釈迦が悟りの境地に達せられたとき、この地神が現われて、釈迦の悟りを証明した
という(「過去現在因果経」)。

また、地蔵十王経によれば、閻魔大王に化身し、死後の裁定を行なうという。地蔵十王経等の地蔵経典
は、奈良時代に伝来したが、信仰はさほど広がらなかった。
平安時代、社会状況の不安定、末法思想の流布、浄土教の庶民層への普及、の時代環境の中で、釈迦
入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまで、すなわち末法の時代に、現世利益はもとより死者
を輪廻から救済すると信じられ存在感を示した。

また、室町時代になって、六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を教化す
る存在とされ、地蔵菩薩が爆発的に信仰されるようになったという。六地蔵は、六世界に現れた地蔵の姿
を表わしたもので、宝珠地蔵・宝印地蔵・持地地蔵・除蓋障地蔵・日光地蔵・檀陀地蔵という名前が付い
ている。日本古来よりの道祖神と習合して発達したという。
さらに、江戸時代には、身代わり地蔵信仰が発展して、延命地蔵・子育地蔵・腹帯地蔵・とげぬき地蔵・
水子地蔵などが作り出された。
地蔵像の形には、一般に童子の姿の地蔵と僧形の地蔵があるが、歴史的には僧形のものが古い形で、
だいたい12世紀ころから童子の形の地蔵が出てきたとされる。

大寺院や荘厳な阿弥陀仏に代表される護国仏教として信仰された仏教が、庶民の素朴な信仰と結合し
て、六道の苦と日常的な救済の祈りとして、庶民に地蔵信仰が広まっていく。その確かな証左が、童子の
形の地蔵であり、身代わり地蔵信仰である。今も全国の村はずれに立つお地蔵さんは庶民の信仰の長い
歴史を証明する。もちろん、仏教の経典に見られる複雑な論理は忘れ去られる。地蔵が閻魔大王に化身
し、死後の裁定を行なう、同時に、釈迦入滅後弥勒菩薩が出現するまで、現世利益はもとより死者を輪廻
から救済するという論理は分かりにくい。閻魔=鬼、地蔵=救済者、の二元論の中で、庶民の個別の苦し
みごとに、諸地蔵が生まれる。「生まれる」「育つ」という庶民の切ない望みに地蔵はかかわっている。
和讃はこの地蔵信仰の中で生まれ、そして庶民信仰を構成し、歌い継がれて行く。

明治期の国家神道創設の中で、廃仏棄却の強権発動を通じ、仏教が壊滅的打撃を受ける。ただし、国家
権力といえども、庶民信仰を消し去ることは出来ない。地蔵は村々に残り、和讃も歌い継がれる。しかし
ながら、老獪な国家権力は、教育勅語・軍人勅諭・天皇信仰の社会システムで、精神と生活様式を規制
する。地蔵も和讃も反国家的でないので、黙認されたというべきかもしれない。あるいは、庶民の迷信とさ
げすまれながら見捨てられたのかもしれない。祖母もそんな中で、賽の河原地蔵和讃を詠い続けていた
のだろうか。

戦後、天皇の人間宣言および教育改訂に伴い、日本教信仰の支柱が崩壊する。同時に経済混乱と経済
発展の中で、宗教の多様化と無宗教化が進展する。食べるのが最優先であり、また、豊かになっていく。
リスクの形が変わっていく。また、リスクの認識の仕方も変わる。病は治療される可能性が見出される。貧
困は乗り越えられる可能性が見える。種々のリスクに回避の可能性が見える。もちろん、死には回避の可
能性がないのは知っている。科学知識の普及の中、賽の河原地蔵和讃の物語は現実との接点を失って
いく。

ただ、人の悩みは尽きない。人のすぐ傍にずっといた地蔵は、密やかに立ち続ける。そして、新たに生ま
れ変わる。親族に迷惑掛けないで安らかに死にたい、こんな望みは、ぽっくり地蔵を生む。
が、地蔵が持つ閻魔大王への化身、地獄の裁定者の側面なくして、和讃は生まれない。救済者だけを望
む、現世利益だけを望む世界に、和讃は育たない。物言わないお地蔵さんは立ち続けても。

大菩薩峠から尾根伝いに岩場を乗り越えると、旧峠に至る。賽の河原と命名されている。

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